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2018年07月28日

親鸞とヤクザ組長

 拙著『親鸞がヤクザ事務所に乗り込んで「悪人正機」を説いたら』(KKベストセラーズ)が発売になった。

 本書の帯に「異色の仏教エンタテイメント小説登場!」とあるように、「ヤクザ」と「仏教」という正反対のものをコラボさせた異色にして、新しい試みの作品である。

 まず、読んで面白いこと。
 そのうえで、仏教とヤクザ社会の一端を知ってもらえればいいと思って書いた。
 なんとか目的は達せられたのではないかと自負している。

 今後、こうした小説的な構成を取り入れながらハウツーが書ければ、新たな方法論になるだろうと、勝手に期待しているところである。

 ヤクザは自分の力をたのみにする「自力」の世界。
 その組長に親鸞が「絶対他力」を説いたらどういうことになるか。

 ヤクザ組長を私たちの「写し鏡」として描いた。
 一読願えれば幸甚である。

 ついでながら、9月13日(木)午後7時から、築地本願寺「銀座サロン」にて、本書のタイトルをお題として話をする。
 今度で4回目の出講となる。
 乞う、ご期待(と言いたいところである)

投稿者 mukaidani : 11:19

2018年07月27日

『立ち上がれ日大マン!』という本

 日本大学アメフト部の内田元監督が、関東学生連盟の除名処分について、異議申し立てをするとかしないとか、記事が出ている。

 新監督が決まりはしたが、果たして日大アメフト部は生まれ変わることができるのかどうか。
 OBも多く、なかなか難しい問題があるだろう。

 私が週刊誌記者時代、日大アメフト部を築いた伝説の故篠竹監督とメシを食ったことがあるが、〝付き人〟の学生部員が膝をつき、篠竹監督の運動靴のヒモを結んでいたのには驚いたものだ。

 と同時に、カリスマとはこうしたものなのかと、感心もしたことをおぼえている。

 日大OBには知人も友人もいて私は好きな大学なのだが、いまの「日大・田中体制」には問題あるとして、メディアが批判するなか、きわめつけの本がこのたび出版された。

 題して、

『立ち上がれ日大マン! 黒幕田中体制に挑戦』(人間の科学新社)

 長年、果敢に日大批判を展開してきた「敬天新聞」社主の白倉康夫氏が著者だけに、リアルで、日大内部の深層で何が行われてきたかよくわかる。

 東京医科大学の不正入試疑惑など、少子化というトレンドのなかで、大学の在り方がいま俎上に乗せられている。
 大学とは何かを考える上でも、本書は必読の書である。

投稿者 mukaidani : 10:28

2018年07月25日

猛暑の実感

 昨日は用事ができ、都内へ出かけた。
 人に会ったあと移動するかもしれないので、考えた末、電車にした。

 午後の出発であり、愚妻にクルマで駅まで送らせたので、涼しくてよかった。
 電車内も冷房が利いていて涼しい。

(何が猛暑だ)
 と鼻歌まじりでいたら、駅を出てから暑いこと。

 スキンヘッドだから汗が止まらず、首筋に一気に落ちてきてシャツにしみ込み、猛暑だと実感した次第。

 帰途、最寄りの駅から自宅まで徒歩で10分たらずだが、陽が落ちても風がなく、歩いているうちに背中にびっしょりと汗。

 帰宅してシャツを脱ぐと、それを手にした愚妻が、
「あら、汗をかいているじゃないの」
 愚かなことを言う。

「バカ者。猛暑のなかを外出すれば、わしだって汗をかく」
「珍しいわね」
 鬱陶しいので相手らせず、すぐに風呂に入った。

 昨日、出かける前に、産経デジタルのオピニオンサイト「iRONNA」から、「炎天下の甲子園」について原稿を頼まれていた。
 熱中症の危険が叫ばれるなか、高校野球の真夏の開催について思うところを書けというわけだ。
 この日、猛暑を実感した私は、風呂から上がるや、猛然と反対論を書き始めたのである。

投稿者 mukaidani : 13:25

2018年07月24日

外は猛暑?

 気温40度の時代である。
 学校のプールも水温が高くなり、中止になったとか。

 だが、私のような自由業は通勤することがないので、暑さとはほぼ無縁でいられる。

 出かけるのは都内での打ち合わせのときだが、太陽に身体をさらすのは、部屋からクルマまで数メートル。
 打ち合わせはホテルのティールームを使うので、地下駐車場からエレベータ。
 太陽に身体をさらすことはない。

 帰宅も同じ。

 だから猛暑と言われてもピンとこない。

 道場もエアコンをきかせているので、
「ああ、涼しい」
 と、子供たちが入って来て言うと、
「外は暑いのか?」
 私は思わず問い返してしまう。

「そんなこと言ってると嫌われるわよ」
 と愚妻はたしなめるが、早朝から露天風呂に浸かっている人間に言われたくはないのだ。

 と、ここまで書いたところで、いまちょうど愚妻が日帰り温泉から帰ってきた。
 血色がすこぶるいい。
 きっと長生きすることだろう。

投稿者 mukaidani : 10:57

2018年07月23日

「口うるさい」ということ

 私のことを「口うるさい」と愚妻は批難する。

「階段の壁紙が剥がれかけているから貼っておけ」
「道場の郵便受けを見ているか」
「明日の気温は何度だ」

 思いつくまま命じるので、
「口うるさい」
 ということになるのだが、私は一度、口にするとすぐに忘れてしまう。

 だから、愚妻もシカトする。
 シカトするから、ひょいとしたときに私が思い出して、同じことを命じる。
 結果、口うるさくなる。

 これが「口うるさい」のメカニズムであって、私が悪いのではないのだ。

 そう言えば土曜夜の稽古で、
「私がいつも言っているように、腰は落とそうと思わなければ落ちないんだぞ!」
 怒鳴ったら、
「そんなこと、いつも言っていた?」

 女子高生が、隣の子に小声で問いかけたのが聞こえた。

「バカ者、いつも言っているではないか!」
「言ってないわよ」
 女子高生が口をとがらせて、
「言っていないわよ。ねぇ」
 周囲に賛同を求め、
「言っていない」
「聞いていない」
 と口をそろえて反論した。

 私はこのことは口を酸っぱくして注意しているのだ。
 それを愚妻の如くシカトしているから、「聞いていない」になるのだろう。

「私は間違いなくいつも言っている。それでもキミたちは聞いていないと言うのか?」
「聞いていないわよ。腰を落とせとは言われているけど、落とそうと思わなければ落ちないとは聞いていない。ねぇ」
「そうよ、そうよ」

 屁理屈をこねる。
 ああ言えばこう言うで、私をやりこめることが楽しいのだ。
 十代のこの子たちは、やがて我が愚妻のように育っていくのだろう。
「女性が輝く社会」という言葉が脳裡をよぎるのだ、

投稿者 mukaidani : 09:57

2018年07月22日

臥龍点睛

 夏の輪袈裟は結局、通販で購入した。
 お手ごろ価格は売り切れなので、いささか奮発した。
「いつものパターンだわね」
 と、愚妻は冷ややかな一言。

 私は何かを買おうとすると、あれこれ検討していくうちに次第に高価格のものになっていくのだ。
 カネもないのに悪いクセである。
 だがクセは、クセである以上、なかなか直らないのだ。

 昨日の昼間、九段支部に所属するベトナム人のD君が、古武道の稽古に道場にやってきた。
 8月の国際大会に出場を決めて、これで3回目である。
 北区から電車を乗り継いで佐倉市までやってくる。
 熱心さには頭が下がる。

 稽古量は正直なもので、見違えるように上達した。

 何事もそうだが、上達するためには、その人にとって「ちょっとしたコツ」がある。

 この「ちょっとしたコツ」を「画竜点睛」と言う。

 小さいことだから、当人は気づけない。

 何事においても指導とは、画竜に眼を入れる手伝いをすることではないかと、昨日、考えたのである。

投稿者 mukaidani : 10:55

2018年07月21日

輪袈裟を買いに行く

 いきなり夏の輪袈裟が欲しくなった。
 もちろん持ってはいるが、新しいのが欲しくなったのである。

 ネットで見ると、お手ごろ価格で、色味のいい輪袈裟はみんな売り切れ。
 そうだろうな。
 盛夏を迎える前に買うべきだが、うっかりしていた。

 で、今朝。
 築地本願寺内にある仏具店に行くことにした。
 ただ行くのでは時間がもったいないので、朝7時からの晨朝(朝のお参り)と、10時30分からの常例布教を聴聞しに出かける。

 晨朝が終わり、築地本願寺近くの喫茶店で2時間ほど原稿を書き、暑い中を買いに行ったら、
「申しわけありませんが、当店には輪袈裟は置いてありません」

 そうだろうな。
 仏具店だもの、うっかりしていた。

 それでも何人か知人がお参りに来ていたし、常例布教はいろんな意味で参考になった。

 何事もガッカリせず、得るものを見つける。
 転んでもただで起きてはならないと、自分に言い聞かすことであった。

投稿者 mukaidani : 13:51

2018年07月20日

したり顔

 会う人がみんな「呉市は災害で大変ですね」と気づかってくださる。
 ありがたいことだ。
 友人たちのことが気になるが、取り込んでいる最中に、役に立たない私が連絡を取るのは邪魔になるだけだろう。
 状況は人伝に聞いている。

 猛暑が続く。
 高校時代、学校で「暑い」と言ったら、
「日本の夏は暑いことに決まっている」
 と、担任に一喝されたことがある。

 そのときは「なるほど」と合点し、以来、どうにもならないことは甘受するようになった。

 だが、齢を重ね、仏法を囓るようになって、少し変わってきた。

 どうにもならないとわかっていることでも、
「でも」
 と思うのが人間ではないか。

 日本の夏は暑いことに決まっているし、そのことはわかっていても、
「でも」
 と、うらめしく思うことがある。
 それでこそ人間というものではないかと、したり顔で思うのである。

 大病をわずらい、死線をさまよった横浜の友人からメールがあり、この酷暑のなかを元気一杯で活躍しているとのこと。
 彼は介護事業を営み、僧侶でもあり、あれこれ夢も語っている。

 したり顔で能書きを言っている場合ではないと、これまた自分に言い聞かせるのだ。 

投稿者 mukaidani : 08:30

2018年07月19日

早朝散歩で考える

 今朝はセミが鳴き、田んぼの上をトンボが飛んでいた。
 夏の風情で、やっと夏が来たと思った。

 連日の猛暑はただ暑いだけであって、気分的には「夏」ではない。
 私の場合、夏はやはりセミにトンボである。

 セミの鳴き声を聞き、トンボを目にすることで、子供のころの「夏休み」が懐かしく思い出されるのだろう。

 脳のメカニズムについてはよくは知らないが、視覚と聴覚は記憶を刺激するということか。

 歩きながらここまで考えて、
「では、目と耳の不自由な人はどうなのか?」
 という思いがよぎった。

 学生時代、アルバイト原稿で、盲目のマッサージ師を取材したことがある。
 青年だったが、彼と並んで歩いていて、四つ角にさしかかると、
「そこを右です」
 と言ってから、
「風が変わるからわかるんですよ」
 と笑ったことを、いまもよく覚えている。

 視覚が不自由なぶんたけ、皮膚感覚が鋭敏になったのだと言っていた。

 彼と別れて帰途、私は四つ角に立ち止まって風を感じようとしたが、まったく無理だった。

 結局、人間は「手持ちの札」で勝負するしかないということだ。
 目が不自由なら別の感覚で、足が遅いなら別の能力で、要領が悪ければ努力でカバーする。

「あれが足りない」
「これがこうであったら」
 と、何かのせいにするのは所詮、負け犬ということか。

 短所は長所に転じる。

投稿者 mukaidani : 08:16

2018年07月18日

カエルの鳴き声

 8月以降の予定を見直す。
 1日から5日までの沖縄行きが日程的には大きく、仕事にしわ寄せが来る。

 試合に出場するウチの選手諸君は大変で、頑張って稽古しているが、私は同行するだけ。
 一応、監督という立場なので、傍目八目のアドバイスをするくらいだが、何とか頑張って欲しいものである。

 成績はどうあれ、9月1日の当道場の合宿では、試合の話でにぎやかになることだろう。

 昨日は、房総・御宿の山間にある古民家の料理屋さんに行った。
 毎月の楽しみで、いつも家を午後1時に出ると、途中、農産物店に寄り、4時に店に入るのがパターン。

 営業時間は昼と夜。
 午後の遅めは休憩時間のようだが、私たち夫婦はいつもこの時間にしてもらっている。
 世話をかけるが、客は私たち一組だけなので、広い座敷でくつろげる。
 ありがたいことである。

 山間の古民家とあって、開け放った障子から風がそよそよと吹いてくる。

 耳を澄ますと、ゲーゲーと鳴き声が聞こえてきた。
「カエルが鳴いているわね」
 と愚妻。
「真夏の昼間にカエルが鳴くのか?」
「カエルはいつだって鳴くわよ」

 言い切ったが、炎天下でカエルが鳴くか?

 気になるので店の娘さんに問うと、
「あれはカモです。暑いと、あんな声を出すんですよ」
 ニコニコと笑って言った。

 何が、カエルの鳴き声だ。
 

投稿者 mukaidani : 10:49

2018年07月17日

防災グッズ

 缶詰や水、携帯トイレといった防災グッズは、これまで玄関に近い場所に置いてあった。

 邪魔である。
「なぜ玄関なのだ」
「避難するときにすぐに持ち出せるじゃないの」
 と愚妻が言う。

「どこへ避難するのだ」
「小学校の体育館よ」
「お前は、食糧や水や携帯トイレをかついで体育館に避難するのか。備蓄品は自宅籠城のためのものである」

 ここでハタと気づいたようで、
「それもそうね」

 ゴソゴソと備蓄品の移動を始めたところが、テレビの防災番組で、1階より2階に保管しておくほうがいいと言っていた。
 1階はつぶれる危険があるからだ。
 しかも、1箇所でなく、分散するほうがいいとも。

 愚妻はすぐさま備蓄品を2階に移し始めた。
 自分の部屋とクローゼットはいいとして、2階トイレの入口付近にも分散して置いてから、
「通るのにちょっと狭いから気をつけてね」

 いつ来るかわからない災害である。
 一生、来ないかもしれない。
 それなのに、不便な思いをしてトイレに入らなければならないのか。

「意味がないのではないか?」
「災害に遭う前は、みんなそう言うのよ」
「しかし」
「文句言うヒマがあるなら、作務衣や着物を片づけなさいよ。邪魔でしょ」

 問題がスルリと入れ替わり、滔々と私の批難が始まるのだ。

投稿者 mukaidani : 11:04

2018年07月16日

バチ当たりばかり

 昨日は盂蘭盆会法要で、都内のお寺に午前と午後に出勤。
 この歳になって新たなチャレンジは、新鮮で楽しいものだ。

 年寄りは邪魔にされることの多いものだが、坊さんは歳をとっているほうが、何となくありがたく見える。

 これは武道も同じで、経験が浅くとも、年配者はそこに端然と座しているだけで達人のように見える。

 だから兼ねて言っているように、歳を拾ったら仏道と武道がお勧めというわけだ。
 ありがたく見えれば、それだけ大事にもされるのである。

 晩年に至って、大事にされるのと邪魔者にされるのは天地の差になるのだ。

 ところが、昨日。
 私の留守に娘が拙宅により、
「お坊さんは長生きするそうよ」
 と、心配して愚妻に言ったとか。

 テレビでやっていたらしい。

 私が長生きしたら世間が迷惑すると、娘は心配しているわけだ。

 そう言えば先夜、女子中学生が道場で、
「館長、痩せたんじゃない?」

 心配してくれているのかと思ったら、
「館長が死んだら道場はどうなるの?」

 私の周囲は、バチ当たりばかりいるのだ。

 今朝、早朝散歩から帰宅すると、愚妻はすでに日帰り温泉へ出かけている。
 私は自宅の湯船で、今日やるべきことを考える。
 愚妻は日陰になった露天風呂で、何を考えているのだろ。

 私の周囲は、バチ当たりばかりいるのだ。

投稿者 mukaidani : 10:17

2018年07月14日

不毛の論戦

 今日も猛暑。
 被災者の方々は大変だろう。
 思いを馳せつつ、自分のなすべきことを。

 昨日は、子供たちが熱中症になったら大変なので、道場のエアコンをガンガンかけ、稽古は頑張らせない。
 いや、「頑張れ」と言っても頑張る子は少ないので、いつもどおりか。

 しかし、熱中症対策で「頑張らせてはいけない」ということになれば、指導者としては気が楽である。
 すなわち、ネガティブな行動に対しては、ポジティブな理由をくっつければ罪悪感は少なくなるということ。

「言い訳」は、自分に対していかに積極性を持たせるかが大事ということである。

 昨夜、愚妻が帰宅。
「ちょっと、帰ってくるのがわかっているの、どうして電気をつけていないのよ」
 玄関内に電気がついていないというクレームが第一声。

「電気がついていなと、何か問題があるのか?」
「ないけど、つけておけばいいじゃない」
「理由は?」
「私が帰ってくるからよ」
「帰ってくると、なぜ電気をつけねばならんのだ」

 熱帯夜に不毛の論戦である。

投稿者 mukaidani : 08:58

2018年07月13日

昨日は食事せず

 昨日は、クラッカーを数枚食べたきり。
 ついぞ食事をしなかった。
 愚妻がいないとホントに不便である。

 昼から都内で所用があったので、帰途、食事をしてもいいのだが、相変わらず一人では食事ができない。
 なぜか一人で店には入れないのだ。

 ところが喫茶店は平気なので、昨日も時間調整に一人で二店ほど入り、あれこれ仕事をしたり作業をしたり。

 昨日は食事しないまま、最寄りの駅に着いたので、駅のコンビニでサンドウイッチでも買って帰ろうかと思っていたら、知り合いにバッタリ会ってしまった。

「よう、館長!」
 一杯機嫌である。
 
 何となくコンビニに入るのがカッコ悪く、そのまま帰宅。
 広島の友人にもらった自家製のハチミツをつけて、またクラッカー。

 愚妻は今夜、帰ってくる。

「おまえがいなくて困った」
 とヨイショするか、
「一人の生活は何と安逸なことか」
 と、憎まれ口を叩くか。

 今後の生活待遇をニラんで、思案しているところである。

投稿者 mukaidani : 11:18

2018年07月12日

ゴミ出しの日

 愚妻が留守にすると不便である。
 勝手がわからない。

 今日はプラスチック類のゴミ出し日なので、午前9時までに出せと、口頭でも言われ、テーブルにメモも残してある。
 場所も、「家を出て左に10メートルほど行けば置き場があるからね」と念を押されている。

 しょうがない。
 ゴミ捨てに行った。
 生まれて初めての体験だ。
 カッコ悪いような気がしてならない。

「お早うございます」
 と、すれ違った主婦に挨拶され(どこの人か私は知らない)、ドキマギである。

 緊張しつつ無事、ゴミ出しを終えた。
 もう二度とやらない。

 昨日は、道場にいると宅急便の不在メール。
 私は忙しく、在宅時間が少ないので、再配達の時間を決めるのに難儀した。

 愚妻に先立たれたら、これはえらいことになる。
 いれば口うるさいが、いなければ不便。
 世のなかは表裏一体と言うが、表は常に裏を伴い、裏は常に表を伴っているということか。

 人生、いいとこ取りはできないということにおいて、万人はきっと平等なのだろう。
 

投稿者 mukaidani : 09:25

2018年07月11日

主婦の外出

 今朝はセミがあまり鳴いていない。
 その代わり(というわけでは、もちろんないのだが)、田んぼの畦道に咲く露草の可憐な青い花がずいぶんと目についた。

 名も知らぬ小さな虫が、ごそごそと動いている。
 サギの白い身体が、田んぼの緑に映えてきれいだ。

 山川草木悉有仏性と仏教で習ったが、都会にいては、このことは実感として理解はできないだろう。
 早朝散歩は、いろんな気づきがある。

 帰宅して、今朝はセミがあまり鳴いていないという話を愚妻にすると、
「セミも疲れてるんじゃないの」
 ニコリともしないで言って、
「ちょっと、早く風呂に入ってよ。洗濯して出かけるんだから」

 そして、
「この忙しいときに、わざわざ歩かなくてもいいのに」
 ブツクサ言っている。

 愚妻は所用で数日、留守にするのだ。
 ウォーキング用の服、着替え、外出用の服とズボン、パジャマ、ハンカチ、コーヒー、お茶、紅茶、ヨーグルトの用意など、留守の間の準備が大変だと苛立っている。

「水道の蛇口は左で、浄水器は右よ」
 キッチンの説明をする。

「どうやって水を出すんだ?」
「こうやって、レバーを横に押せばいいの」
「浄水器は?」
「上に押すの」
「なぜ水道が横で、浄水器は上なのだ?」
「そんなこと、私が知るわけないでしょ!」

 とうとう怒ってしまった。
 主婦の外出は大変なのだ。

投稿者 mukaidani : 08:22

2018年07月10日

HPの復旧。

 HPがようやく復旧した。
 不正アクセスがあったとかで、サーバーのほうで緊急停止をかけた(ということのようだ)。
 HPの管理はセガレにまかせてあるので、私にはよくわからないが、何だかんだ作業して復旧させたのこと。

 ネットは便利であるが、脆弱なものである。

 昨日は午前中、都内で取材をすませ、午後から「鹿児島県出身者・物故者追悼法要」に参列するため、築地本願寺へ。

 私は「広島」出身で「鹿児島」は関係ないのだが、おなじ「島」であり、友人夫妻がこの法要の世話人をやっているので、参列した次第。
 過日、別の法要でお会いした成田市のご住職もいらしていて、親しく話をさせていただき、とても勉強になった。
 人は、人に会うことでしか磨かれないということを実感。

 今朝は快晴。
 早朝散歩をしていると、朝露がキラキラ輝いている。
 セミがにぎやかに鳴いている。
 豪雨で被災された方がいる一方、こうして早朝散歩をしている自分がいる。
 世のなかは不条理なものである。

 今週の日曜日は、お盆の法要で都内のお寺に出勤する。
 相次ぐ自然災害のせいか、仏壇に手を合わせると、考えさせられることが多い。

 今日も都内で所用があり、いま帰宅したところ。
 暑い一日である。

投稿者 mukaidani : 15:17

2018年07月02日

トンボ帰り

 昨夜は広島のホテルで、高校の同期会。
 夕方着いて、今朝一番でトンボ帰り。
 いま新幹線の中で原稿を書きつつ、ひと息入れているところだ。

 昨夜は友人と合流し、ホテルの宴会場に行くと、年寄りばっかりで一瞬、会場を間違えたかと思った。
 そう言うと、
「みんな、お互いにそう思うとる」
 加齢の実感である。

 8月1日から沖縄で空手・古武道の国際大会があり、当道場の選手たちと行く。
 羽田空港の駐車場を予約しようと、さきほど予約開始の朝10時と同時にアクセスしたが、即「満車」になっていた。
 私は、こういうのはホントにだめだ。

 車内販売でサンドウィッチを買おうと思ったら、
「売り切れです」
 と言われた。
 10時前から売り切れてどうする。
 私は、こういうのはホントにだめなのである。

 今夕は「社会を明るくする運動」の啓蒙運動の一環で、タスキをかけて地元の駅前に立たなければならない。

 何だかんだ忙しいのに、愚妻は二言目には、
「あなたはヒマね」
 と言う。

 帰宅すれば、今日も愚妻の嫌味が待っているのだ。
 

投稿者 mukaidani : 10:52