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2018年06月29日

「約束」の持つ意味

 ヤクザは時間にうるさい。
 これは彼らに共通している。

 なぜなのか。

 一つは、「待たされる」は、軽く見られていることになる。
 サラリーマンだって、部下と会う時間には遅れても、社長には時間厳守のはずだ。
 だから相手が遅れると、不機嫌になる。

 それともう一つ、「信用」というやつは実体がないので、何か形にして見せる必要がある。
 その場合、「時間を守る」という処し方が信用につながっていく。
 守ろうと思えば、誰でも守れることだからだ。

 このことが、
「あいつなら大丈夫」
 という信頼感になり、
「時間一つ守れないやつは信用できない」
 ということになる。

 ヤクザ諸氏がそこまで考えて時間を守っているかどうかは別として、彼らが時間厳守なのは、そういう理由によるのだろうと私は思っている。

 保護観察対象の若者で、来訪時間を厳守する者は少ない。
 私のことを軽く見ていることよりも、社会生活において「信用が大事」という観念が希薄なのだろう。
 だから、平気で遅れたり、ドタキャンしたり、すっぽかしたりする。
 言い換えれば、時間をきちんと守るようになれば、ほぼ更生したと見てよい。

「約束」ということをするのは人間だけだ。
 約束を守れない者は、みずから人間であることを否定していることになる。
 だからか、平気で約束を破る者ほど、理由を山のように並び立てて、自己正当化するのだ。

 約束のつ意味は大きい。 

投稿者 mukaidani : 11:09

2018年06月26日

不毛の論戦

 仕事をかかえ、余計ながら愚妻を伴って、館山の国民休暇村に2泊ほどしてきた。
 自宅から1時間30分で着く。

 都心に出るのと同じ所要時間で、
「ちょっと、ひと風呂」
 という気分である。

 休暇村は3階建てで、海辺に建つ。
 目の前が砂浜。
 地震が来て、津波は大丈夫か。

 ふと気になり、
「ヤバくないか?」
 砂浜を歩きながら愚妻に言うと、
「大丈夫よ。駐車場の脇を抜けて高台に避難するように、案内に経路が書いてあったから」

 避難経路?
 私はそれを知らない。
 愚妻は知っていても、それを私には教えてくれていない。
 私を置き去りにして、自分だけ逃げるつもりなのか。

「なぜ、教えぬ」
「別に」
「自分だけ助かるつもりだな」
「あなたは長生きしたくないって、いつも言ってるじゃないの」
「そういう問題ではない」
「じゃ、どういう問題なのよ」

 ちょっと、ひと風呂が、結局はいつもの不毛の論戦になるのだ。

投稿者 mukaidani : 11:36

2018年06月21日

地震に備える

 朝早くから、階下でゴトゴトと音がしている。
 降りると、愚妻が荷物を動かしている。

「何をしておる」
「大地震に備えて、水や非常食の保管場所を変えるのよ。すぐに取り出せるところがいいでしょう?」

 大阪地震に触発されたようだ。
 結構な心がけだ。

「しっかり頼むぞ」
 激励し、居間でコーヒーを飲んでいて、ふと思った。

(そもそも水や食糧はどこにしまってあったんだ?)

 何を、どのくらい買ってあるのか、私は知らない。
 どこにしまってあるのかも知らない。
 愚妻がいなければ、備蓄食糧はないのと同じではないか。

 これはまずい。

「で、どこにしまったのだ」
 問うと、
「いいのよ、私がわかっているから」

 いいわけがない。
 いいわけがないが、「教えてくれ」とは言いたくない。
 何事も愚妻まかせにしてきたツケが、こういうときに回ってくる。

 これからは、自分で動こう。
 自己責任の時代は、家庭にまで入ってきたのだ。

投稿者 mukaidani : 10:06

2018年06月17日

今夜も溜め息

 気がつけば、この4日間、ブログを更新していない。
 毎日があわただしく、まさに「気がつけば」である。

 机の前に貼ってあるカレンダーを見る。
 1日が終わると印をつけていくのだが、忙しくて14日以降はつけ忘れている。
 いま印をつけ、今月もあと2週間であることを確認して、溜め息である。

 これから8月にかけて予定がたて込んでいるが、その第一弾として本日、当道場の「支部交流・演武会」が、近くの小学校体育館を借りて無事に終わった。

 例によって私はただ座っているだけで、準備も進行もすべて会員諸氏におまかせ。
 おかげで楽しい演武会になった。

「あなたはじっと座っているほうがいいみたいね」
 とは、愚妻の嫌味とも本音ともつかぬ言い草である。

 夕刻、体育館から帰宅。
 これから保護観察対象と会わなければならないが、昨夜は仕事で遅かったので、ゴロリと横になる。

「おい、お茶」
 台所の愚妻に命じると、
「私に言っているの?」

 愚かな女だ。
「お前以外に誰がおる!」

 怒鳴ったら元気になった。
 何が幸いするかわからないものである。

 夜の9時過ぎ、愚妻は早々と自室へ引き上げると言う。
 明朝は例によって日帰り温泉なのだ。

 いま房総沖の海底プレートが動いていて、大地震に注意するようニュースが報じている。

「ノンキにサウナなんか入っているとヤバイぞ」
「大丈夫。いつでも飛び出せるように、私は出入り口のところに座っているから」
「裸で施設から飛び出すのはヤバイぞ」
「大丈夫。頭から被れるワンピースを別に用意してあるから」
「それならよい」

 私が「それならよい」と言ったのは、全裸で飛び出すと他人様に迷惑がかかるからであって、愚妻のことを心配してのことではない。
 そこに思い至らず、愚かにも「ワンピース持参」を自慢するのである。

 朝から演武会、そして愚妻と言外にイヤ味の応酬。
 これから原稿も書かねばならない。
 何だかんだと多忙な一日に、今夜も溜め息なのである。

投稿者 mukaidani : 22:45

2018年06月12日

米朝トップ会談

 今日、シンガポールで行われた米朝のトップ会談。
 愚妻が、テレビニュースでトランプ大統領の記者会見を見ながら、
「ペラペラしゃべっているけど、結局、これから何がどうなるのか、さっぱりわからないわ」

 ズバリと言った。
 まったく愚妻の言うとおり。
 トランプ大統領も、わが愚妻に鼻で笑われるようではしょうがあるまい。

 私の興味を引いたのは、トランプと金正恩がそれぞれ会談の会場へ向けてホテルを出発する映像だ。

 あれ、まんまヤクザだね。
 大組織の組長が、それぞれリムジンに乗り込み、ボディーガードを従えて手打ちに向かうときみたい。
 乗っているのがトランプと金正恩でなければ、誰が見てもヤクザ組長である。

 世のなかは表裏一体というけれど、表社会もウラ社会も同じということか。

 国際社会もヤクザ社会も、交渉は所詮、恫喝と懐柔なのだ。

投稿者 mukaidani : 20:14

2018年06月10日

「悪」は正義の肥やし

「浄土」は、娑婆に生きる衆生に説くもの。
 娑婆を知らずして浄土は説けない。
 しかるに若手僧侶は、浄土に詳しくも娑婆を知らず、老いた衆生は娑婆に詳しくとも浄土を知らず。

 夜を知る者だけが朝を知り、朝を知る者だけが夜を知る。

 ウラ社会を知る者だけが表社会の何たるかを知り、表社会を知る者だけがウラ社会の何たるかを知る。

 ところが私たちは、ネガティブなものに背を向け、ポジティブなものだけを拾って歩く。

 だから、真理も本質も見えなくなるのではないか。
「悪」は正義の肥やしなのだ。

 昨夜、腰が痛くなって、稽古のあと温泉スーパー銭湯へ。
 愚妻が通う日帰り温泉は敬遠して、わざわざ遠くへ出かけた。
 サウナで汗を流しながら、上記の「悪は正義の肥やし」というフレーズが浮かんだ。

「肥やし」というところがミソで、悪は転じてこそ意味を持つということか。
 ヒマそうに見えて、私も何だかんだ考えるのである。

投稿者 mukaidani : 14:23

2018年06月08日

安上がりな夫婦

 米朝首脳会談が、シンガポールのセントーサ島で開催されるようだ。
 会場が「カペラホテル」と聞いて、
「おっ、カペラだな」
 私が言うと、
「いいホテルよね」
 と愚妻。

 言ってから、顔を見合わせながら大笑いした。

 泊まったことはない。

 シンガポールは二度ほど行ったが、ホテルシャングリラがお気に入り。

 で、秋口にシンガポールへ行こうかと思い、今度はセントーサ島でのんびりするつもりで、ホテルをどこにするか熱心に検討した。

 検討しているうちに面倒くさくなり、
「シンガポールで何するんだ」
 私が問うと、
「実は私もそのことを考えていたのよ」
 愚妻も言う。

「やめるか」
「やめようか」

 それで即刻中止にした次第。

 カペラホテルについてはじゅうぶんチェックしたので、このホテルで会談が行われると聞いて、
「あ、カペラか」
 気安く反応した次第である。

 検討しただけで泊まった気になるのだから、我ら夫婦は実に安上がりにできているのだ。

投稿者 mukaidani : 17:33

2018年06月06日

「気に病む」ということ

 タレントの矢部みほさんが、二の腕の美容整形手術を行ったという記事がネットに出ていた。

 名前と顔が一致しなかったが、掲載写真を見ると美人でスタイルもいい。

 二の腕の太さが悩みだったとかで、
「これ以上コンプレックスを抱えて生きていくのは嫌なのでスッキリしたい」
 というのが、手術を受けた理由だそうだ。

 彼女のような美しい体形でコンプレックスを抱えるのであれば、うちの愚妻はどうなるのだ。

「おい、どう思う」
 愚妻に記事を見せたら、
「それ、当てつけなの?」
 ジロリと私をニラんで、
「私の二の腕が太くなったのは、何でもかんでも力仕事をさせるからでしょ!」

 納屋の整理は私、タンスの移動は私、タイヤ交換に行くのも私・・・。

 機関銃のように列挙して、
「二の腕だって太くなるわよ」

 うっかりイヤ味を言ったら、エライことになった。

 だけど、矢部みほさんの記事を読み返して、つくづく自意識というのは厄介なものだと思う。

「気に病んでいるのは自分だけ」
 という言葉があるが、シミや皺、肥満、身長、仕事、境遇など、誰も人のことなんか気にしてないにもかかわらず、ひとりで気に病んでいる。
 しかも、お互いが笑顔の下で。
 これを滑稽と考えれば、人生はもっともっと楽しくなるのかもしれない。

投稿者 mukaidani : 14:34

2018年06月03日

「火中の栗」を考えた

 中学生以上の稽古は、基本的に彼らにまかせている。
 少なくとも基本稽古はそうだ。
 教えておく必要があれば私が指導することもあるが、指導員か黒帯の年長者が仕切る。

 昨夜は整列して挨拶をすませてから、
「立って!」
 と私が言うと、
「えっ、館長がやるの?」
 さっそく中・高校の女子たちからブーイングである。

 私の指導は熱心で口うるさいからである。

 期待に応えて口うるさく指導する。
 腕が痛いとかブツクサ言いながら、それでも頑張って稽古していた。

 やりたくない稽古を、どう頑張らせるか。
 年来の懸案であり、昨夜も帰宅して風呂に入ってあれこれ考えをめぐらせる。
 これは稽古に限らず、人間関係術のキモでもあるからだ。

 ふと「火中の栗を拾う」と言う言葉がよぎる。
 なぜ人は、ヤケド覚悟で火中に手を投じるのか。

 火中に栗があると知っているからだ。
 あると思うからだ。
 そうでなければ、手を入れるバカはいない。

 言い換えれば、火中には栗があると「いかに思わせるか」、ここがポイントということになる。
「人たらし」とは、栗を用いた手品師のことではないか。
 これが風呂で得た結論である。

投稿者 mukaidani : 10:56