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2018年04月29日

経験則

 世間はゴールデンウィークだが、今日は一日中、右往左往である。

 早朝、所用でお寺に行き、そのあと保護観察対象者の来訪が二件、往訪が一件。
 明日、毎週月曜日は週刊アサヒ芸能の連載コラムの〆切なので、その原稿書き。
 仕事も山積。

 仕事部屋を片づけるつもりだったが、その気力なし。
 ゴロリと寝転がって仏教書を読む。

 ノンキなことをしている場合ではないのだが、気が乗らないときはさっさと「店じまい」するのがいい。

 精神には復原作用があるので、ゴロゴロしていると必ずファイトが湧き上がってくる。

 問題は、それでなくてもやるべきことが山ほどあるのに、思い切って「店じまい」がきるかどうか。
 この思い切りが、勝負。
 私の経験則である。

投稿者 mukaidani : 22:47

2018年04月25日

千年も万年も

 自宅の机の前の壁に、年間カレンダーを張り付けてある。
 1日が過ぎると印をつけていく。
 いま、ひょいと見ると、今年も早や4カ月がすぎようとしている。
 1年の3分の1ではないか。

 早い。
 いや、速いと書くべきか。

 生きていればの話だが、このペースでいけば3年、5年、10年は瞬(またた)く間である。

 生老病死を「四苦」と言う。
 私は「苦」には鈍感なのか、今年68歳を迎えるが、死を恐いとは思わない。

 取りあえず健康であることと、死を現実のものとして認識していないからだろうが、それでも死んだときの連絡先とか、愚妻に伝えておくべきことの準備を始めている。

 一方、愚妻はどうか。
 自分は死なないと思っている。

 昨夜も外食に行った店で、葬儀をどうするか訊いてみた。

「お前が先に死んだ場合、どうして欲しいのか、ちゃんとわしに言っておけ」
「大丈夫、死なないから」
「いつかは死ぬ」
「大丈夫、あなたより遅いから」
「そんなことはわからんではないか」
「大丈夫、わかっているから」

 焼酎をロックで飲みながら自信満々なのだ。
 ひょっとしたら、愚妻は千年も万年も生きるのではないか。
 鶴も亀もビックリするに違いない。

投稿者 mukaidani : 03:34

2018年04月20日

ババ・ハラスメント

 今朝、ハッとしてベッドで目が醒める。
 何か用事があったはずだ。
 手帳を見ると、10時30分から地域の保護司会の総会があった。

 やれやれ気がついてよかった。
 私は監査なので、総会で会計から会計報告がなされたあと、監査報告をしなければならないのだ。
 そのため過日、帳簿類をチェックした。
 監査報告がなければ、総会はヤバイことになるところだった。

 多忙で寝不足のとき、予定がスッポリと抜け落ちることがある。
 以前も、保護司の役員会をすっかり忘れていて、会長から電話があった。

「いま、こっちへ向かっているところですか?」
 会長が気をつかった言い方をする。

「こっちって、どっちですか?」
「市役所ですが」
「どうして私が市役所へ向かうんですか?」
「エッ」
 会長は絶句して、
「これから会議ですけど」

 こんなことが何度かあり、以後、予定を随時チェックするようにしている。

 ところが、チェックしながらも今朝のようにハッと目覚め、「何か用事があったはずだ」ということになるのだ。

「ボケてきたかもしれんな」
 愚妻に言うと、
「そうかもしれないわね」
 意に介さない。

「困るのはおまえだぞ」
「私は困らないわよ」
「世話するのは大変だぞ」
「あら、世話なんかしないもの」

 私に返す言葉はない。

 このところ、論戦すると、私のほうがどうも分が悪く、チクリチクリといじめられている。

 ちょうどテレビで、財務省事務次官のセクハラをやっていので、

「おい、おまえの接し方はハラスメントだぞ。イヤみばかり言って、そういうのをババ・ハラスメントと言うんだ。お前はババハラだ」
「じゃ、あなたはジジイ・ハラスメントじゃないの。ジジハラ!」

 ハラスメントをめぐって、我が家では不毛の罵り合いが続くのだ。

投稿者 mukaidani : 16:01

2018年04月18日

減量3日目。

 体重は変わらず。
 いかにいっても食卓の料理が多すぎる。

 しょうがない。
 これからは、調理された弁当に切り替えるよう愚妻に命じる。
「食べるのね?」
 ジロリと私をニラんで念押しする。

 以前、宅配のヘルシー弁当を2週間ほど頼んだことがあったが、何となく食べる気になれず、愚妻は私の分と2食、同じ弁当を毎日食べ続けたことがある。
 ブーブー批難されて大変であったが、愚妻も大変だったであろう。

 だから「食べるのね?」と恐い顔で念押しするのだ。

 もちろん食べる(たぶん)。

 ズボンと違って、作務衣や着物はウェストが多少太くなっても影響はまっくないのだが、体重を落とすとさすがに軽快で調子がいい。

 そんなわけで、いい歳をして、新たなチャレンジなのだ。

 

投稿者 mukaidani : 14:13

2018年04月16日

減量の敵

 WBC世界フライ級の比嘉大吾選手が計量に失格して王座を剥奪され、さらにKO負けを期した。
 減量しても汗も出ないというから、絞りに絞った上での減量失敗なのだろう。
 メディアはほとんどが批難の論調で、気の毒だが、プロとしては甘受するしかあるまい。
 再起を期待したい。

 比嘉選手のことが気になったのは、ほかでもない。
 私も今朝から減量を始めたからだ。

 ベスト体重は65キロだが、69キロになってしまった。
 65キロから70キロの間で、いつも体重が上下しているので、69キロになったからといって気にはならない。

 だが、ここで歯止めをかけ、減量しておかなくては、70キロの大台に乗れば、あとはズルズルと行ってしまう。

 それで一念発起した次第。
 ついでに行っておくと、ジーンズを買いに行って、股上の浅さが気になり、これは下腹が出ているせいだとわかったことも一因である。

 さっそく愚妻に減量を宣言する。
「どうぞ」
 と、そっけない割りには、今夕、食事をドカーンと出してきた。

「肉はいらん」
「鳥の胸肉なのよ。身体にいいんだから食べなさいよ」

 しょうがないから食べる。

 生野菜も、おひたしも山盛り。
 しょうがないから食べる。

 卵焼きも出た。
 しょうがないから食べる。

 冷や奴も一丁だ。
 しょうがないから食べる。
 
 今日に限って、味噌汁は具だくさん。
 ご飯も山盛りである。
 ラッキョだの、ふりかけだのと、何やかやを出してくる。

 減量の二文字を頭に浮かべがら、いつもよりたくさん噛んで食べ、食べ終わったところで、
「イチゴ、食べるでしょう?」

 イチゴを食べ終わると、
「チーズケーキ、食べるでしょう?」

 これは愛情なのか、それとも私の減量を阻止し、自分と同じ体形を維持させようとする無意識の行為なのか。

 減量の敵は、自分の意志だけではないのだ。

投稿者 mukaidani : 01:01

2018年04月13日

写真撮影。

 昨日は、友人で写真家の齋藤文護氏に道場まで来てもらい、いろんなカットの写真を撮ってもらった。

 これまで私がインタビューや自著に使ってきた写真はすべて、齋藤氏の撮影だが、撮影から年数が経ったので、撮り直してもらうことにした。

 著名な写真家で、『カンヌ国際広告賞』ショートリスト賞、『毎日広告デザイン賞』グランプリ、『ニューヨークADC賞』多数回入賞、ニュ-ズウイ-ク誌『企業広告賞』など錚々たる受賞歴。

 東京と京都を拠点に活躍していて、私ごときを撮っているヒマはもちろないのだが、これも憂き世の義理と時間を割いてくれたのだろう。

 撮影のあと、食事しながら「プロとは何か」について話し合う。
 彼は私より7歳下の61歳。
 これからが本物の仕事だと、ファイト満々である。
 
 かつて、彼が撮影した熟年の写真に私が単文をつける『人生賛歌』の企画が進行していたが、成就しなかった。

 同様のスタイルで『良寛』をやろうとし、雪のあるうちにと齋藤氏が一人で新潟に行って、良寛が暮らした山腹の草庵「五合庵」を撮影したこともある。
 これも企画が途中で頓挫した。

 そんなこともあり、今度はぜひ仏教テーマでコラボしようと、大いに話が盛りあがった。

 60歳を超えてからでなければ撮れない写真、書けない文章もあるのではないか。
 そんなことを考えされるのである。

 齋藤文護氏のHPは下記。

http://www.s-bungo.info/index.html

投稿者 mukaidani : 14:10

2018年04月11日

愚妻の一言

 先日、忙しい合間をぬって、都内のデパートにカバンを買いに出かけた。
 カバンは買っても、すぐに気に入らなくなって資料入れになる。
 理由はわからない。
 そういう性格なのだ。

 それではマズかろうと、ネットでカバンを吟味し、そのブランドを取り扱っている店舗を代理店に問い合わせ、愚妻を同行させた。

 お目当てのものは在庫がなかったが、新作だというカバンを購入し、ブラブラ店内を歩いていて、ジャケット風のジャンパーが目にとまった。

「買えば?」
 愚妻が言うので試着。

 袖が長い。
「この人は手が短いんですよ」
 と、愚妻が販売の若いアンちゃんに余計なことを言うが、そこはデパートの洗練された販売員である。

「輸入ものはどうしても袖が長くっておりますから」
 と、フォローしてくれる。

「ほら、みろ。わしの手が短いわけではないのだ」
「何を着ても袖が長いじゃないの」
 愚妻も譲らず論戦しつつ、
「じゃ、これ」
 と、ハズミで購入。

「ン万円になります」
 と販売員に言われて、私も愚妻もくだらぬ論戦をしたため、値札を見ていないことにこのとき気がついた次第。
 値札を見ていたら絶対に買わなかっただろう。

 帰途、愚妻がポロリと言う。
「高級スーツが仕立てられたわね」

 そうだ。
 すべては「この人は手が短いんですよ」という愚妻の一言から始まったのだ。

投稿者 mukaidani : 16:28

2018年04月09日

空手指導の醍醐味

 昨日は、佐倉市春季空手道大会。
 当道場から50余名が出場し、それぞれ頑張ってくれた。

 当道場のことしかわからないが、それぞれの大会で傾向があり、
「えっ、この子が?」
 と予想外の子供たちが活躍する大会もあれば、
「やはり結果は稽古量に比例するな」
 と納得する大会もある。

 昨日の大会は後者で、頑張って稽古している子供たちが上位入賞した。
 不条理な世の中ではあるが、やはり努力が報われるのを見ると嬉しくなってくる。

「うまくいかないのが人生」
 というのが私の人生観でもあるが、子供のうちは努力することの大切さを教えたいと思っている。

 成果は努力に正比例しないとしても、努力するというチャレンジ精神が何より大事なのではあるまいか。
 足が遅いからといって走るのをやめれば、確実に後れをとる。
 人生レースもしかり。

 このことを、子供たちにどう伝えるか。
 叱咤するか、やさしく話しかけるか、理屈で説くか。

 釈迦は対機説法を用い、方便で説いたが、それは1対1の場合。
 子供の性格は千差万別であり、努力する子もいればサボる子もいるし、高みをめざす子もいれば、ただ漫然と道場にやってくる子もいる。
 こうした子供たちを前に努力やチャレンジ精神を説くのは容易ではない。

 だから私は、漢字や諺を素材として話をする。
 こうした素材によってワンクッション置くことで、それぞれが自分の立場で感じ取れるようにするためだ。

 継続の大切を説くときは、
「石の上にも3年」

 負けた子を奮起させるには、
「雨降って地固まる」

 諺を放り投げ、意味を考えさせ、自由に発言させることで、みずからの気づきになってくれればいいと思っている。

 これがもし、
「もっと稽古しなくてはダメだ」
 と、直截に叱責調で説くと、必ず反発する。

 反発しない子供は、
「そうだ、自分が悪いんだ」
 と自分を責める。

 どっちに転んでも、よい結果は得られない。

 だから素材を放り投げて、あとは自分で考えさせるのがよいのではないかというのが、私の考えである。
 むろん、どういう結論を子供たちが導き出すか、計算の上で。

 空手指導の醍醐味は、技術を教えたり試合に勝たせることではなく、人間関係の真剣勝負にある。
 子供は手強いのだ。
 

投稿者 mukaidani : 10:18

2018年04月05日

「教師」と「反面教師」

 今日は保護司の役員会があった。
 先日もあったが、所属によっていろいろあるのだ。

 仕事も溜まっているし、やることが山ほどあるので会議はパスしたいが、責任上、そうもいかない。

 で、会議が終わって、保護司の一人が雑談で花粉症に効くサプリの話をし始めた。
 サプリは人によって効く、効かないは当然あるが、彼には効くという。

 私は、ひどくはないが花粉症なので、帰宅してすぐにネットで注文してから、
「会議に出てよかった」
 ふと、そう思った。

 と同時に、何事も「何かプラスになることはないか」という姿勢で臨めば、嫌々やることはなくなるのではないかと閃いたのである。

 クルマを運転していて渋滞にハマれば、
「ゆっくり景色が見れていいな」
 と、イライラをプラスに転じることができる。

 煩悩は、そこにあるのではなく、自分の心がつくり出すものだ。
 となれば一喜一憂もまたしかり。

「教師」も「反面教師」も共に教師なのであり、それを活かすかどうかは自分次第であると、花粉症のサプリを引き金に、思いは脈絡なく広がっていくのだ。

投稿者 mukaidani : 20:54

2018年04月03日

「ビートたけし」に思う

 ビートたけしの独立騒動は加熱の一途である。

 たけしが知らない間に、森昌行社長が「オフィス北野」の筆頭株主になっていたとかいないとか、裏切ったとか、裏切られたとか。

 内実は知らない。

 人さまのトラブルは見ていて実に楽しいもので、このことを誰より知っているのがたけし自身だろう。
 どう結末をつけて見せるのか、お手並み拝見である。

 週刊誌記者時代、たけしを何度か取材したことがある。
 下積みをへて「ツービート」で世に出たころのこと。
 浅草の居酒屋で取材していると、酔った芸人仲間が割り込んできたので、
「いま取材中なんだ」
 と、たけしがたしなめると、
「またウソ言ってら」
 と嘲笑したことがある。

 たけしが取材を受けるなど、その芸人には信じられなかったのだろう。
 そういう時代もあったのだ。

 確かこのときだったと記憶するが、たけしが枕元にメモ帳を置いて寝ているという話を聞いて、感心したことがある。

 たけしは、こう言った。
「夜中、寝ていてひょいと『どこの馬の骨かわからない牛の骨』というギャグが浮かんできてさ。すぐ起きてメモ帳に書きつけた。で、朝。それを見て、なんだ、くだらねぇなんてさ」

 笑いにまぶして言ったが、芸に対する真摯な姿勢に、「そこまでやっているのか」と敬服したことを覚えている。

 週刊誌記者の足を洗って、仲間と編集企画会社をやっていたころ、たけしのファンクラブの会報『スィート・ビートクラブ』の制作を請け負った時期もある。
 取材には私は直接タッチしなかったが、ずっと気になる存在だった。

 やがてたけしはお笑い界のトップに立ち、映画監督として「世界のキタノ」と賞賛されるに至るが、その原点は「枕元にメモ帳を置いて寝る」と語った、あの一言にあるように思っている。

 努力は報いられるとは限らない。
 だが、努力は決して裏切ることはないのだ。

投稿者 mukaidani : 23:22

2018年04月01日

一週間という長さ

 週刊で連載を持つと、一週間がたちまち過ぎていく。
 これまで、コミックの原作を含め、ずいぶん連載物を手がけできたが、そのたびに、
「もう〆切か」
 と嘆息することになる。

 一週間がアッという間なら、一カ月も、一年もアッという間に過ぎていく。
 ということは、人生もそれだけ早く過ぎていくのではないかと、連載を持つたびに思ったことだ。

 だが、日曜という休日も毎週やってくるが、
「アッ、もう日曜か」
 ということはない。

「まだ週半ばか」
 と、日曜は遠くにある。

 同じ一週間のサイクルでありながら、〆切は早く来て、休日はなかなか来ない。
 結局、「早い」「遅い」は自分の心が決めると言うことか。

 苦楽も同様と、我が身に言い聞かせながら、明日〆切の連載コラムをしこしこと書いている。

投稿者 mukaidani : 15:16