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2018年01月29日

老夫婦の「間合い」

 野村克也氏が奧さん(沙知代さん)を亡くされ、預金通帳のこととか、家のことが何もわかからず、途方に暮れているという週刊誌記事を読んで、ハタと我が身を振り返った。

 私は何もわかっていない。

 先日も、ガスコンロにかけたヤカンが沸騰していたので火を止めようとしたが、やり方がわからず、
「おい、沸騰しているぞ!」
 と、2階で洗濯物を干している愚妻を呼びつけた。

 あちこちの部屋のエアコンを点け、風呂場のヒーターを点けたらブレーカーが落ちたが、もちろん私はどうしていいかわからない。
 愚妻が懐中電灯をつけ、ブレーカーを元にもどした。

 いまだに浴槽の温度設定がわからず、愚妻を呼びつける。

 これは、私が何もわからないというより、そういうことに関心がないのだ。
 興味のあることは徹底して凝るが、関心のないことには見向きもしない。

 だが、野村克也氏の記事を読んで、これではマズイと思った。

「おい、通帳と印鑑はどこにある」
 いきなり愚妻に問いかけたのが失敗だったか。

「なに考えてるのよ?」
 ジロリとニラんだ。

「いや、他意はない。おまえが先に死んだら、わしが困るから」
「先になんか死なないわよ」
「そうだとは思うが、万が一ということもある」
「万が一なんか、ない!」
「いや、そう思うのが凡夫の浅ましさで、明日をも知れぬのが人間の命じゃ。ひとたび無常の風来たりぬれば・・・」
「そんなことは、よそへ行って講釈してらっしゃい!」

 すっかりご機嫌を損ねてしまった。
 老夫婦の「間合い」というのは、なかなか難物であることに、いまさらながら気がついたのである。

投稿者 mukaidani : 20:31

2018年01月26日

道場の暖房

 私は寒いのが大嫌いである。
 道場は稽古2時間前から暖房をつける。

 道場内の仕事部屋も、もちろんポカポカ。
 暖かい部屋から、暖かい道場へ。
 これが定番。

「武道の稽古なんだから、少しくらい寒いほうがいいんじゃないの」
 愚妻は文句を言うが、子供たちはいざ知らず、私は寒いのが大嫌いなのだ。

 で、先ほど。
 トイレに行こうと、仕事部屋から道場に出ると、ちっとも暖まっていない。
 暖まるどころか、ひんやりである。
 なるほど寒波のせいか。
 暖房の温度を上げようとリモコンスイッチを手にすると、2台とも冷房になっていた。

 私としたことが。
 まさかボケの前兆ではあるまいか。
 すぐに我が身に引き寄せて考える。

 これからは「思い込み」に注意しなくては。
 いい経験になったと、何事もポジティブに考えるのだ。

投稿者 mukaidani : 17:33

2018年01月23日

雪ニモ負ケズ

 朝風呂に入り、着替えていたら、
「どこへ行くの?」
 と、愚妻がコタツに両手を突っ込んだまま問いかけてくる。

「道場の仕事部屋だ」
「雪が積もってるのよ」
「ナニ!」

 昨日からずっと家に籠もっていて外を見ることがなく、雪が積もっていることに気がつかなかった。
 降雪のことはテレビニュースで知ってはいたが、実際に自分の目で見ないとリアリティーがなく「他人事」である。

 カーテンを引いて庭を見ると、なるほど雪が積もっている。

「日帰り温泉には行かんのか?」
 嫌味で問うと、
「もう少したってから」
 窓の外に眼をやったまま、真顔で言う。

 愚妻は行く気なのだ。
 昨日も行ったのに。

「日陰は道路が凍結しているぞ」
「だから、あっちの道路から行こうかと思って」

 熱心なことだ。
 この気力と情熱は、いったいどこから来るのか。

 私は再びパジャマに着替える。
 愚妻は日帰り温泉で鼻歌。
 私は二階の自室に籠もって、ゲラの校正なのだ。

 

投稿者 mukaidani : 08:40

2018年01月21日

「お爺さん」という一語

 老いに抗(あらが)い、昨日の稽古は率先垂範で子供たちの指導をした。

 技のポイントや意味など、実際に見せながら解説したところが、小3の男児が私のそばにやってきて、ボソリと言った。

「館長はお爺さんなのに、よく身体が動くね」

「お爺さん」という一語が胸にグサリ。
 切り返しを身上とする私も、これには返答に詰まった次第。

 子供たちから見れば、68歳は祖父の年代である。
 跳んだりハネねたりする「爺さん」が、不思議なのだろう。
 そのうち、労(いたわ)ってくれるに違いない。

 そういえば昨年、私の両手を取って、
「館長、歩く練習をしましょうね」
 と言って、介護のマネをした小学校高学年の女児がいた。

 このときは笑って、私も一緒に楽しんだが、笑い事でない日はそう遠くないかもしれない。

「館長はお爺さんなのに、よく身体が動くね」

 この一語が、いまも私の頭の中で響いているのだ。

投稿者 mukaidani : 16:42

2018年01月19日

「老い」と居直り

 昨日、人間関係術について、プレジデント誌の取材を受けた。
 例によって、思うところを好き勝手に話したが、編集者氏もライター氏(女性でしたが)も、根気よく、真摯に聞いていただき、これには私のほうで頭が下がる。

 今日、産経新聞本紙のオピニオン欄に転載された拙稿で、記者時代のことについて触れてあるが、若いころは取材そのものが楽しかった私も、いまは億劫である。

 これは体力の問題ではなく、「興味」「関心」の問題だ。
 人生経験を経るにしたがって、
「世のなか、そんなもんだろう」
 と達観していくため、取材テーマや対象に興味や関心が薄れていくのである。

『年を重ねただけで人は老いない。理想を失う時に初めて老いがくる。歳月は皮膚のしわを増すが、情熱を失う時に精神はしぼむ』

 これは、よく知られたサミエル・ウルマンの『青春の詩』の一節だが、こういう詩を励みにすること自体、老いの証明であろう。

 理想を失い、情熱を失い、精神がしぼんで初めて見えてくるものがあるのではないか。
 ヘソ曲がりの私は、流れに棹ささずして、人生に居直るのだ。

投稿者 mukaidani : 11:31

2018年01月17日

スボンを買う

 外出するときは作務衣か着物、家にいるときはスエット。
 スーツもマオカラーを着るので、ネクタイを締めるのは空手の試合のときくらいだ。

 で、この夏、スラックスを買った。
 といっても、私は買いには行かない。
 洋服はブランドが決まっているので、愚妻がスラックスを持ってデパートに行き、
「サイズもデザインも裾丈も、これと同じのをください」
 と言えば、それですむ。

 で、来週、必要があってジャケットを着ることになった。
 気になって、愚妻にスボンを用意させると、何と夏に買ったスボンではないか。
「バカもの。生地が透けているではないか」
「スボン下を穿けば寒くないんじゃないの?」
「そういう問題ではない」

 すぐに夏物のスボンを持たせ、
「行け!」
 デパートへ走らせた。

 帰宅してブーブー文句を言うかと思ったら、違った。
「聞いてよ、冬物が2割引きだったのよ」
 上機嫌なのである。

 これは女の愚かしさか、それても現実主義なのか。
 2割引きであったということだけで、得意顔で喜んでいる。

「そうか、でかした!」
 私も、すかさずヨイショする。
 凧と女は、高く高く舞い上がらせるのだ。

投稿者 mukaidani : 13:20

2018年01月15日

20周年祝賀会

 昨日は、市内のホテルで、昇空館創設20周年の祝賀会を行った。
 盛況で楽しい一時だった。

 と言っても、私はいっさいノータッチ
 すべて実行委員会におまかせで、パーティの段取りから記念誌の製作、エンブレム、ネクタイ、ジャケットの新調まで実行委員会の各氏が見事にやってくれた。
 多士済々の昇空館ならではと、我ながら感心した次第。

 実を言うと、私はパーティはあまり好きではない。
 自分が主催するパーティは、まずやらない。

 故安藤昇氏は、最晩年まで誕生会をやらなかった。
 理由を問うと、
「俺が声をかければ、義理で来なくちゃいけない人間もいる。そういうのは好きじゃない」
 そうおっしゃった。
 自分を厳しく律し、人に迷惑をかけることを嫌った。

 私ごときがおこがましいが、そういう処し方でありたいと願い、それに倣(なら)っている。

 だが、昇空館を創設して20年。
 会員諸氏の努力で、今日まで来た。
 祝賀会をやろうというのであれば、私が反対する理由はない。

 実行委員会への注文は、ただ一点。
「会員以外は声をかけないこと」

 迷惑をかけたくないのでそうしたが、本来であれば、ご招待申し上げなければならない方もたくさんいらっしゃる。
 そういう意味では礼を失することになるが、八方丸くいかないのが世のなかで、ここは割り切った次第。

 昇空館は「足し算」で歩んでいくが、私は「引き算」で人生を歩んでいく。
 足し算も楽しいが、引き算もまた楽しいものだ。

『晴れてよし 曇りてもよし富士の山 もとの姿は変らざりけり』
 とは山岡鉄舟の歌だが、人生は「足してよし、引いてよし」。

 日々に一喜一憂するなかれと、20周年に似合わぬことをパーティの席で考えていたのである。

投稿者 mukaidani : 11:02

2018年01月11日

湿布とステッキ

 左足のふくらはぎが、急に痛くなった。
 今日で3日目である。

 理由はわからない。
 少し腫れている。
 昨夜、稽古のとき、少し身体を動かしたら、激しく痛み出した。

「ちょっと、何やったのよ」
 愚妻が眉を吊り上げて怒るが、私は何もやっていない。
 歩いていて、いきなり痛み出したのだ。

 そのとおりを言うのだが、愚妻は信用しない。
「何かやったでしょう。無茶な稽古をしたでしょう」
 まるで、自白を迫る刑事なのである。

「そうなんだ。ちょっと稽古をやりすぎた」
 根負けして、私がウソの〝自供〟をすると、
「でしょう。私にはわかっているんだから」
 愚妻が勝ち誇ったように言い、追及は終わる。

 なるほど、こうして自供を強いられ、冤罪になっていくのかと、身をもって知ったのである。

 さっそくステッキを用意する。
 すると、愚妻がまた眉を吊り上げ、
「ちょっと、ステッキより湿布が先じゃないの!」

 価値観の相違である。
 私はあえて反論しなかったが、湿布よりも、ステッキをいかについて歩くか、カッコのほうが大事なのだ。
 

投稿者 mukaidani : 12:24

2018年01月09日

シャワーヘッドの交換

 風呂のシャワーが、少しだが水漏れするようになった。
 昨年暮れ、
「そろそろシャワーヘッドも交換だな」
 と私が言ったが、根拠のない指摘に愚妻は鼻で笑って、
「何で換えるのよ。全然、平気じゃないの」

 バチ当たりが、私の勘の鋭さに気づかないのだ。

 で、新年早々、水漏れ。
 愚妻がシャワーヘッドを買ってきて、交換しろと言う。

「簡単よ。ネジを弛めて、差して、締めるだけだから」
 実に無礼な言い方をする。

「難しいから」
 と懇願するなら、
「よし」
 と私も張り切るが、「簡単なのよ」と言われたのでは、やる気は起こらない。

「簡単なら、お前がやればよい」
 私はヘソを曲げ、愚妻が取り付けた。
 最初から、自分でやればいいのだ。

 人に依頼するとき、
「簡単だから」
 と言うのと、
「難しいから」
 と言うのと、どっちがいいか。

 本当に難しい案件は「簡単だから」と言って相手を乗せ、簡単な案件は「難しいから」と自尊心をくすぐるのがいいようだ。

 今年も早々に、愚妻のおかげで、またひとつ勉強になった。
 実りの多い年になりそうである。

投稿者 mukaidani : 19:51

2018年01月05日

湯船で考える

 落葉樹は、葉を落とすことで厳冬を生き延びる。
 人間もそうでなくてはならないと、露天風呂に浸かりながら、雪の中に立つ落葉樹を見て思う。
 湯船に浸かっているときはヒマだから、いろんなことを考えるのだ。

 すでに故人になったが、あるヤクザがこんなことを言った。
「あたしらはね、カネがなくてもベンツに乗るんですよ。落ち目になったと思われたら、ナメられますから」

 彼らは、厳冬にあっても、ミエという葉を落とすことができない。
 落葉樹にはなれないのだ。
 かといって、気候に恵まれた常緑樹でもない。
 だから生き延びていくのが難しいということになる。

 湯船に浸かっているときはヒマだから、いろんなことを考える。

 あるヤクザが、
「俺はね、自分のこの目で見たこと、聞いたことしか信じないんだ」
 と言ったことがある。

「猜疑心が強いんだな」とそのときは思ったが、この正月、若者たちを交えた討論番組をテレビで観ていて考えが変わった。

 インテリたちが、
「そのことについては、アメリカの、なんちゃらかんちゃらの経済学説によると」
 と、いろんな知識を披露しつつ、語っていく。

 さすが、「よく勉強しているんだな」と感心しながら聞いていたが、そのうち、
「なんちゃらかんちゃらの学説についてはよくわかったけど、お宅の意見はどうなのよ?」
 という疑問がよぎったのである。

 ここにインテリの弱さがある。
 彼らは机上の知識を語っているに過ぎない。

 その視点から見れば、ヤクザが語った「自分の耳目しか信じない」というのは、経験で物事を判断するということなのだ。

 ヤクザに限らず、職人も自分の経験で語る。
「ペンキの塗り方について、アメリカの、なんちゃらかんちゃらが言っているけど」
 といったことは決して言わない。

「俺の経験では」
 と、実体験で話す。
 だから説得力を持つ。

 坊主も同じではないか、と我が身に言って聞かせる。
「親鸞聖人によると」
「善導大師の解釈では」
 と、知識で語っていくエライ坊主が少なくないが、これは知識。

「で、あんたはどうなのよ?」
 と問われて、どう語るのか。
 ここいらが勝負だろう。

 湯船に浸かっているときはヒマだから、いろんなことを考えるのだ。

投稿者 mukaidani : 14:43

2018年01月02日

謹賀新年

 1日遅れながら、明けましておめでとうございます。
 本年もよろしくお願い申しあげます。

 というより、日にちの感覚がなく、ハタと気がついたら正月2日であったということ。

 暮れの31日の夕刻、私が道場の仕事部屋に籠もりきりなので、娘夫婦が孫たちを連れて様子を見に来たときのこと。

 私が小5の孫娘に、
「どうした、初詣に行ってきたか?」
 と問いかけると、孫娘はキョトン。

 娘が顔をしかめて、
「ちょっと、今日はまだ31日なのよ」

 明けて正月。
 雑煮を食べていて、ふと思い立ち、不要の衣類を大整理することにした。
 2階の6畳が私のクローゼットになっているのだが、衣類であふれ、何がどうなっているかわからないのだ。

「やるぞ!」
 さっそく愚妻に下命すると、
「元旦からそんなことする人はいないわよ」

 眉を吊り上げるが、
「よし、わかった。そのかわり、わしは2度と整理はせんぞ」
 脅すと、渋々ながら手伝い始めた。

 そんな調子で、私の新年は幕を開けた。
 いつもと変わらぬ、思いつきの人生である。

投稿者 mukaidani : 20:30