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2018年01月19日

「老い」と居直り

 昨日、人間関係術について、プレジデント誌の取材を受けた。
 例によって、思うところを好き勝手に話したが、編集者氏もライター氏(女性でしたが)も、根気よく、真摯に聞いていただき、これには私のほうで頭が下がる。

 今日、産経新聞本紙のオピニオン欄に転載された拙稿で、記者時代のことについて触れてあるが、若いころは取材そのものが楽しかった私も、いまは億劫である。

 これは体力の問題ではなく、「興味」「関心」の問題だ。
 人生経験を経るにしたがって、
「世のなか、そんなもんだろう」
 と達観していくため、取材テーマや対象に興味や関心が薄れていくのである。

『年を重ねただけで人は老いない。理想を失う時に初めて老いがくる。歳月は皮膚のしわを増すが、情熱を失う時に精神はしぼむ』

 これは、よく知られたサミエル・ウルマンの『青春の詩』の一節だが、こういう詩を励みにすること自体、老いの証明であろう。

 理想を失い、情熱を失い、精神がしぼんで初めて見えてくるものがあるのではないか。
 ヘソ曲がりの私は、流れに棹ささずして、人生に居直るのだ。

投稿者 mukaidani : 11:31

2018年01月17日

スボンを買う

 外出するときは作務衣か着物、家にいるときはスエット。
 スーツもマオカラーを着るので、ネクタイを締めるのは空手の試合のときくらいだ。

 で、この夏、スラックスを買った。
 といっても、私は買いには行かない。
 洋服はブランドが決まっているので、愚妻がスラックスを持ってデパートに行き、
「サイズもデザインも裾丈も、これと同じのをください」
 と言えば、それですむ。

 で、来週、必要があってジャケットを着ることになった。
 気になって、愚妻にスボンを用意させると、何と夏に買ったスボンではないか。
「バカもの。生地が透けているではないか」
「スボン下を穿けば寒くないんじゃないの?」
「そういう問題ではない」

 すぐに夏物のスボンを持たせ、
「行け!」
 デパートへ走らせた。

 帰宅してブーブー文句を言うかと思ったら、違った。
「聞いてよ、冬物が2割引きだったのよ」
 上機嫌なのである。

 これは女の愚かしさか、それても現実主義なのか。
 2割引きであったということだけで、得意顔で喜んでいる。

「そうか、でかした!」
 私も、すかさずヨイショする。
 凧と女は、高く高く舞い上がらせるのだ。

投稿者 mukaidani : 13:20

2018年01月15日

20周年祝賀会

 昨日は、市内のホテルで、昇空館創設20周年の祝賀会を行った。
 盛況で楽しい一時だった。

 と言っても、私はいっさいノータッチ
 すべて実行委員会におまかせで、パーティの段取りから記念誌の製作、エンブレム、ネクタイ、ジャケットの新調まで実行委員会の各氏が見事にやってくれた。
 多士済々の昇空館ならではと、我ながら感心した次第。

 実を言うと、私はパーティはあまり好きではない。
 自分が主催するパーティは、まずやらない。

 故安藤昇氏は、最晩年まで誕生会をやらなかった。
 理由を問うと、
「俺が声をかければ、義理で来なくちゃいけない人間もいる。そういうのは好きじゃない」
 そうおっしゃった。
 自分を厳しく律し、人に迷惑をかけることを嫌った。

 私ごときがおこがましいが、そういう処し方でありたいと願い、それに倣(なら)っている。

 だが、昇空館を創設して20年。
 会員諸氏の努力で、今日まで来た。
 祝賀会をやろうというのであれば、私が反対する理由はない。

 実行委員会への注文は、ただ一点。
「会員以外は声をかけないこと」

 迷惑をかけたくないのでそうしたが、本来であれば、ご招待申し上げなければならない方もたくさんいらっしゃる。
 そういう意味では礼を失することになるが、八方丸くいかないのが世のなかで、ここは割り切った次第。

 昇空館は「足し算」で歩んでいくが、私は「引き算」で人生を歩んでいく。
 足し算も楽しいが、引き算もまた楽しいものだ。

『晴れてよし 曇りてもよし富士の山 もとの姿は変らざりけり』
 とは山岡鉄舟の歌だが、人生は「足してよし、引いてよし」。

 日々に一喜一憂するなかれと、20周年に似合わぬことをパーティの席で考えていたのである。

投稿者 mukaidani : 11:02

2018年01月11日

湿布とステッキ

 左足のふくらはぎが、急に痛くなった。
 今日で3日目である。

 理由はわからない。
 少し腫れている。
 昨夜、稽古のとき、少し身体を動かしたら、激しく痛み出した。

「ちょっと、何やったのよ」
 愚妻が眉を吊り上げて怒るが、私は何もやっていない。
 歩いていて、いきなり痛み出したのだ。

 そのとおりを言うのだが、愚妻は信用しない。
「何かやったでしょう。無茶な稽古をしたでしょう」
 まるで、自白を迫る刑事なのである。

「そうなんだ。ちょっと稽古をやりすぎた」
 根負けして、私がウソの〝自供〟をすると、
「でしょう。私にはわかっているんだから」
 愚妻が勝ち誇ったように言い、追及は終わる。

 なるほど、こうして自供を強いられ、冤罪になっていくのかと、身をもって知ったのである。

 さっそくステッキを用意する。
 すると、愚妻がまた眉を吊り上げ、
「ちょっと、ステッキより湿布が先じゃないの!」

 価値観の相違である。
 私はあえて反論しなかったが、湿布よりも、ステッキをいかについて歩くか、カッコのほうが大事なのだ。
 

投稿者 mukaidani : 12:24

2018年01月09日

シャワーヘッドの交換

 風呂のシャワーが、少しだが水漏れするようになった。
 昨年暮れ、
「そろそろシャワーヘッドも交換だな」
 と私が言ったが、根拠のない指摘に愚妻は鼻で笑って、
「何で換えるのよ。全然、平気じゃないの」

 バチ当たりが、私の勘の鋭さに気づかないのだ。

 で、新年早々、水漏れ。
 愚妻がシャワーヘッドを買ってきて、交換しろと言う。

「簡単よ。ネジを弛めて、差して、締めるだけだから」
 実に無礼な言い方をする。

「難しいから」
 と懇願するなら、
「よし」
 と私も張り切るが、「簡単なのよ」と言われたのでは、やる気は起こらない。

「簡単なら、お前がやればよい」
 私はヘソを曲げ、愚妻が取り付けた。
 最初から、自分でやればいいのだ。

 人に依頼するとき、
「簡単だから」
 と言うのと、
「難しいから」
 と言うのと、どっちがいいか。

 本当に難しい案件は「簡単だから」と言って相手を乗せ、簡単な案件は「難しいから」と自尊心をくすぐるのがいいようだ。

 今年も早々に、愚妻のおかげで、またひとつ勉強になった。
 実りの多い年になりそうである。

投稿者 mukaidani : 19:51

2018年01月05日

湯船で考える

 落葉樹は、葉を落とすことで厳冬を生き延びる。
 人間もそうでなくてはならないと、露天風呂に浸かりながら、雪の中に立つ落葉樹を見て思う。
 湯船に浸かっているときはヒマだから、いろんなことを考えるのだ。

 すでに故人になったが、あるヤクザがこんなことを言った。
「あたしらはね、カネがなくてもベンツに乗るんですよ。落ち目になったと思われたら、ナメられますから」

 彼らは、厳冬にあっても、ミエという葉を落とすことができない。
 落葉樹にはなれないのだ。
 かといって、気候に恵まれた常緑樹でもない。
 だから生き延びていくのが難しいということになる。

 湯船に浸かっているときはヒマだから、いろんなことを考える。

 あるヤクザが、
「俺はね、自分のこの目で見たこと、聞いたことしか信じないんだ」
 と言ったことがある。

「猜疑心が強いんだな」とそのときは思ったが、この正月、若者たちを交えた討論番組をテレビで観ていて考えが変わった。

 インテリたちが、
「そのことについては、アメリカの、なんちゃらかんちゃらの経済学説によると」
 と、いろんな知識を披露しつつ、語っていく。

 さすが、「よく勉強しているんだな」と感心しながら聞いていたが、そのうち、
「なんちゃらかんちゃらの学説についてはよくわかったけど、お宅の意見はどうなのよ?」
 という疑問がよぎったのである。

 ここにインテリの弱さがある。
 彼らは机上の知識を語っているに過ぎない。

 その視点から見れば、ヤクザが語った「自分の耳目しか信じない」というのは、経験で物事を判断するということなのだ。

 ヤクザに限らず、職人も自分の経験で語る。
「ペンキの塗り方について、アメリカの、なんちゃらかんちゃらが言っているけど」
 といったことは決して言わない。

「俺の経験では」
 と、実体験で話す。
 だから説得力を持つ。

 坊主も同じではないか、と我が身に言って聞かせる。
「親鸞聖人によると」
「善導大師の解釈では」
 と、知識で語っていくエライ坊主が少なくないが、これは知識。

「で、あんたはどうなのよ?」
 と問われて、どう語るのか。
 ここいらが勝負だろう。

 湯船に浸かっているときはヒマだから、いろんなことを考えるのだ。

投稿者 mukaidani : 14:43

2018年01月02日

謹賀新年

 1日遅れながら、明けましておめでとうございます。
 本年もよろしくお願い申しあげます。

 というより、日にちの感覚がなく、ハタと気がついたら正月2日であったということ。

 暮れの31日の夕刻、私が道場の仕事部屋に籠もりきりなので、娘夫婦が孫たちを連れて様子を見に来たときのこと。

 私が小5の孫娘に、
「どうした、初詣に行ってきたか?」
 と問いかけると、孫娘はキョトン。

 娘が顔をしかめて、
「ちょっと、今日はまだ31日なのよ」

 明けて正月。
 雑煮を食べていて、ふと思い立ち、不要の衣類を大整理することにした。
 2階の6畳が私のクローゼットになっているのだが、衣類であふれ、何がどうなっているかわからないのだ。

「やるぞ!」
 さっそく愚妻に下命すると、
「元旦からそんなことする人はいないわよ」

 眉を吊り上げるが、
「よし、わかった。そのかわり、わしは2度と整理はせんぞ」
 脅すと、渋々ながら手伝い始めた。

 そんな調子で、私の新年は幕を開けた。
 いつもと変わらぬ、思いつきの人生である。

投稿者 mukaidani : 20:30