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2017年12月02日

スリ換えという「悪」

 将軍様のミサイルよりも、〝日馬富士のシャンパンボトル〟のほうがリアリティがあるのだろう。

「あれで頭を殴られたら危ないわよね」
 と愚妻が眉をしかめている。

「バカ者。いまは国家の非常時。ミサイルが打ち込まれたら、シャンパンボトルどころではない」
 叱りつけるが、
「ボトルで殴られるほうが恐いわよ」
 と譲らない。

 ミサイルが飛んでくるという恐怖は、リアリティを持たないということなのだろう。

「いいか、もしミサイル警報が出たら、すぐにコタツの下に潜り込むんだぞ」
 愚妻にアドバイスすると、
「コタツより、トイレのほうがいいんじゃない?」
 真顔で言っている。
 地震じゃあるまいし、こんな程度の認識なのだ。

 もっとも、私が心配したところでどうにもならない。
 トイレで〝フン死〟するのは情けないので、日帰り温泉で溺死することにしよう。

 それにしても、日馬富士の一件は、本質のスリ換えがあまりに多すぎるな。

「貴ノ岩が『すみません』と謝ればその先にいかなかったと思われる」
 といった報告が危機管理委員会でなされたが、これは、
「謝らなかった貴ノ岩に非がある。したがって、日馬富士は悪くない」
 というスリ換えである。

「シャンパンボトルを振り上げたが、濡れていたので手からすべり落ちた」
 という説明は、
「ボトルで殴ったわけではない」
 と日馬富士を擁護しているわけだが、視点を変えれば、
「すべり落ちなければ殴っていた」
 ということになる。

 同じ理屈で、ヤクザがこう言ったらどうか。
「拳銃の引き金を引いたら、壊れていて弾が出なかった。せやから、ワシは悪うない」
「そうかそうか、アンタは悪うない」
 なんてことはあり得まい。

「貴乃花親方はどうして協会の聴取に応じないのか」
 と、横審で華道家元夫人が批難していたが、日馬富士は暴行を認めているのだから、「事件」はハッキリしている。
 貴乃花が協会の聴取に応じることと、事件とはシンクロしないにもかかわらず、貴乃花を批難することで、問題の本質をスリ換えている。

 そして何より危惧するのは、
「被害者にも落ち度がある」
 といった論調が見られることだ。

 こうした思考は、
「いじめは、いじめられる側にも問題がある」
 といったスリ換えにつながっていく。

「北朝鮮の暴走は、それを許した側にも問題がある」
 といったスリ換えにつながっていく。

 悪いものは悪いのだ。

「盗人の三分の理」などに、惑わされてはならない。

投稿者 mukaidani : 2017年12月02日 11:04