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2017年10月17日

スズメ百まで

 年齢のせいか、それとも性格的なものか、これまでルーチン的に継続してきたことに区切りをつけたくなった。

 たとえば毎年、お歳暮を頂戴する年長者がいらして、私もお返しとしてお贈りする。
 盆暮れの挨拶は感謝を表するということにおいて、大切だと思っている。

 ところが、何事も急ハンドルを切る私は、
(やめようかな)
 と突如、思ってしまうのだ。

 ある集まりで、毎年、贈っていただいている年長者に、そのことを告げた。
「もう、やめましょうか」
 ざっくばらんが私の持ち味だが、いきなり切り出された年長者は驚いていた。

 こういうことを最近、何回が繰り返している。

 現状維持というのが、どうも性に合わないらしく、人生という湖に小石を投じたくなるのだ。

 どんな波紋が広がっていくか、ワクワクしながら見ている。

 むろん、いい波紋ばかりでなく、波紋が「波乱」になってしまうことも少なくない。

 だが、波紋も波乱もない人生は、退屈なだけだ。

「治にいて乱を忘れず」という言葉があるが、「治にいては乱を起こす」という生き方でありたいと思っている。

 だから愚妻を筆頭に、周囲の人たちは振りまわされ、迷惑を蒙るのだ。

 そのことはわかってはいるが、雀が百まで踊りを忘れないように、私の性格は死ぬまで直るまい。

投稿者 mukaidani : 2017年10月17日 14:34