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2017年09月20日

時刻表が大嫌い

 私は、時刻表を見るのが大嫌いである。
 病的なほどだ。

 友人のご尊父がお亡くなりになり、郷里で営まれる葬儀に参列しようと、ウェブで時刻表を検索していて気分が悪くなった。

 飛行機の時間、空港からの乗り換え列車、そして帰途はどうするか。
 時刻表を検索するだけで、もうパニック状態である。
 仕方なく弔電と献花にした。

 来月は地方の刑務所へ面接に出かける。
 訪ねる時間が決まっているので、逆算して何時の列車に乗るか、電車に乗り継いでどのくらい時間がかかるか、そして最寄りの駅からの距離はどうか。

 こうしたことを勘案してチケットを取っておかなければならないのだが、考えただけで気分は萎えてくる。

 だから私が地方へ出かけるときは、友人に頼んでスケジュールをつくってもらうし、場合によってはチケットまで取ってもらう。
 いまだに空港でバーコードをかざしてチェックインするとき、戸惑ってしまうのである。

 今朝は、かねて約束のクリスタルボール・ヨガを体験するため、出かけた。
 ヨガや瞑想は、空手指導の参考になるのではないかと、かねて考えていたことだった。
 忙しくはあるが、時間が空くのを待っていたのでは、いつまでもできない。
 だから、先に約束をするのだ。

 明け方まで仕事をしていたので、寝不足で体調がおもわしくなかったが、約束した以上、這ってでも行かなければならない。

 で、クルマで出かけた。
 これも到着時間から逆算して、家を出る時間を決めなくてはならない。
 時刻表は不要だが、こういう計算をすること自体、私は嫌いなのだ。
 結局、開始時間の1時間前に着いてしまい、近くでお茶を飲んで時間をつぶしたのである。

 時刻表を見るのは過重なストレスがかかるが、ヨガはその対極で、心身のリフレッシュができ、参加してよかった。

 ちなみに参加者は女性15名で、男は私1人。
 老体は肩身が狭く、顔から汗をかきそうだったが、
「リラックスしてどうぞ」
 女性の先生がいたわってくれ、2時間を過ごしたのである。

投稿者 mukaidani : 15:16

2017年09月14日

元気の素は「性格」

 腰痛が治まってきたと思ったら、今度は右膝痛である。
「痛テテテテ」であるならハッキリしているので踏ん切りがつくが、嵐の前の静けさのような、微妙な痛さなのだ。

 かつて脊柱管狭窄症でまともに歩けなくなり、神経根ブロック注射を2回打ち、それで痛みはなくなっている。

 注射を打ったとき、
「先生、逆療法でガンガン稽古したらどうでしょうかね」
 と問うと、
「確実に悪化しますよ」
 恐い顔でいわれたものだ。

 それから10年。
 よくもっている。
 再発したのか?

 愚妻に報告し、私をいたわるように告げると、
「だから温泉に浸かりに行けばいいのよ。私なんか、どこも悪いところはないわよ」
 と威張っている。

 自分がしょっちゅう出かけているものだから、正当化しているのだ。
 我田引水ならぬ「我田引泉」ではないか。

「行けば、わしの膝は治るのか?」
「治るわよ」
「治らなかったら、おまえが責任を取るのか?」
「じゃ、行かなくていい」

 プリプリと怒りながら、自分だけ温泉に出かけ行って、すぐに帰って来た。
「どうした?」
「今日は休みだった」
「知らなかったのか?」
「知ってたけど、あなたが余計なこと言うから、うっかりしてたのよ」
 私のせいにするのだ。

 愚妻が元気なのは、温泉のせいではない。
 性格なのだ。
 人間の元気は性格に根ざすということが、膝痛になってみて、実によくわかるのだ。

投稿者 mukaidani : 19:33

2017年09月11日

腰痛である。

 合宿が終わった翌日から腰痛で参った。
 ギックリ腰になりそうで、
「痛テテテテ」

 顔をしかめると、
「稽古はほどぼとにしなさいよ」
 愚妻がテレビを見ながら、つまらなさそうに言う。

 癪なので、
「痛テテテテ」
 を連発するが、私の悲痛な訴えは完全無視。
「ちょっと行ってくるわね」
 と言い置いて、連日の日帰り温泉である。

 思うに、合宿では私だけ、稽古らしい稽古はせず、体育館の中をウロウロしていたのが悪かったのかもしれない。
 稽古すれば体重が分散されるが、ウロウロは腰に来るということか。

 私が勤め人であれば、「痛テテテテ」で仕事を休むことができる。
 だが、自由業はそうはいかない。
 休めば仕事は滞るだけで、自分の首を絞めることになる。

 しかも、道場の稽古がある。
 つい、「痛テテテテ」を口走って腰に手を当てると、
「館長は何歳?」
 と、小学校高学年の女子がきく。

「12月で67歳になる」
 と答えると、
「若いんだね」
 と感心している。

「そうか、館長は若く見えるか」
 と喜んだところが、
「ちがう。70歳を過ぎているのかと思ったの」

 腰痛以上に、私の心は「痛テテテテ」になったのだ。

投稿者 mukaidani : 09:29

2017年09月07日

身近な人

「身近な人ほど大切にせよ」
 と言う。

 言葉を代えれば「感謝せよ」ということになる。

 空気と同じで、身近であればあるほど、その存在が当たり前になって、感謝の念が希薄になるということだ。

 今朝、風呂に入っていて、ふとそのことが頭をよぎった。

 愚妻は私にとって、二酸化炭素に近くとも、一応、空気的な存在である。
 感謝せねばなるまい。
 そう決心した。

 だが、気持ちは形に現さなければ相手に届きにくい。
 ことに、ものごとをシンプルに考える愚妻はそうだ。

 そこで私は風呂から上がると、合掌をして愚妻に深々と頭を下げ、感謝の念を形に現したところが、
「ちょっと、私はまだ生きているのよ」

 柳眉を逆立てたのである。

 身近な人を大切にするというのは、かくも難しいことであることを思い知らされ、私はまた一段と成長していくのだ。

投稿者 mukaidani : 11:10

2017年09月03日

合宿から帰宅

 1泊2日の合宿を終えて今夕、神奈川県丹沢山中の中川温泉から帰宅した。

 1日目は、朝9時から夕方5時までの長丁場。
 徹夜のまま出掛けたので、稽古を見物しながらコクリと睡魔に襲われ、年齢をひしひしと感じた。
 つまり、順調に加齢しているということ。
 これはこれでめでたいことである。

 ただ、温泉を楽しみに合宿地を選んでいるのに、露天風呂に浸かったのは、稽古後の一度だけ。
 徹夜がたたって、懇親会は早々に引き揚げ、風呂に入らないまま朝まで寝てしまった。
 朝風呂も、疲れが残っていてパス。

 帰宅して、そのことを愚妻に話すと、
「わざわざ温泉地で合宿してバカみたい。私なら、どんなに疲れていても入るわよ。這ってでも入るわ」

 好きで徹夜して行ったわけでもないのに、バチ当たりなことを言う。
「それは大変だったわね」
 と、やさしい言葉をかけるのが愛情というものだろうが、老夫婦に愛情論議は不毛だろう。
 私は静かに笑みをたたえるばかりである。

 愚妻のことはともかく、会員諸君との合宿は楽しいものだ。
 館長として、私は空手・古武道については指導する立場にあるが、みなさん、それぞれ社会で活躍している人たちだ。
 人生ということにおいて、私が教わることも多い。
 道場をやっていればこその出会いに感謝である。

投稿者 mukaidani : 20:03