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2017年08月22日

自分の遺影

 コーヒーを飲まなくなって1ヶ月以上になる。
 理由はない。
 気分的に日本茶に切り替えたくなっただけで、私は何事も急ハンドルを切るのだ。

 仕事が詰まってはいるが、時間を割いて日本茶の淹(い)れ方についてネットで研究。
 基本は白湯の温度で、愚妻のように大らかな気分で淹れたのでは熱くてダメなのだ。

 だから、私が自分で淹れる。
 したがって愚妻は手間が省け、大喜びということになる。

 振り返れば、コーヒーに凝(こ)った。
 コーヒーミルからサイフォンから、あれやこれやを試した。
 もちろんコーヒーカップにも凝り、海外旅行に行くとホテルのティールームのカップを吟味し、
「おっ、さすがパリだ」
 などと愚妻相手に能書きをたれたものだ。

 そういえば、かつてはタバコにも凝った。
 紙巻きタバコからパイプ、葉巻まで、あれやこれやと買い集めた。

 酒にも凝った。
 スーツにも凝った。
 靴にも、カバンにも、帽子にも、雪駄にも、筆記用具にも凝ったし、近年では作務衣と着物に凝った。
 空手も古武道も、気狂いするほど凝った。

 何事も凝って、凝って、凝りまくり、いきなり、
「やーめた」
 というのが、私のパターンなのだ。

 だから愚妻は、私が何を始めても冷ややかに見ている。
 そして、決まって言うセリフが、
「何をしてもいいけど、私に迷惑をかけないでね」

 言われてみればもっともで、最近は何となく生きるにも厭きてきたので、
「そうだ」
 と思い立って遺影にする写真を用意した。

「どこにしまっておこうか?」
 愚妻に問うと、
「どこでも好きなところに入れておいて」
 と無関心の返事。
 愚か者が、私が死んだら写真をしまった場所がわからなくなるではないか。

 しょうがないので、額に入れ、黒いリボンはかけないで、自室の壁にクギを打って掛けることにした。

 そんなわけで、いやおうなく自分の「遺影」を毎日、眺めることになった。
 ニッコリ笑った遺影に向かうと、見ている自分も笑みがこぼれてくる。
「ひょっとして、さとりの境地に近づいたのではないか」
 と勝手に喜んでいる。
 元気なうちに遺影を飾るのも悪くないものである。

投稿者 mukaidani : 2017年08月22日 00:29