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2017年08月27日

夏は寒いのだ

 猛暑というけれど、仕事部屋に籠もっていると、クーラーが効き過ぎて寒くなる。
 だから、長ズボンに靴下。

 都心で人に会うときも、クルマで移動し、ホテルの地下駐車場に停めてそのまま館内に入るので、暑さは感じない。

 道場もクーラーをかけており、稽古を見ているだけの私は、汗をかかないどころか寒い。

 夏は、私の場合は寒いのだ。

 だから時候の挨拶ができない。

「暑いですねぇ」
 と言われも、
「そうですか?」
 トンチンカンな受け答えになってしまう。

「そんなこと言うと、相手はイヤ味だと思うわよ」
 と愚妻は注意をするが、根が正直な私は、どうしても素直にリアクションしてしまうのである。

 8月もあと1週間。
 次の土曜、日曜は、神奈川県丹沢の温泉地で、支部合同による大人会員の合宿である。

 私は当然(?)稽古はしないし、夜の宴席では酒を飲まない。
 温泉に浸かりに行くのが、私の毎年の合宿なのだ。

投稿者 mukaidani : 17:07

2017年08月22日

自分の遺影

 コーヒーを飲まなくなって1ヶ月以上になる。
 理由はない。
 気分的に日本茶に切り替えたくなっただけで、私は何事も急ハンドルを切るのだ。

 仕事が詰まってはいるが、時間を割いて日本茶の淹(い)れ方についてネットで研究。
 基本は白湯の温度で、愚妻のように大らかな気分で淹れたのでは熱くてダメなのだ。

 だから、私が自分で淹れる。
 したがって愚妻は手間が省け、大喜びということになる。

 振り返れば、コーヒーに凝(こ)った。
 コーヒーミルからサイフォンから、あれやこれやを試した。
 もちろんコーヒーカップにも凝り、海外旅行に行くとホテルのティールームのカップを吟味し、
「おっ、さすがパリだ」
 などと愚妻相手に能書きをたれたものだ。

 そういえば、かつてはタバコにも凝った。
 紙巻きタバコからパイプ、葉巻まで、あれやこれやと買い集めた。

 酒にも凝った。
 スーツにも凝った。
 靴にも、カバンにも、帽子にも、雪駄にも、筆記用具にも凝ったし、近年では作務衣と着物に凝った。
 空手も古武道も、気狂いするほど凝った。

 何事も凝って、凝って、凝りまくり、いきなり、
「やーめた」
 というのが、私のパターンなのだ。

 だから愚妻は、私が何を始めても冷ややかに見ている。
 そして、決まって言うセリフが、
「何をしてもいいけど、私に迷惑をかけないでね」

 言われてみればもっともで、最近は何となく生きるにも厭きてきたので、
「そうだ」
 と思い立って遺影にする写真を用意した。

「どこにしまっておこうか?」
 愚妻に問うと、
「どこでも好きなところに入れておいて」
 と無関心の返事。
 愚か者が、私が死んだら写真をしまった場所がわからなくなるではないか。

 しょうがないので、額に入れ、黒いリボンはかけないで、自室の壁にクギを打って掛けることにした。

 そんなわけで、いやおうなく自分の「遺影」を毎日、眺めることになった。
 ニッコリ笑った遺影に向かうと、見ている自分も笑みがこぼれてくる。
「ひょっとして、さとりの境地に近づいたのではないか」
 と勝手に喜んでいる。
 元気なうちに遺影を飾るのも悪くないものである。

投稿者 mukaidani : 00:29

2017年08月17日

大洗海岸と取材

 このところ毎朝起きると、内腿や内腕にジンマシンが出ている。
 以前、皮膚科にかかり、内服薬で治っていたが、またぞろ出始めた。

 ウェブで調べると、ジンマシンの7割りは「原因不明」とのこと。
 ストレスも一因とあるので、たぶんそれだろうと解釈し、
「ジンマシンが出るほどに、わしはストレスが溜まっておる」
 と愚妻に自慢していたら、昨朝はあまりにひどい。

 翌日(つまり今日ですが)、茨城県の大洗町で取材アポが入っており、これはまずい。
 すぐに皮膚科に行き、以前同様、内服薬で治まった。

 で、今朝。
 大洗町は実に40年ぶり。
 娘が1歳前後だったか、大洗海岸に海水浴に出かけ、波が荒くて泣き出した記憶がある。

 大洗町役場で取材しつつ、担当の方にその話をすると、
「ここが、まさにその海水浴場です」
 と、目を丸くしておっしゃった。

 埋め立てをして、この役場を建てたということである。

 記憶は何十年が経とうと、頭の中の時間は止まったままであることを、いまさらながら再認識した次第。

 と同時に、ゲンをかつぐわけではないが、今回の取材は成果があるような気がしてくるから、現金なものだ。

 実際、貴重な資料があり、コピーさせていただいた。
 さらに確認事項があり、帰途、茨城県立図書館に寄って、70年前の茨城新聞記事のマイクロフィルムをチェックし、目当てのベタ記事を見つけることができた。

「うまくいかないのが人生」
 というのが私の口癖だが、うまくいくときもあるのだ。

投稿者 mukaidani : 21:44

2017年08月14日

「その道」で稼がす

 昨日は墓参り。
 霊園なので、大勢の人たちがお参りに来ていた。

 若い両親や、幼い子供が一所懸命にお墓を掃除している。
 宗教離れが叫ばれて久しいが、こうした光景を目の当たりにすると、仏教離れの真因は寺や僧侶、教団の姿勢にあるのではないかと思う。

 経済原則にのっとれば、葬儀社が利潤を追求するのは当然だが、それが結果として葬儀費用の高騰を招き、葬儀離れを加速させた。

 ならばというので、家族葬など安価な葬儀を考え出す。

 葬儀社にとって葬儀はビジネスだからそれでいい。

 だが、僧侶はどうだろうか。

 僧侶派遣会社の社長が、
「うちの登録者は、寺持ちの住職さんが半数以上です」
 と私に言っていたが、住職といえども霞(かすみ)を食って生きていくわけにはいかず、経済活動は必要だ。

 となれば、一般バイトのハケン会社と同じで、葬儀の仕事を回す僧侶派遣会社が強くなる。
 かくして派遣会社の膝下となり、僧侶の本来のあるべき姿から次第に遠くなっていき、結果が「仏教離れ」につながっていく。

 こう考えていくと、「坊主で食う」という処し方に問題があるという結論に達する。

 ほかに生活の手段を持っていれば、坊主で食う必要はなく、活動はフリーハンドである。

 これは坊主に限らず、「その道で本気で生きよう」と欲するなら、「その道」を生活の手段にしてはならないということになる。

 坊主として本気で活動するなら、坊主としてメシは食わず。

 そんなことを思った墓参りである。

投稿者 mukaidani : 12:01

2017年08月10日

温泉も疲れるのだ

 必要があって、戦後政治史を調べている。
 ポスト安倍をめぐって蠢動が始まっているが、派閥抗争は実に面白い。
 政策だ何だともっともらしいことを言ってはいるが、裏にまわれば権力をめぐる血みどろの派閥抗争。
 だから面白い。

 以前、ウラ社会に隠然たる力を持つ某氏が、
「政治の派閥抗争は、ヤクザと同じだな」
 と笑ったことがある。

 あるいは、ヤクザ社会をテーマに活躍しているライター氏は、
「田中角栄の処し方は、まんま侠客ですね」
 と感心していた。

 表裏一体という言葉があるように、表と裏は一体であり等量である。
 言葉を変えれば、表と裏は相似形をなしているということなのだ。

 昨日、高速道路をつかって日帰り温泉へ出かけた。
 子供は入場不可の温泉なので、夏休みでも空いていると思って、ここにした。

 実際、空いていて、みなさん、露天風呂に気持ちよさそうに浸かっている。
 私も他人さまからはそう見えるのだろうが、頭のなかは「政界もヤクザ社会も同じ」ということを大マジメに考えている。
 のんびり浸かっているように見えて、結構、疲れるのだ。

投稿者 mukaidani : 14:18

2017年08月06日

雨ニモ、風ニモ、愚妻ニモ。

 起床を早め、4時20分起きにした。

 切りが悪いので、私の性格からすれば4時にするところだが、6時間の睡眠を取るとしたら10時に寝なくてはいけない。

 空手の稽古が週3日あり、急いで帰宅しても9時30分。
 お茶の一杯も飲みたいし、風呂にも入らなければならないし、就寝勤行でお経も称えるとしたら、10時に寝ることは不可能。

 頑張って10時20分の消灯である。

 とすると、帰宅して就寝まで50分。
 入浴と勤行の時間を差し引けば、帰宅してから愚妻と顔を会わす時間はわずか15分足らずとなる。

 これには愚妻は大喜びで、
「ほらほら早く寝なさいよ」
 と、喜色を浮かべて急かすのである。

 愚妻は連日の温泉通い。
 そして寝酒に、沖縄から取り寄せる44度の泡盛をグビリとやっている。

 私は温泉にも行かず、酒もやらず、朝は早よから起きて勤勉なものだ。

「わしのような人間を、生き仏と言うんだな。手の一つも合わせんか」
 愚妻をたしなめると、
「なに言ってるの。若いころに遊び回ったツケが来ているのよ。飲みたいだけ飲んで、好き勝手して、私に迷惑ばかりかけて」
 カラリと泡盛オンザロックの氷の音をさせ、昨夜は延々と反撃してきたのである。

 このとき、なぜか唐突に、
「雨ニモマケズ、風ニモマケズ」
 という宮澤賢治の一節が脳裡をよぎる。
 そして、これに私は「愚妻ニモマケズ」をつけ加えたのである。

投稿者 mukaidani : 16:33

2017年08月01日

女性が輝く社会

 気がつけば8月。
「おい、あと150日で新年だぞ」
 愚妻に言うと、
「早いはねぇ。じゃ、行ってくるわ」
 ノンキな声で言って、今朝も近所の温泉施設へ出かけて行った。

 ならば、愚妻は人生に達観しているかというとそうではなく、健康番組は熱心に見ている。

「バカ者が、そんなもの見たって、ポックリ逝くときは逝くんだ」
 諭すが、馬耳東風。
 これなら、馬に念仏を聞かせるほうが、よほど気が利いているだろう。

 私は常日ごろ、
「介護はしないから、自分で生きていけ」
 と愚妻に言いつけてある。

 元気なときですら愚妻を持て余しているのだから、介護などできるわけがない。

 だが、介護が必要になってから介護放棄したのでは、薄情者と言わるだろう。
 だから、愚妻が元気なうちから、
「わしは介護はせんぞ」
 と公言しているというわけだ。

 当初は、フンと鼻で笑っていたが、ことあるごとに口にしていると、愚妻も現実問題として考えるようになったのだろう。
 首をひねって、
「でも、私が先に倒れるとは限らないんじゃない? 私はあなたを介護しなくていいということなのね」
 ニコリともしないで言うのだ。

 松井某女が、恐い顔してSNSで亭主を攻めているが、女はマジに怖い。
 このことを見抜けないから、安倍総理は「女性が輝く社会」などとトンチンカンなことを言っているのだ。

 女はピッカピッカに輝いている。
 温泉で磨き抜かれた愚妻など、私にはまぶし過ぎて目が眩(くら)むのだ。

投稿者 mukaidani : 15:36