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2017年02月24日

自分を飼い馴らす

 週末断食を始めて、「食べること」に関心が薄れてきた。
「食べる」は人間の大いなる執着なので、これが少なくなるということは、そのぶん気持ちが楽になるということなのだろう。

 ポイントは「自分の意志」。
 強制によって「食べられない」となれば、飢餓感がつのり、
「メシ食わせろ!」
 と大騒ぎすることになる。

 ということは、何事も「自分の意志である」と置き換えて考えれば、気持ちは楽になるということになる。

 浄土真宗では「行」を否定するが、「行」の本質は、苦しいことに耐えるということよりも、「自分の意志でやる」にあるのだろう。

 要は、いかにして「自分を飼い馴らす」か。
 ここが大事なのだ。
 

投稿者 mukaidani : 12:42

2017年02月20日

外出の仕度

 私は、デスクトップのキー・ボードが好きだ。
 ストロークが深いので、指に負担がかからない。
 ノートパソコンはストロークが浅いので、ガツンと底を打っているような感じで、指が痛くなる。

 忙しいときは、仮眠の都合もあって、自宅でも仕事をするのだが、自宅はノートパソコンなので、指が腫れて太くなっている。

 以前はディスクトップを置いていたのだが、邪魔になると思い、ノートバソに切り替えたのがまずかったようだ。
 何事も、一長一短であるということが、よくわかるのである。

 今日は、葬儀に参列した。
 愚妻は昨夜、所用があって泊まりがけで出かけたのだが、私ひとりでは外出の仕度ができない。

 黒いスーツはどこにあるのか、黒いネクタイは、カフスは、ベルトは、靴下は、ハンカチは、香典は・・・。

 これらすべてを、愚妻に用意させておく。
「いいか、ベルト一つ用意し忘れても、外出はできなくなる。心して準備いたせ」
「わかってますよ」
 と不機嫌に答えるが、長年にわたる私の薫陶もあって、さすがに用意は万端である。

 朝、階下に下りていくと、手袋も、マフラーも、ネクタイも、好きなほうをしていけるよう二種類用意してあった。
 風呂も、お湯が替えてある。

 私がタバコを吸っていた30余年前、
「タバコと言ったら、灰皿も一緒に出すものだ」
 と、そんな初歩的なことから、今日まで愚妻を鍛え上げたのだ。

 思えば私も苦労したものだと、朝風呂に浸かりながら感慨にふけったのだった。

投稿者 mukaidani : 23:38

2017年02月18日

ムダな会話。

 今日は午後から空手関係の会合。
 夕方、道場に帰ってきて、9時まで稽古。
 結局、仕事は午前中の3時間しかできず、明日にしわ寄せ。

 だが、明日は朝9時に保護観察対象の家を訪問するので、仕事は昼からになる。
 毎日が時間との競争で、起きるとすぐ風呂に入り、自室に脱ぎ散らかしたスエットを着て仕事にかかるため、ここしばらく着物を着ることがない。

 現代社会にあって着物を着るというのは、精神的な余裕を必要とするということがよくわかる。
 着物が「ゆったりとした生活」の象徴のように思われるのは、あながち根拠がないわけではなさそうである。

「そうは思わぬか?」
 愚妻に問いかけると、
「着物くらい、着ればいいでしょ」
 即物的な答えが返ってくる。

「そういう意味ではない」
「じゃ、どういう意味なのよ」
「着物はゆったりとした生活の象徴ということだ」
「だから、着物くらい着ればいいのよ」
「そういう意味ではない」
「じゃ、どういう意味なのよ」
「着物はゆったりとした生活の・・・・」

 会話は堂々めぐり。
 忙しいときに、私はこうしてムダな時間を費やすのだ。

投稿者 mukaidani : 23:16

2017年02月16日

「傍観者」ということ

 認可保育所に子どもを預けるための「保活」が熾烈(しれつ)を極め、6人の入園枠に120人が殺到するケースもあるという記事。

 介護離職が年10万人で、中高年が悲鳴をあげているという記事。

 それに並んで、
「エビフライの尻尾は食べるべきか」
 という記事。

 そんなネットの記事を読んでいると、
(なんだかなァ)
 という思いにとらわれてしまう。

 いろんなニュースがあっていいし、いろんな価値観があっていい。
 それでこそ、健全な社会なのだ。

 そうはわかってはいても、たとえばテレビのキャスターが痛ましいニュースを報道したあとで、一転、
「さあ、明日のお天気です!」
 と、明るい笑顔で話し出すのを見ると、
(なんだかなァ)
 という思いがよぎるのだ。

 そういえば、お葬儀に参列して、悲歎に暮れているのは近親者だけ。
 大きな葬儀になると、
「あ、どうも!」
 なんて、笑顔を交わしたり。
 
 所詮、人間は傍観者ということか。
 世間を恃(たの)みとせず、自分の足で人生街道を歩いていく。
 この覚悟が何より大事なのだ。

投稿者 mukaidani : 15:32

2017年02月13日

愚妻の「切り返し」

 今朝のことだ。
 自宅の近くにスーパー銭湯ができたので
「ちょっと行ってくるわ」
 と言い残して、愚妻が出かけて行った。

 私は原稿書き。

「ノンキなものだ」
 と、出かける前、愚妻にイヤ味を言うと、
「今日は、夕食を食べてくるんでしょ」
 と反撃する。

「打ち合わせだ」
「じゃ、食べないの?」
「食べる」
「ほら、食べるんじゃないの」
 勝ち誇ったように言う。

 体重だけでなく、愚妻は口も減らない。
 一連の拙著である「実戦心理術」を愚妻は読んではいないので、この切り返しは天性のものだろう。

「夫婦をテーマに書いたらどうですか?」
 と、ある編集者に言われたが、そんなことを書いたら、亭主のマヌケさ加減を衆人に知らしめることになるではないか。

 溜め息には、二酸化炭素が多く含まれているという。
 自室も仕事場も息苦しく感じるのは、きっと二酸化炭素のせいに違いない。
 

投稿者 mukaidani : 11:57

2017年02月11日

「都民ファースト」

 安倍総理とトランプ大統領の会談は、両国の「蜜月ぶり」をアピールした。
 私には実際のところはよくわからないが、メディアはそんな論調である。

 先に来日したマティス国防長官の「ニッポンを守ります」という発言と合わせ、中国の脅威に直面する日本は、
「やれやれ、ひと安心」
 といったところだろう。

 結局、どんな理屈を振りまわそうとも、自国の安全を他国に頼ることは、常に生存のリスクを背負っているということなのだ。
 厳然たる事実から、眼をそらせてはなるまい。
 この前提に立って、日本はどうするべきかを考えるべきではないか。
 そういう意味において、トランプ大統領の出現は日本にとって大きなプラスであり、チャンスと言える。

「世界平和」とは、「自国の平和」の集合体を言う。
「自国の平和」が、それぞれ国によって異なるとすれば集合体になるわけがなく、したがって「世界平和」は実現しない。

 ついでながら、「アメリカ・ファースト」とトランプ大統領が言えば、自国民の半数が拍手する。
「都民ファースト」と小池都知事が言えば、これまた都民の多くから拍手喝采される。

 トランプ大統領と小池都知事が口にする「ファースト」はどこが違うのか。
 あるいは、本質において違わないのか。
 いまいちど、考えてみたいものだ。

投稿者 mukaidani : 15:35

2017年02月08日

価値観は変わる

「ロンドン大学が主導して行われた研究で、電子タバコの使用は従来のタバコに比べ、はるかに安全で毒性が少ないことが分かった」

 そんなニュースがWEBに掲載されている。

 となれば、「タバコ=有害=禁煙=タバコ追放」という図式は成立しなくなる。

 医療常識や健康常識もそうだけれど、価値観は時代に連れて変わっていくということが、よくわかる。

「今日の常識」は「明日の非常識」であり、その逆もある。

 常識や価値観にとらわれ、一喜一憂することの何と愚かしいことであるか。

 生きたいように生きるのが正解。
 つまり、ワガママこそ最高の美徳ではないか。

 愚妻に言うと、
「本人はそれでいいでしょうけど、まわりが大変なのよ」
 不機嫌な顔になって、
「これ以上、ワガママは言わないでちょうだい」

 高尚な哲学的な話も、愚妻にかかれば「現実生活」に引きずり降ろされてしまうのだ。

投稿者 mukaidani : 14:22

2017年02月05日

「福は内、鬼は外」

 会食があったりで毎週というわけにはいかないが、週末プチ断食を継続している。
 体重が3キロ減っていて驚いた。
 おかげで、体調はいい(ような気がする)。

 易(やす)きに流れる生き方もいいが、ストイックにわが身を律する生き方も悪くない。

 ただ、私の場合は、何事も始めたら全力投球で、気狂いするほどに頑張るのだが、
「なるほど、こんなものか」
 と納得すると、たちまち興味が失せてしまう。

 だから何をやっても大成しないのだろう。
 プチ断食も、いつまで興味をもってやれることやら、心もとないのである。

 今日は成田市で空手関係の会合。
 雑談で、成田山の節分は賑やかだったという話が出た。

 そういえば一昨日の節分の日、子供たちが稽古の時間に豆まきの話をしていたので、「福は内」について苦言を呈した。

「いいか。〝福は内〟は自分さえよければいいという発想で、これはよくない。だから反対に〝福は外〟と言って、みんなに福を投げ与えるべきだ」
 
 すると、小学生高学年の女子が、
「じゃ、鬼はどうするの? 内に入れるの?」

 これには私も一瞬、返事に詰まって、
「そうだ。みんなのために〝鬼は内〟と叫んで、鬼を引き取るのだ」
 と言うと、
「そんなことしたら、家が困るじゃないの!」
 口々に私を非難。
 私は何だか鬼にされた気分になったのだ。

投稿者 mukaidani : 23:51