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2017年01月31日

頭が疲れてきたか

「表」は「裏」によって存在する。

「昼」は「夜」によって存在する。

 その逆も真なりで、物事は反対概念によって存在する。

 となれば、「幸福」は「不幸」によって存在するわけだから、不幸な人を見れば、
「おめでとう」
 と言わねばなるまい。

 反対に、「不幸」は「幸福」によって存在するわけだから、ハッピーな人を見れば、
「お気の毒」
 と同情せねばなるまい。

 原稿の書きっぱなしで、頭が疲れてきているのだろう。
 唐突に、そんな、わけのわからない思いがよぎるのである。

投稿者 mukaidani : 00:40

2017年01月26日

「トランプ」という名前

「ドナルド・トランプって、ウソみたいな名前よね」
 愚妻がテレビニュースを観ながら言った。

 なるほど、そうだ。
「ドナルドダッグ」の「ドナルド」+「トランプ」とくれば、たしかにウソっぽい名前である。
 日本で言えば「花札太郎」といったところか。

 名前というのは大事で、ソープランドはかつて「トルコ風呂」という名称で、略して「トルコ」と呼ばれた。
 知人の風俗ライターは、「ルートコ」なんて言い方をしたものだ。

 割りをくったのは、中東の大国「トルコ共和国」である。

「どこから来ましたか?」
 問われた留学生が、
「トルコです」
 と答えたところ、
「ブッフフ」
 腹を抱えて笑われたという。

 で、昭和59年、東大に留学していたトルコ人学生が、当時の厚生省に名称変更を訴え出たことが発端となり、「ソープランド」と改称した。

 こうしてみると、「クリントン」という名前は、「栗きんとん」を連想してしまって、いまいち心に響かない。
 これに「ヒラリー」は「ひらひら」で軽薄イメージ。

 となれば、「ドナルド」+「トランプ」には負けるだろう。

 そんな解説を愚妻にすると、
「ヒラリーの〝ひらひら〟も、クリントンの〝栗きんとん〟も日本語の連想でしょう。アメリカ人には関係ないんじゃない?」

 バカ話は笑って楽しめばいいものを、なんとも愚かな女だ。
 私はすっかり不機嫌になってしまったのだ。

投稿者 mukaidani : 01:57

2017年01月23日

連載は楽ではない

 いま私は、「週刊アサヒ芸能」誌で、『英雄の「ケンカ兵法」』を連載している。
 毎回、いろんな分野の有名人を登場させ、彼らの人生をトレースしながら私の思うところを書くものだ。

 わずか1ページのエッセイで、連載の苦労を知らない人は、
「短いから楽チン」
 と思うだろうが、これはとんだ勘違い。

 短いから楽チンであると言うなら、100メートル競争はマラソンより楽ということになる。
 マラソンも、100メートル走も、それぞれ走り方というもがあって、どちらも楽チンではないのだ。

 そんなわけで毎週月曜日、つまり今日が原稿を編集部に送る日になっている。
 中1日置いて、水曜日にゲラがpdfで送られてきて、それを校正して送り返す。
 それから2日ほどすれば、
「さて、次週は誰を書こうか」
 と頭をめぐらせ、日曜日に執筆する。

 連載は週1であっても、意外と手間ヒマがかかるのだ。

「ただ見れば 何の苦もなき 水鳥の 足にひまなき わが思いかな」

 はた目にどう見えようとも、楽チンに生きている人間など1人もいないのだ。

投稿者 mukaidani : 11:13

2017年01月18日

後頭部を傷つける

 腰が急に楽になった。
 痛くなるときも急なら、治るのも急なのだ。
 私の人生は、何事も急ハンドルを切って進むので、自分らしいと納得している。

 これも急ハンドルのせいか、一昨日は頭を剃っていて後頭部を三カ所も傷つけてしまい、痛くて大変である。

 忙しくて、ついイライラと剃ったのがマズかった。
 新しい刃に換えたほうが、素早くきれいに剃れると思ったのが間違いだった。
 おかげで、血が出たではないか。

 明日は、日帰りで地方の刑務所。
 血は止まっているが、キズは後頭部なので、どう剃ったものか。
 愚妻に頼むしかないが、朝一の新幹線なので、4時起きで風呂に入る。
「剃ってあげるわよ」
 と言ってくれるかどうか。
 愛情の試されるときである。

投稿者 mukaidani : 21:20

2017年01月16日

私はすでに立派な高齢者

 今日は、朝から市空手道連盟の合同稽古と餅つき。
 この体育館は寒い。
 私は稽古着に着替えもせず、ベンチコートにくるまったまま、ストープのそばの椅子に座って見物である。

「稽古着になったほうがいいかい?」
 事務局長に問うと、
「いえ、そのままで結構です」
 ヘタにファイトを出されると、邪魔になると思ったのだろう。

 例年、私がストーブのそばにいると、
「館長だけズルイ」
 と、ウチの子供たちは批難したものだが、今年は誰もそんなことは言わなかった。
 同情される年齢になったということか。

 今年は保護者も多く、またウチの道場は小さい子の参加も多くて楽しい一時であった。
 これもまた、こういうことを楽しいと感じるような年齢になったということか。

「短気で、ケンカ早った自分がウソのようだ」
 と感じるのもまた、年齢のなせるワザだろう。

 帰宅して夕刻に仮眠を取り、今せっせと原稿書き。

 明日、明後日と都内で所用がある。
 電車で行けば車内で仕事ができるので、そうするつもりでいたが、腰が痛い。
 電車で往復を立っているのは腰にヤバイ。
 木曜日は、保護司の仕事で地方の刑務所に行かねばならない。
 新幹線にレンタカーを乗り継ぐから、腰痛は難儀する。
 明日はクルマで出かけるか。

 腰痛と言えば先夜、稽古着の下の腰の部分に巻いたサポーターを子供たちが見て、
「お爺さんみたい」
 とキャッキャッと笑った。

 癪なので、
「そうだ、館長はお爺さんだ。お爺さんで、どこが悪い」
 と居直ったところが、なぜか〝火に油〟。
 笑い転げていた。

 高齢者の定義が75歳以上に見直されるそうだが、世間はどうあれ、私はすでに立派な高齢者なのだ。

投稿者 mukaidani : 00:34

2017年01月13日

「自由」は楽ではない

 規則正しい生活はどこへやら。
 仕事以外にも用事が山積で、毎日、明け方まで仕事をしている。
 来週は、地方の刑務所に受刑者の面接があって出かける。
 トンボ返りの一日仕事だ。

 忘れていたが、明後日は、市空手道連盟の合同稽古と餅つきがある。
 そのあと会議もあるので、これも一日仕事か。

 先程、出版社から原稿の進捗状況について問い合わせのメール。
 シカトもできず、全力でやっていると返信。

 元気なのは愚妻だけで、
「何がそんなに忙しいの?」
 と、バチ当たりなことを訊く。

 長時間労働がヤリ玉にあげられているが、私のような自由業は、自由であるがゆえに長時間でも短時間でも自由で「自己責任」。
 自由ほど過酷で「不自由」なことはないのだ。

投稿者 mukaidani : 16:38

2017年01月11日

ゴボウ茶

 ゴボウ茶が、どうも鼻につく。
 それはそうだろう。
 ガブガブとお茶代わり飲めば、ゴボウのほのかな香りが鼻につく。

 で、すぐに中止。

「シジミのときも、買っただけで飲まなかったでしょ」
 と、愚妻が怒る。

 そうだった。
 シジミの錠剤も、私の場合は匂いが鼻につく気がして、すぐにやめたのである。

「何でも思いつきで始めて、すぐやめるんだから」
 という愚妻の言葉は正しいが、私は「何事も経験が大事」という主義なので、「思いつき」は大いに結構だと思っている。

 所詮、人生などと言うものは、「思いつき」と「弾み」によって、ラグビーボールのようにあらぬ方向に跳ねていくのだ。
 どこへ跳んでいくか、楽しみではないか。

投稿者 mukaidani : 22:34

2017年01月09日

長所と短所

 今日は断食日。
 昨日、昇空館の新年会では、断食に備えて少食にしていた。
 で、今日が本番。

 昼ころ、少し腹が減ったが、夕刻を過ぎると空腹を感じなくなった。
 身体は馴れるということか。

 この「馴れる」というやつが適応という人間の素晴らしい能力の一つだが、同時に、現状に埋没していく原因にもなる。
 何事においも、功罪があるということか。

 すなわち長所は短所になり、短所は長所になる。
 短所だらけの私は、たくさんの長所を持っていることになる。
 だが、長所だらけに転じていけば、短所だらけになるということではないか。

 難しい。
 人生、一筋縄ではいかないのだ。

投稿者 mukaidani : 19:50

2017年01月07日

楽しんでこそ

 大晦日に週末断食を思い立って、今日で一週間。
 いよいよ実行段階だが、断食前日(夕刻の早めに軽い食事)、断食当日、断食後日(少量の食事から慣らしていく)という具合に3日を要する。

 手帳と睨めっこするが、食事がらみの所要が入っていて、うまいぐあいに3日が取れない。
「私、今日は断食日ですので」
 とは言えないではないか。

 日曜日は道場の新年会が新宿である。
 軽く食べて、月曜日を断食日にする手もある。

 断食当日は水分以外は摂ってはいけない。
 となると、水分にひと工夫あってもいいのではないか。
 昨夜、すぐに野菜ジュースを2種類買ってきて試飲した次第。

 毎日、コーヒーをよく飲むので、これも変えてみよう。
「何がいいか?」
 愚妻に問うと、
「ゴボウ茶がいいんじゃない」
「なぜだ」
「意味はないけど」

 無責任な答えだが、私もよくわからないので、ネットでゴボウ茶を注文した。

 そういえば大昔、五穀米を思い立ち、わが家の食生活を変えることにしたが、とうとう私は一度も口にせず、家族からブーブー批難されたことを思い出した。

 さて、ゴボウ茶はどうか。
 週末断食はどうか。
 野菜ジュースはどうか。

 こういうこともまた、遊びとしては面白いのだ。

 今日から稽古始め。
 子供たちをどう手のひらに乗せて遊ぶか。
 楽しんでこその人生。

「おもしろく こともなき世を おもしろく」

 高杉晋作の時世の句である。

投稿者 mukaidani : 13:51

2017年01月05日

「マイクロスリップ」という生き方

 調べ事をしていて、「マイクロスリップ」という言葉に出くわした。
 ざっくり言えば、
「必ずしも意識された修正ではない」
 という意味だ。

 たとえて言えば、卓上のコップを取ろうと手を伸ばしたとき、コップの大きさに合わせて手の開き具合を無意識に大きくしたり小さくしたり「修正」することだ。

 これを拡大解釈すれば、「マイクロスリップ」の能力が、人間には大事だということ。
 つまり、人間関係はじめ諸々の状況に応じて、無意識的に対応していく能力である。

 もっと言えば、人生には予定調和はあり得ず、常に「マイクロスリップ」という無意識的修正が求められるということだ。

 ところが、私たちは何とか将来を予見し、それに対応すべく準備を整えようとする。
 それも、可能な限り、完璧を目指す。

 だが、人生には予期せぬことが付きもので、準備を完璧にすればするほど「マイクロスリップ」ができなくなる。
 皮肉なものです。

 どうやら人生は、「出たとこ勝負」をもって最上ということなのだ。
 ただし、これを実戦するには、少しばかり度胸がいるようですな。

投稿者 mukaidani : 21:35

2017年01月03日

「無駄」という時間

 未明の時間は早く過ぎていく。
 4時半に起きて、気がつけば、もう7時。
「早起きは3文の得」
 とはわかっていても、時間が早く過ぎると損をしたような気分になるから、勝手なものである。

 今日で新年3日。
「早や3日」か「もう3日」か。
 この感じ方が、いまの状況のバロメーターということになるのだろう。

 今年もまた、そんな、どうでもいいことが頭をよぎり、無駄な時間が過ぎ去って行く。

「人生、無駄が大事」
 というが、「忙中閑あり」と一緒で、有益な時間があってこその無駄である。

「無駄だらけの人生において、『無駄が大事』とは自己弁護に過ぎない」
 と、とどめもなく無駄なことが脳裡をよぎる。

 さて、そろそろ風呂の脱衣所の暖房が暖まったことだろう。
 無駄の続きは、湯船に浸かって考えるとするか。

投稿者 mukaidani : 07:21

2017年01月01日

謹賀新年

 謹賀新年。

 昨夜は、『紅白』が始まると同時に、自室に引き上げ、ベッドに入った。
 孫たちが来ていたので、余計者は早々に退散である。

 だから夜中の2時に目が醒めた。
 年齢が関係しているのかどうか、二度寝ということができなくなっているので、起床して仕事を始めた。
 私のようなヘソ曲がりは、正月だからといって休まないのだ。

 それにしても2時に起きると、一日が実に長い。
 睡眠時間は7時間近く取っているので、一日の時間の総量が増えたわけではないのだが、長く感じる。
「早起きは三文の得」
 とはよく言ったものである。

 ということは、忙しいときこそ早起きし、規則正しい生活をするのが正解ということになる。
 大晦日に「規則正しい生活」にもどそうと考えたのは、やはり間違ってはいなかったと、意を強くした次第。

 今年はマラソンのごとく、タッタッタッタとペースを乱さずに走って行こう。
 

投稿者 mukaidani : 15:35