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2016年12月31日

さて、大晦日。

 今月は不規則な日が続いた。
 かつてのように、眠くなったらベッドに入り、目が醒めたら執筆という具合だ。

 何となく頑張っているような気分になるが、これは錯覚。
 1日24時間という時間の枠が変わらない以上、睡眠時間などを引いていけば、結局、仕事の時間を増やすとはできない。
 この当たり前のことに、いまさらながら気づく。

 来年(と言っても明日からだが)、規則正しい生活にもどそう。
 ついでに、週末断食もやってみよう。
 愚妻に提案すると、
「いいわよ」
 という返事に続いて、
「前もやったわね」

 そう言えば、そんなこともあった。
 人間は同じことを、何度も繰り返すということか。
「ニーチェの言う永劫回帰というやつだな」
 愚妻に言ったが、返事もしないで掃除を始めた。

 いま朝の9時過ぎ。
 そう言えば、まだ外を見ていないが、今年最後の日の天気はどうなのだろうか。
 この1年、駄文の勝手なブログを読んでいだき、感謝申しあげる。

投稿者 mukaidani : 09:14

2016年12月29日

明日は稽古だ。

 今年もあと2日。
 原稿も最後の追い込みだが、3日後に年が明ければ新規執筆のスタート。
 つまり、ゴールなし。

 愚妻もそこは心得ていて、
「ずっと道場で仕事でしょう?」
 と念を押す。

「うるさいから家にいるな」
 という言外のメッセージである。

「正月くらい、家でゆっくりしたら」
 という愛情あふれる言葉は、ここ何年も聞いたことがないが、長く夫婦をやっていれば、そんなものだろう。

 人生は「独生独死独去独来」なのだ。

 明日は、子供たちが何人か道場に稽古に来る。
 稽古納めの日に、「行っていいか」と問われたのだ。
 私は忙しくてそれどころではないのだが、「稽古したい」と言っているものを、
「ダメだ」
 とは、指導者としては言えない。

「わかった。何時だ?」
「館長は何時がいい?」
「何時でもよろしい」
「じゃ、朝の8時」

 朝8時!
 これには参ったが、「何時でもいい」と言った手前、やるしかなくなったのでる。

 今日29日は、仕事部屋を片づけるつもりで前もって予定を立てていたのだが、道場の床に荷物を広げたのでは、明朝の稽古の邪魔になる。
 資料の整理ができないまま新年に突入するのはマズイと思いつつ、あと2日しかない。
 どうしたものかと考えつつ、次第に面倒くさくなってくるのだ。

投稿者 mukaidani : 17:03

2016年12月24日

今年の稽古は終了。

 昨日は、道場の稽古納め。
 参加は希望者だけなので、子供たち40余名が朝10時から稽古し、そのあと豚汁とお菓子を配る。
 恒例行事である。

 豚汁は愚妻がよそい、手伝いに来てくれた高校たちが配ってくれる。
 私は何もしない。
 道場内の仕事部屋に籠もり、椅子に座ってウトウトしているだけで、これも毎年のことなのだ。

 午後から中・高生10人ほどの有志が道場の大掃除をしてくれる。
 愚妻が、彼らに配るハンバーガーなどを買いに行くため持ち場を離れるので、現場監督を厳命されたが、もとより私に掃除のことなどわかるわけがない。

 換気扇やエアコンのフタの外し方を問われるが、
「ま、適当に」
 と答えるしかない。

「館長、こっち扇風機、フタが取れないんですけど」
「取れないものは取る必要がない」
「だけど、取らないときれいにならないじゃないですか」
「掃除は完璧を目指す必要はない。〝しないよりしたほうがいい〟というくらいで、ちょうどいいのだ」
 と言ったが、誰も相手にしてくれなかった。

 夜は忘年会。
 大人たちはガンガン飲んで賑やかだった。

 こうして今年の稽古も締めくくり。
 これから年末年始にかけ、猛然と執筆である。

 その前に身体をほぐそうとマッサージに行って、いま帰宅したところ。
 何だか疲れて、いまひとつ気合いが乗らない。
「完璧を目指す必要はない。〝書かないより、書いたほうがいい〟というくらいで、ちょうどいいのだ」
 と自分に言い聞かせるだ。

投稿者 mukaidani : 17:02

2016年12月21日

軽はずみこそ「行動の力」

 丹沢(神奈川県の山間部)にある中川温泉に2泊で行ってきた。
 この旅館で9月の合宿を行ったのだが、露天風呂がとても気に入り、年内に来たいと思っていたのだ。

 自宅から3時間足らずと近く、仕事をするのにちょうどいい。
 しかも、この時期の平日とあって、客はほとんどいない。
 風呂に浸かり、仕事もはかどった(と思う)。

 とは言え、やはりこの時期は何だかんだ忙しく、愚妻を自宅に連れて帰るや、打ち合わせのため都内にUターン。
 同じ高速道路を1往復半したので、
「あれ? 今日は何をしたんだっけ?」
 頭がこんがらがる。
 歳は取りたくないものだ。

 歳と言えば、来月は受刑者の面接ため地方の刑務所に出かける。
 毎度のことだが、交通機関のネット予約がうまくできない。
 レンタカーと予約セットとなると、もうお手上げだ。

 自慢ではないが、旅行の予約は愚妻に一任していて、自分でやった経験がないため、どこへも行けない。
 海外旅行なんてとんでもないことで、成田空港の航空会社カウンターでチェックインすらできないのである。

 そんなわけで、刑務所へ行く交通機関の予約は人に頼むことにした。
「自分で行けなきゃ、行かなければいいのよ」
 と愚妻は機嫌が悪い。

 刑務所での面接は任意なので、
「忙しいときに、なぜわざわざ行くのか」
 というわけだ。

 もっともなことだが、誘蛾灯に蛾(ガ)が飛び込むごとく、忙しいときに限って用事をつくってしまう。

 だが、何事も熟考していては、腰は上がらない。
 後先を考えず、軽はずみで行動することも大切だと自分に言い聞かせるのだ。

 拙著『小泉進次郎「先手を取る」極意』が即、重版。
 来年は進次郎が面白くなる。
 私も、軽はずみをもって、さらに面白く生きるのだ。

投稿者 mukaidani : 10:28

2016年12月18日

うまくいきませんな。

 愚妻のことを「トランプさん」と呼んでいる。
「トランプゲーム=ババ抜き」から、「ババさん」という意味だ。

 すると愚妻が怒り、私が不用意にプッとオナラをすると、
「ちょっと、プーチンさん!」
 愚妻にしては上出来の復讐をする。

 かくのごとく、わが家では日常会話に国際政治が飛び交うのだ。

 今年もあと10日余り。
 原稿も追い込みで、歩きながら、風呂に入りながら、稽古指導をしながら頭のなかで書いている。

 魚の丸ごと一匹を「尾頭(おかしら)付き」と言うが、私の場合、「書き出し」と「締めくくり」が決まれば、原稿は出来たも同然。
 だから、机に座ってなくても書けるのだ。

 ただし、頭のなかに書きつけたものは、すぐに消えてしまう。
 だからメモ帳を用意しておく。
 メモ帳を用意すると、頭のなかに浮かんでこない。
 ならばと、メモ帳を持たない。

 すると浮かんでくる。
 そして、すぐに消えて行く。

「うまくいかないのが人生」
 と常々、自分に言い聞かせているが、我ながら至言だと思っているのだ。
 

投稿者 mukaidani : 16:13

2016年12月13日

今年も暮れゆく

 毎日のように外出している。
 たいてい飲食である。
「よく出かけるわね。忙しいんじゃないの?」
 愚妻がイヤ味を言う。

「忙しくても、男には出かけなくてはならない用事があるのだ」
 と、諭(さと)すが、何とやらに念仏で、聞く耳は持たない。

 当面の執筆のほか、読んでおかなければならない資料本が山とあるし、個人的に読んでみたい本もたくさんある。
 DVDも観たい。
 私は喜劇が大好きなのだ。
 奮発して再生機を買ったが、あれから何ヶ月が経つか。
 まだ、一度も再生したことがない。

 道場の2軒隣がTSUTAYA。
 レンタルしてガンガン楽しもうと思いつつ、会員にもなっていないどころか、店内に入ったこともない。

「そう言えば、ギターを全然、弾かないわね」
 愚妻が思い出したようにイヤ味を続ける。

「ボケ防止に買ったのだ。いまのところ、ボケそうもないから弾かないでいるに過ぎない」
 と、諭したが、むろん聞く耳は持たず、無礼者が鼻で笑っていた。

 机の前の年間カレンダーを見やる。
 1年間という日数は、たったこれだけしかないのか。
 今年も忙殺のなかで暮れていく。
 年の瀬になると、毎年、同じ思いに駆られるのだ。

投稿者 mukaidani : 23:35

2016年12月10日

「差別」と「区別」

 空手の指導をしていて、
「女子は筋力が弱いから、突くときは……」
 と説明かけると、
「館長、それって差別だよ」
 小学校高学年の女の子たちから異議の声があがった。

「女子は筋力が弱い」
 というのは、差別だと言うのだ。

 差別に敏感になるのは大いに結構なことで、教育はここまできたと感心しつつも、何でもかんでも「差別」の一言で異を唱えるのは間違いではなかろうか。

 そう思い、
「差別と区別は違う」
 と言ったが、彼女たちは私の弁解と受け取ってか、聞く耳を持たない。

 そこで、こんな話をした。

「男子にだけトイレがあって女子になければ、これは差別。その逆も同じだ。だが、男子にも女子にも平等にトイレがあって、両者を分けて使用するのは、これは区別と言って、差別ではない」

 このたとえに反論はなく、どうやらわかってくれたものと思ったところが、一人の女子が言った。
「どうしてトイレなの?」

 なぜトイレをたとえに出すのか、と素朴な疑問を口にしたのだ。

 これには私も返答に詰まった。
 だが、そこは年の功。
「わかりやすいだろう。ほかにたとえがあったら言ってみろ」
 質問に質問で答える。

 みんな考えていたが、
「ない」
 とギブアップ。
「そだろう。だからトイレなのだ」
 差別と区別が、いつしかそんな話になっていったのだ。

 子供たちは大人が思っている以上に、いろんな意味で知識を吸収していく。
 それは、とてもいいことだ。
 だが、その知識を「自分の価値観」で善悪の二極に判断していく。
「教育」ということについて、考えさせられるのだ。

投稿者 mukaidani : 10:08

2016年12月07日

ラジオ出演と「咳」

 昨日は無事、ラジオ出演(ニッポン放送『土屋礼央 レオなるど』)。
「無事」というのは、ほかでもない。
 ノドのガラガラと鼻づまりである。

 たちまち治ったので、たかをくくって夜、マスクしないで寝たところが、朝起きると鼻が詰まり、ノドがガラガラ。

 このあたり、私のズボラなところなのだ。

 風邪だかアレルギーだか判然としないが、咳が出てしゃべれなくなったのでは、みんなに迷惑をかけてしまう。

 そこで、とりあえず水なしで服用できる龍角散を購入し、道中にかけるマスクは高いやつ奮発したのである。

 スタッフにノドの不調を訴え、温かいカフェラテを注文。

 本番前に鼻を丹念に噛み、龍角散を服用。

 できるたけ声を使わないようにしていたのだが、これがよくなかった。
「じゃ、そろそろ」
 スタッフに声をかけられ、
「はい」
 と返事したところが、声がガラガラ。

 準備運動しないで、いきなり走り出すようなものではないか。
 大事を取り過ぎるのも考えものだと反省しつつ、
「アー、アー、アー」
 と声を出してスタジオ入りした次第。

 テーマは、拙著『考える力を育てる 子どもの「なぜ」の答え方』(左右社)。

「なぜ、勉強しなくちゃならないのか」
「なぜ、人に親切にしなくちゃならないのか」
 といった拙著のテーマでフリートーク。
 パーソナリティの土屋氏に幼い子どもがいらっしゃるというので、楽しい30分だった。
 スタジオ入りする前は「咳が出るとヤバイな」と気になっていたが、いざ始まると、そんなことはどこかに飛んでしまっている。

「案ずるより産むが易し」
 とは、なるほど先人はうまいことを言ったものである。

投稿者 mukaidani : 13:12

2016年12月06日

病気、ウェルカム

 昨日、耳鼻科に行った。
「気温の変化などがノドに影響している」
 という内科医の診断だったので、専門医に診てもらったほうがいいと思ったのだ。

 診察して、耳鼻科医は言った。
「風邪ですな」

 おいおい、ちょっと待ってくれ。
 風邪についてプロの内科医は、
「ノドですな」
 と言ったのだ。

 一方、咽喉のプロである耳鼻科医は、
「風邪ですな」
 と言う。

 それぞれが自身の専門領域において否定し、専門外について診断を下したのである。

 何だかバカバカしくなってきて、
「どうでもいいや」
 と居直ったら、たちまち治ってしまった。

 人間の身体なんて、そんなものですな。

 ちょっとした不調であれば、
「病気、ウェルカム」
 と居直ればいいのだ。

投稿者 mukaidani : 10:32

2016年12月03日

妙な咳が続いて。

 ここ数日、咳が止まらない。
 昨日は朝起きるとガラガラ声。
 風邪か。

 火曜日はラジ出演があるので、これはヤバイと思い、すぐさまかかりつけの医者へ行くと、
「風邪じゃないですな」
 ノドを「ア~ン」させ、のぞきこんで言った。

 気温の変化などがノドに影響しているのだそうだ。

 そんなことは、これまでなかったことではないか。
「どうすればいいんですか?」
「薬を出します」
「治りますかね」
 不躾なことを聞いたので、医者はムッとした顔をして、
「服用してみなければわかりませんな。よくなる人もいるし、かえって悪くなる人もいる」
 医者らしくないご託宣であった。

 帰宅して愚妻に病状を説明すると、
「あっちが痛い、こっちが痛いと言っていたと思ったら、今度は咳なの?」
 妻とは思えぬリアクションであった。

 それでも、少しはよくなったようだ。

 今日は66歳の誕生日。
 加齢につれて、あっちこっちにガタが来ているということか。
 身体のガタは、順調に歳を取っているという証明である。
 何と喜ばしいことか。

投稿者 mukaidani : 18:22