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2016年11月30日

執筆テーマに脈絡なし。

 昨日、京都から帰宅。
 春の桜か、晩秋の紅葉を、京都行きの楽しみにしている。

 ただし、私たち夫婦は、世間とはいささか価値観が違っている。

 日曜日は雨だったので、フツーであれば「あいにくの雨」ということになるのだろうが、
「おっ、雨だ。人が少ないぞ!」
 と、嬉々とするのである。

 しかも朝一。
 紅葉の見どころは、どこも空いていた。

 とは言いながら、厭きっぽい性格なので、毎年となると京都もマンネリ気味で、今回でいちばん楽しかったのは、連日のホテルのサウナ。

 愚妻も同じことを言っていたから、サウナに入るなら、わざわざ京都へ行くまでもあるまいと、これは反省しきり。
 それでも、ま、気分転換になったようで、今朝から仕事に気合いが入る。

 来週、6日(火)は、ラジオのニッポン放送『「土屋礼央レオなるど』に出演する。
 拙著『子どもの「なぜ」に答える』をテーマに、15時から20分ほどのトークだ。

 BS日テレの『久米書店』では「ヤクザ式」がテーマ。
 ラジオでは「子どもと親」がテーマ。
 我ながら、執筆テーマに脈絡がないと思ってはいるが、ま、流れに逆らわずである。

「哲学が面白い」
「トランプ新大統領も面白い」
 と、編集者によって、いろいろ提案してくれるので、いまニーチェと、トランプの自伝を読み始めたところである。
 
 そう言えば、先週末、拙著『続・安藤昇 90歳の遺言』が刊行された。
 来月初旬には『小泉進次郎「先手を取る」極意』が刊行される。
 これも、まったく脈絡がない。

 ついでがら、来週から週刊アサヒ芸能で『英雄たちの「ケンカ兵法」』を連載する。
 1Pのエッセイだが、書いてみたいテーマなので楽しみにしているが、これも執筆に脈絡なし。

 善悪を心に宿すのが人間であるなら、脈絡のない仕事もまた人間的でいいと居直るのだ。

投稿者 mukaidani : 23:41

2016年11月23日

スタッドレスに履き替える

 今夜から関東地方は雪との予報だ。
 明日、都内で打ち合わせがあり、クルマで出かけるが、早々とスタッドレスタイヤに履き替えたので、雪はまったく心配していない。
「積もればいいのに」
 と、身勝手ながら楽しみにしている。

 クルマ関係は愚妻の役目なので、タイヤの履き替えも当然、愚妻が担当する。
 スタッドレスを物置から運び出し、クルマに積んでガソリンスタンドへ持って行ったそうで、
「重くて大変だったんだから」
 と、2、3日前だったか、愚妻がブツクサ言う。

「タイヤは重いに決まっている」
 と言ったのでは、柳眉を逆立てるのは目に見えている。

 トラブルを避けるのが君子の処し方で、私はこう言った。
「それは大変だったな。ご苦労さん。おかげで、冬は安心だ」
 感謝の言葉を口にし、ねぎらった。

 これなら文句はあるまい、と思ったのだが甘かった。

「ちょっと、よく心にもないことが言えるわね」

 結局、何を言っても、私は噛みつかれるのだ。

 

投稿者 mukaidani : 14:17

2016年11月19日

トラブル上等、ウェルカム

 ボブ・ディランが、12月7日に予定されていた恒例の受賞者講演に欠席だとか。

 受賞が決まったときも雲隠れして、何とワガママな奴かと思っていたが、よくよく考えてみれば、これによってディランの名前はますます有名になる。

 ディランだけではない。
 ノーベル賞も連日の報道で、多くの関心を集めている。
 PR換算すると、巨額なものになるだろう。

 東京五輪もそうだ。
 競技会場の〝移転バトル〟で、オリンピックは一気に関心を集めた。

 豊洲市場もしかり。

 小池サンも、森サンも、さらにそこに首を突っ込んで発言する橋下サンも名前がバンバン出てくる。

 そうそう、トランプ次期大統領も過激発言で世界中の関心を集めた。
 フィリピンのドゥテル大統領も、隣国の「将軍様」も、強気のプーチンさんもしかり。

 私がいつも書くように、「悪名は無名にまさる」で、情報社会にあっては、トラブルはウェルカム。
 チャンスなのだ。

 ところが、一般市民はトラブルを避けようとする。
 モメ事はノーサンキュー。
 だから、現実生活に埋没し、埋没することに不平不満をいだく。

 そんな人生はつまらない。
 少なくとも、私はそうだ。

「治にいて乱を忘れず」というのではなく、「治にいて乱を起こす」でありたいと思っている。

 逃避の先には逃避しかない。
 協調は、妥協である。
 だが、立ち向かっていけば、摩擦が起こる。
 この摩擦をトラブルと言う。

 トラブル上等、ウェルカムなのだ。

投稿者 mukaidani : 10:54

2016年11月17日

日本は風になびく草木か

 ロシアが国際刑事裁判所から離脱を表明。
 英国のEU離脱。
 トランプ大統領の「内向き政策」。
 中国の覇権主義、
 フィリピン・ドゥテル大統領の言いたい放題。
 移民問題。
 韓国の政情。
 
 数え上げれば切りがないが、「世界は一つ」というグルーバル化は、「個」へと回帰しつつある。

 振り子が振れるごとく、価値観が同一線上を振れていくものと承知しながらも、情報社会の進展によってそのスピードの早きに驚かされる。
 猫も杓子も中国へなびき、競って進出したのは、ついこの間ではなかったか。

 これから日本はどうする。
 私ごときが心配する立場にはもちろんないが、風になびくのは所詮、草木に過ぎない。
 安倍総理が、トランプ新大統領に挨拶するため、アメリカへ素っ飛んで行った。

投稿者 mukaidani : 14:37

2016年11月15日

今日も「トランプ」

 愚妻が、
「トランプ」
 と言ったので、
「ババ抜きか?」
 とリアクションしたら、えらく怒っていた。

 朝から晩までトランプさん一色。
 愚妻のような政治オンチが気軽に名前を口にするのだから、大した大統領ではないか。

 当選以後、ごく常識的なことを口にするだけで、
「おっ、結構、まともな人かもしれませんね」
 と、評論家がしたり顔でしゃべっている。

 これは、ワルの「ちょっとした善行」と同じ。
 善人の善行は当たり前だが、悪人の善行は過大に称賛される。
 石が沈むのは当たり前で、木の葉が浮いてこそ、世間の耳目を集めるということか。
 トランプには、いろいろ考えさせられるのだ。

投稿者 mukaidani : 00:21

2016年11月12日

「久米書店」

 昨夜は、BS日テレ『久米書店』の放送日。
 稽古から帰宅し、少し仕事をしてから階下の居間に降りた。
 
 テーブルの上に、「にごり酒」の一升瓶が置いてあり、愚妻が切子(カットグラス)でチビチビやっている。
 先日、広島の友人が送ってきてくれたもので、日本酒が大好きの愚妻が独り占めで飲んでいる。

『久米書店』が始まり、しばらくすると、
「ちょっと、あなた、態度が大きいわね」
 愚妻が余計なことを言う。

「あなたがくだらないことをペラペラやるから、久米さん、しゃべることができないじゃないの」
 ケチばかりつけるのだ。

 収録のとき、私自身、ペラペラしゃべるのが気になって、久米さんに「これでいいんですか?」と問うたら、
「全然、大丈夫です」
 と言われているのだ。

 愚妻にそのことを告げると、
「ダメだって言う人、いないでしょう。あなたは何でも真に受けるんだから。そこがダメなところで」
 にごり酒のせいか、番組そっちのけで、私の批判は続いたのである。

投稿者 mukaidani : 11:11

2016年11月09日

トランプ大統領

 今夕の稽古でのこと。
 小学校の高学年の子たちが、
「トランプが大統領になったので、日本は大変だ」
 と騒いでいる。

 驚いた。

 日本の政治については無関心でいるのに、アメリカ大統領選挙にはそこまで反応している。

 テレビの力だ。

 これって、ハロウィンパーティーと同じノリなのだろう。

「クリントンでも、トランプでも、どっちも同じだ」
 と私が言うと、
「違うよ。トランプはアメリカのことしか考えていないんだよ」
 と、口をとがらせる。

 そこまで問題意識があるなら、日本の将来も心強いのだが、ハロウィーンのノリだもんな。
 つまり、メディアというのはこれほどに力がある。
 メディアにどこまでその自覚があるのか、いささか考えさせるのである。

投稿者 mukaidani : 21:46

2016年11月07日

「鬼」という言葉

 このたびの「電通事件」で、「鬼十則」が批判的に取り上げられている。
「鬼十則」は、いまから65年前の1951年8月、電通第四代社長の吉田秀雄がつくったものだ。
 過労とパワハラによる自死はあってはならないことだが、「鬼十則」そのものは決して悪いものではないと思っている。

 吉田秀雄について、私は拙著で触れたことがあるが、「鬼十則」の一例を紹介すると次のようになる。

《仕事は自ら創るべきで、与えられるべきでない》
《自信を持て、自信がないから君の仕事には、迫力も粘りも、そして厚味すらがない》
《摩擦を怖れるな、摩擦は進歩の母、積極の肥料だ。でないと君は卑屈未練になる》
 
 仕事だけでなく、生き方として、励みにも参考にもなるだろうが、表題の「鬼」という言葉が時代にそぐわないのだろう。

 かつて「仕事の鬼」といったように、「鬼」は畏敬の言葉であったが、社会が成熟から後退期に入った現代においては、「鬼」という言葉そのものに拒否反応を起こすのだろう。

 そういえば、子供のスポーツ指導で、学校の先生にとって「頑張れ」という励ましは禁句だとか。
 頑張って倒れたら、責任問題になるからだ。

「鬼十則」も、学校の部活も含め、社会全体が尻を叩いてはいけない時代になったということか。

 過労死にまで追いやるのは論外としても、負荷をかけない生き方をしていていいのだろうかと、古い人間の私はいささかの懐疑があるのだ。

投稿者 mukaidani : 11:28

2016年11月01日

「既読スルー」と「人生」

「人生に不運はない。自分の都合があるだけ」
 齢60余年にして、私が辿り着いた心境である。

 気づくのが遅い気がしないでもないが、これから今まで以上にワガママを言う年代になるので、「自分の都合」という視点は大事だろう。

 では、「自分の都合」にこだわらないようにするには、どうしたらいいか。

 LINEに「既読スルー」というのがあるそうだが、人生もこれと同じで、日々の出来事はすべて、
「なるほどな。スルー」
 と、「既読スルー」すればいいのだ。

 傍観者になるのではない。
「既読スルー」によって、目前の出来事にこだわらず、リセットする。
 リセットして、また新たな時間を過ごし、またリセットする。

『苟(まこと)に日に新たにせば、日々に新た、また日に新たならん』
 と中国古典に言うが、これはひょっとして「既読スルー」のことを言っているのではないかと、執筆に疲れた頭に、今ひょいと浮かんだことである。

投稿者 mukaidani : 22:00