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2016年06月27日

「わしは灯台である」

 快晴だ。
 これは暑くなるだろう。
 午後から都内で編集者と打ち合わせがある。
 着物は単衣か、それとも薄物か。

「おい、どう思う」
 愚妻に問うと、
「好きなものを着て行けばいいでしょ」
 不機嫌な声が返ってくる。

 というのも今朝、愚妻は何を思ったか、歩いて畑に出かけた。
 2時間ほどして、「クルマで迎えに来てくれ」とSOSの電話。
 暑くてフラフラになったという。

 熱中症になって倒れられると面倒なことになる。
 急いで迎えに行き、厳しく叱責したところが、
「あなたが畑をやらないからでしょ!」
 逆ギレである。

 ここまで元気なら、私を呼ぶこともあるまいにと思ったが、言うと〝火に油〟になるので黙っていた。

 畑はこれまで堪能した。
 多くのことも学んだ。
 ほかにやることもある。
 これからは、庭の〝プランター畑〟だけにしよう。
 そう言うと、
「誰がやるものよ」
 愚妻がニラむ。

 灯台は、じっとしていて点滅を繰り返すから存在意義がある。
 ちょろちょろ動いたのでは、灯台の役目を果たさない。
「わしは灯台である」
 厳かにそう告げたが、愚妻にはもちろん通じないのだ。

投稿者 mukaidani : 10:31

2016年06月20日

田中角栄「待望論」

 昨日の日曜日は、小学校の体育館を借りて、年一度の支部交流「演武会」を行った。
 と言っても、私は冒頭の挨拶をするだけで、あとは坐っているだけ。
 役員諸氏がそれぞれ分担してテキパキと進行してくれる。

 私は忘れていたが、今回で第12回だと、実行委員長が言っていた。
 とすると、私が53歳のときに演武会を始めたことになる。
 若かった。
 振り返ってガク然だが、それはそれとして、小さな子供たちが元気に演武するのを見るのは楽しいものだ。
 
 今日は午後から九十九里・御宿の山里にある古民家レストランに出かけた。
 年老いたヤギが繋がれている。
 以前、若いヤギがいたので、その親だろうと思っていたら、
「その若いヤギですよ」
 と、女将さん。
 この一言に、これまたガク然とした次第。

 過日、「角栄待望論」について、産経デジタル「iRONNA」から原稿依頼があり、ウェブに掲載された。

 この原稿を、6月24日付「産経新聞」朝刊のオピニオン面に転載したい旨、夕刻に連絡があった。

 私は「オピニオン」というガラではないが、独断で思うところを書いた。

《私は政治決断に「正解」を求めない。求めるのは政治家の「信念」であり、その信念に私は一票を投じる。言い換えれば、有権者には、それだけの覚悟が求められるということになる》

 という下りは、参院選、東京都知事選の参考になるのではないかと、ひそかに自負している。
 ついでがあれば、ぜひ目を通して戴きたい。

 人間に毀誉褒貶はつきものである。
 石もと追われようとも、田中角栄のごとく、時代の変遷のなかで待望される人間でありたいと思う。
 マスゾエ某に、果たして待望論が起こることがあるだろうか。
「角栄論」は、すなわち「人間論」であると私は思うのだ。

投稿者 mukaidani : 22:11

2016年06月16日

掃除機「ルンバ」

 先ほど都内で取材を受けて帰宅すると、円盤状の妙なものが充電中である。
 見ると、ロボット掃除機「ルンバ」ではないか。
 愚妻が買ったのである。

 愚妻は、メカニカルな新製品が大好きなのだ。
 カメラやビデオ、再生機、ステレオコンポなど、いつのまにか新製品が家にある。

 だが、買うのが趣味であって、使いこなせない。
 ビデオなど一度も撮ったことはない。
 ステレオも、音が鳴るのを聞いたことがない。

 ルンバも、きっと使うまい。

「なぜ無駄なモノを買うのだ」
 叱責すると、
「あなた、ギターを弾くの見たことないわね」
 居直って逆襲に転じる。

 対人関係において、批判がいかに無益なものであるか、私はこうして身をもって悟るのだ。

 いましがた、『安藤昇90歳の遺言』が重版したとの連絡。
 発売2週間だから、堅調のようだ。
 安藤昇人気のお陰である。
 拙著『角栄』2点も、順調に版を重ねている。
 結構なことだ。
「ルンバ」ごときに目くじらを立てることもあるまい。

投稿者 mukaidani : 16:29

2016年06月13日

すべてウェルカム

 相変わらず連日、外出している。
 取材もあれば、取材も受ける。
 今後の僧侶活動について人に会ったりもしている。

 いささか疲れた。

 ところが、愚妻の目は節穴なので、私の努力が見えない。
「ヒマよね、毎日、出歩いて」
 と、嫌味なことを言っている。

「バカ者。1年365日、わしには一日たりともヒマな日はない」
 と叱責するが、
「好きでやっているんでしょ」
 と、ニベもない。

 確かに「イヤなことはやらない」というのが私の生き方なので、これは当たっているだろう。

 今週は「老後の生き方」について取材を受ける。
 二つ返事で引き受けたが、気がつけば私も「老後」を語る年齢になったということだ。

 そう言えば、7月頭には、『名僧たちは自らの死をどう受け入れたのか 』(青春出版)を出版する。

 老後を書いたり、ヤクザを書いたり、角栄を書いたり、まるで雑木林のような仕事ぶりだが、それもまたよし。
 仕事も人生も、「イヤなこと以外」は、すべてウェルカムなのだ。

投稿者 mukaidani : 00:02

2016年06月06日

程々という生き方

 やり始めると夢中になる。
「あなたは程々といことを知らない」
 と愚妻が口うるさく言うが、これは間違い。
 何事もやる以上はトコトンであるべきなのだ。

 いま取材していることがあり、これは5月一杯で終える予定だったが、トコトン追いかけようとするため、なかなか終わらない。
 火曜日は東北に取材のアポを入れた。

 交通の便がよろしくないところなので、クルマで行く。
 現地近くに日帰り温泉を見つけたので、未明に出発し、ここでひと息入れることにしている。

 それはいいのだが、諸々の執筆予定があり、取材を早く切り上げて書き始めなければヤバイことになる。

 あせるから夜中に目が醒めてしまう。
 目が醒めれば寝不足になり、仕事に影響する。
 だから、あせる。
 あせるから夜中に目が醒める。

 悪循環に陥るのだ。

 あっ、ここまでブログを書いて、明日、〆切の原稿があったことを思いだした。
 Webのオピニオン記事で、「角栄待望論」について思うところを書けというものだ。

 これから湯船に浸かって、大好きなスイカを食べようと思っていたのに、それどころでないではないか。
 思いだしてよかったのか、悪かったのか。

 愚妻は、とっくの昔に自分の寝室に引き上げている。
 きっと、高いびきをかいていることだろう。
 それでも「忙しい」を連発し、ウォーキングは私一人に押しつけている。

 愚妻のような生き方を「程々」と言うのだろうか。
 少しばかり考えされるところではある。

投稿者 mukaidani : 00:51