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2016年04月28日

疲れた頭に雑念

 先ほど一冊脱稿し、風呂に入ったところ。
 これを含めて今月は二冊入稿、来週の頭にもう一冊〆切がある。
 よく仕事をしている。

 今日は自宅で仕事をし、居間へ降りていくと、テレビの前に坐っていた愚妻が振り返り、
「ほら、観て。ガラパゴスのイグアナは海底に潜って海藻を食べるのよ」

 ノンキな女だ。
 疲れてフラフラの私は、めまいがしそうになった。

 5月は9日から一週間かけて、道場の床を張り替える。
 床のどこが悪いと言うわけではないのだが、残りの人生を考えると、たとえば5年後、70歳になって床が痛んだ場合、張り替えるだろうか。

 そう考えると、
「いつまで体力が続くかわからないから」
 という理由で、改修はしないに違いない。

 ならば、いまのうちだと思い立ち、
「こういうことも、終活の一環なのだ」
 と、愚妻を諭したところが、
「ちょっと、タダじゃないのよ!」
 怒られた。

 費用がかかることを、すっかり忘れていたのだ。
 それもそのはずで、リフォーム店の折衝もそうだが、世間との関わりはすべて愚妻まかせ。
「結局、怠け者なのよ」
 と、愚妻は私のことを悪く言うが、怠け者なのではない。
 世間の雑事に関心がないだけなのである。

 床の張り替えもいいが、人生は無常。
 5年後を考えている自分は、何と愚かしいことか。
 反省しつつも、浄土真宗は「愚」を自慢することに思い当たった。
 ならば、愚かな私は胸を張っていいのである。
 疲れた頭は、そんなくだらないことが次から次へとよぎるのだ。

投稿者 mukaidani : 15:56

2016年04月22日

ギターを買う。

 ボランティアが続々と熊本入り。
 頭が下がる。
 私など、能書きを言うばかりで、行動が伴わない。
 行動が伴わないなら、能書きを言うのはやめよう。
 能書きは恥ずかしいことだ。

 ギターを買った。
 テレビでギター演奏を聴いて、猛烈に引きたくなった。
「ギターを出せ」
 愚妻に言うと、自分で探せという。
 20年以上、ギターには触っていない。
 どこに入っているのかわかるわけがない。
 自分の下着だって、どこにしまってあるかわからないのだ。

「買おう」
 私が言う。
「ダメ」
 愚妻が即座に反対する。
「買うぞ」
「うるさいからやめて」
「指先を動かすから、ボケ防止にいいという話だ」
「買えば」
 かくのごとく、現実主義者なのだ。

 実を言うと、ギターが届いて10日になる。
 忙しくて、梱包を解く時間もない。
「ボケ防止はどうしたの?」
 愚妻がイヤ味を言う。

 ドレミから練習し直さなければならない。
 何となく気が重くなっている。
 衝動買いは、気が抜けるのも早いのだ。 

投稿者 mukaidani : 16:23

2016年04月18日

地震の備え

 まさか、熊本を地震が襲うとは思いもしなかった。
 テレビニュースを見れば、お気の毒としか言いようがない。

 と同時に、わが家の地震の備えが気になった。
「非常時の用意をしておけ」
 と愚妻に命じると、
「してあるわよ」
 との返答。

 リュックに詰めて、玄関の隅に置いてあるのだそうだ。
 携行食、水、医薬品、携帯トイレまで入れてあるという。
 しかも、外へ飛び出るときの衣類は、自分のベッドの下に入れてあるそうだ。

「わしの服は?」
「あなたのことまで知らないわよ」
「パジャマで飛び出るのか?」
「好きにすれば」

 夫婦なんて所詮、他人同士が一つ屋根の下で暮らしているに過ぎないという現実を、あらためて認識した次第。

 天変地異は、いつ、どこで起きるかわからない。
 したがって、それにどう対処し、準備するかということよりも、
「いつ見舞われても悔いなし」
 という覚悟をもって、今日を生きていくことのほうが大切なのではないか。

 愚妻にそのことを言うと、
「準備するのが面倒なだけでしょ」
 一つ屋根の下で暮らす〝他人〟は、どこまでもクールなのだ。

投稿者 mukaidani : 15:52

2016年04月14日

「長距離」を全力疾走

 徹夜がきかなくなった。
 火曜の明け方に原稿を渡したが、今日まで2日間、脳ミソのキレが悪く、やっと調子がもどってきた。

 執筆はマラソン競争のように見えて、実は短距離走。
 いや、正確に言うと、短距離走のスピートで長距離を走るということだ。

 だから疲れる。
 疲れるが、長距離を全力疾走しなければ、いいタイムは出せない。

「くたびれた」
 と愚妻に言うと、
「忙しい人は睡眠時間4時間なんだって。あなた、もっと寝てるんじゃない?」
 憎まれ口を叩くのだ。

「バカ者! わしは仕事以外の用事が多すぎるのだ」
「勝手にやってるんでしょ」
 そして、
「栄養剤でも飲めば?」

 愛情の欠片(かけら)もない。
 いや、愛情の「本体」がないのだから、「欠片」があるわけがなかろう。
 論理的に考えれば、そういうことになると、納得するのだ。

 いま双葉社の編集長から電話で、『田中角栄 相手の心をつかむ「人たらし」金銭哲学』が三刷りになったとのこと。
 びっくりするような増刷部数を聞いて、にわかに気合いが入る。
 自分のことながら、人間はかくのごとく、現金なのだ。

投稿者 mukaidani : 12:59

2016年04月10日

違法カジノを考える

 バドミントンの桃田賢斗選手が、違法カジノ賭博問題でヤリ玉にあげられている。
 21歳という年齢を考えれば、指導者は日常生活においてどう指導していたのか、責任の一端は問われるだろう。

 それはそれとして、今回の一件は、「罪とは何か」ということを考えさせられる。

 賭博は、「行為」そのものが悪いのか、「違法」だから悪いのかという問題だ。

 競馬や競輪は「合法」なのでOKということは、賭博は行為そのものが悪いのではないということになる。

 だが殺人は、たとえ違法でなくても「罪」である。
 危険薬物だって同様だ。
「ならば賭博はどうなのか」
 と考えさせられるのだ。

 カジノ法案が叫ばれて久しい。
 日本にラスベガスのようなカジノをつくろうというのだ。

「賭博は悪くない」
 とするなら、賭博行為を民間に公認すればよい。

 これこそ民活であり、規制緩和ではないか。
 雇用も創設できるし、みんな張り切ってギャンブルをするだろうから、一億総活躍社会になる。

 メディアの「桃田バッシング」を見ていると、そんな皮肉も言いたくなるのだ。

投稿者 mukaidani : 10:48

2016年04月05日

頭の奧の覚醒

 先ほど、マッサージ屋に行ったら、
「ずいぶん首が凝っていますね」
 と言われた。

 そりゃ、そうだろうな。
 原稿を書きっぱなしなので、首も肩も腰も凝るだろう。

 眠っていても、4時間もしないうちに目が醒めてしまう。
 へたすりゃ、2時間だ。
 頭が疲れているはずなのに、頭の奥深くは覚醒しているのだろう。

『田中角栄 相手の心をつかむ「人たらし」金銭哲学』が重版である。
 これも発売2週間余りなので、出足は好調のようである。

 こうなりゃ、ガンガンいくだけである。

投稿者 mukaidani : 17:50