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2016年03月30日

幸不幸は表裏一体か

 このところウォーキングはご無沙汰である。
 忙しくて寝る時間も満足にないのだから、これはやむを得まい。
 だが、寝不足は頭が疲れてしまい、能率が悪い。
 規則正しい生活が結局、正解ということか。

 頭が疲れてくると、いろんな言葉が浮かんでくる。
 一種のトランス状態か。

 いま、ひょいと浮かんだのは「非表非裏(ひひょう・ひり)」。
 親鸞さんの「非僧非俗」をもじったもので、
「表に非ず、裏に非ず」
 という意味だ。

 表の反対は裏ということになるが、「非表非裏」だと、「表に非ず、裏に非ず」だから、そうはならない。

 つまり、幸福の裏に不幸があるわけでもなければ、不幸の表に幸福があるわけでもない。

「幸不幸は表裏一体である」
 というのはウソで、表も裏も、そのまた裏も、何度ひっくり返しても不幸ばかりということもあれば、その逆もある。

 頭が疲れてくると、そんなことも考えるのだ。

投稿者 mukaidani : 06:00

2016年03月25日

不倫はヤバイですな

 乙武洋匡氏の不倫騒動。
「どう思うか」
 と、愚妻に尋ねると、
「悪いに決まっているでしょ」
 言下のもとに斬り捨てる。

「なぜだ」
「当たり前でしょ!」
 目を吊り上げてから、
「あなたもしたいの!」
 いきなり論理をすり替えて責めてくる。

 主婦(と言っても、愚妻はいささか歳をくっているが)にとって夫の不倫は、問答無用の「悪事」なのだ。

 自民党が、参院選候補の目玉とした乙武クン擁立に、黄色信号が灯るのも当然だろう。

 それにしても、どうしてこうも「不倫」がヤリ玉にあげられのだろうか。
 周知のように性の開放はどんどん進み、夫婦別姓の論議や、女性の自立の進展など、「夫婦」の結びつきは希薄化をたどっている。
 ところが、その一方で、「不倫」は激しく非難されるのだから、その精神構造はよくわからないですな。

 執筆のため、いま名僧たちの半生を読み込んでいるが、今朝は「西行」に取り組んでいる。
 西行は出家するに際して、家族を断ち切るため、すがりつく幼い娘を縁側から蹴落としている。

 かつて「浮気は男の甲斐性」と言われたものだが、いまの時代、不倫するときは西行の覚悟が必要なのだろうと、資料を読む途中で雑念がよぎるのだ。

 新刊『ヤクザ式 心理戦に勝つ「ものの言い方」』が、発売2週間で重版決定。
 仕事に追われて、私の場合は不倫どころではないのだ。

投稿者 mukaidani : 10:41

2016年03月21日

幸福は、お金では買えないか

「幸福は、お金では買えない」
 という。

 そのとおりだと思う。

 だけど、このセリフを口にするのは、お金に無縁の私たちであって、金持ちはそんなことを言わない。

 このあたりに、まやかしがある。

 お金がない人は、幸福が売りに出ていたとしても、ハナから買うことはできないのだから、
「幸福は、お金では買えない」
 というセリフは、金持ちが口にして初めてリアリティーを持つ。

 その日を生きていくだけの少ない給料で幸福が手に入るのなら、賃上げなんて必要あるまい。

 格差社会という批判に対して、
「いいですか、みなさん。幸福はお金では買えないんですよ」
 と安倍総理が言ったとしたら、大騒動になるだろう。

 よくよく見渡すと、世のなかには、こんなまやかし言葉がいくらでもあるのだ。

投稿者 mukaidani : 00:22

2016年03月17日

悪名は、無名に勝れり

「このゲス野郎」
 と言われるのは、最大の侮辱だったはずなのに、いまや〝勲章〟になってしまった。

「このゲス野郎!」
「あっ、川谷クンね」
 と、こんな調子である。

 ゲスは、「下種」あるいは「下衆」と書き、
「身分の低い者」
「心や性質のいやらしい者」
 という意味だ。

 それが本来の意味を離れて、「あっ、ゲスの川谷クンね」になってしまう。

 名前がひとたび売れれば、それが本来はどういう意味であれ、固有名詞として社会に認知されるということ。
 私がいつも書くように、「悪名は、無名に勝れり」とはそういうことなのである。

投稿者 mukaidani : 09:10

2016年03月11日

「本末転倒」を考える

 パソコンのモニターを、二枚並べて使い始めた。
 左の画面で資料を見ながら、右の画面で原稿を書くことができるので、これは便利だ。

 ところが、二枚並べると、これを何とか使わなければと思ってしまう。
 一画面ですむ仕事も、もう一画面を使おうとするのだ。
 で、余計な手間がかかり、本末転倒になってしまう。

 便利というのは、よくよく考えないと、それに振りまわされて不便になるということ。

 スタッドレスタイヤもそうで、せっかく履いているのだから、「雪道を走らなくては」と思ってしまう。

 ウォーキングもしかり。
 シューズやステッキなど、あれこれそろえたのだから「歩かなくて」は思ってしまう。

 これらは一例だが、よくよく考えてみると、本末転倒の処し方が日々を忙しくしていることに気がつく。

 生きて、そして死ぬ。
 人生は実にシンプルであるのに、生き甲斐だの、充実した人生だの、幸福だのと余計なことを考えるから、息苦しくなってしまう。
 これも本末転倒のなせるワザだろうと思うのだ。 

投稿者 mukaidani : 08:24

2016年03月03日

「ウソ」と「正直」

「消費税アップの再延期は絶対しない」
 と明言していた安倍総理が、モゴモゴ言い始めた。

 景気が悪いままだと、再延期はあるかもしれない。

「じゃ、安倍はウソをついたのか」
 となれば、
「いや、あのときは本気でそう思っていた」
 と反論するだろう。

 これが「ウソのレトリック」である。

 その時々においては「正直」であっても、そこに一貫性がないことを「ウソ」と言う。

「キミを一生、幸せにする」
 と言って結婚し、すぐに離婚しても、
「あのときは本気でそう思っていた。ウソじゃない」
 という理屈だ。

 もっともらしいが、これを「ウソ」と言うのだ。

 そして、反対にウソをついていても、それが一貫していれば「正直」と言う。

 ウソが正直になり、正直がウソになる。
 ウソとは何か、正直とは何か。
 考えいくと、なかなか深い意味を持っているのだ。

投稿者 mukaidani : 23:57