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2015年08月29日

短い人生、急ぐべし

 今朝は雨のため、ウォーキングは中止。
 始めたころは、雨が降るとホッとし、そのまま寝床に潜り込んだものだが、いまはその逆で、雨にはガッカリする。
 習慣とは、げに恐ろしいものである。

 言い換えれば、何事も習慣にしてしまえばいいということになる。
「継続は力なり」
 とは、実は「習慣化」という力ではないかと考えたりもするである。

 昨朝は、曇り空の下をウォーキングしたが、路肩の雑草に朝露がほとんど付着していなかった。
 これには新鮮な驚きで、季節の移ろいをこうした形で実感できるとは、なんとも贅沢でハッピーな気分である。

 明日は、神奈川県の相模原市に出かけるので、早朝散歩は中止。
 執筆スケジュールとニラめっこで、原稿の進行が気になるが、約束したことである。
 というのも、慢性的に忙しいので、アポは手帳に余白がある早い時期にどんどん入れるため、結局、アポに追われることになるのだ。

 映画の予定も何本か入れてあるし、絵画のモネ展の予定も入れた。
 そんなものは中止にすればすむことだが、「忙しい」を理由に、一度決めたことを変えるのは性格に合わないのだ。

 私は、何事においても「やり切ってみせる」を信条にしている。
 愚妻は、
「意固地なだけ」
 とあきれているが、意固地で結構。
「我は我なり」の心意気である。

 そんなわけで、どんどこ予定を入れるのだ。
 メシを食う予定も、年内の泊まりがけの予定も入れた。
 来年の予定も入り始めた。

 かつては「来年のことを言うと鬼が笑う」と言ったものだが、スピード社会になったいま、鬼は笑うどころか、時間を先取りする私たちにあきれていることだろう。

 昔の交通標語をもじって、
「短い人生、そんなに急いでどこへ行く」
 という言葉が、いまひょいと浮かんだが、これは間違い。
 人生は短いからこそ、急ぐべきではないのか。

「短い人生、尻に火を点け全力疾走」
 というのが正解のように思うのである。

投稿者 mukaidani : 22:03

2015年08月27日

「黙秘権」ということ

 寝屋川市の中学1年の男女が遺体で見つかった事件のニュースを読んでいて、逮捕された容疑者の「黙秘権」について、解説が載っていた。

 いわく、憲法38条1項において、
『何人も、自己に不利益な供述を強要されない』
 と定めてあるのだそうだ。

 要するに、都合の悪いことは黙っていて構わないと、憲法で保証されているわけですな。

 私が子供のころは、
「悪いことをしたら進んで謝りなさい。バレないからと言って黙っているのは卑怯な人間だ」
 と言われて育ったものだが、
「何だ、あの躾(しつけ)は、憲法違反だったのか」
 と皮肉の一つも言いたくなってくる。

 倫理は、憲法や法律を超えて「人としの尊厳」に関わるものだし、その考えはもちろん変わらないが、実生活でいざコトを起こせば、法律で裁かれ、倫理など吹っ飛んでしまう。
 これをもって「公平な世のなか」とするなら、何ともイヤな時代である。

 いま夜中の2時30分。
 昨夜、雨が降っていたので、早朝ウォーキングは中止になると考え、この時間まで仕事をしている。

 今朝(といっても昨日になったが)、僧侶の大先輩に会って、いろいろお話をうかがった。
 来年に向け、諸々の仕込みをしているが、時間がいくらあっても足りない。
 今日の午前中は、保護司の研修会。
 夕方からも保護司関係の用事が2件。
 パスしたいところだが、責任上、そうもいかない。

 ついグチも出てくるが、こういうときこそ、自分に対して「黙秘権」ということか。

投稿者 mukaidani : 02:31

2015年08月20日

直感に従う

 私は、直感で動く人間である。
 愚妻は、
「ワガママなだけよ」
 と冷笑するが、それは違う。

 目に見えない「何か」は確かに存在する。

 それを「運気」と呼ぶか「勘」と呼ぶか、あるいは「虫の知らせ」と呼ぶかはともかく、人間には何かを予知する能力があるのだろう。

 昨夜のことだ。
 夜の9時過ぎに稽古が終わり、道場のシャッターを閉めようと思ってカギを手に取ったのだが、ふと誰かが来そうな気がした。
(そんなバカな)
 と苦笑したが、何しろ直感で動く人間だ。

 シャッターを閉めるのは後回しにして、道場の床を拭き始めたところが、
「今晩は」
 と若者が入って来たのである。

 昨夜、外国人と日本人の若者が体験稽古に来たので、彼らが引き返してきたのかと一瞬、思ったが、違った。

 小・中学と稽古に来ていたI君だった。
 さて、何年ぶりだろう。
「通りかかったら、道場の灯りがついていたので」
 と言う。
 アメリカに留学していたそうで、また空手の稽古を始めたいとのことだった。
 1時間半ほど話し込み、楽しかった。

 と同時に、「誰かが来そうな予感」はどこから来たのだろうかと、不思議に思ったのである。

「直感は過たない。過つのは判断である」
 というギャンブルの格言があるが、なるほど、と感じ入った次第。

 一昨日は映画『ジェラシック・ワールド』を観に行った。
 今日は東京都美術館へ出かける。
 〆切が続いていて、それどころではないのだが、これも直感に従っての行動である。
 何かがあるような気がするのだ。

投稿者 mukaidani : 11:15

2015年08月14日

五輪エンブレム騒動に思う

東京オリンピックの公式エンブレムで、デザイナーの佐野研二郎氏が逆風にさらされている。
また周知のとおり、佐野氏にデザインを依頼したサントリーは、佐野氏から申し出があったとして、キャンペーン景品のトートバッグのうち8種類を取り下げた。

 佐野さん、ヤバイ気分だろうな。

 デザイン論について私は門外漢で、エンブレムにしろトットバックにしろ、これが法律的・道義的にどう問題になるのかはわからないが、一見して、
「似てるよな」
 というのが、私だけでなく、率直な感想だろう。

 プロのデザイナーの中には、
「アニメキャラの見分けがつかないオカンと同じ」
 として、五輪エンブレムの盗作疑惑に反論し、佐野氏を擁護しているが、これはいただけない。

 なぜならエンブレムは、デザインにはシロウトの一般大衆が見るものであって、シロウトが見て、
「似てるよな」
 と思えば、それはパクリと思われても仕方があるまい。

 ま、それはそれとして、今回の騒動に、私は別の感慨をいだく。
 佐野氏は、作品が五輪エンブレムに採用されたからこそ、バッシングにさらされている。
 五輪に採用さえされなければ、トップデザイナーとして今も、これからも活躍し続けることができるだろう。
「人間は得意の絶頂でつまずく」
 とは、先人はよく言ったものだ。

 そんなことをツラツラ考えると、「得意の絶頂」とは無縁で、「その他大勢」でいたほうが、人生は気楽で、結局、ハッピーなのかもしれない。

 そんな思いがよぎるのは、このところ幕末に興味があり、明治維新関係の本を読んでいるせいかもしれない。
 つまり、「歴史に名をとどめることにどれほどの意味があるのか」という懐疑である。

「平凡であること」「その他大勢であること」は、実は人生の勝者ではないかと考えたりもする。

 そんなときに、五輪エンブレムの盗作騒ぎ。
「得意の絶頂」を目指して努力し、最後は「得意の絶頂」でつまずく。
 人生とは、何とも皮肉なものではないか。

投稿者 mukaidani : 08:53

2015年08月09日

「おもてなし」は大嫌いだ

 温泉施設の多くは、
「刺青、タトゥーのある人の入浴はお断り」
 となっている。

 当然だろう。
 刺青は反社会的とされる人たちの象徴であるからだ。

 当のヤクザ諸氏も、私の知る限り、それに対して特段の反論はしない。
 なぜなら、刺青を背負うということは、カタギでなくなるという宣言であり、この時点で、
「カタギと同じ社会生活は送らない、送れない」
 とハラをくくり、このハラのくくりにヒロイズムがある。

 だから、いっぱしの兄ィは、
「刺青を入浴させないのは差別だ」
 といった小賢しいことは言わない。

「自分たちはカタギとは違う」
 という矜持があれば、
「カタギと同じ扱いをしろ」
 というのは、矛盾ということになる。

 なぜ、こんなことを書くかと言えば、外国人観光客に人気の温泉地が、「刺青・タトゥー」問題に頭を悩ませているというニュースを読んだからだ。

 タトゥーのある外国人観光客に対して、入浴を認めるかどうか。
 これを認めれば、日本人で刺青をしている面々もなし崩し的に認めざるを得なくなってしまう。
 だから、「異文化と風紀維持とのはざまで〝おもてなし〟を模索する取り組みが続いている」とニュースは報じる。

 バカな論議だ。
「郷に入れば郷に従え」
 というがごとく、温泉施設で「刺青・タトゥーお断り」であれば、観光客がそれに合わせるのだ。
 タトゥーがあれば、温泉はあきらめる。
 気の毒ではあるが、それが「異文化」を認め合うということである。

 東京オリンピック誘致のプレゼン以後、
「お・も・て・な・し」
 という言葉がはやっているが、「もてなす」とは、
「心をこめて客の世話をする」
 という意味であって、何でもかんでも客に迎合するという意味ではない。

 私の〝ひねくれ根性〟から見れば、「おもてなし」という言葉の背後に、
「商魂」
 というものを感じる。

「外国人観光客に来て欲しい、でもタトゥーは困る」
 という悩みの根底にあるのは「商魂」であろう。

 心から〝おもてなし〟をしたいのであれば、温泉施設が金を出し合い、外国人観光客専用の共同浴場をつくり、無料で開放すればいいのだ。

 たまたま温泉施設をニュースで読んだので俎上にあげたが、みな似たり寄ったり。
 中国人観光客の〝爆買い〟を嘲笑しつつ、モミ手して商売にしているのは誰だ。

 東京五輪が決まって以後、「観光立国」に拍車がかかっている。
 外国から来ていただくのは、もちろん結構なことだ。
 だが、モミ手しながら、
「ネコも杓子もいらっしゃい!」
 ということでいいのか。

 私は「お・も・て・な・し」という流行語が大嫌いである。

投稿者 mukaidani : 11:52

2015年08月06日

安倍ちゃん、ちょっとヘン

 昨日は仙台松島の日帰り温泉に浸かって30分ほど時間調整し、面談を30分で切り上げて夕方帰宅。
 そして、9時まで稽古。

 クルマの運転は疲れますな。

 それでも今日は8月6日。
 広島で平和記念式典が行われ、テレビ中継を見ていた。
 安倍首相の挨拶に注目していたが、なぜか非核三原則に触れなかった。

 このことについて、菅義偉官房長官は記者会見で、
「非核三原則はある意味当然のことであり、全く揺るぎない」
 と強調。
 首相周辺も、
「国是であり、わざわざ書かなくても分かる。全体を読めば反核の精神は理解してもらえるだろう」
 と話したニュースが報じている。

 わかっていることについては、わざわざ口にする必要はないとするなら、
「命を大切にしよう」
 という必要もない。

「戦争はよくないこと」
 という必要もない。

「お互い、助け合って生きていこう」
 という必要もない。

 私たちが口にする言葉のほとんどが、わざわざ言う必要がないものばかりであり、わざわざ言う必要のない「自明の理」が行動につながらないから、
「わざわざ、そして何度でも口にする」
 ということなのである。

 安倍首相も自民党も、どうかしているのではないか。
 そろそろ政権の賞味期限が切れそうである。

投稿者 mukaidani : 15:15

2015年08月04日

沖縄から帰宅

 沖縄県古武道連盟主催の「世界古武道大会」が無事、終了。
 昨夕、沖縄から帰宅した。

 競技種目は釵、棒の型演武と、棒の組手。
 少年の部から壮年の部まで男女別4階級8競技に別れており、わが昇空館から25名がエントリーし、優勝、準優勝など予想以上の結果であった。
 大会出場を決めたのが昨年9月の合宿時で、それから約1年かがりで練習してきた成果ということか。
 まずは、ひと安心である。

 もっとも、私はと言えばただの〝付き添い〟で、頑張ったのは選手諸君だが、終日、ハラハラしながら試合を観戦するのも疲れるのだ。

 そんなわけで、ホテルへ帰ると精神的にぐったり。
 ちっとも仕事が進まない。

 ハワイが1週間、沖縄が4日間、さらに明朝10時に仙台で約束があり、未明にクルマで出発する。
「原稿〆切」というハードルを、全力疾走で飛び越えていかなければならないのだが、あれやこれやと用事があって、スピードが上がらず失速状態。

(ヤバイな)
 と思いつつも、これまで何とかなってきたのだから、これからも何とかなるだろう。

 私の持ち味はこの「楽観」にあると、いま自分に言い聞かせているところなのだ。

 

投稿者 mukaidani : 11:37