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2015年07月29日

要は「視点」の問題である

 拙著『人は理では動かず情で動く 田中角栄 人心収攬の極意』が3刷りになった。

 田中角栄の「人心収攬術」については、以前から書いてみたいテーマであり、何人か編集者にも話してみたが、一応に「いまさら角栄ですか」といった顔をした。

 そんな中で、旧知であるベストブック社のT社長だけが、
「面白いね」
 と言ってくれた。

 確かに角栄は「いまさら」のテーマだが、実は何事においても「いまさら」に妙味があるのだ。
「いまさら」とか「当たり前」と思っているのは、それを見る視点が「いまさら」であり「当たり前」であるということに過ぎず、ちょっとスタンスを変えるだけで、驚くほど新鮮に見えるものだ。

 今朝もウォーキングしながら、同じ道であっても、その日の心の持ちようによって、風景は千変万化して見えることにいまさらながら感動した。

 何事も「視点」の問題だと気づいたとき、これまでボツになった企画やテーマが息を吹き返し、新鮮に見えてくるのだ。

投稿者 mukaidani : 15:30

2015年07月22日

季節を満喫

 1週間ほど留守したお陰で、連日のアポイント。
 たいした用事でもないのだが、こうして死ぬまで世間と関わっていくのだろう。
 それはそれで、よしとするか。

 今朝も、ウォーキングである。
 これまで私が5時に愚妻を起こしていたが、慣れとは恐ろしいもので、いまは私と同じ4寺30分には起床して、とっとこ着替えている。

 そういえば、愚妻はハワイにもウォーキングの服装を持参していて、
「歩くんでしょ?」
 と告げられたときには、ギョッとした。
 コケの一念という言葉があるが、さしずめ「愚妻の一念」といったところか。

 今朝、ウォーキングしていると、紫陽花がまだ咲いていることに驚いた。
 梅雨が明けて出番が終わるというのに、頑張っているではないか。
「見ろ、紫陽花が咲いておる」
 指さすと、
「枯れてるのもあるじゃない」
 と愚妻が興ざめのことを言う。
「バカ者!」
 と叱りつけて、はたと気づいた。

 ここなのだ。

 私は何事もポジティブな部分しか見ないが、愚妻はネガティブな部分に目が行くということなのである。

 生き方としては、どっちがいいかはわからないが、人生、ポジティブな部分しか見ないほうがハッピーではないのか。

 そんなことを考えながら、私はいつものように小橋の手前で愚妻と別れて陽の当たる「悟りの道」を、愚妻は日陰になっている「煩悩の道」を往く。

 遠目に、「煩悩の道」をウォーキングしている人が多く、陽の当たる「悟りの道」を往くのは私のほか数人しかいない。

 暑いからといって日陰を歩く、その生き方が私は気にくわない。
 真夏は、とことん暑い中を歩けばいいのだ。
 これをポジテイブに考えれば、「季節を満喫する」と言うのだ。

   

投稿者 mukaidani : 10:36

2015年07月19日

一を聞いて、十を悟る

 愚妻とハワイへ1週間ほど出かけ、昨夕、帰ってきた。

 8月1日に古武道世界大会があり、うちの会から30名ほどが出場するので、来週末から沖縄へ行かなければならないし、今夏は何だんかんだと忙しいので、早めの夏休みである。

 とは言っても、ノートパソコン持参。
 場所がハワイに変わっただけで、私の場合、やっていることは自宅にいるのと同じである。
 これなら、日帰り温泉のほうが、のんびりしていい。
 馴れぬ英語で、気をつかうこともないし。

 そういえば、フロントの中年女性が待たせたあげく、英語でペラペラ。
 イラついていた私は、
「エッ! 何ィ!」
 でかい声を出したら彼女が驚いてしまい、あせったのだろう。
 余計、早口でペラペラになってしまった。

 あとで愚妻が、
「どうして、あんな言い方をするのよ。あなたが怒っているのかと思って、ビックリしてるじゃないの。いつもそうなんだから」
 とブツブツ。
 私は何かにつけて、誤解を受けやすいのだ。

 海外に出るたびに、英語を勉強しようとする。
 いろんな英会話学校にも行った。
 凝り性の私は、何冊も英会話本を持っている。

 でも結局、単語を並べればこちらの意は通じるし、キィーワードから、相手の言わんとすることはわかるのだ。

 レストランで、メニューを指さし、
「Why?」
 と問えば、ペラペラの説明の中に、
「ステーキ、ロブスター、コンビネーション」
 というキィーワードを耳にすれば、一緒盛りだとわかる。

 英語なんて、ちょろいもの。
 私は、一を聞いて十を悟るのだ。

投稿者 mukaidani : 10:36

2015年07月11日

人生、完全燃焼である。

 昨日、マッサージに行って、首を中心にじっくり過ぎるくらい施術してもらった。
 そのせいか、頭がボーッとしている。

 実は、その2日前も同店に行って、やってもらったばかり。

 それが、施術2日目にして予約を入れたのだから、
「あのう、どうかしましたか?」
 マッサージ師としては、自分の力量がなかったのかと、いささか狼狽していた。

 彼のせいではない。
 徹夜がこたえたのだ。
 諸事情があり、急いでゲラの直しをやらなければならい。
 また、こういうときに限って、前もって打ち合わせを何件も入れている。
 道場での指導もある。

 そんなわけで、フラフラ状態になったという次第。

 もう、若くはない。
 若くはないが、漫然と生きるのはつまらない。

 会社に「定年」はあっても、人生にそれはない。
 むしろ60代からが「人生の本番」ではないかと、最近、思うようになった。
 死ぬまで働き、社会と積極的に関わりをもって生きていこう。
「人生は、完全燃焼であるべきだ」
 とマッサージ台で思うことであった。

投稿者 mukaidani : 10:26

2015年07月06日

桂銀淑の逮捕

 これまで、いろんな方を取材してきた。
 政治家から実業家、ヤクザ、芸能人、フーゾク関係者まで、社会の表裏のすべての分野に及ぶ。

 それぞれの分野で名を成した人の話は、とても勉強になった。
 そういう意味で、週刊誌記者をやったことは大きな財産だと思っている。

「アポイントは絶対に動かさない」
 とおっしゃった著名実業家の言葉は〝目からウロコ〟だった。

 先約があり、あとから自分にとって大事な人からアポが来とする。
 となれば、大事な人のアポを優先して、先約をズラそうとするが、
「それはダメだ」
 とおっしゃった。

「打算で動くな」
 ということだ。

 あるいは、
「持ち上げるのも大衆なら、地に叩きつけるのも大衆だ」
 と溜息をついた有名タレントもいた。
 人気を得ようと渾身の努力をし、人気がなくなればタレント生命は終わるというわけで、
「ファンは有難くも、これほど怖い存在はない」
 と言った。

 演歌歌手として一世を風靡した桂銀淑が、覚醒剤使用で韓国で逮捕された。
 彼女が人気絶頂のころ、彼女が自伝を出版するにあたり、当時、編集企画会社をやっていた私は、お手伝いをしたことがある。

 京都のホテルでディナショーを終えたあと、彼女はスタッフを前に声を荒げ、憤懣をぶちまけた。
 ショーの進行に不手際があったのだろう。
「私が命懸けで歌っているのに、あなたたちはそれに応えてくれていない!」
 というわけだ。

 その彼女が2007年、覚醒剤で逮捕され、日本の芸能界から消えて行き、このたび韓国でも逮捕された。

 ショーの構成ひとつに命懸けで取り組んでいた彼女の姿が鮮明に記憶に残る私は、人間の、人生の危うさを思わないわけにはいかない。

「なんてバカなことを」
 と言うのはたやすいが、バカなことをしでかすのが人間である。

 順風に背を押されているうちはいいが、風向きの角度がちょっと変わるだけで、たちまち「逆風」になるのだ。

投稿者 mukaidani : 10:40

2015年07月02日

駅頭でウチワ配り

 昨日は午後6時から、「社会を明るくする運動」で駅頭に立ち、タスキ掛けでウチワとチラシを配った。
 何だか恥ずかしいが、保護司活動の一環であり、欠席するわけにはいかない。

 小学生の稽古を途中で抜けて出かけるが、ウチの子供たちは、指導者が不在でも、上級生がリーダーになってやってくれる。
「やらされる稽古」から「やる稽古」へというのが私の方針なので、ありがたいことに、これは何とか根付いたようだ。

 ただ、ケガがあってはいけないので、私が不在のときは、事務長たる愚妻が腕組みして椅子にすわり、眼を光らせている。
 存在感というのか、これはなかなかの迫力である。

 そんなわけで駅頭に立ったのだが、私が差し出したのでは、誰もウチワを受け取ってくれない。
 さしもの私も、これにはいささか傷つき、道場にもどってそのことを愚妻にこぼすと、
「あなたは人と向かい合うと、ケンカ腰になるから」
 と言われた。

 確かに、それはあるかもしれない。
 ゲートを飛び出た競走馬が競うようなところが、私にはある。
 だから、やせ我慢は得意だし、 チキンレースには自信がある。

 だが、ウチワ一つ受け取ってもらえないようでは、ちとマズイかろう。

 そんなわけで、反省しきり。
 人間は何歳になっても完成はなく、反省の日々ということか。
 そういえば、
「反省するだけならサルでもできる」
 というのがあったっけ。

 何かというと反省するわしは、サルなのか。

投稿者 mukaidani : 23:39