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2015年03月28日

ボケてきたか

 あわただしい日々が続く。
 雑用の合間を縫うようにして原稿を書いているので、日帰り温泉も、映画も、早朝散歩も、食事も、とんとご無沙汰。
 週に一度はマッサージに行くつもりにしているが、その時間も取れない。

 4月4日は、高校の同期会があって呉市に出かける。
 パスしたいところだが、道場が春休みであり、友人が幹事をやっているので顔を出すことにした。
 もちろんトンボ帰り。
 競泳選手のターンのようなものである。

 仕事以外に懸案もあり、これを何とかしなければならないのだが、ここしばらくは、どうにもなるまい。

 そういえば、庭のプランタンはどうなっているのだろうか。
 まだ一度も見ていないことに、いま気がついた。

 桜の開花をニュースで伝えている。
 散る前に観に行かなくては思いつつ、去年、花見をしたのかどうか思い出せない。
 京都に行ったような気もするし、行かなかったような気もするし。
 比叡山に登ったら、まだ開花前だったことがあるが、あれは去年か一昨年か。
 頭がボケてきたのか、「過去」に関心がなくなってきたのか。
 ま、どちらも当たっているのだろう。

 NHKの天気予報で、女性アナウンサーが「暖かくて、桜が狂い咲きする」と言っていたとかで、愚妻があきれている。

「狂い咲き」は「季節外れに花が咲くこと」の意味だ。
 花の狂い咲きならともかく、「人生の狂い咲き」にならないよう注意しようと、ボケてきた頭で自戒するのである。

投稿者 mukaidani : 15:37

2015年03月23日

言葉は「レーザー照射」のごとく

 昨日は、埼玉県の所沢に出かけ、これから僧侶を目指すアラフォー君と旧友と3人で会った。

 仏教の話、僧侶世界の話など話題はつきなかった。

「本音と建て前」という言葉に象徴されるごとく、私たちは何事も二元論でとらえ、その是非を論ずる。

 だが、人生も世間も、そう簡単に割り切れるものではなく、是非は渾然一体になっているのではないか。

 釈迦の説く「中道」とは、「片寄らない」という意味だが、これを一歩進めて読み解けば、
「是非を論ずるな」
 ということなのかもしれないと、帰途の渋滞のなかで、つらつら考えた次第。

 つまりは、人間の数だけ「正義」と「悪」があるということか。
 同様に人間の数だけ「幸福」と「不幸」がある。
 問題は、ここからどういう結論を導いていくか。

 坊さんは、一気に飛躍して教義を展開する。
 だから、いまひとつ腑に落ちてこない。

「しゃべる」
 というのは難しいものだ。

 週刊誌記者時代によく経験したが、取材相手が百万言を費やしながら、結局、何を言っているのかわからないことがある。

 言葉は少ないほうがいい。
「寸鉄、人を刺す」
 と言うが、言葉はレーザー照射のごどくピンポイントで相手を腑に落とすべきだろう。
 禅宗の言葉が心に響くのは、そういうことではないかと、これもつらつら考えることである。

 明日、「上司と部下」というテーマで、週刊誌の記者が取材に来る。
 レーザー照射のピンポイントを心がけてみるか。
 

投稿者 mukaidani : 10:36

2015年03月17日

風邪が峠を越える

 昨日、都内で旧友に会った。
 10年ぶりである。
 少林寺拳法で活躍した好漢で、某大学の事務局に勤務していたが、いまは上場企業を母体とする通信制高等学校の事務局に転じたという。

 竹を割ったような男で、私より七つ年下だ。
 10年ぶりだというのに、そんな気がまったくしない。

 そう言えば先夜は、高校を出て以来、45年ぶりに竹馬の友に会った。
 さすがに「竹馬」も歳を取っていて、街ですれ違ってもそうと気がつくまい。
 それでも私は、45年ぶりという気がしないのだ。

 どうやら私には、「久しぶり感」が欠如しているようで、何事もつい昨日のことにように感じてしまうのだ。

 ついでに書けば、「驚く」ということが、あまりない。
「ヒヤッとした」という経験も記憶にない。
「後悔する」ということもほとんどなく、後ろをよく見ないでクルマをバックさせていてガードレールにガツンとぶつけたときも、
「あッ!」
 と叫んだのは助手席の愚妻で、私は、
「ぶつかったのか」
 と、事実を単に認識しただけだった。

 血の気は多いはずなのに、どうも感情の起伏が平坦のようで、精神的疾患があるのかもしれないと、このごろ思ったりもするのだ。

 精神的疾患の懸念は他にもある。
 10年ぶりに会った少林寺マンに問われるまま、思いつくまま、通信教育の今後の展開なり、教育環境を取り巻く状況について話をすると、
「お会いしてよかったです」
 と、何度も感激してくれた。

 そう言われて悪い気はしないものの、何がよかったのか、当の私にはさっぱりわからない。

 自分で言うのも何だが、雑誌の電話コメントも立て板に水で、思いつくままペラペラとやるのだが、
「面白いコメントをありがとうございました」
 と記者氏にお礼を言われて、ハタと我に返り、
(わし、何をしゃべったんだっけ?)
 思い出せないでいる。

 正直、ヤバイ気がしないでもないのだ。

 精神的疾患はともかく、風邪がやっと峠を越えた。
 お陰で〆切は、これからいくつもの峠を迎える。

 昨年暮れに渡すはずの原稿が延び延びになったままの出版社がある。
 もうしわけなく、またどうしても書いておきたいテーマと手法であるため、早くかかりたいのだが、資料の読み込みと整理に手間取っている。
 梅雨入り前には脱稿したい。

 そう言えば今朝、別の出版社から、
「進み具合はどうですか」
 と〝進み具合コール〟があった。

「ええ、ま、何とか」
 声だけは意図的に弾ませ、意味のない返事をして切り抜ける。
 風邪がぶり返しそうな予感である。 

投稿者 mukaidani : 23:59

2015年03月14日

風邪で頭痛

 風邪を引いて、ここ三日、頭が痛い。
 悪寒もする。
 立ち上がると血の気が引くような感じで、フラフラもする。

 風邪は入浴で治すのが私の流儀で、何度か風呂に入ったが、ちっともよくならない。
 で、昨日、町医者へ行った。

 ノドをちょっこっと診て、
「風邪薬を出しておきましょう」
 
 これで終わり。
 ポーズでもいから、診察のマネごとでもして欲しかった。
 こういう医者は信用できない。
 なぜなら、患者に気持ちに寄り添うということができないからだ。

 坊主も、教義をしゃべらせたらペラペラと立て板に水だが、ちっとも心に響いてこない説教をする人がある。
 聞き手に寄り添うという気持ちがないからだろう。

 町医者でそのことに気づかされてよかった。
 こう考えると、風邪に感謝である。

 だが、風邪のせいで、仕事の進捗に支障をきたしている。
 ノンキに感謝している場合ではない。
 遅れをどこで取りもどすか。
 これはこれで、風邪に負けず劣らず、頭が痛いのである。

投稿者 mukaidani : 18:31

2015年03月08日

自分を励ます

 ウォーキングを続けている。
 原稿は毎日、書いている。
 稽古は週三日で、一日が三コマだから四時間以上、道場に出ている。
 手短だが、お経も毎日だ。
 昨日は、空手の市連盟の役員会だった。
 今夕、埼玉県の大宮支部に指導に出かける。
 明日も、明後日も、都内で夜に用事が入っている。
 そういえば、明日は保護観察対象者がやってくる。
 あっ、ヤバ!
 観察所に報告書を提出するのをいま思い出した。
 少年院に入っている子に手紙を書く用事がある。
 21日は、当道場の空手と古武道の審査会で、名簿も作成しなければならない。
 19日は仕事で埼玉、20日は保護司の研修会。

 このほか諸々と用事があり、「TO DO リスト」とニラめっこで処理している。

 6月までに6冊を書きあげる予定になっているので、春の花を楽しみに行く予定だったが、無理だろう。
 映画にも行けまい。
 それどころか、〆切に間に合うのか、そっちが問題だ。

 忙しがっているわけではない。
 こうしてブログに書くことで、自分を励ましているのだ。

投稿者 mukaidani : 15:02

2015年03月01日

駄犬「マック爺さん」の死

 昨夜、わが家の駄犬「マック爺さん」が死んだ。
 トイプードルは長生きをするそうだが、それにしてもマック爺さんは18歳だから、よく生きたと言っていいだろう。

 一週間ほど前から食欲がなくなり、足もとがヨロヨロ。
 これは長くないな、と思ったので、
「もってあと数日」
 と愚妻に言い続けてきた。

 マック爺さんが死んだときの悲歎を、少しでもやわらげておいてやろうと思ってのことだが、
「ちょっと、薄情なことを言うわね」
 と、愚妻は柳眉を逆立てていた。

 昨夜の10時前、道場の仕事部屋で原稿を書いていたら愚妻が電話を掛けてきて、
「マックが動かなくなったんだけど」
 と言う。

「息は?」
「してないようだけど・・・」
「死んだな」
「でも、身体は温かいし」
「バカ者。息をしていなければ、それは死んだと言うのだ」
「でも・・・」

 気持ちはわかるが、なかなか納得しないので帰宅。
 マック爺さんの心臓のあたりに手を当てたり、お腹を撫でてみたり、顔をのぞきこんだりと、医者のマネごとをして見せてから、
「死んだ」
 と厳かに宣言したが、
「ホント? ちっとも冷たくならないじゃないの」
 と疑念を口にする。
 まったく、強情な女なのである。

 で、今朝。
 愚妻も納得したようで、
「ちょっと、お経をあげてよ」

 この私に読経を催促したのは初めてのことで、なるほどペット葬儀も仏縁を結ぶ機会になると改めて感心した次第。

 読経が終わり、ペットの火葬場へ。

 黒服を着た係の人が、ペット祭壇の前にマック爺さんを入れた棺(?)を安置してから、
「何歳ですか?」
 と、愚妻に声をかける。

「18歳です」
「ほう、18歳ですか」
「長生きしてくれました」
「しかし、それにしては若い顔だ」
「そうですか」
「ええ、若いですとも」

 まったく何を話しているんだか。

 そんなこんなで、慌ただしい一日であった。
 

投稿者 mukaidani : 20:00