« 2014年06月 | メイン | 2014年08月 »

2014年07月29日

言葉と連想

 ここ数日、血圧が高め。
 血圧計が壊れているのではないかと疑ったが、愚妻が計ると平常値。
「壊れてないわよ」
 得意満面で言う。

 愚妻は連日、畑に出かけているので、死にそうだとか何とか言っていたが、血圧勝負で私に勝てば、たちまち意気軒昂なのだ。
 現金なものではないか。

 連日、猛暑らしいが、仕事部屋に籠もって原稿を書いている。
 エアコンが寒くて靴下をはいている。
 さりとてエアコンをつけなければ、キィーボードが汗で濡れる。
 うまくいかないものである。
 
 不思議なもので、忙しいときに限って、もろもろ考えが浮かんでくる。
 いまこのブログを書きながら、「自信」「責任」「信念」という言葉が脳裏をよぎる。

「自信を持つ」
「責任を持つ」
「信念を持つ」

 みな「持つ」だが、「湧いてくる」と言い換えられるのは自信だけではないか。
「責任」も「信念」も決して湧いてくるものではない。
 自らの意志で、持たなければならないものなのだ。

 言葉から、いろんな連想が浮かび、原稿を書く手が止まるのである。

投稿者 mukaidani : 13:09

2014年07月23日

いよいよ真夏である。

 梅雨明けと同時に真夏になった。
 カレンダーを見れば、7月も下旬。
 このまま仕事に追われていると、
「気がついたら晩秋」
 ということになってしまう。

 人生も残り少なくなってきているというのに、これではマズかろう。
 だが、来春まで執筆予定が入っているし、これから年内にあと4冊書かなければならない。
 それぞれ締め切り日は決まっている。

 夏休みどころではない。
 それはわかる。

 だが、人生も残り少ない。

 そこで閃(ひらめ)いた。

 近間のホテルに泊まればいいではないか。
 プールにつかり、メシを食い、夜は原稿を書けば、仕事にもそう影響はないし、一応、「夏」を体験することになる。

 毎朝、私に代わって畑に出かけている愚妻の休養にもなる。
 幸い、成田空港周辺にはたくさんホテルがある。
 格安を競っていて、これはいい。
 で、さっそく予約。

「どうだ、いいアイデアだろ」
 さっそく愚妻に電話すると、
「それで、支払いは誰がするの?」

 冷ややかな一言で、支払いについてはまったく考えていなかったことに、いま気づいたのである。

投稿者 mukaidani : 22:52

2014年07月19日

自分を飼い馴らす

 私は、「苦労」を苦労と感じない。
 苦労していないというわけではなく、
「苦労した」
 という実感がないのだ。

「それは本当の苦労を知らないからよ」
 と愚妻は言うが、苦労に絶対値はなく、それを苦労と感じるかどうかである。

 たとえば、客観的に見て大金持ちだって、事業している人は、
「わしは、お金には苦労しとる」
 とボヤくだろうし、ビンボーでも、
「毎日が極楽」
 という人もいる。

 だから「苦労」というものが存在するのではなく、それを「苦労」と感じるかどうかの違いがあるだけということになるのだ。

 そういう意味で、私には苦労はない。
 わがままな人間なので、イヤなことはやらないからだ。
「自分の意志」でやるのだから、苦労とは感じない。
 イヤならやめればいいだけのことだ。

 ここからさらに一歩踏みこんで考えると、何事も「やらされている」と思えば苦労になるし、どんなにつらいことでも、「自分の意志でやっている」と思えば、苦労と感じないということになる。

 これが「自分を飼い馴らす」ということではないかと、つらつら考えるのである。

投稿者 mukaidani : 18:45

2014年07月17日

ボランティア読経

 経済的に困窮している方で、葬儀もできず、僧侶も呼べない人のために「ボランティア読経」を始めることにした。

 今年の2月頃から市のボランティアセンターと話を詰めていたのだが、諸々の事情もあり、やっと目処がたった。

 隣接市の地域包括センターからの依頼で、近々、読経しに行く。
 奥さんが入院中のため、亡くなったご主人はすでにお遺骨にしてあるそうで、退院を待ってご自宅にお伺いすることになった。

 携帯用のご本尊もすでに購入してある。
 私ごときがどれほどお役に立つのか、心もとない限りだが、これから精一杯、「ボランティア僧侶」として活動してみようと思っている。


 このブログを書いていて、いまひょいと、こんな言葉が浮かんだ。

「生まれるに順番あり、死するに順番なし」

 死するに順番がないにもかかわらず、年配の方がお亡くなりになると、
「順番ですから」
 といった言い方を遺族の方はする。

 お悔やみに対する気づかいであることは承知しているが、私たちは死に対して「順番」という観念が心の片隅にあるのだろう。

 だから加齢を恐れる。
 順番はないのだ。
 老いも若きも、薄氷の上を歩いている。
 いつ氷を踏み抜いて、冷水のなかに落ちるか。
 明日は誰にもわからないのだ。

投稿者 mukaidani : 20:14

2014年07月10日

ヤバくなったら兵を引け

 バカでかい〝お化けキュウリ〟が食卓に出た。
 昨夜のわが家である。

「何で、こんなに大きくなるまで放っておいたのだ」
 愚妻を叱りつけると、
「畑はあなたの役目でしょ!」

 逆ギレして、
「私に押しつけておいて、ちっとも畑に行かないじゃないの」
「何だって最後は私に押しつけるんだから」

 口はわざわいの元とは、先人はよく言ったものだ。
 きっと、私のような目にあった先人が口にした言葉だろう。
 先の都議会のヤジのごとく、ついうっかりの一言がエライことになってしまうのだ。

「スマン、スマン」
 と、ここは素直に謝って収束を図る。

 これもまた、先の都議会の例にならってのこと。
 ヘタに突っ張ると、自分クビを締めることになる。

 イケイケもいいけれど、
「退却! 退却!」
 という言葉も、なかなか味わいがあるではないか。
 ヤバくなったら、さっさと兵を引くのだ。

投稿者 mukaidani : 09:59

2014年07月06日

片道10時間の運転。

 いま、西日本の某市に宿泊している。
 江戸時代、布教先で自害して果てたA法師(浄土真宗)に興味があり、彼が所属していた寺を訪ねたのだ。

 寺は山間部にあるので、東名高速、中国自動車道と乗り継ぎ、クルマをすっ飛ばしてきた。

 事前に住職のアポを取ろうかと思ったが、協力を仰げば、もし作品化するときに足枷になるかもしれない。

 それに、私が知りたいのは、ただ一点。
 A法師が危険をおかして布教に赴いた経緯である。
 本山からの要請だとしたら、なぜA法師なのか。
 自発的としたら、どういう経緯によるものか。

(縁があれば住職に会えるだろう。縁がなければ、お参りだけして、温泉に入って帰ろう)
 そう思い、あえてアポは取らなかったのである。

 私はあまり悩まないタイプの人間だが、その理由は、縁という偶然に丸投げする性格だからだろう。
 是非はともかく、人生、そんなもんだという諦観は昔からある。

 で、雨の降るなか寺を訪ね、ピンポーンとチャイムを鳴らすと、初老の男性が出てきた。
「ご住職ですか?」
 と問うと、そうだという返事。

(おっ、縁がある)
 と気をよくしつつ、
「千葉から来たのですが、A法師は、なぜ使僧になったのですか?」

 ズバリ、問いかけた。
 傘をさした見ず知らずの男が挨拶もせず、いきなりそんなことを尋ねたのだから住職も驚かれたろう。

 インタビューのコツというわけではないが、聞きたいことが一点だけの場合は、外堀を埋めようとせず、「いきなり本丸」がいいのだ。

「それなんですがねぇ」
 と住職も律儀に反応しくださり、
「いまもってナゾなんですよ」

 要するに「わからない」とおっしゃるのだ。
 そのうえで、住職の推測をうかがった。

 立ち話ではあったが、私としてはこれで十分である。
「わからない」ということを知っただけで、「なぜ使僧になったか」という理由は、私がこれから想像の翼を広げても許されることになるのだ。

「わからない」という、たった一言を得るため、片道十時間の運転は楽ではないが、来た甲斐があった。
 気分は上々で、これからノートパソコンに向かい、溜まった仕事の執筆である。

投稿者 mukaidani : 21:28