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2014年04月26日

ケアハウスを訪ねる

 今日は、ご縁をいだいて、ケアハウスを見学。
 友人N氏のご母堂が、このケアハウスの施設長を務めておられ、ケアの現状と問題点などについて、懇切にレクチャーしていただいた。

 熟年女性ながら元気溌剌の「施設長さん」で、笑顔が絶えず、利用者たちがみんな寄ってくる。

 高齢者あるいは介護者の施設の良否は、結局、リーダーの人間性が決めるということを痛感した。

 いや施設に限らず、組織や集団はリーダーで決まるということになるだろう。


 生きていれば、すべての人が否応なく熟年に至る。
 まして日本は高齢社会。
 晩年を「どこで、何をして、どう生きていくか」という問題は、すべての人が直面する。

 N氏は、理想とするケアハウスを熱っぽく語ってくれた。
 一言でいえば「高齢者自身による福祉文化の創造」ということだ。
 そのためには、何を、どうすべきか。
 私で役に立つことは何か。

 そんなことを考えながら高速道路を走っていると、友人僧侶のI氏から電話。
 知人に直葬を頼まれ、ボランティアで読経をするという。
 素晴らしいことではないか。
「利他」ということについて、あらためて考えさせられる。

「努力」は貴いことだし、他人の生き方にとやかく言うつもりもないが、武道やスポーツで汗を流すことが「自分のため」であっては、努力も色あせて見えてくるのだ。

 自分のため以外に、少しでも汗を流す。
 ワガママに生きてきた私は、そろそろそんな生き方を真剣に考える年齢だろうと、たまにはマジメに考える。

 大きな収穫のあったケアハウスの見学であった。
 

投稿者 mukaidani : 18:50

2014年04月22日

お話をさせていただく

 一昨日の日曜日、東本願寺派の宗学堂東京学院でお話をさせていただいた。
『在家から僧侶へ』というテーマで、午前と午後と2時間ずつ、体験を通して思うところをお話しした。

 真宗を勉強する方、僧侶を目指す方、それぞれ真摯な方ばかりで、質問もあり、また言葉のキャッチボールもあって、予定の半分しかお話しできなかったが、私自身、大いに勉強になった一日だった。

 寺院離れの危機が言われて久しいが、この日、宗学堂の懇親会に参加させていただき、真宗のこと、仏教のこと、人生のことなど雑談を通して感じたのは、
「寺院離れはしても、仏教離れをしているわけではない」
 という確信である。

 私は寺を持たないが、いや寺を持たないがゆえに活動できることがあるのではないかと、意を強くした次第である。

 そこですぐ行動に移せばいいのだが、元来の横着者ゆえ、
「まずは、じっくり考えること」
 と、はやる気持ちを抑え、いま銚子市の犬吠埼ホテルに泊まって露天の温泉に浸かっている。

 太平洋を眺めながら、あれこれ考えている。
 実行に移せるがどうか、うまくいくかどうかは、すべて縁による。
 縁にまかせて、好きにやってみるか。

投稿者 mukaidani : 09:41

2014年04月18日

「忙しい」ということ

「忙しい」
 と私が言うと、
「私のほうが忙しいわよ」
 と、愚妻が張り合う。

「いや、わしのほうだ」
「私のほうです!」

 不毛の張り合いが、このところ続いている。

 これは「忙しい」が美徳と思っているからだろう。

 なぜ「美徳」かと言えば、
「それだけ社会に、人に、仕事に必要とされている」
 という無意識の思いによる。

 だから定年後、「ヒマで毎日が日曜日」ということになると、気持ちが落ち込むのである。

 ならばボランティアなど、「必要とされること」をやればいいのだ。
 ところが、それは気が進まないのである。

 以上のことから、「忙しい」を口にするのは、自惚(うぬぼ)れ。
「ヒマだ」を口にするのは身勝手。

 どっちに転んでも、たいしたことはないのだ。

投稿者 mukaidani : 16:29

2014年04月12日

愚妻と孫娘と「機関銃」

 小学校二年生になった孫娘に、シャレの精神を教えようとした。
 明るく育つのが何よりである。
 ことに女の子の場合はそうだ。

 で、こんな話をしてやった。
「事務長は機関銃だぞ」

 事務長とは愚妻のことで、道場の雑用をやっていることから、道場生である孫たちもそう呼んでいる。

「機関銃? どうして?」
 孫娘が問う。

「機関銃を発射すると、バババババババッと音がするだろう。事務長はババァ。だから機関銃」

「アハハハ」
 と、孫娘が笑ったわけではない。
 困った顔をしている。
 愚妻がジロリと睨んでいるからだ。

「おい、言ってみろ。〝事務長は機関銃〟って」
「イヤ」
「どうして?」
「イヤだからイヤ」

 このとき、小二の子供でも、人間関係について的確に状況判断するということを知ったのである。

 いや、むしろ大人のほうが人間間を読み違えることが多いのではないか。
 人間関係を複雑に考えるため、判断を間違えるのだ。

 機関銃のお陰で、ひとつ勉強になった次第。

投稿者 mukaidani : 12:29

2014年04月09日

小保方晴子さんの記者会見

 毎日が慌ただしく、小保方晴子さんの記者会見を注目していたのだが、残念ながらちょこっとしか見ることができなかった。

 STAP細胞については、門外漢の私にはよくわからないが、小保方さんの会見を見て、「反論法」ということを再認識した。

 大前提は、
「あわてて反論してはならない」
 ということだ。

「インチキだ」
 と批難されれば誰だって、
「違う!」
 と反論したくなる。

 だが「違う」と反論すれば、
「じゃ、これはどうなんだ」
 と新たな攻撃を呼び込んでしまう。

 だから反論しない。
 ガンガン批難させる。
 小保方さんの例で言えば、メディアも勝手放題に言わせる。

 そうして〝材料〟が出そろったところで、
「違います!」
 と逐一、反論し、撃破していくのだ。

 あることないことメディアが書き立てることで、世間の耳目が集まり、
「なぜ、黙っているんだ」
「やっぱりインチキか」
 と、囂々(ごうごう)の批難が起こったところで、
「私、反論します!」
 となれば、最大の反論効果をあげることができるのだ。

 ただし、この方法は「自分が正しい」という場合に限る。
 いや、そう信じている場合だ。

 たとえ、
「やっぱり小保方さんは間違っていた」
 という断を下されても、
「私は信じています」
 と最後まで抵抗すれば、研究者としてはともかく、少なくとも人間的にはドローに持ち込めるのだ。

投稿者 mukaidani : 16:31

2014年04月04日

キム・ヨナの言葉

 ソチ五輪では明け方までテレビを観ていた。
 浅田真央ちゃんの演技も、ハラハラしながら応援した。

 ところがソチ五輪が終わって、やれやれと思ったら、すぐさま世界選手権が始まったではないか。
 これには「なんだかなァ」の気分である。

 五輪のすぐあとで世界選手権なんて、居酒屋のハシゴのようなもの。
 新鮮味がなくて、私はテレビを観る気もしなかった。

 真央ちゃんは歴代トップの得点で優勝したそうで、メディアの大ヨイショに、
「じゃ、五輪の金メダルとどっちが価値があるんだ」
 と嫌味のひとつも言いたくなった。
 私はヘソ曲がりなのだ。


 それはさておき、目を引いのは、今日のネットニュースに出ていたキム・ヨナの次の記事と発言だ。

《厳しい練習と体重制限を続けてきた競技生活から解放されたヨナは、
「スケートがちょっと憎いのは昔のことのようだ。もうやるだけやったという思いで何の未練もない」
 とさっぱりとした表情。》

「何の未練もない」
 とは、たいしたもんじゃないか。

 定年退職して、腑抜けになるオッサンは少なくない。
 芸能人でもスポーツ選手でも、脚光を浴びた人は、引退すると心にポッカリ穴が空いたようになり、精神的に落ち込むという。
 過去を追うのが私たちだ。

 ところがヨナは、過去の栄光をバッサリ断ち切ってみせる。
 強いな、と思う。
 人生の厳しさを知っているからだろう。
 精神力において、若い娘さんに負けてはいられないではないか。

投稿者 mukaidani : 00:39