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2014年03月29日

唐突な思い

 昨日は、僧侶の大先輩であるF氏とお茶を飲み、信心のこと、葬儀のこと、僧侶のなすべきこと、人生のことなど、お話しをうかがった。

 僧侶の活動として、あることを企画しているのだが、F氏のアドバイスを、
「いまのまま進め」
 というふうに勝手に解釈し、意を大いに強くした次第。

 まだ準備段階なので、実際に活動が始まったら、このブログでご紹介したい。


 F氏のお話に加え、桜が開花したせいもあってか、昨日は気分が軽やかで、子供たち相手の稽古にも熱が入る。

「館長、頑張るね」
 と、小学生の女の子の一人が言えば、
「歳なんだから無理しないで休んだら」
 と別の女の子。

 そのうち、
「頭だけ剃って、どうして眉毛は剃らないの?」
 と言い出す始末。

 女は、小さいときから「口うるさい女房」に育つようにできているのではないかと、ふと思う。

 そういえば、野菜のタネはどれも同じに見えながら、ダイコンはダイコン、ニンジンはニンジンに育つではないか。

 そんなことを考えながら、
「畑には人生が詰まっている」
 と、これまた唐突な思いがよぎるのである。

投稿者 mukaidani : 10:37

2014年03月25日

最新刊が即、重版

 最新刊『ヤクザ式 相手を制す最強の「怒り方」』 (光文社新書)が、発売一週間で重版。
 好調である。
 昨年九月に刊行した『怒る一流 怒れない二流 』(フォレスト新書) も毎月版を重ね、いま六刷り。
 読者諸賢に感謝だが、それにしても「怒る」ということにこれほど関心があろうとは、いささか驚きでもある。

 察するに、拙著のテーマが「ホンネの肯定」にあるからではないだろうか。

 つまり「怒ることはいけない」とされながらも、人間は怒りから開放されることはない。

 ならば「怒るな」というのは無理な注文であって、
「怒っていい。ただし、怒り方が問題」
 というとらえ方をするべきだろう。

 怒っていい。
 欲があっていい。
 他人をうらやんでいい。
 妬(ねた)んだっていい。

 それが人間である以上、これらの煩悩(ホンネ)を肯定した上で、
「じゃ、どう怒るか」
 ということを、私はテーマとする。

 ヤクザから仏教まで、あれこれ書き連ねているが、私の視点は常に「煩悩(ホンネ)の肯定」にあるのではないか。
 人ごとのようだが、そんなことを考えるのである。

投稿者 mukaidani : 14:23

2014年03月24日

人の噂は聞き流せ

 小保方さんの騒動で、佐村河内さんがすっかりかすんでしまった。
 マレーシア航空機事件も世間の耳目を集めている。

「人の噂も七十五日」
 と言うけれど、めまぐるしい現代にあっては、人の噂も、せいぜい一ヵ月といったところか。

「悪評」を立てられても、聞き流していれば、自然と消えて行くものを、
「それは違う!」
 とムキになって反論すれば、火に油ということになる。

 佐村河内さんも、ゴーストライターを名誉毀損で訴えることなどせず、小保方さんの騒動をこれ幸いと、次の人生に備えて手を打つべきだろう。

 反論せず、「聞き流す」という知恵は、ずいぶん古くからある。
 いまから七百年前、十四世紀前半に書かれた『源平盛衰記』に、
《人の上は百日こそ申すなれ》
 という記述が見られる。

 同書は源氏、平家の盛衰興亡を記したもので、
「人の身に起こった出来事など、百日もあれば忘れられてしまうものだ」
 と、諸行無常について説いているのだが、さらに一歩踏み込んで読み解けば、
「世間の評判や記憶は移ろいやすいものだから、そんなものに一喜一憂するのはおろかなことだ」
 ということになるだろう。

 東から太陽が昇り、西に沈んだら一日の終わり。
 人生とは、この積み重ねに過ぎない。
 あたふたすることはないのだ。

投稿者 mukaidani : 13:10

2014年03月22日

ボランティアである

 当道場の春期審査会が昨日、無事に終了。
 黒帯をのぞく60名ほどが受審した。

 大人も子供も、緊張した顔は素晴らしい。
 私など緊張と無縁の日々だけに、
「これではいかん」
 と、反省した次第。
 緊張なきを「弛緩の人生」というのだろう。

 そんなわけでもないが、「ボランティア読経」ということを考えている。
 市の社会福祉協議会と現在、話を進めているが、その過程で「話し相手ボランティア」をもちかけられた。

「人生の流れには乗る」
 というのが私のモットーであり、「頼まれるうちが華」でもある。

 私で役に立つならと月二回、ある高齢者の方の話し相手をすることになり、先日、お目にかかった。

「謙虚、努力、反省、そして感謝」
 と、ご自身の反省を振り返りつつ、そんな話をされた。

 人生の先輩に学ぶことは多い。
 そのことを身をもって知らされる。
 ノンキに老け込んでいる場合ではないのだ。
 

投稿者 mukaidani : 10:09

2014年03月18日

犬吠埼に泊まる

 昨日は、銚子の犬吠埼ホテルに泊まった。
 犬吠埼は日本の最東端である。
 このホテルの露天風呂に浸かり、太平洋を眺めるのは気分がよい。
 それで、たまにこのホテルにやってくる。

 問題は愚妻である。
「寝ればイビキ、起きたら小言。ホント、あなたってうるさいわね」
 文句ばかり言っている。

 自宅の寝室は別なので、普段、私のイビキとは無縁。
 外泊したときに、そのことに気づくというわけである。

「バカ者。イビキは生きている証(あかし)、小言はおまえのためを思ってのことで、これは愛の証である」
 と説教したが、もとより聞く耳は持たず、
「そんなこと言って、私はごまかされませんよ」
 居直る始末。

 そういえば、僧籍にある友人が、
「女房を教化できたら、坊主として一人前だ」
 と、溜め息をついたことがあるが、なるほどその通りだわいと、改めて思った次第。

 眼下に砂浜が広がり、灯台がある。
 散歩でもすればいいのだろうが、仕事に追われ、窓辺の椅子に座ってパソコンを打っている。
 かくして一日は、あっというまに過ぎ去っていくのだ。
   

投稿者 mukaidani : 10:50

2014年03月17日

「佐村河内」と「小保方」

 和製ベートンベン」の佐村河内守さんと、「割烹着リケジョ」の小保方晴子さん。

「騙した」「騙された」とメデイィアはヒステリックに騒いでいるが、私は「ウソ」に対する感性が鈍なのだろう。

「あっ、そ」
 といった感じでテレビニュースを見ている。

 ウソはもちろんよくないが、我が身を振り返れば、
「成り行きでつくウソ」
 というのも少なくないからである。

 いや、ウソは成り行きによって「雪ダルマ」になっていくのだ。

 このことを親鸞は、
「さるべき業縁のもよおせば、いかなるふるまいもすべし」
 と喝破した。

 戦地に赴けば、人が人を殺す。
「戦争」という縁に遇(あ)えば、どんな「善人」も人殺しにもなってしまういうことで、
「いま、あなたが人を殺さないのは、あなたが善人であるからではなく、そういう縁に遇っていないからだ」
 というわけである。

 ま、親鸞はさておき、私の関心は、お二人の名前である。
「佐村河内」と「小保方」。
 珍しい名前は、ひとたび世に出ると強烈なインパクトを持つ。

 これがプラスに作用しているうちはいいが、一転、バッシングを浴びるようになると、リアクションも強烈になる。

 これから先、何年経とうとも、
「佐村河内です」
「小保方です」
 と名乗るだけで、
「ああ、あの!」
 というリアクションになるだろう。

 これが「佐藤」や「鈴木」だと、
「ああ、あの!」
 ということは絶対にない。

 佐村河内、小保方両氏の今後の人生に思いを馳せると、「変わった名前」が重荷になるに違いないと、そんなことを考えるのである。


 

投稿者 mukaidani : 09:14

2014年03月11日

あわだしい毎日

 春は忙しい時期だ。
 新年度が始まるからだろう。
 私のような自由業でも、あれやこれやと所用に追われている。

 土曜日は、友人のお堂が完成し、お披露目の法要があった。
 都内の空手道場を半分借り受けたお堂で、なかなかユニーク。
 友人は私と同じ歳だが、怠惰な私と違い、NPOを立ち上げて永代供養暮の分野でも活躍している。

 夕刻から神楽坂の寿司屋で懇親会。
 金沢市からおいでになった住職と私と話しが盛りあがり、後日、改めてお会いする約束をした。

 日曜日は雅楽の稽古。
 ちっとも上達しないが、継続コソ何トヤラと、自分に言い聞かせる。

 稽古の帰途、日刊ゲンダイから電話でコメントを求められる。
「ホリエモン氏が書いた小説はゴーストライターがいたということだが、それについてどう思うか」
 ということだった。

 ハウツー本は、「ハウツーの内容」が問題であって、それを伝える技術としてゴーストを使ってもいいと思うが、小説は内容はもちろん、文章そのものが問われるもの。
 ゴーストは問題であるといったような話をする。

 電話コメントはいきなりなので、話しながら内容をまとめていく。
 思考とヒラメキのいい訓練になる。

 昨日は九十九里へ。
 唐突だが、仕事場を引き払うことにした。
 厭きたのである。

「じゃ、パソコンは今のを使って、買う必要はないじゃないの。プリンターだって、新しいの買って持っていったばかりだし」
 バソコンは買ったばかりで、まだ届いていない。
 愚妻の批難は当然だが、私の決断はF1レーサーのごとく、いつも急ハンドルなのだ。

 で、昨日、荷物の一部を捕りに行った次第。
「あとはまかせるから、お前が少しずつ荷造りしておけ」
 愚妻に厳命する。

 今日は、これから畑に行ってジャガイモ植えだ。

 明日は、ボランティアで、施設に行って高齢者の方の話し相手をする。
 私が望んだわけではないが、諸般の事情で、成り行きからそうなったのである。
「何でもかんでも引き受けてくるんだから。仕事、しなくていいの」
 愚妻があきれているが、これは耳が痛い。

 明後日は中学校の卒業式に顔を出す。

 そう言えば、匂いがしなくなって、先週は大学病院へ行った。
 鼻にポリープができているのだ。
 手術して除去するのが一番いいのだが、私は鎮痛剤アレルギーがある。
「術後が問題。入院は一週間」
 と女医さんが唸る。

 このアレルギーは、場合によっては呼吸器官に影響し、死ぬこともあるのだそうだ。

「私は死ぬのは構わないが、痛いのは好きではない」
 女医さんに訴えると、
「じゃ、3週間、薬を飲んでいただいて、様子をみましょう」
 やさしい人なのだ。

 ところが、帰宅して愚妻にこのことを伝えると、
「じゃ、入院一日につき、いくら出るのか計算しなくちゃ」
 こともなげに言うのだ。

 新年度を迎えることとあまり関係がないが、私もあわただしいのである。

投稿者 mukaidani : 10:29

2014年03月07日

久しぶりの畑である

 今週は、ついに畑に出かけた。
「耕しておかないと、ジャガイモを植えられなくなるわよ!」
 と、愚妻に脅されたからだ。

 他の野菜ならともかく、ジャガイモは私の大好物。
 這ってでも行かねばならない。

 畑へ着くと、ネコ(一輪車)で堆肥を運ぶ。

 畑と畑のあいだをぬうようにして、エッチラオッチラと細い坂道を登っていくのだ。
 楽じゃない。
 5往復もすれば汗びっしょり。
 Tシャツ一枚になる。
「今週は真冬がもどってまいりました」
 と、テレビで天気予報のネエちゃんが言っていたが、私は一足飛びに真夏の気分である。

 堆肥を入れ、石灰を撒き、鍬(くわ)で50坪を耕した。
 といっても、私のことだ。
 丁寧なのは最初だけで、次第に雑になっていって、後半はテキトーである。
「マネごとでも耕さないよりはいいだろう」
 というのが、私の人生観なのである。

 そして、昨日。
 埼玉県の久喜市に所用があり、クルマで出かけた。
 東北自動車道の蓮田サービスエリアに寄ってひと息入れつつ、クルマのテレビをつけると、家庭菜園の番組をやっていた。

 畑を耕した先日の苦役を思い浮かべながら観ていると、番組の指南役が念押しするように、こう言ったではないか。

「いいですか、ジャガイモの場合は、堆肥を混ぜて畑を耕す必要はありませんよ。種イモと種イモの間に堆肥を置いていくんです」

 耕す必要がない!
 Tシャツ一枚になって畑を耕した私の苦労は、いったい何だったのだ。

 ガク然としつつ、すぐさま携帯で愚妻に電話。
「おい、ジャガイモはな、堆肥と土を・・・」
「混ぜないんですってね。いまテレビで観ているけど」
 アッケラカンと言い放ってから、
「もう耕しちゃったんだから、いまさらしょうがないじゃないの」

 確かにそうだ。
 汗を流した私がバカだったのだ。
 「愚直な人間はいつも貧乏クジを引かされる」
 という人生の真理は、畑でも立派に通用するのだ。

投稿者 mukaidani : 23:16