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2013年09月29日

老夫婦のバトル

 今朝10時にマッサージを予約してあったので、ひと風呂浴びようとしたところへ、玄関のドアが開く音。

 続いて、ドカドカと倒れ込む音。

 行ってみると、愚妻がヘタり込んで、
「私、もう死にそう」
 と呻(うめ)いている。

「朝っぱらから何をしておる」
「畑に行って来いって、昨日の夜、言ったじゃないの」
「そうだった。すっかり忘れておった」

 私がそう言った瞬間、
「ちょっと、今日は3時間よ。草を刈って、もう大変だったんだから」
 いきなり元気になった。
 拙著にも書いたが、「怒り」はこれほどに生命力を強くするのである。

「じゃ、わしは風呂に入ってからマッサージに行ってくるぞ」
「勝手にして!」
 ますます生命力を強くするのであった。


 昼食は、愚妻の疲労回復のため、馴染みのウナギ屋へ。
 電話しておいて、午後も遅くに行く。
 客は私たちだけだし、気の置けない客とあって、店を経営する老夫婦は遠慮なく夫婦ゲンカである。

 奥さんが亭主に噛みつき、
「そう思うでしょう?」
 と愚妻に相槌(あいずち)を求め、亭主は防戦しつつ、
「そうだよね」
 と私に相槌を求め、奥さんと愚妻、亭主と私と、2対2の白熱した舌戦になる。

 それにしても老夫婦のバトル。
 どこの家庭も、何歳になっても、夫婦ゲンカは永遠に続くということか。
 安心したような、うんざりするような、妙な気分になったのだった。

投稿者 mukaidani : 22:54

2013年09月25日

キレた「クルム伊達」

 テニスのクルム伊達が、パン・パシフィックオープで、観客の溜め息にキレたそうな。

 テレビニュースで見たが、ナルホド、ずいぶん怒っていましたな。

 だけど、試合後の会見で、
「これだけたくさんの人が見に来る割には、テニスを見ることのレベルが上がってこない」
 と日本人観客を揶揄(やゆ)するのはいかがなものか。

 サッカーなんか、溜め息どころか、ファンは選手に罵声を浴びせているではないか。

 ファンあっての選手。
 勝てば喝采、負ければ罵声。
 それが勝負の世界だ。
 たとえ観客のせいで負けたにせよ、それを口にするのはみっともないというのが私の人生観である。

 だから観客を批判するなら、試合に負けた直後ではなく、別の機会にして欲しかった。
 できれば勝ったときに。
 そうすれば、彼女はうんと光ったことだろう。
 

投稿者 mukaidani : 21:58

2013年09月22日

「私(し)より公(こう)」という人生観

 いま、都内から帰宅。
 今日は日曜日だが、うまい焼き鳥屋があるというので、若いライターを交えて歓談した。

 62歳の私は定年世代だが、「セカンドライフ」という言葉にいささか抵抗感を覚え、人生、死ぬまで現役でいようと、いろんな人と会い、新しい知識を吸収し、あちこち走り回っている。

「これからは社会貢献もしたい」
 と愚妻に言うと、
「それ以上、用事を増やしてどうするの」
 目を三角にした。

 そういえば今日は都内に出かける前、保護観察の家庭訪問に行ってきた。
「忙しいから畑に行けないんでしょう? 忙しいから原稿を書く時間がないんでしょう? いつも自分でそう言ってるじゃないの」

 嫌味を言うが、ごもっとも。
 だが、愚妻の主張は、「公私」のうちの「私(し)」を中心とする考え方。
「公(こう)よりも、私(し)を優先」
 という生き方である。

 私は違う。
 というより、
「私(し)より、公(こう)」
 という生き方をしたい。

 そう言うと、
「何してもいいけど、私に迷惑をかけないでね」
 現実派の愚妻は、しっかりとクギを刺すのである。


 明日は、朝から当道場の審査会だ。
 都内と埼玉から、ウチの師範たちが審査に来てくれる。
 連休なので用事もあるだろうし、ゆっくりもしたいだろうに、年2回、あらかじめ予定を組んで、必ず来てくれる。
 
 これもまた「私(し)より公(こう)」の処し方であり、「私(し)より公(こう)」を優先する人間を、
「信用できる」
 と言うのだ。

 このことを愚妻に話して聞かせ、
「わかったか」
 と念を押すと、
「何でも自分が正しいんだから」

 嫌味を言ったが、あまり強い口調ではなかった。
 これは賛同したときの愚妻のクセなのである。

投稿者 mukaidani : 23:58

2013年09月19日

駄犬「マック爺さん」の抜歯

 わが家の駄犬、「マック爺さん」が昨日、歯を抜いた。

 口を閉じたとき、下の歯の一本が上の歯茎を突き破るのだそうだ。

 私は興味がないので、愚妻の説明を聞き流していたが、
「全身麻酔なので、手術の成否は五分五分」
 という一言だけは、よく聞こえた。

「そうか、ついに死ぬのか!」
「ヘンなこと言わないでよ」
「バカ者。生(しょう)あるもの、死に帰するは世の習いである」
「死ぬと決まったわけじゃないわよ」
「生きると決まったわけでもあるまい」
「どうしても殺したいの!」

 説法するつもりでいたら、険悪な雰囲気になってきた。
 まったくもって、仏法に縁なき人間は度しがたいものである。

 結局、マック爺さんは生き延びた。
 確か15歳だと思うが、心臓も何かもかも、「年齢にしては健康そのもの」と獣医が言ったそうだ。
 会ったことはないが、きっとサービス精神の旺盛な獣医なのだろう。
 お陰で、愚妻は今日も上機嫌である。

投稿者 mukaidani : 12:18

2013年09月15日

孫が、私をうらやむのだ

 苦労が顔に出ないタイプがいる。
 私がそうだ。
 だから愚妻は、ふた言目には私のことを「極楽トンボ」と批難する。

 これは、ひとえに愚妻の愚かさゆえと思っていたが、いささか違うのではないか、ということに気づいた。

 孫たちは私のことを「館長」と読んでいるが、下の孫(小1女児)が私にこう言ったのだ。

「館長はいいな。風呂に行ったり、ご飯を食べに行ったり、遊んでばっかりで」

 私は衝撃を受けた。
 苦労して原稿を書いているというのに、孫の目には毎日、遊んでいるように見えていたである。

「誤解だ」
 と言おうとしたが、「誤解」なんて言葉は小1には通じまい。

 そこで、
「遊んでいるように見えるかもしれないけど、館長は一所懸命に仕事をしているんだよ」
 と噛んで含めるようにして諭(さと)したが、
「ウソだァ」
 と言って耳を貸さなかった。

 そして、今朝。
 娘(孫の母親)から電話があり、いま健康ランドにいるとのこと。
「館長はお風呂へ行って遊んでばかりいるから、私も行きたい」
 と、孫が朝からゴネたのだという。

 それで台風接近の大雨の中、出かけたのだとか。
 わざわざ私に告げることでもあるまいに、愚妻の血を継いで、さすがウチの娘である。

投稿者 mukaidani : 14:15

2013年09月13日

発売早々、重版

 拙著『怒る一流 怒れない二流』が、発売一週間で重版が決まった。
 初速がいいようだ。

 東日本大震災以後、「絆」という言葉に代表されるように、「連帯」とか「心のつながり」ということが見直され、大事にされてきた。

 受容、寛容、協調、調和であり、いわば「怒らない生き方」だ。

 そのこと自体は、とても素晴らしいと思う。

 だが、「怒らない=自分を押し殺す」ということになってはいないだろうか。

「怒れない自分」に対する忸怩(じくじ)たる思いを、「怒らない」という言葉にすり替えてはいないだろうか。

 そんな生き方でいいのだろうか。

 そんな思いをこめて書いた。

 発売早々に重版が決まったということは、少しは読者諸賢の支持が得られたものと安堵している。

投稿者 mukaidani : 09:08

2013年09月12日

五輪に浮かれるノーテンキ

 東京でオリンピック開催が決まったことで、高速道路の整備や地下鉄建設が急ピッチで進められるという。
「新しい東京」が連日、メディアで喧伝されている。

 その一方で、東日本大震災の被災地復興は、遅々として進まない。
「資材の高騰、作業員不足」
 ということをその理由にあげているが、ならば高速道路の整備も地下鉄建設も同様の理由で、遅々として進まないはずだが、そうはならないところに政治と社会の欺瞞(ぎまん)がある。

 これがもし、五輪が東北地方の都市で開催されるとなればどうか。
 急ピッチで都市整備がなされることだろう。

 オリンピック開催にケチをつけるわけではないが、被災地で暮らす方々の気持ちを考えると、
「ノーテンキに五輪に浮かれている場合か」
 と腹立たしさを感じてしまうのである。

 だが、この腹立たしさは所詮、「傍観者」のもの。
 能書きだけでなく、自分は社会に対していったい何が貢献できるのか。
 五輪に浮かれるメディアを横目でニラみつつ、そんなことを本気で考えている。
 

投稿者 mukaidani : 06:37

2013年09月10日

寂しい晩年

 土、日は昇空館の合宿で、秩父へ出かけた。
 帰宅した翌日の月曜はマッサージに行き、夜は都内で打ち合わせ。
 本日の午前は、月参りで住職が拙宅へ。昼は保護観察対象者が来訪。夜は愚妻とメシを食いにいく約束になっている。

 何だか慌ただしくて、原稿がちっとも進まない。
 そのことを愚妻に告げると、
「じゃ、私との食事は中止にしていいわよ」
 とは言わない。

 口が裂けても言わない。

「ヤボ用なんかにかまけているからよ。しっかり仕事をしなさいな」
 ニベもないのである。

 食事に出かけても、キュッと一杯ひかけるのは愚妻だけで、私はお茶をすすっている。

(悪因悪果)
 という言葉が脳裏をよぎる。
 きっと、若いころに放蕩(ほうとう)した報(むく)いなのだろう。
 私は寂しい晩年を迎えつつあるのだ。

投稿者 mukaidani : 16:56

2013年09月06日

扇風機とオナラ

 相変わらず、鼻がグズグス。
 それでもクーラーをかけないでいると、少しは楽だ。
 そんわけで、わが家はクーラーを中止して、扇風機を多用している。

 で、今朝のこと。
 風呂から上がり、居間に移動して扇風機の前で身体を拭いていて、何気なく、「プッ」とオナラをしたところが、
「臭い!」

 韓流ドラマを見ていた愚妻が柳眉を逆立て、
「ちょと、どうして扇風機の前でオナラするのよ!」
 すごい剣幕で怒った。

 私としてはまったく念頭になかったが、扇風機の前でオナラをすると、なるほどニオイは勢いよく風に乗って愚妻を直撃するというわけだ。

 オナラのニオイが風に乗るなど、クーラーにあたっていたときは考えもしなかったことではないか。

「すごい発見だ!」
 と、私はしきりに感動するが、愚妻はプリプリと怒ってばかりいる。
 感動することの乏しい女なのだ。

投稿者 mukaidani : 15:39

2013年09月01日

鼻がグズグズ

 所用で留守にし、昨夜、最終便で帰宅した。
 10日ぶりのブロクである。

 ブログをやっている友人たちは、
「書くことがない」
 といってボヤき、それでついサボることになるというが、私は逆だ。
 書くことがあり過ぎ、あり過ぎるため、ついサボってしまうのである。

 言い訳はさておき、鼻づまりと鼻水とくしゃみには、ほとほと参っている。
 温度差が元凶で、クーラーに当たるとてきめんである。
 ナントカという症状だと先日、テレビでやっていたが、鼻がグズグズいうと思考力が鈍り、仕事の能率が落ちる。

 これが困るのだ。

 しかし、〆切がある。
 能率は落ちる。
 と、どうなるか。

 編集者がこの一文を目にして、
「あわてなくてもいいですよ」
 とメールをくれることを期待するのだ。

投稿者 mukaidani : 10:29