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2013年06月30日

畑の草取り

 一昨日、久しぶりに畑に行って驚いた。
 草が伸び放題。

 このあいだ、「5時間かけて草取りをした」と愚妻が威張っていたが、これはどうしたことだ。

「おい、草を取ったと得意顔で言ったではないか」
 叱責すると、
「あれから2週間が経っているじゃないの」
 と言い返す。

「ならば、2週間前の草取りは無意味ということになるではないか」
「そんなこと言ったって、雨が降ってたじゃないの」

「まあまあ」
 と、畑大指南役のS氏が割って入り、
「涼しいうちに草を取ったら?」

 それもそうだ、と気を取り直して草を刈り始めたところが、
「ちょっと、そんなやり方じゃダメだよ」
 とS大指南役。

「ほら、こうやるんだ」
 と見本を見せてくれながら、
「前に教えたと思うけどな」

 言われてみれば、そんな気がしないでもない。
「そうでしたっけね」
 アッハハと笑ってごます。

 3時間ほど頑張ったが、まだ草を処理しきれない。
 で、明朝、5時出発で再チャレンジである。

 それにしても、ちょっと気を抜くと草が延びるの同様、ちょっとサボると、たちまち原稿が溜まってしまう。
 できれば明朝はパスしたいが、そうすると草が・・・。
 今年も暑い夏になりそうである。

投稿者 mukaidani : 23:10

2013年06月27日

トルコ料理のレストラン

 今夜は、都内のトルコ料理のレストランに出かける。
 このあいだ、知人と会食した店だ。

 私の悪いクセで、どこか店に出かけて帰宅すると、
「今度、連れて行こう」
 と、つい愚妻にリップサービスしてしまうのである。

 トルコ料理店も同様で、
「今度、連れて行こう」
 と言ったころが、
「口ばっかり」

 挑発され、それでやむなく行くことにしたのである。

 もっとも、行くことに決めてから面倒くさくなり、
「日帰り温泉も悪くないんじゃないか?」
 と、それとなく修正を示唆したが、愚妻はトルコ料理にこだわった。

「トルコのビールはうまいらしいぞ」
 と言った〝余計な一言〟が尾を引いているのだろう。

 リップサービスは、相手に食いつかれたら逃げられなくなるということを、いま身にしみて感じているところである。

 8時からベリーダンスがあるというから、それを楽しみに出かけることにするか。

投稿者 mukaidani : 14:50

2013年06月25日

暑いから露天風呂へ行こう

 仕事が忙しいときは、諸々の用事を先送りし、予定に入れてしまう。
 先ほど手帳をめくってみると、7月の頭に「ホタル観賞」の予定まで入っている。

 カットしてもいいのだが、そうすると来年まで見ることができない。
 悩ましいところだ。

 8月末は沖縄の離島に行く予定にしているが、7月末に沖縄で用事ができた。

 古武道の指導を仰ぐ文武館・仲本政博館長が、古武道で沖縄県無形文化財に認定され、その祝賀会である。

 私と、うちの会の理事長、統括本部長の三人で出席する。

 この調子だと、7月も仕事が押せ押せになり、諸々の用事を先送りして予定に入れることになるだろう。
 一年があっという間に過ぎるはずだ。

 今日の九十九里浜はギラギラ太陽。
 部屋はクーラーで涼しいが、外は暑そうだ。
 どうせ暑いのなら、これから近所の旅館に行って露天風呂に入ろう。

 昨日も行ったのだが、
「毎度、ありがとうございます」
 とフロントの女性がニッコリ笑顔。

 この笑顔は、
(この人、ヒマ人)
 という笑いではないかと、私は密かに思っている。

投稿者 mukaidani : 12:23

2013年06月24日

「手段」と「目的」

 稽古発表会は無事に終了した。

 開式のとき、
「おい、今年で何回だ?」
 と愚妻に訊いたら、
「第9回と書いてあるでしょ」
 怒られてしまった。

 館長として誠に頼りない限りだが、頼りないだけに支部長や指導員たちが頑張ってくれているのだろう。
 ありがたいことである。

 小学生たちの演武を見ていて、自戒するのは、
「空手のための空手指導にならないこと」
 ということである。

 技量の向上や、試合に勝つことを目的に稽古をするのは当然だが、そこがゴールではないということ。

 つまり、空手や古武道の稽古は「人生に資するもの」でなければ意味がないと、私は考えている。

 では、稽古が、人生にどう資するのか。

 それは個々人によって違う。

 大人は、それを自分で見つけ、いかに活かしていくかということを考える。
 考えること自体に意味がある。

 子供は、そうはいかないので、「見つける目」を「見つけられるよう」に指導していく。

 実際、それがうまくできているかどうかとなると心もとない限りだが、指導士の指針として、常に自分に言い聞かせている。


 このことは空手や古武道に限るまい。
 富士山が世界遺産に登録され、たいへんめでたいことだが、
「世界遺産に登録されることの本来の目的は何であるか」
 という視点を忘れてはなるまい。

「手段」が「目的」「目標」になってはいないか。
 自分を振り返るとは、こういうことを言うのだろうと、子供たちの演武を見ながら思った次第。

投稿者 mukaidani : 08:20

2013年06月22日

明日は稽古発表会

 明日は、小学校の体育館を借りて、当道場の稽古発表会である。
 支部からの参加もあり、120名ほどが集う。
 保護者に見ていただき、子供と一緒に昼食を摂ってもらうことで、家族団欒の一助と、空手への理解を深めていただけばと思って、始めたものだ。

 と言っても、忙しいのは指導員や、弁当の手配などをする愚妻で、私は〝掛け声〟ばかり。

「ちょっと、少しは手伝ったらどうなの」
 愚妻は文句を言うが、灯台はじっとして動かないでいるから意味がある。
 タイヤだって、中心が動かないからこそ、回転して走れるのだ。

 動かないというのは、忍耐との戦いである。
 このことをいくら話して聞かせても、愚妻は「屁理屈」だといって耳を貸さない。
 聞く耳を持たぬ人間は、進歩しないのである。 

投稿者 mukaidani : 12:06

2013年06月19日

「やれやれ」の気分

 仕事が一段落。
 やれやれ、である。
 といっても、すぐ次ぎにかからねばならない。
 それでも一日くらい、ゆっくりしよう。
 明日は、山梨の日帰り温泉に行ってくるか。

 そんなことを考えていたら、先程、愚妻から電話。
「何時に帰ってくるのか」
 と訊く。

 昼メシの用意の都合があるからだそうだ。
 私が家を留守にすると、実に機嫌がいいのだ。

 そういえば昨夕、魚料理の店に顔を出したら、
「奥さん、具合が悪いわけじゃないでしょう?」
 と若い女将さんが訊いてきた。

 私ひとりで仕事場に来ているので、前回も今回も愚妻が一緒ではないからだ。

「元気も元気、元気すぎて困ってるんだ」

 私の言い方にトゲがあったのか、女将は曖昧な笑顔を浮かべて、
「ならいいんですけど」

 しかし、週に2、3日の一人暮らしは気楽でいいもんだ。
 愚妻もきっと、同じ思いでいるのだろう。
 悪口は言えないか。

投稿者 mukaidani : 10:15

2013年06月17日

愚妻へ「脅し文句」

 昨日は空手の大会。
 終了後、連盟創設30周年記念パーティがあり、帰宅してからゲラ校正。

 夜のうちに、ひとりで九十九里の仕事部屋に行く予定だが、着替え等、愚妻の準備ができていない。

 頭にきて、
「行かないぞ!」
 と言うと、大慌てで用意をした。

 このとき私は、ハタと気づいたのだ。
 愚妻に対する脅し文句は、
「行かないぞ!」

 これでいい。
 この一言は、まさに水戸黄門さまの印籠である。

 だが、考えてみれば、これほどまでに私の存在を鬱陶しく感じているということなる。

「行かないぞ!」
 という脅し文句にシメシメと思いつつ、心境は複雑なのである。

投稿者 mukaidani : 09:58

2013年06月12日

「納得して死ぬ」ということ

 先夜、編集者と打ち合わせをしていて、
「納得して死ぬ」
 ということが話題になった。

 帰宅して、愚妻にそのことを話してみると、
「納得なんかするわけないでしょ」
 とバッサリ。

「ごもっとも」
 と言うよりほかはあるまい。


 納得して死ぬには、二つが考えられる。

 好き勝手に生き、しかもハッピーライフで、
「もう思い残すことはない」
 という人。

 でも、人間は満足することができない存在だから、「思い残すことはない」とはなるまい。

 故人になられた某氏が、末期ガンを宣告されたとき、
「人生の楽しみをやりつくしたから、思い残すことはないでしょう」
 と私が軽口を叩くと、
「バカ者! 人生の楽しみを知り尽くしているから、死にたくないのだ」
 と怒られたものだ。

 もう一方の「納得して死ぬ」は、諦観である。
 人間は死から逃れられないということを悟り、受け入れることによる納得である。

 とは言え、これもそう簡単に納得はできるわけがない。

 そこで浄土真宗は、
「死ぬのではなく、浄土へ新しく生まれ変わる」
 と説く。

 死を終わりと考えるのではなく、新たな始まりととらえることによって、「納得の死」とするわけだ。

 論じれば長くなるので、そんな話をかいつまんで愚妻にしてみたところ、
「それで、あなたは死ぬことに納得したわけ?」

 テレビの韓流ドラマに視線を吸えたまま、こともなげに核心をつくのである。

 そうだ。
 納得しようがしまいが、死は確実にやってくる。
 私たちには選択の権限も余地もない。
 それだけのことではないか。

 ひょっとして愚妻は、「納得」を超越して生きているのではないか。
 こういう人間を「生命力が旺盛」と言うのだろうと、これは腑に落ちて「納得」した次第である。

投稿者 mukaidani : 12:50

2013年06月09日

釣りに出かけた

 今朝、小3の孫を連れて、ボート釣りに出かけた。
 仕事に追われ、ケツに火がついているが、前々からの約束である。
 男として、破るわけにはいかない。

 雨が降ってくれればいいがと心から願ったが、快晴である。
 梅雨入り宣言した気象庁は、切腹ものではないか。

 朝3時の出発なので、稽古から帰宅すると、そのまま仕事をし、寝ないで出かけた。
 船を出して、30分ほどでキスが6匹ほど、立てつづけに釣れた。

(こりゃ、大漁になるぞ)
 と気をよくしたら、
「気持ちがわるくなった」
 と孫が言い出した。

「バカ者、ガマンせよ」
 と普段なら言うところだが、仕事が詰まっているので、渡りに船。
「そうか、よし帰ろう!」

 で、帰宅したのが10時。
「早いわね」
 愚妻が嫌味を言う。
「お金をつかって、時間をつかって、おまけに船酔いさせて、バカみたい」

 所詮、女には〝男の機微〟はわからないのだ。

投稿者 mukaidani : 21:37

2013年06月05日

子供たちと「説教」

 時々、道場の子供たちに説教をする。
 仏教の話ではない。
「稽古の心構え」とか、「努力とは何か」とか、「継続について」とか、その時々で思いついたことを話す。

 稽古前の説教は、たいてい上の空で聞いているが、稽古後の説教はマジメに聞いている。

 それが不思議だったが、先週の土曜日の稽古のとき、ハタと気がついた。

 子供たちは早く帰りたいのだ。

 ザワザワしていると、
「うるさいぞ! 人の話を聞くときはだな」
 と、説教に小言が増え、帰るのが遅くなってしまう。
 だから、マジメに聞いているふりをしているだ。

「わかったか!」
「ハーイ!」
「よし、終わり」
 と言うや、脱兎のごとく床の拭き掃除にかかり、帰って行くのである。

 説教して、いい気になっている私は、何とアホであることか。
 心境は複雑なのである。

投稿者 mukaidani : 13:11