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2013年05月30日

勝間和代さんの交通事故

 人気の経済評論家・勝間和代さんが追突事故を起こしたそうだ。

 人様の追突事故なんて、どうでもいいようなものだが、彼女のコメントなりブログなりの「言い訳」が、さすがである。

 報道によると、警視庁の調べに対して、
「ブレーキが間に合わなかった」
 と話したそうだ。

「ブレーキが間に合わなかった」とは、《結果》であり、追突事故の《原因》ではない。

 つまり、「なぜブレーキが間に合わなかったか」というのが追突の《原因》なのだから、たとえば、
「脇見をしていました」
「居眠りをしていました」
「前方不注意です」
 と答えるのが正しい。

 しかるに彼女は「ブレーキが間に合わなかった」と《結果》を強調することで、「真の原因」を曖昧にすることに成功しているというわけだ。

 また、これも報道によると、彼女はブログで、
《「渋滞の中でスピードは出ていませんでしたが、相手の方に軽いケガを負わせてしまったことを反省しております。本当に申し訳なかったです」》
 と平身低頭なさっているとか。

「渋滞」「スピードは出ていませんでしたが」「軽いケガを追わせて」と、さりげなく三つのフレーズを挟むところが、さすがである。

 私など、こういう細かい芸当が苦手なので、
「相手の方にケガを負わせてしまったことを反省しております」
 と書いてしまうだろう。

 勝間さんの交通事故は、姑息(こそく)に思われようとも、「弁解」は取りあえず我田引水でしておくほうがいいという見本なのである。

投稿者 mukaidani : 17:35

2013年05月28日

二日続けて露天風呂

日曜の夜から九十九里の仕事場だ。

「用がないのなら九十九里へ行け」
 という愚妻の強い要求で、出かけてきた。
 追い出されたのだ。

 それで昨日も今日も、昼間、近くの温泉旅館へ出かけて、屋上の露天風呂へ浸かった。

 客は誰もいない。
 ウィークデーの昼間に露天風呂に浸かるヒマ人は、そうはいまい。

「至福の一時」
 と思いかけて、こんなことを「至福の一時」とするようでは志が低すぎると、反省反省。

 これからは特段の用事がない限り、仕事部屋へ籠もることにしよう。
 羽を伸ばす愚妻の笑顔が目に浮かぶようだ。
 

投稿者 mukaidani : 15:42

2013年05月21日

「不安」と「乳房の切除」

 アンジェリーナ・ジョリーが、乳房を切除する手術を受けたというニュースを繰り返しやっていた。

 恥ずかしながら、彼女が何者か知らず、WEBで調べてみたら、
「アメリカ合衆国の女優、映画プロデューサー、ファッションモデル。愛称アンジー」
 とある。

 事実婚の夫は、俳優のブラッド・ピットだとか。
 なるほど、繰り返し報じるはずだ。

 愚妻も関心を持ってニュースを見ている。
 ガン予防のために乳房を切除したというのだから、興味も関心もあるだろう。
 そこで、私は言った。

「胃ガンになりたくなければ胃を取ったらいい」
「・・・」

「肝臓ガンになりたくなければ肝臓を取ったらいい」
「・・・」

「膵臓ガンになりたくなければ膵臓を、肺ガンになりたくなければ肺を取ってしまえばいいのだ」
「それじゃ、生きているとは言わないじゃないの」
「エライ!」

 愚妻をホメた。
「生きる」とは、そういうことなのだ。

「胃ガンになりたくなければ胃を取ったらいい」
 という考え方は、
「リストラされたくなければ就職しなければいい」
 というのと同じだ。

 もっと言えば、
「失望したくなければ夢を持たなければいい」
「苦労したくなければ生きなければいい」
 ということになる。

 失望するかもしれないと承知しながら夢をいだく。
 生きるのは楽じゃないとボヤきながらも生きていく。

 不安と二人三脚が「生きる」ということであり、
「走りにくいから、縛っているヒモを外せ」
 というのは、生きることの否定になるのだ。

 そんな話を延々と愚妻に話して聞かせていると、
「ちょっと、そんなことより明日は何時に出るの?」

 明日、といっても日付は「今日」になったが、山梨の日帰り温泉へ行くことにしている。
 バチ当たりの愚妻は、私の「説法」より日帰り温泉が気になっているのだ。

投稿者 mukaidani : 00:12

2013年05月14日

刑務所へ出かける

 昨日は朝一の飛行機で、某県の刑務所へ受刑者の面接に出かけた。
 仮釈放がもらえれば私の担当になるので、今後のことなど事前に会って話しをし、信頼関係を築くことが目的だ。
 これを施設面接と言いい、これまであちこちの刑務所に出かけた。

 せっかく遠くまで行くのだから、できれば一泊し、その土地を見て歩きたいが、雑事に追われてその余裕がなく、いつも日帰りの強行軍である。
 それで今回も朝一の出発で、帰宅は深夜になった。

 帰途、「罪を憎んで、人を憎まず」ということを考える。

 罪を犯すのは「その人間」であるから、その人を離れて「罪」は存在しない。
 論理的に考えれば、「罪」を憎むということは「その人」を憎むことになる。
 しかるになぜ、「罪を憎んで、人を憎まず」と諭(さと)すのか。

 それは、やってはいけないことと頭ではわかっていながら、己(おのれ)の意志のおよばぬ縁によって罪を犯してしまう人間の業(ごう)を言うのだろう。

 したがって憎むべきは、人間が等しく宿すこの業であり、「その人間」ではないというわけである。

 仏法的にはそうだが、施設面接で、
「あんたが悪いんじゃない」
 と受刑者に言えば、立ち会う刑務官は目を剥くだろう。

 なぜ罪を犯すのか、更生するとはどういうことなのか、受刑者は獄中で何を考えているのか・・・。

 刑務所に出かけると、いろいろ考えさせられるのだ。

投稿者 mukaidani : 10:22

2013年05月10日

煩悩と二人三脚

 九十九里の露天風呂から凧を眺めたのが5日前。
 早いものだ。

(あっ、ブログのこと忘れていた)
 と思って、自分のホームページを見ると、
(へぇ、あれからもう5日もたっているのか)
 時の移ろいの早さに感心したり、唖然としたり。

「この調子で人生が終わるのなら、日々(にちにち)に一喜一憂したり、あれが欲しい、これをしたいと身を焦がすのは愚かなことだな」
 と達観を口にしてみるが、そうは問屋が卸さない。

 着物を入れる桐箪笥が一棹 (さお)では間に合わなくなったので買い足したのはいいが、どこに置くかで昨夜は愚妻と一悶着。

 私がうるさく注文をつけるので、
「じゃ、好きなところへ置けばいいでしょ!」
 と愚妻がブチ切れ、箪笥は梱包したまま仏間へ置きっ放し。

 そこへ今朝は、坊さんが月参りに見える。

「箪笥を片づける時間がなくて、アッハハ」
 と私が笑ってごまかし、愚妻もニコニコ笑顔をつくろっている。

「苦しきゆえに、外には快楽(けらく)を装い」
 とは太宰治の言葉だが、我ら夫婦は、
「ミエゆえに、外には笑顔を装い」
 ということか。

 達観どころか、生きているうちは煩悩と二人三脚なのだ。

投稿者 mukaidani : 12:15

2013年05月05日

露天風呂から「凧」を見る

 まだ九十九里の仕事場にいる。
 今朝も10時に近くの旅館へ行き、屋上の露天風呂に浸かる。
 目前には九十九里浜、そしてその向こう青い海が広がる。

 タオル代込みで、千円の日帰り入浴。
 費用対効果からすれば、これは最高の贅沢ではないか。
 一流レストランでメシを食うより、私はこっちのほうがいい。

 と、浜の空に凧(たこ)が舞っていることに気がついた。
 十個(と数えるのかどうか知らないが)、凧がいくつも上がっている。

 五月(さつき)の空に舞うのは鯉のぼりであって、凧じゃあるまい。
 凧の出番は正月と決まっているのだ。
 凧を上げ、餅をつき、コマを回すから正月なのだ。

 風呂から上がって、この旅館で昼メシを食いながら愚妻にこのことを話すと、
「凧のことで怒ることはないでしょう。凧をいつ上げようと、その人の勝手じゃない」
 例によって熱燗をやりながら、グビリと猪口(ちょこ)を飲み干す。

 確かにいつ凧を上げようと勝手だが、歳を拾うと、こういうことに腹が立ってくるのだ。

 日本から季節感がなくなってきた。
 食材に春夏秋冬がなくなり、「走り」も「旬」も「名残」もなくなってしまった。
  ゆく春を惜しみ、四季に心を遊ばせた日本人の感性と無常観は、次第に失われつつある。

 日本と日本人はどこへ行くのだろう。
 唐突に憲法改正のことが脳裏に浮かぶ。
 四季を失い、平和憲法を失い、日本はフツーの国になっていくのか。

投稿者 mukaidani : 11:40

2013年05月04日

「週末別居」を考える

 連休は、九十九里の仕事場である。
 私は机にかじりついて原稿書き。
 愚妻は日帰り風呂に入り、昨夜はソバ屋で熱燗(あつかん)をキュッ。
 私は早く引き上げて仕事を続けたいのだが、
「ここの天麩羅はおいしいわねぇ」
 と極楽気分で、
「焼酎の水割りにしようかしら」

 ノンキな女なのだ。

 水割りを注文してから、
「月に一回じゃなく、これからは一人で毎週来たらどうなの?」
 と言いだした。

「火曜日の稽古がなくなったのだから、土曜の夜に稽古が終わってから来て、日、月、火と泊まって、水曜の稽古時間までに帰ってくればいいんじゃない?」
 そして、こうつけ加える。
「ゆっくり仕事ができるし、昼は日帰りに行けば気持ちがいいんじゃない?」

「それはいい考えだ」
 と私はヒザを打ちかけたが、ピッピッピッと警告音が頭で鳴る。

 愚妻は、私が11日間、京都に行って留守をしたことに味をしめているのだ。

「亭主元気で留守がいい」
 という言葉がかつて流行ったことがあるが、うるさい亭主から開放されることの楽しさを悟ったにちがいない。

「おまえの魂胆はミエミエだ」
 と、いつもなら嫌味を言うところだが、昨夜は思いとどまった。
 一人で来れば何かと不自由だが、いずれどちらかが先立つのだ。
 そのことを考えれば、予行演習で「週末別居」もいいかもしれない。

「それもそうだな」
 と私は素直に提案に乗り、手帳を見ると5月の週末は予定がびっしり。
「5月は無理だから、6月からだな」
 そう告げたときの愚妻の落胆した顔を、私は生涯、忘れないだろう。

投稿者 mukaidani : 09:11