« 2013年01月 | メイン | 2013年03月 »

2013年02月27日

河の流れに身をまかせる

 道場の小学生たちから見れば、私は「祖父」の年齢である。

「館長、何歳?」
「62歳」
「お婆ちゃんとおんなじ!」
 と、こんな会話になる。

 だから威厳に欠ける。

 先夜も、私の手をじっと見ていた小学生の女の子が、
「館長の手って、軍手みたい」
 と言って、ケタケタ笑っていた。

「何だ、その立ち方は! お爺さんみたいな姿勢になっているぞ!」
 注意すると、
「お爺さんは館長じゃないの」
 と混ぜっ返したり。

 先日、子供を連れて見学に来たお母さんが、
「みなさん、明るくて、楽しそうですね」
 と笑っていた。

 ホメられたのか、揶揄(やゆ)されたのかわからないが、好々爺をめざす私は、そんな調子で指導している。


 私の短気な性格を知る愚妻は、
「信じられない」
 と、いつもあきれている。

 若いころは、口より手が先。
 ケンカもずいぶんした。
「この野郎!」
 とケツをまくるより早く、その場で相手をブン殴っていた。
 血だらけになって帰宅したことも何度もある。

 それがいまは好々爺にあこがれ、それを目指している。

 河の流れには乗るものだ。
 ゆったりと流されて行けばいい。
 河上に向かって泳いでいくことの無意味さに、ようやく気づいたということか。

 だが、人間は自惚れがあるから、どうしても自力を恃(たの)もうとする。
 自惚れを「努力」と勘違いする。
 河の流れにおまかせするというのは、口で言うほどたやすくはないのだ。

投稿者 mukaidani : 10:49

2013年02月24日

ついに雪道を走る

 いま、草津温泉。
 ついにスタッドレスタイヤで、雪道走行である。

 小説『雪国』の一節ではないが、どこぞのトンネルを抜けると雪が降っていた。

 うれしくなって、アクセルを踏み込むと、
「ちょっと、何するの!」
 愚妻が金切り声をあげた。

「タイヤがすべるかどうか、試そうとしたのだ」
「やめなさいよ!」
 怒っていた。

 露天風呂に身体を沈め、降り続ける雪を眺める。
 悪くない気分だが、仕事もしなければならない。

 私はノートパソコンを持参。
 愚妻は寝酒を持参。

 人生は不公平にできている。
 いや、不公平であることを「人生」と呼ぶのだ。

投稿者 mukaidani : 17:56

2013年02月23日

交番のおまわりさん

 昨日、交番の中年おまわりさんが巡回で道場へやってきた。
 心強い限りで、丁重に応対していると、
「ところで旦那さん、何年生まれですか?」

 そう問われ、質問の意図がわからないまま、
「昭和25年ですが」
 と答えると、おまわりさんがやおら刷り物を取り出して、
「これ、ちょっと見てください。エー、振り込めサギについてお話をさせてもらいます。たとえば、こんな電話が・・・」

 私が振り込めサギの被害にあわないよう、細かく説明を始めた。

 何と、私は〝被害者予備軍〟に見られたのである。

 これだけでもショックなのに、さらに、
「もう一つ、ひったくり用心してください」
 と言って説明してくれた。

 仕事熱心なのはわかるし、ありがたいことだが、空手道場を訪れ、そこの館長に「ひったくりに遭わないように」という指導はいかがなものか。

 感謝しつつも、
「なんだかなァ」
 と、私の胸中は複雑なのであった。

投稿者 mukaidani : 12:03

2013年02月20日

軽々に動かず

 このごろテレビ司会者の日本語が乱れてきたと、愚妻が今朝、テレビを見ながらケチをつけていた。

「人のことをあげつらう前に、自分のことを振り返れ」
 と、さとしたところが、
「私の場合は、しゃべるのが仕事じゃないから、乱れていてもいいのよ」
 屁理屈ではあるが、一理ある。

「たまにはいいことを言うではないか」
 とホメたら、
「たまにはじゃなくて、いつもいいことを言っているでしょ」

 最近は主客転倒のわが家なのである。


 ここ数日、立ちくらみがする(たぶん)。
 座っていて、急に立ちあがると、頭がフワ~とした感じになるのだ。

 そのことを愚妻に伝えると、
「医者に行けばいいでしょ」
 こともなげいに言う。

「医者に何と説明するのだ」
「そのとおり話せばいいのよ」
「話して、原因がわかるのか?」
「そんなこと、私にわかるわけないでしょ、医者じゃないんだから」
 確かに一理ある。


 今日は午後から整形外科医院だ。
 何とかヒザの調子がもどってきたので、そのチェックである。
 いつも混んでいるので、朝のうちに診察券を入れに行くが、もちろんそれは愚妻の仕事である。

 診察券を入れに行ったり、ガソリンを入れに行ったり、文具店に買い物に行ったり、私の世話をしたりと、単純作業はすべて愚妻の仕事。
 判断力が求められたり、決断したりすることは私の仕事。

 だから、私は軽々に動かないのである。

投稿者 mukaidani : 12:10

2013年02月16日

ヒザ痛で夜も眠れず

 ここ3日間、右ヒザの炎症に苦しんだ。
 痛くて、夜、眠れない。
 かかりつけの整形外科が休診日だったので、そういうことになったのだが、愚かな女にはそこがわからない。

「よく何時間も眠れるわねえ」
 と感心している。

「バカ者。眠っているのではない、痛くて唸っているのだ」
 訂正してやったが、愚妻はもとより信じてはいまい。

 私が鎮痛剤アレルギーであることは、すでにご紹介したとおりで、こういう痛みのときは厄介だ。

「じゃ、鎮痛剤はやめて、炎症を抑える薬にしましょう。こっちは大丈夫ですね?」
 医者に問われたが、そんなこと私にわかるわけがない。

「わかりません」
 というと話が長くなりそうなので、
「ハイ、大丈夫です」
 と返事をしたところが、帰宅して薬を飲んでしばらくしてからのこと。

 尾籠な話で恐縮だが、下痢が始まったのである。

 急いでインターネットで調べてみると、希にこういうことがあるとのこと。

 何と私は、鎮痛剤もだめ、炎症を抑える薬もだめということになるのだ。

「困ったな」
「しょうがないでしょ」
「しょうがないったって、うっかり病気もケガもできないではないか」
「しなきゃ、いいでしょ」

 言われてみればそのとおり。
 だが、病気やケガは、好きこのんでする人間など一人もいないのだ。

「しなきゃいいでしょう」
 と言い切る愚妻の〝割り切り〟を、私は心底、うらやましく思うのだ。

投稿者 mukaidani : 15:46

2013年02月12日

習わぬ経を読む

 昨日、愚妻がついに痺れを切らせて、
「畑へ行ってくる」
 と言って出かけた。

 私は都内で所用があって外出。

 お爺さんが山へ芝刈りに行き、お婆さんが川で洗濯する――というのは〝昔話の世界〟で、わが家は、夫は都内へお茶飲みに出かけ、愚妻は畑で鍬をふるうのだ。

 夕刻、帰宅すると、
「腰が痛くなった」
 と愚妻が畑仕事をアピールする。

「そうか、それは大儀であった」
 と、労(ねぎら)ってやれば八方丸く収まることはわかっているが、私の口をついて出た言葉は、
「バカ者。ちょっと畑へ行っただけで何たる弱音。農家ならどうするのだ」

 すると、愚妻が居直った。
「私、農家じゃないから」
 
 この一言に、私は考え込んだ。

 私は「農家」をたとえに出すことで、「腰が痛い」を叱責した。
 ところが愚妻は、そのたとえを否定することで「腰が痛い」を正当化してみせたのである。

 愚妻は「農家」ではない。
 これは事実だ。
 この大前提がある以上、論理的に愚妻が正しいことになる。
 私の負けだ。

 振り返れば、結婚して40年。
 長きにわたって、私と丁々発止をやっているうちに、愚妻は「論戦の技術」を身につけたということか。

「門前の小僧、習わぬ経を読み」
 という言葉が唐突に脳裏をよぎった。

投稿者 mukaidani : 13:22

2013年02月09日

龍笛を吹く

 一昨日は、山梨の「みたまの湯」へ出かけた。
 片道3時間の日帰り温泉である。
 2泊以上できるときでなければ、宿泊しないで日帰りすることにしている。

「みたまの湯」は源泉で、露天風呂から眼下に甲府盆地を一望できて、とてもよかった。
 忙しがってばかりいないで、時間は〝天引き〟でつくるもということが、最近はよくわかる。
 それでなくても用事は山ほどあり、〝天引き〟しない限り、いつまでたってもヒマはできないのだ。

 そんなわけで、昨日の午後は道場で久しぶりに龍笛(りゅうてき)を吹いた。
「時間ができたら吹こう」では、いつまで立っても稽古できないからである。

 で、ピーヒャララと頑張っていたら、愚妻がやってきて、
「あら、このへんに豆腐売りがきたのかと思った」

 イヤ味なことを言う。
 真顔なだけに始末が悪い。

「ネコに小判」とはよく言ったもので、私の素晴らしい龍笛の音は、愚妻には〝豆腐のラッパ〟にしか聞こえないのだ。

投稿者 mukaidani : 10:42

2013年02月05日

玄米をめぐる「神経戦」

 今日も玄米。
 昨日も玄米。
 一昨日も玄米。

 愚妻は意地になっているのだ。
 もちろん玄米は私だけで、愚妻は白米である。

 そして、私がひと口食べるのを待って、
「おいしい?」
 と、顔をのぞきむようにして訊(き)く。

 今日も訊いたし、昨日も訊いた。
 一昨日も訊いた。

 私の口から「まずい」と言わせたいのである。

 ギブアップさせ、
「ほら見てごらんなさい。あなたが玄米を食べるわけがないんだから」
 そう言って勝ち誇りたいのだ。

 だから私は意地になって、
「うまい!」
 と笑顔を見せる。

 これが愚妻には面白くない。
「あっ、そ。じゃ、玄米でおにぎりをつくっておくから」
 さらに攻勢を強めてくるのだ。

 この勝負には、亭主のメンツがかかっている。
 私は負けるわけにはいかないのだ。

投稿者 mukaidani : 15:58

2013年02月03日

「言質」と「知恵」

 人間関係で、コトを有利に運びたければ、「言質」を取ることだ。

「友達が困っているときに、お金を貸さないなんて、人格を疑っちゃうよな」
「まったくだ」
「お金、貸してくれよ」
「えッ!」

 これでいい。

 ところが、この手の内がバレで、愚妻が最近は〝返事〟をしなくなった。

 これまでは、
「おい、この着物には、帯はどんな色がいいかな」
「濃紺がいいんじゃないの」
「そうか。では、おまえのアドバイスにしたがって、濃紺をネットで注文しよう。支払いは頼んだぞ」

 こうしたことが何度か続くうちに、愚妻は返事をしなくなっただけでなく、
他の人間に転化する知恵を身につけてきた。

「おい、長襦袢は、なぜ前幅が後ろ幅よりサイズが大きいのだ」
「さあ、どうしてかしらねぇ。カエルさんに聞いてみたら」

「カエルさん」というのは、以前、このブログでも触れたが、和服に関しするエキスパートで、彼のHPはとても面白く、ためになる。

  http://bakagaeru.obihimo.com/index.html

 わからないことがあれば、メールで問い合わせれば、親切丁寧に教えてくれるのだ。

 このことを、愚妻に話したところが、着物のことで何かあるごとに、
「カエルさんに聞いてみたら」
 と、体(たい)をかわすようになったという次第。

 どんな人間にも知恵が備わっているのだということを、私は改めて噛みしめているのである。

投稿者 mukaidani : 10:54