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2012年10月27日

惜しまれてこそ

 石原慎太郎が80歳にして新党結成。
 私なんぞ、60歳で人生の手仕舞い。あとは余生とノンキに生きているのに、慎太郎サンは80歳になってなお、頑張って日本を変えてくださるという。
 ありがたくて涙がこぼれるじゃないか。

『七十にして心の欲する所に従って、矩(のり)を踰(こ)えず』
 とは、よく知られた『論語』。

「わしは心の思うままに行動しても、人としての道をふみはずすことがない」
 と孔子は得意になっているが、彼が80歳まで生きていたら何と言ったろう。

『八十にして心の欲する所に従って、人生、もうひと勝負』
 なんて、言うわけがないか。


 畑仕事をしていて、いつも感じることは、野菜も草も自然の摂理にしたがって生きているということ。

 芽吹き、繁り、そして季節がめぐれば淡々と枯れていく。
 人間も本来、そうあるべきではないか。

 花は惜しまれて散ってこそ、その美しさが心に残る。
 散ることのない花を「造花」と言う。
 人間は「造花」であってはならないと、これは私の人生観である。

投稿者 mukaidani : 13:11

2012年10月24日

ブックスキャンは便利だ

 BOOKSCANという会社で、手持ちの資料本の電子書籍化を始めた。
 書籍をPDFにし、書籍そのものは廃棄処分にしてくれる。
 おかげで、仕事部屋がすっきり。
 珍しく愚妻も、喜んでいる。
 資料本を分野別に整理できるし、引用文や必用な記述がコピー&ペーストできるので、これは便利である。

 実は、前々から資料本の電子化に興味を持っていたのだが、生来のものぐさゆえ、調べることもしなかった。

 ところが、BOOKSCANという会社から、私に取材の申し込みがきたのである。
 世のなか、うまくできているではないか。
 むろん、二つ返事でインタビューを受けることにした次第。

 ちなみに下記、URLに私のインタビュー記事がUPされているので、興味のある方は覗いてみていただきたい。

http://www.bookscan.co.jp/

投稿者 mukaidani : 16:07

2012年10月21日

今日はボート釣りである

 かねて懸案の〝ボート釣り〟に、小2の孫を連れて出かけた。
 場所は房総半島の富浦。
 朝3時の出発である。

 結果から言えば、ヒイラギが20数尾に、キスが2尾。
 ヒイラギじゃイマイチだが、3時間足らずでこれだけ釣れたのだから孫は大喜び。
 おかげで私は、エサつけから取り込みまで大忙しであった。

 予想外のことがひとつあった。
 おしっこ。
 孫が顔をゆがめて、陸に上がりたいと言い出したのである。

 だが、ボート釣りはエンジン船で沖合まで引っ張ってもらっているため、おいそれと陸には帰れない。
 しかし、非常事態である。

 ボートでやらせるしかない。
 本来なら立ち小便だが、ボートで立ち上がるのは転覆の危険がある。

 そこで私が孫に告げた。

「実はボート釣りには、特別なおしっこの仕方があるのだ。いい機会だから教えておく」

 私は座ったまま腰をよじりながらスボンをケツから膝までずり下げると、ボートに備え付けのバケツにおしっこをして見せたのである。

 孫の顔がパッ明るくなって、
「わかった」
 と言うなり、私のマネをして、無事、小用をすませたという次第。

 私は釣りを通じて、〝男の所作〟をも孫に教えたのである。

投稿者 mukaidani : 19:29

2012年10月18日

風邪である

 強烈な残暑が一気に冷え込み、お陰で風邪を引いてしまった。
 鼻炎に風邪の相乗効果で鼻詰まりがひどく、無気力状態。
 空気の摂取量が落ちると、脳の活動も鈍るのだろう。

 身体もだるいし、膝は痛いし、ここ3日間は10時間ほど眠った。
 徹夜が得意の私は、眠るのがこんなに楽しいものだとは、いままで気がつかなかった。

「眠るというのは実にいいもんだ」
 と愚妻に言うと、
「そのうち、眠りっぱなしになるから楽しみにしたら」
 皮肉にトゲが混じるのは、加齢のせいか。
 歳は取りたくないものである。

 今夜は、都内で編集者と打ち合わせ。
 ホントは風邪など引いている場合ではないのだ。

投稿者 mukaidani : 15:26

2012年10月12日

愚(おろ)かたるユエン

 今日、キャベツの苗を植えに行った。
 愚妻の陣頭指揮である。

 怒声、叱責、そして、
「どうしてあなたは、そういい加減なのかしら」
 溜め息で終わる。

 つまり、私の勝ち。
「見放す」とは、「相手を認める」ということなのだ。
 ここに愚妻は気づかない。
 愚かたるユエンである。

 愚妻はブツクサ言いながら、せっせと野良仕事。
 私はすることがないので、鍬(くわ)を杖にしてしゃがんでいると、畑の大指南役であるSさんがやってきて、
「レタスは植えたの?」
 と訊く。

「さあ」
「さあって、ご主人、あんた、わからないの?」
「レタスだけでなく、どこに何が植えてあるのかさっぱり」

 Sさんは何か言いかけたがやめて、愚妻を振り向き、
「レタスはね」
 と、指南を始めた。

 愚妻は熱心に耳を傾けているが、私はソッポを向いている。
 わざと聞かないようにしている。
 つまり「知らない」ということは、「間違ってもいい」ということであり、「あてにされない」ということなのだ。

 だから私は、これからも畑仕事は堂々とパスすることができる。
 ここに愚妻は気づかない。
 愚かたるユエンなのである。

投稿者 mukaidani : 23:44

2012年10月09日

おだてりゃ、木に登る

 日曜日は秦野支部、伊勢原支部の合同稽古で神奈川県へ出かけた。
 館長の私は、もちろん指導する側。

 昨日は雅楽の稽古で、松戸市の天真寺へ出かけた。
 初級レベルの私は、もちろん指導される側。

 そして今朝は、愚妻に首を引かれ、久しぶりに畑へ出かけた。

 行ってみて、驚いた。
 防虫ネットを被した畝(うね)が、いくつもあるではないか。

「これ、おぬしが一人でやったのか?」
 愚妻に問うと、
「他に誰がやるのよ。大変だったんだから」
 ひとしきり苦労話をしてから、
「ちょっと、突っ立ってないで、そこのところ耕しておいてよ」

 すっかり〝畑の主(あるじ)気取り〟なのである。

「バカ者!」
 と本来なら一喝するところだが、私もそんなマヌケではない。

「わかった」
 二つ返事でチョコチョコと耕しつつ、
「これだけの畑を一人でやるとは、見直したぞ」

 ヨイショにヨイショを重ねれば、
「ホントに大変だったんだから」
 夏の太陽にめまいを起こし、残暑の厳しさにヘタリこんだこともあると、再び苦労話をひとくさり。

 だが、その顔はホメられて嬉しそう。

 おだてられて木に登るのはブタに限らないということを、私はこのとき改めて思ったのだった。

投稿者 mukaidani : 16:25

2012年10月04日

因果応報

 三十路半ばの娘が、
「お父さんより先に死なないでね」
 と、愚妻に茶飲み話で言ったそうだ。

「どういう意味だ」
「さあね」
 愚妻はトボケた顔で、
「あなたが後に残ると大変だと思っているんじゃないの」

 言いにくいことを、さらりと言ってのけるのが愚妻の持ち味だ。

「何かの間違いではないか。わしほど素直で、無欲で、扱い安い人間はおらんぞ」
「あなたが思っているだけでしょ」

 言い残し、鼻歌まじりで買い物に出かけて行った。

 私の心境は複雑である。
 これまで私は、自分では扱い安い人間だと思ってきた。
 素直で、無欲で、やさしくて。

 その自負が、娘の〝心ない一言〟と、それに賛同する愚妻の追い打ちでガラガラと音を立てて崩れ落ちたのである。

 輝けるはずの晩年は、何やら雲行きがあやしくなってきた。
「因果応報」
 という仏法の真理が、ふと脳裏をかすめるのである。
 

投稿者 mukaidani : 11:38