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2012年07月30日

柔道の福見友子選手に思う

五輪柔道女子48キロ級で福見友子選手がメダルを逃した。

「一生、悔いが残る」
 という彼女のコメントを読んで、勝負の厳しさを改めて思った。

 勝負の厳しさとは、勝つことの厳しさを言うのではない。
 日本の頂点を極め、賞賛を一身に浴びていいはずの選手が、「人生に悔いを残す」という無念の言葉を吐く。
 ここに厳しさがあると私は思うのだ。


 谷亮子参議院が、福見選手について問われ、
「望まれるなら(リオ五輪に向けて)準備したい」
 とノーテンキな発言をした。

 さらに、福見選手と較べ、代表に漏れた浅見選手について、
「私は浅見選手が頭一つ抜きん出ていると思っていた。(浅見が出場していたら)きっちり照準を合わせていたかもしれない」
 とも言った。

 負けた選手を思いやることを「惻隠(そくいん)の情」という。
 日本の美風である。
 谷には、それが欠けているのだろう。

 あるいは、福見選手に2度敗れているという思いが尾を引いてるのだろうか。

 福見は、柔道界が代表に選んだ選手だ。
 誰より勝ちたかったのが本人だ。
 ねぎらいの言葉があってしかるべきだろう。
「競技の勝ち負けなんか、人生に悔いを残すほどのことじゃない」
 と、福見選手には言ってあげたい。

投稿者 mukaidani : 13:34

2012年07月28日

幼児に学ぶ「逆転の発想」

 新しく入会した幼児が、ぞはにやってきて、私の頭をじっと見ている。
 言うことはわかっている。
「どうして頭の毛がないの?」
 そう問うはずである。

 口の悪いガキになると、
「あっ、ツルっ禿げ!」

 ところが、その幼児は、こう問うたのだ。
「どうして、眉毛が生えてるの?」

 これには思わず唸った。

 頭はツルっ禿げなのに、なぜ眉は黒々と生えているのか、という疑問を彼は口にしたのである。

 逆転の発想ではないか。
 なるほど、ものの見方はこうあるべきだと納得。
 おかげで、私の視野は少し広がったようである。

 幼児の発想、あなどるべからず。

 とは言いつつ、目前の〆切で尻に火がついている。
 明日は、佐倉市空手道夏季大会で、原稿を書く時間がない。
 ここで「逆転の発想」は、どうあるべきか。
 腕を組んで考えているうちに、時間は刻々と過ぎていくのだ。

投稿者 mukaidani : 12:34

2012年07月24日

何だか釈然としませんな

 どうも世の中、釈然としないことが多い。

 安全性に問題があるオスプレイ機を、なぜ日本に配備させるのか。
 原発再稼働もしかり
 東電の対応もしかり。
 大津市の〝いじめ自殺〟への対応もしかり。
 消費税もしかり。
 民主党の鳩山某も、小沢某もしかり。

 僧籍にある立場で言うのも何だが、葬式代だって釈然としない。
 高すぎる。
 葬儀不要論は、葬儀が不要というのではなく、
「高い費用を払ってまで葬儀をする必要はない」
 ということだろう。

 週刊誌記者時代、冠婚葬祭業者が私に語ったことを、いまもよく覚えている。

「結婚披露宴の場合は挙式まで期間があるので、あれこれ費用を吟味するんですね。キャンドルサービスは不要だとか、両親に花束贈呈をカットするだとか言ってきます。ところが葬儀は〝待ったなし〟ですからね。営業的にオイシイんです」

 費用のかからない葬式を、これから考えていきたいと思う。
 オスプレイや原発については、私の力ではどうにもならないが、費用をかけない葬式ならできる。
 
 今年の十二月で六十二歳。
 何かひとつくらい世のなかのために。
 来年は、そんなことに力を入れたいと思っている。

投稿者 mukaidani : 03:36

2012年07月21日

円熟か、加齢か

 小学生の女子たちと映画の話をしていて、
「館長だってな、〝飛び出す映画〟を観たことがあるんだぞ」
 と自慢したら、小四の女の子が真顔で、
「それって3Dって言うんだよ。館長、知らないの?」

 そばで聞いていた愚妻があとで、一言。
「あの子たちは、あなたのことを友だちだと思っているのよ」

 さすがに中学生になると私に軽口を叩くことはないが、小学生の女子たちは平気である。

 低学年など、入れ替わり立ち替わり私の尻を蹴飛ばして、
「館長は、どうしてそんなに弱いの?」
 と得意がっている。

 きょうは娘が稽古を手伝いに来てくれたが、私が短気で、気性の激しさを知る彼女は、
「信じられない」
 と、つぶやいていた。

 私が円熟してきたのか、それとも単に歳を拾っただけなのか。
 これは自分でもわかりかねるのだ。

投稿者 mukaidani : 22:36

2012年07月20日

誰が「ナメられる教師」をつくったのか

 大津市の中学2年男子生徒が、いじめを苦に自殺した問題。
 これほど悲しく、憤りを覚える事件はあるまい。

 周知のように、学校と教育委員会の無責任さが糾弾されている。
「隠蔽体質」を指摘する識者も多い。

 そのとおりだと思う。

 彼らの怠慢は万死に値する。

 だが一方、この中学校に限らず、学校の隠蔽体質には「保護者」も一因になってはいまいか。

 先生が悪ガキをひっぱたいたら、
「体罰だ」
 と保護者が抗議し、メディアが報じ、校長も教育長も頭をさげる。

 これじゃ、悪ガキにナメられるだけだ。

 悪ガキは、風に乗った凧と同じで、糸をゆるめたままにしておくと、どんつけあがっていく。

 ときどきシメなくちゃダメだ。

 私が道場で怒ることはめったにないが、何年か前、組手の稽古をしていて、ひとりの中学生がふざけ半分で、弱い同級生の顔にパンチを当てたことがある。

 たまたまそれを目にした私は、パンチを当てた中学生の頬にビンタをくらわし、大声で怒鳴りつけた。

 水を打ったように鎮まり返った道場で、私は全員に説教をした。
 以後、そういうことは一切なくなった。

 教師の体罰はもちろんよくないことだ。
「人徳」で生徒の指導ができればベストだ。
 それはわかっている。

 だが、それだけでは生徒の指導はできまい。

「ナメられる教師」にしたのは、いったい誰なのか。

 親もメディアも、我が身を振り返るべきだろう。

投稿者 mukaidani : 03:46

2012年07月18日

畑で蚊に刺される

 さすがに今朝は逃げられず、愚妻に引き立てられるようにして畑に出かけた。

 草が元気である。

「草刈り機を持ってくればよかったな」
 私が言うと、
「あなたに使えるの」
 嫌味なことを平気で口にする。

 しょうがないから、しゃがみ込んで鎌で刈り始めたら、待ち構えたように蚊がブ~ンと羽の音をさせて何匹も飛んでくる。

 顔を刺されたが、ゴム手なので搔くことができない。
 と、このときふと思った。
(人間が畑にいないときは、蚊は何を食って生きているんだ?)

 気になったので愚妻に問うてみると、
「蚊に聞きなさいよ。私が蚊のエサのことまで知るわけがないでしょ」

 不機嫌そうな顔で、せっせと草を刈りながら言った。

「おいおい、趣味の畑ではないか。もっと楽しそうにしたらどうだ」
「冗談じゃないわよ! 畑は俺がやると言って25坪も増やしたのは誰よ!」

 趣味も楽ではないのだ。
 

投稿者 mukaidani : 12:29

2012年07月16日

「心の化粧」ということ

 昨日は、九十九里の仕事部屋へ来た。
 久しぶりである。
 さっそく温泉健康ランド。

 出てから、愚妻が言う。
 キャッキャッと、若い娘さんたちがにぎやかに入って来たのだそうだが、
「その一人がとっても可愛い顔しているのよ」
 可愛さに見とれて、腹立たしさもどこかへ行ったそうだ。

「ところがね」
 と続ける。

「その子が顔をプルプルと洗ったら、〝エッ?〟なのよ」
 化粧が落ちた素顔は、まさに〝別人〟だったのだそうだ。

 この話を夜まで、愚妻は何度も繰り返し、しきりに感心してた。


 私たちも心の〝化粧〟を落とせば、可愛くない心が顕(あらわ)れて来る。

「悪性さらにやめがたし。心は蛇蝎のごとくなり」
 とは、親鸞の言葉。

 人間は、自分だけが可愛いと思う「身びいきの心」(悪性)を生まれながら宿し、宿しながら生きていくといった意味だ。

「おい」
「なによ」
「親鸞はな」
 と、この言葉の説明をすると、
「それは、あなたでしょう。私は違う」

 聞く耳を持たぬ。
「そうじゃない」
 と言おうとしたが、やめた。

「馬に念仏」なら、「愚妻に説法」ではないか。

「あなたこそ、悪性を宿して生きているんでしょ。何とか言いなさいよ」

 ヘタすりゃ、私が自己批判されることになるのだ。

投稿者 mukaidani : 08:12

2012年07月13日

足に暇なき我が思い

 今朝7時のこと。
「畑に行ってくるから!」
 愚妻が、2階の私に告げた。

 私を誘っても無駄だと思っているのだろう。
 声にトゲがあるから、怒っていることはわかる。

 面白いもので、これまで畑へ行くことにはブーブー文句を言っていたのが、
いまは率先して行き始めた。

 これぞ、愚妻をその気にさせた私の勝利である。

 愚妻が畑で汗を流しながら悪戦苦闘しているころ、私はのんびりと朝風呂。
 至福のひと時と言いたいけれど、〆切のことを考えると胃が痛くなる。
 湯船に浸かっているときも、原稿の書き出しとか、構成とか、あれこれやが勝手に脳裏をよぎっていくのだ。

《見ればただ 何の苦もなき水鳥の 足に暇なき我が思いかな》

 水戸黄門のよく知られた一句だが、愚妻には私の忙しさがわかるまい。
「ヒマそうね」
 と、ことあるごとに嫌味を言う。
 私は、水鳥の苦労がよくわかるのだ。

投稿者 mukaidani : 09:38

2012年07月11日

12月で62歳か

「わしは60歳だったか?」
「あなた、年々若くなるの?」
「61か?」
「12月で62歳になるのよ」

 つい先ほど、愚妻との会話である。

 還暦になったときの感慨が大き過ぎて、いまもって60歳の気分を引きずっていたことにハタと気づいた。

「死」というものを本気で考える年齢ということか。

 それにしても、
「あなた、年々若くなるの?」
 とは、皮肉もキツ過ぎはしないか。

 夫婦は〝戦友〟と言うけれど、戦友にもいろいろあるものだと感心しきりなのである。

投稿者 mukaidani : 23:41

2012年07月08日

痛風も峠を越えつつ

 痛風の痛みが、やっと峠を越えた。
 だが、愚妻は不機嫌なまま。

 愚妻に言わせれば、医者から処方された予防のための薬を飲まないことが原因であって、
「あなたの痛風は病気ではない」
 と主張する。

 だから、痛テテテと床を這っていても、ちっとも同情しないのである。

 ついでに、胃に棲息するピロリ菌も、
「菌がいるだけで、病気ではない」
 とバッサリ。

 私が日々、どれだけ神経をすり減らしているか、わかっていないのだ。

 原稿に追われ、保護司の仕事であたふたし、さらに先週、今週と法要のお勤めである。これは馴れないことなので、神経を使うのだ。
 しかも今日は、痛風の足を引きずって。

 道場の稽古もあるし、9月合宿の指導は支部長諸君にまかせるため、そのメニューと、支部長に道場に来てもらい、個別の細かい指導をしなければならない。
 試合用に、子供たちに新しい型を教えようと思っているので、その研究もしなければなない。

「おい、わしのがこれほど神経をすり減らしていることを、おまえは知らんのか」
 きつく言うと、
「でも、好きでやっていることでしょ」
 意に介さない。

 愚妻は元気だ。

投稿者 mukaidani : 21:30

2012年07月06日

痛風だ!

 ヤバイ!
 痛風の発作である。
 朝から痛み始め、昼からは家のなかを這って歩くほど悪化。

 ピロリ菌に続いて痛風の発作に、愚妻がキレた。
「言わないことじゃないでしょ! このところ水を飲まないと思ってたんだから!」

 午後、這うようにして車に乗り込み、かかりつけ医者へ。
 薬を処方してもらったが、鎮痛剤アレルギーとあって、効き目の弱い鎮痛剤である。

 ステッキをつき、顔をしかめ、それでも道場に出た。

 明後日は、どうしても顔を出さなければならない用事がある。
(痛みよ、早く飛んでいけ!)
 祈るような気持ちなのだ。 

投稿者 mukaidani : 21:21

2012年07月04日

ピロリ菌がいた

 今日はピロリ菌の検査結果が出る日だが、原稿〆切なので時間がなく、愚妻を行かせたところが、
「ちょっと、ピロリ菌がいるってよ!」

 噛みつくような電話。

「バカ者。ピロリ菌は五十代以上の七割が持っておる。これで、わしも人並みということがわかったではないか」
「なに言ってるのよ! 菌がうじゃうじゃいるってよ!」
「医者が〝うじゃうじゃ〟などという言葉を使うわけがない」
「そんなことはどうでもいいでしょ!」

 まるで私が悪いことでもしたように批難されたのである。
 心配の裏返しであれば結構なことだが、さて、どういうものやら。

 薬を一週間服用して、二カ月後に検査。
 ピロリのせいか、愚妻の怒声のせいか、このプログを書きつつ、胃がシクシク痛むのである。

投稿者 mukaidani : 21:40

2012年07月03日

心のなかは「矛盾」か「滑稽」か

 大震災から始まって、集中豪雨に竜巻など自然災害が頻発している。
 被害に遭われた方々は本当にお気の毒だが、ニュースを見る私たちは、さほど驚かなくなっているのではないだろうか。

 言葉は悪いが、自然災害も続けば馴れてくる。
 同様に幸せも続けば馴れっこになって、ブツブツ不満を口にするようになる。

 つまり人間は、どんなハッピーな境遇にあろうとも、決して幸福にはなれないということなのである。

 したがって、私も不幸、あなたも不幸、そして彼も、彼女もみんな不幸ということになり、理屈から言えば嫉妬が起ころうはずがないのだが、現実には嫉妬という暗い炎を心の裡(うち)でチロチロと燃やし続けている。

 矛盾である。
 いや、滑稽か。

 心のヒダを一つずつ解きほぐしていけば、あまりの滑稽さに大笑いするのではないか。

 これから原稿の追込みにかかろうと、パソコンの前に坐ったら、ふとそんな思いがしてきたのである。
 

投稿者 mukaidani : 23:13

2012年07月01日

法要と、街頭啓発

 今日は午後2時から、八王子の霊園で、友人のご母堂の3回忌。
 お経の上手・下手はともかく、坊主の私が遅れるわけにはいかないが、千葉から八王子まで時間が読めない。

 スーッと行けば3時間はかからないが、日曜だし、時期によって中央高速は混むのだ。

 家を9時に出て、霊園の会館についたのが12時30分。
 ちょっと早すぎたが、ギリギリに着くよりはいいだろう。

 無事、法要をすませ、いま帰宅したところ。

 これから駅頭で、襷(たすき)をかけて、街頭啓発だ。
 7月は「社会を明るくする運動」の強化月間で、主催が法務省であるため、保護司としては必ず参加である。

 だが、野田某だ、小沢某だ、谷垣某だといった政治家たちの身勝手さを見ていると、社会は明るくなりそうにないではないか。
 外は小雨。
 原稿の督促。
 溜め息である。
 

投稿者 mukaidani : 17:24