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2012年06月29日

検査で、あれこれ考える

 腎臓のエコーと、胃カメラ検査のブログを書いたきり、あっという間に四日がたった。

 あれやこれやと忙しく、ブログ更新をコロリと忘れていたのだが、友人たちが心配して、
「何ぞ、悪い結果だっんじゃないか?」
 と心配メールを頂戴した。

 ありがたいことである。

 ピロリ菌の検査結果が出るのは来週だが、そのほかは現時点で特に問題なし。

「胆のうに小さな石、肝臓と腎臓にいくつか小さな嚢胞(のうほう)、十二指腸が荒れている」
 とのこと。

 嚢胞とは「液体の入った袋」のことで、
「年に一度、検査を受けて、大きさに変化があるか診ましょう」
 ということだ。


 それはそれとして、今回の検査で、いくつか勉強になったことがある。
 胃カメラ検査の最中、補助役の中年看護婦さんが、
「苦しかったら鼻で息を吸って下さい」
 と言ってくれたのだが、うまく吸えないのだ。

(なんでだ?)
 と、検査のことはそっちのけで考えてみたら、口を開けたままでは鼻で息を吸うことは、まず困難なのである。

 だから検査が終わって、中年看護婦さんに言った。
「口を開けては、鼻から息を吸うのは難しいですよ」

 すると看護婦さんは、
「それはごめんなさい。私、経験がないもので」
 とても素直な人で、好感が持てたのである。


 検査してくれたのは若い女医さんだが、胆のうに石があるとか、肝臓と腎臓に嚢胞があるとか、ドキリとさせることを私に告げてから、
「これはあくまで所見で、問題があるというわけではありません」

 説明を聞きながら、私なら、
「問題はありません」
 と安心させてから、
「所見としては」
 と、石や嚢胞の説明をしただろう。

 そんなこんなで、勉強になった検査であった。

 ただ、いまだに腑に落ちないのが、検査から帰宅したとき、愚妻が何も訊かなかったこと。

「どうだった?」
 と訊くのがフツーではないか。

 訊かないから、私も答えない。
 私が黙っているから、愚妻も訊かない。
 検査結果を伝えないことで、大丈夫だったと思っているのか。

 何となく、奥歯にモノがはさまったようで、複雑な気分であった。
 

投稿者 mukaidani : 11:39

2012年06月25日

今日は胃カメラ

 昨日は空手の大会があり、終日、体育館。
 本部席に座って、他会派の指導者と雑談しているだけなのだが、それも終日となると疲れるのだ。

 思いはみなさん同じのようで、
「稽古で号令をかけるだけでも疲れますなァ」
 こんな言葉に大きく頷いていた。

 今日の午前中は、腎臓のエコーと胃カメラ。
 脳のMRIは異常がなかっだけに、エコーもカメラも無駄のような気がするが、いまさらキャンセルというわけにいもいかない。
 何より、愚妻が黙ってはいまい。

 今週〆切の本があり、編集者から「どうですか」のメールが来ている。
 8月刊行だから、遅らせるわけにはいかない。
 それを思うと胃がキリリで、もし今日、胃カメラで異状が発見されれば、きっと〆切のせいに違いない。

投稿者 mukaidani : 08:50

2012年06月20日

里山で子鹿に遭遇

 房総・御宿の里山に『愚為庵』という古民家の料理屋がある。

 私のお気に入りで、九十九里の仕事部屋に出かけると、食事をしにいく(詳細はhttp://www.daichi.nu/guian/guian.htm )。

 で、昨夜。
『愚為庵』の帰途、山あいを走っていると、子鹿が道路に飛び出してきて、あやうく跳ねるところだった。

 急ブレーキをかけつつハンドルを切ってコトなきを得たが、それにしても、私がもう少しスピードを上げて走っていれば、子鹿と遭遇することはなかったろう。
 もっとゆっくり走っていても同様である。

 ちょっとしたアクセルの踏み具合で、衝突もすれば、難を避けることもある。

 交通事故も、人生も同じか。

 それを「因縁」と呼ぶか「運」と呼ぶかはともかく、人生は人智の及ばざるものであることを、あらためて思った。

投稿者 mukaidani : 06:31

2012年06月18日

昨日は演舞会

 昨日は、小学校の体育館をお借りして、昇空館の稽古発表会(演舞会)を行った。

 年に一度の開催で、今年で8回になる。

 ものぐさな私はイベント事は好きではないが、8年前、当道場の稽古発表会をふと思い立ったのが始まり。クラスが違えば、顔を合わす機会がないので、これではまずかろうと思ったのである。

 そして翌年、支部道場から参加があり、それが発展していって「演舞会」になった次第。

 参加は、百余名。
 支部の演舞は年を追って工夫し、感心しきり。
 試合だけでなく、「発表の場」の持つことの大切さを実感した次第。

 七月は、一日と十九日にお経を頼まれている。
 心もとないお経だが、これも「発表の場」と思えばありがたいことではないか。

 何ごとも、ためらっていては前に進めない。
 目をつむってでもいいから、足を一歩踏み出すこと。
 そんなことを考えながら、演舞を見ていた。

投稿者 mukaidani : 11:25

2012年06月13日

畑の「罪つくり」

 畑に〝鬼ナントカ〟という花を愚妻が植えている。
 名前を聞いたが、忘れた。
 バカデカイ花で、これまたバカデカイ蕾(つぼみ)をつけているのだが、自重で茎が斜めに傾き、倒れる寸前である。

「アホな花だ」
 と私が毒づいたら、
「そうじゃない」
 と、畑大指南役のSさんにたしなめられた。

「こんなになるまで放っておいたのが悪い。茎が弱いと思ったら、小さいときに添え木をしとけばいいの。傾いてから何とかしようとするのは大変だからね」
 そう言ってから、
「人間も、しつけるなら小さいうちだよ」

 この言葉が耳に残っていたのだろう。
 畑帰りのクルマのなかで、
「ちょっと、甘やかし過ぎだわね」
 と、愚妻が、孫たちとその母親である娘のことをプリプリと怒り始めた。

 S大指南役のつぶやきのせいで、娘はきっとトバッチリを受けることだろう。

 畑も罪つくりなものではないか。

投稿者 mukaidani : 22:46

2012年06月09日

モンシロチョウの「羽音」

 朝から雨。
 唐突に鰻(うなぎ)が食べたくなり、印旛村の『余白亭』に行く。

 骨董と盆栽が趣味の旦那は不在。
「静かで、いいのよ」
 と奥さん。

 雑談をしていると、窓の向こう、小川の上を雨に濡れながらモンシロチョウがひらひらと飛んでいる。

 見ているうちに、先日、畑に行ったときのことを思い出した。

 畑にはたんさんのモンシロチョウが飛んでいたが、そういえば羽の音がまったくしないことに、今さらながら気がついたのだ。

 じっと耳をすませていると、愚妻が、
「どうかしたの?」
 と問いかけてきた。

「蝶の羽の音が聞こえないものか、耳をすませておる」
「バカみたい。聞こえるわけがないじゃないの」
「それは音がしていないのか、それとも人間の耳に届かないだけなのか」
「集音マイクで試してみたら」
「そういう問題ではない」
「どういう問題よ」

 私たちは五感で確認できるものしか「存在」を認めようとしない。
 羽の音がしているなら、それは単に私たちの耳に届かないだけであって、現実には「存在」していることになる。

 すなわちモンシロチョウの「羽の音」は、「存在」と「認識」ということに対して、大いなる示唆を与えているのだ。
 私が耳をすませているのは、思索であって酔狂ではない。

 そのことを愚妻に説明すると、
「わかったわよ」
 つまらなさそうに返事して、
「早く草を刈ったら」

 リアリストとっては、蝶の羽音など、どうでもいいことなのだ。

投稿者 mukaidani : 14:48

2012年06月06日

金星の太陽面通過

 今日は「金星の太陽面通過」である。

 だが金環食のとき、朝風呂へ入っていて見るのを忘れた私としては、もはや〝天体ショー〟への興味はまったく失せている。

 テレビが盛んに「次ぎに見られるのは105年後」と煽(あお)っているが、「それがどうした」である。

 なぜなら、いま過ぎ去っていく「この一瞬」は、100年どころか永遠に還ってこないものであるからだ。
「金星の太陽面通過」なんぞ、105年ほど待っていれば、また見られるのである。

 あらためてこう考えると、金星よりも、「この一瞬」こそ大事ではないか。

 バーゲンセールの呼び込みではないが、
「今日という日は、今日限りで無くなるよ! 早い者勝ちだよ!」
 こう言われれば、あわてて、
「買った!」
 と叫ぶことだろう。

 今日という日をもっと大事にしなければ。
「金星の太陽面通過」のニュースに、そんなことを考えるのである。

投稿者 mukaidani : 14:39

2012年06月04日

MRIを撮る

 今日は病院で、頭部のMRIを撮った。

 といっても、調子が悪いわけではない。

 経緯はこうだ。

 先月のこと。
 歩いていて縁石につまずいたり、クルマのドアに頭をぶつけたり、何度かアクシデントがあった。

 それを愚妻が見ていて、
「ちょっと、白内障じゃないの?」
 と言いだしたのである。

「なぜだ」
 と問うと、
「だって私、白内障の手術をするまでは、よくつまずいたり、頭をぶつけたりしたもの」
「バカ者! おまえと一緒にするな」

 一喝すると、愚妻はしばし思案していたが、
「わかった! 頭の血管が詰まりかけているのよ!」

「そんなはずはない」
 と私は厳しくたしなめたのだが、
「脳梗塞の徴候の一つだと、確かテレビで行っていたわ」

 愚妻は思い込んだら一直線。
 夫婦して高血圧の治療を受けているのだが、一緒に診察に行ったおり、主治医に愚妻がまくしたてた。

「先生、主人がこのごろヘンなんですよ。つまづいたり、頭をぶつけたり。そういうことは、これまで絶対にない人ですから、これはきっと頭の血管が・・・・」

 先生も愚妻の迫力に押し切られたのだろう。
「じゃ、MRIを撮ってみましょう」
 ということになった次第。

 愚妻は私の身を案じてくれているのか、あるいは倒れられたら大変とあわてたのか。
 複雑な心境で、MRIに臨んだのである。
 

投稿者 mukaidani : 20:50

2012年06月03日

走っては笑い、つまずいては笑う

「明日の価値」は「明日」が決める。

「今日の価値観」で「明日」を思いわずらってはいけない。

「明日は明日の風が吹く」
 とは、こういう人生観のことを言うのではないか。

 そんなことを考えていると、

「日日是笑日」
「一日一笑」

 そんなフレーズが浮かんできた。

 走っては笑い、つまずいては笑い、ひと休みしては笑う。
 笑う人生に、不幸などあるわけがない。
『笑う門に福来る』
 とは、なるほどうまいことを言うものだ。

 今日、保護観察の少女が来た。
「笑え、笑え」
 と言ったら一瞬、キョトンとして、それからクスリと笑った。

 人間の顔でいちばん美しいのは、やはり笑顔なのだ。

投稿者 mukaidani : 22:20

2012年06月01日

猛然とダッシュ

 さあ、今日から6月。
 1年のちょうど折り返しである。
 ふと、競泳100メートルの折り返しターンが脳裏をよぎる。

「おい、6月だぞ!」
 愚妻に告げると、
「あら、知らなかったの」

 ノンキな女だ。
 私の生き方が〝人生の競泳〟であるなら、愚妻は〝アヒルの散歩〟といったところか。

 是非は問うまい。
 人生、いろいろあってよし。
 我は我なり。
 さあ、今年後半に向けて猛然とダッシュである。

投稿者 mukaidani : 08:54