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2012年03月30日

まぎらわしい「返答」

 胃痛を押して、畑へ出かけた。
 一週間前に蒔(ま)いたタネのことが気になったからだ。

 小松菜など、そろそろ芽が出るころだが、まだのようだ。
 ガッカリするよりも、不安のほうが大きくなる。

 ふと畑の隅を見やると、草らしきものが葉を広げている。
「おい、これは草か?」

 念のため愚妻に問うと、
「草じゃない」
 という返事。

 ここで問題が発生する。

 愚妻の言い方が、
「草じゃない?」
 と疑問符のつくイントーネーションであれば、
「それは草だと思う」
 と賛意の返事になる。

「草じゃない!」
 と、〝じゃない〟にアクセントがあれば、
「それは草ではない」
 と否定の返事になる。

 私は賛意の意味に取り、鍬(クワ)でガツンとやったところが、
「何するのよ!」

 愚妻が怒った。
 ルッコラーだか何だか、愚妻が植えた野菜だったのである。

 ここから論戦が始まる。
「草じゃないって言ったでしょ!」
「ならば、わしの質問に対して、なぜイエス、ノーで答えないのだ。責任は、まぎらわしい返事をしたおまえにある」
「いつもそうなんだから!」

 こうして論戦は丁々発止と続くのだが、さて返事や伝達の間違いは「伝えた側」にあるのか「受け取った側」にあるのか。

 今日の畑は、いろいろ考えさせられたのである。

投稿者 mukaidani : 23:19

2012年03月29日

空腹に胃が痛む

 胃が痛い。
 神経的なものではない。
 腹が減ると痛くなるので、胃酸の関係だろう。
 以前もあった。

 愚妻に命じて市販薬を買ってこさせたが、効き目はイマイチ。

「パンを持って歩いたらどう?」
 グッドアイデアのつもりだろう。
 愚妻がアホなことを言う。

「バカ者。それでは根本解決にはならないではないか。わしは一生、パンを持って歩くのか」
「じゃ、医者へ行けばいいじゃない」
「行く時間がないから苦しんでいるのだ」
「だからパンを持って歩けばいいって言ってるじゃないの」

 くだらぬ論戦で、胃はますます痛むのである。

投稿者 mukaidani : 22:18

2012年03月27日

愚妻の鋭き観察眼

 巨額の年金資産を消失させたAIJ社長が、衆院財務金融委員会に参考人として出席。

「騙(だま)す気はなかった」
 と釈明した。

 これ、いい言葉ではないか。

「ウソをつくつもりはなかった」
「そんなつもりじゃなかった」
 これに「騙す気はなかった」を加えれば、鬼に金棒である。

「ちょっと、着物は自分で畳むと言ったじゃないの。ウソばっかり」
 先ほど愚妻が怒ったので、
「違う。ウソをつくつもりなんか毛頭ないのだ」

 さっそく使ってみたところが、
「そうでしょうよ。あなたはウソばっかりなんだから、ウソをつくという意識なんかあるわけないでしょ」

 ウーム。
 となると、AIJ社長は騙してばかりいるので、騙すという意識すらなかったということか。

 愚妻の鋭い観察眼である。

投稿者 mukaidani : 23:28

2012年03月26日

「主体」は我なり

 昨日は、松戸市の天真寺で龍笛(りゅうてき)の稽古。
 H先生の熱心な指導で、一心不乱の3時間である。

 それにしても、H先生は愚息と同い年。
 まさに年齢が親子の違いがあるにもかかわらず、ワガママな私が素直に指導され、お小言を頂戴しているのだ。

 愚妻にそのことを話すと、
「信じられない」
 と真顔で驚き、私も真顔で、
「わしも信じられない」
 と返事する。

 その理由をつらつら考えてみると、
「私が望んで指導を仰いでいる」
 ということに突き当たる。

 つまり、「私が望んだ結果」において「指導」が成立しているわけで、自分自身に対する精神的なイニシアチブは「私」にあるということなのである。

 もってまわった言い方だが、要するに仕事も趣味も、「反発」は「強制」されることにおいて生じるということなのだ。


 私は酒をやめて六年になる。
 何となくやめようと思っただけで、特に理由はない。
 医者から強制されたわけでもないし、健康のことを考えてのことでもない。
 だから、いつ飲み始めてもいい。

 この「気持ちの余裕」、すなわち精神的なイニシアチブが「私」にあることによって、断酒はまったく苦痛にならないというわけである。


 こうした経験から、不平や不満は、イニシアチブが取れない状況において生じてくるということがわかる。

 すなわち、意に染まない仕事でも、人間関係でも、
「それは私が選び取ったものであり、イヤならいつでも辞めればよい」
 という意識を持つことが、人生の不平不満から自分を解き放たつコツということなのである。

投稿者 mukaidani : 01:40

2012年03月22日

畑で人生を学ぶのだ

 畑に行ってきた。
 大指南役のSさんが駐留する小屋に声を掛けるが、応答なし。
 散歩か。

 しょうがないから、私がネギを植え始めた。
「ちょっと、浅いんじゃない?」
 愚妻が横から余計なことを言う。
 腰が痛いのに、これ以上、深く掘れるか。

「バカ者。ネギは数年前、わしが初めて畑をに手を染めたとき、最初に植えたものだ。余計な口をはさむな」
「一列でいいんじゃない?」
「二列だ。わしが初めて畑に手を染め・・・」
「わかったわよ」

 かくして私が植え、ネギの根っこに土をかぶせたところへ、S大指南役が笑顔で登場。
 吐息が酒臭い。
 ビールを飲んで寝ていたようだ。

 で、開口一番。
「浅いよ、それじゃ。もっと深く掘らなくちゃ!」
「土、かぶせ過ぎ。窒息しちゃうよ!」

 愚妻の勝ち誇ったような顔。
 亭主の面目、丸つぶれ。

 しかも、
「二列じゃなく、一列。そんなに間隔をあけてどうするの」


 私の立場はなくなり、黙々とタネを蒔(まき)き始める。
 私のやり方は〝花咲爺さん〟で、景気よくパッと蒔く。

「ほらほら、まんべんなく蒔かなくちゃ」
 S大指南役からダメ出し。

 かくして、ほうれん草、小松菜、チンゲンサイ、小カブなどをやっとこさ蒔き終え、ついでにまだ耕していない場所に堆肥をやり、苦土石灰を蒔くが、これまた私は〝花咲爺さん流〟。

「ちょっと」
 とS大指南役。

「前も言おうと思ったけど、あんまり言うと悪いので黙っていたけど、それじゃ、蒔き過ぎだよ」
「どうせなら、たっぷりと・・・」
「ダメダメ、多すぎるのはダメ。足りないのはよくても、多すぎるのはダメ」
 そして、
「何だってね、足りないくらいでちょうどいいの」

 そうだ。
 家康だったか、
「足らざるは、過ぎたるより勝れり」
 と言っているではないか。

 今日の私は、いいところがなかったが、畑はホントにいろんなことを教えてくれる。
 それだけでも、畑に来た甲斐があったではないか。

投稿者 mukaidani : 14:53

2012年03月21日

口は災いのもと

 今日は午前11時から保護司の研修会。
 夕方から稽古。
 終わって、道場の仕事部屋で原稿を書き始めたが、気が乗らず、先ほど帰宅。
 すると愚妻が〝畑本〟を広げてメモを執っている。
「何をしておる?」
「明日、畑でしょう。タネの蒔(ま)き方を調べているのよ」

 すっかり忘れていた。
 明日は夕方から、大学の先輩たちとオデンを食べに行く約束をしていて、そのことしか頭になかったのだ。

 畑も何だか気乗りしないが、週末は雨の予報。
 明日、行かなければ愚妻がブチ切れるだろう。
 原稿が気になるが、やむを得まい。

 愚妻も、私のように「あきらめ上手」になれば、もっと気楽に生きられるだろうに、かわいそうなヤツだ。

 そう言うと、
「あなたがいるから、私は気楽に生きられないんじゃないの」

 藪をつついて何とやら。
 口は災いのもとなのだ。
 

投稿者 mukaidani : 23:59

2012年03月20日

審査会が終了

 審査会は無事、終了。
 普段の稽古を通して技量はわかっているはずなのに、審査会であたらめて見ると、
(こんなに上手だったかな)
 と思ったりする。

 審査する側も、される側も、それぞれ一線を引いて、演舞し、審査するからだろう。
 審査会の意味は、ここにある。

「自分」が「自分」に対して一線を引いて見ることができたなら、また違った「自分」を発見できるのではないか。

 審査しながら、そんな思いをいだいた。

投稿者 mukaidani : 22:39

2012年03月19日

愚妻と「耐性ウィルス」

 北朝鮮が、人工衛星とやらのミサイルを発射するそうだ。
 このニュースを見て、愚妻が言った。
「あら、北朝鮮て、お金を持ってるんじゃないの」

 鋭い指摘である。

 何が鋭いかというと、北朝鮮をダシにしつつ、私を非難しているからだ。

「お金が無い無いと言いながら、通販で着物を買っているじゃないの」
 そう言ってるのだ。

「おい」
「なに?」
「夫にイヤ味を言って幸せなった妻はおらんぞ」
「何のこと?」
「北朝鮮のミサイルだ」
「あなた、ミサイルなの?」
「違う」
「ならいいじゃない」

 最近の愚妻は手強くなった。
 結婚してこの4月で38年。
 耐性によって強くなっていくのは、どうやらウィルスだけではなさそうである。

投稿者 mukaidani : 22:26

2012年03月18日

楽しく生きるコツ

 午後、曇り空。
「よし、畑に行くか!」
 愚妻を伴い、量販店へ春野菜のタネとネギの苗を買いに行った。

 コマツナ、小カブ、チンゲンサイ、ニンジン、あとは忘れたが8種類だか10種類だか手当たり次第にタネ買った。
 だが、ネギの苗がイマイチ。
 元気がないのだ。

「よし、別の店へ行くぞ!」
 駐車場へ出たところで、
「あら?」
 と愚妻。

 雨が降り出したのだ。

「しょうがないわね」
 と愚妻がこぼすが、これは間違い。

「苗を買ったところで雨が降り出したらどうするのだ。買う前であったことを喜べ」
 さとすと、
「あなたは、何でもいいように解釈するのね」

 イヤ味なことを言ったが、まさにそのとおり。
 これぞ、人生を楽しく生きるコツなのだ。

投稿者 mukaidani : 22:36

2012年03月17日

忙しくて、ヘロヘロである

 友人から、
「病気でもしたのか」
 というメールが来た。

「なんで?」
 返信すると、
「2日間ほど、キミのブログが更新されていないから」


 ブログは正直なものだ。
 ここ数日、原稿だ何だと忙しく、愚妻の悪口は山ほどあるのだが、それを書く時間がなかった。

 龍笛だって、稽古していない。
 25日は稽古日なのであせっているのだが、原稿に追われつつ、ピーヒャラと吹くわけにはいかないのだ。


 来週の火曜日は道場の審査会。
 知人と食事の約束もある。
 編集者との打ち合わせもある。
 年度末で空手関係の総会が2つ。
 そういえば保護司の研修会もあり、そのあと市長と保護司の懇談会。

 今夜も9時に稽古が終わったが、まだ道場でパソコンに向かっている。
 明朝は、松戸市の天真寺に朝のお参りに出かける。
 4時に起きて朝風呂に浸かり、5時に自宅を出発だ。

 もうヘロヘロ状態だというのに、先ほど愚妻から電話。
「明日、雨が上がったら、昼から春野菜を植えに行くわよ」
 ノンキな声に、私はめまいがするのだ。

投稿者 mukaidani : 23:30

2012年03月14日

「野菜観」と「人生観」

 昨日午後、都内から帰宅すると、稽古が始まる前に大急ぎでジャガイモを植えに愚妻と畑へ出かけた。

 愚妻に講釈をたれながら植えていると、大指南役のS氏がやってきて、
「違う、違う!」

 植え方を間違っていた。

 愚妻がジロリと私をニラんだので、
「おまえは、私の植え方について異論をはさまなかったではないか」
 と非難したが、愚妻はニコニコ笑顔のまま。
 S氏の手前があるのだろう。
 調子のいい女だ。


 懸案のジャガイモを植え終わり、
「やれやれ、これでひと安心です」
 と背伸びしながらS大指南役に告げると、
「ひと安心じゃないよ」
 と怒られた。
「これから植えるものがたくさんあるんだから。キャベツ、ブッコリー、ネギ、レタス・・・」

 ホントだ。
 ノンキに原稿など書いている場合ではないと、気を引き締めた次第。


 それにしても、S大指南役の〝野菜観〟は含蓄に富んでいる。

「野菜は、命をもった生き物なんだ。そのことを忘れて、人間は自分の力で野菜を作っているような錯覚をしている」

「野菜は何も文句を言わないけど、手を抜けばちゃんと〝態度〟にあらわすんだ。正直だねぇ」

「お金に転ぶのは人間だけ。肥料の代わりに一万円を土に埋めても野菜は育たないんだ」

 そっくり人生に当てはまるのだ。

投稿者 mukaidani : 14:38

2012年03月13日

歳を取るのも悪くないものだ

 朋(とも)あり遠方より来たる。
 いや、遠方より帰る、か。

 友人で、サンパウロ新聞の社長(日本人)が帰国。
 お土産にステッキをちょうだいした。
 和服によく似合うのではないか、と悦に入っている。 

 サンパウロと日本は時差が24時間だから、日本の真反対側。
 本当に遠い。
 私は所用でサンパウロに出かけたことがある。
 楽しかったが、ロス経由で片道20数時間のフライトはうんざりである。
 それから二度と行っていない。
 まさに「遠方より帰る」である。


 この日、もう一人、友が遠方からやってきた。
 こちらは距離の遠さではなく「歳月」だ。
 私の出身地である広島県呉市で、中学、高校と同級生だった友人とひょんなことから連絡を取り合うことになり、40数年ぶりに都内で会った。

 お互い、変わったといえば変わったし、変わらないといえば変わらない。
 歳月は、渦中にあっては長く、過ぎてみればまさに矢の如しか。
 人生に一喜一憂するのが滑稽に思えてくる。
 歳を取るのも悪くないものだ。


投稿者 mukaidani : 22:11

2012年03月12日

愚妻と協定を結ぶ

 着物や帯、羽織紐など、和物をネットで少しずつ買いそろえている。
 宅配便で配達されるたびに、
「ちょっと、いくら買えば気がすむのよ!」
 愚妻の目がつり上がるのだ。

 実際、私も何を買ったか忘れている。
 これは性格なのだが、「買った時点」で、その品物は頭から消去されてしまうのだ。
 したがって「所有欲」も希薄。

 若いころは、持ち物をホメられると、ネクタイからライターからカフスからバッグから、何でもかんでもその場でプレゼントしたものだ。

 そういえば何年前だったか、フィジーに愚妻と旅行したとき、レストランで働く地元のアンちゃんが私のTシャツを指さして、
「いいね」
 と(たぶん)ホメてくれたので、私がTシャツを脱いで裸になり、
「やるよ」
 と言って差し出したらビックリしていた。

 アンちゃんが恐縮して受け取ろうとしないので、
「こらッ、一度、脱いだものが着られるか」
 とか何とか言って脅迫すると、愚妻が、
「ちょっと、フィジーまで来てゴネるのはよしなさいよ」
 と止めたものだ。

 そういう性格だから、ネットで気に入った和物のを見つけると、すぐに買ってしまうというわけだ。

 だが、宅配便が来るたびに愚妻に目を吊り上げられるのはかなわない。
 そこで協定を結んだ。

 費用は全額、私が支払うこと。
 着物を畳んだり、半襟を付け替えたりするのは、私が自分でやること。

 何だか屈辱の講和条約のような気がしないでもないが、愚妻の恐い顔を見なくてすむだけ、幸せということか。
 だが、畳むのは大の苦手だし、針仕事など、中学生のときに家庭科で雑巾を縫った経験しかない。
 協定を結んだもののも、どうやって破るか。
 いまそのことに頭をめぐらせているのだ。
  

投稿者 mukaidani : 20:48

2012年03月11日

万人の苦悩は「同等」か

 BSプレミアムで『エリザベス女王の60年』という番組を放送するそうだ。

 さして興味はないが、
《女王としての日々は問題の連続だった》
 という番組の紹介文に目が止まった。

 抜粋すれば、
《刻々と変化する時代の波。大英帝国の終えん、深刻な経済停滞、チャールズ皇太子の離婚、ダイアナ妃の事故死。この60年、エリザベス女王は何を思い、国民は王室をどう見てきたのか?》

 かのエリザベス女王ですら、苦悩の人生であったということになれば、幸せはどこにもないことになる。

 これを「絶望」と受け取るか、「万人は平等」と受け取るか。

 もっと言えば、何が幸せで、何が不幸なのか。


 幸・不幸は心の裡(うち)に棲むと仏教は教える。
 どんな境遇にあっても、人間は不幸にもなれば、幸せにもなれるということだ。

 そうだろうと思う。
 思いつつも、「本当にそうだろうか」という懐疑もある。

 エリザベス女王の苦悩と、孤独死する人の苦悩が同等とは、どうしても思えない自分がいる。
 そのあたりのことを、自分なりにもっと掘り下げていきたいと思う。

 東日本大震災から、今日で一年になる。

投稿者 mukaidani : 16:01

2012年03月09日

雨が降り続くのだ

 今朝から雨。
 夜になっても雨。
 明朝も雨だそうだ。

 愚妻が早手回しに豆の苗を買ってきている。
「明日の午後でも、雨がちょっとでも上がったら、豆だけでも植えに行ってくるわ」
 気合いもじゅうぶんである。

「そうか、頼むぞ」
 と言いたいところだが、そんなことを口走れば、あとでエライことになる。

「わかった。わしも一緒に行こうじゃないか」
 と言ったところが、
「明日は一時からマッサージでしょ」
 
 そうか、うっかり忘れていた。
 畑を耕す代わりに、私はマッサージで肩と腰を耕してもらうことにしよう。

投稿者 mukaidani : 22:47

2012年03月08日

何事にも夢中

 ジャガイモを植えなければならない。
 愚妻は、先週末から天気予報とニラめっこである。

 私は、畑準備の一切を愚妻にまかせて、袴(はかま)の着付けと馴れに奮戦。
 愚妻はあきれて、もう何も言わなくなった。
 根性で押し切ったのである。

 私が「人生訓」を連載しているサンパウロ新聞のS社長(日本人)が帰国したとの連絡がある。
 ブラジル土産にステッキをリクエストしておいたので、持参したとのこと。
 和服と作務衣に似合えばいいが。

 こんなことばかりやっているので、原稿は遅れ気味である。
 ついでにブログの更新も忘れていた。
 何事にも夢中になる。
 困ったことだ。

投稿者 mukaidani : 20:37

2012年03月05日

雨とスーパー銭湯

 今日は朝から冷たい雨。
 これならスーパー銭湯はすいているだろうと、午後から愚妻と出かけたところが、客で賑わっていた。

 私と同じことを考えた人たちなのか、雨で仕事が中止になった人たちなのか、あるいは両方か。

 混んでいてガッカリしたが、他の客もまたガッカリしたことだろう。

 みんながガッカリしながら、同じ湯船に浸かっている。

 そうだとすれば、何とも滑稽な光景ではないか。

投稿者 mukaidani : 23:30

2012年03月03日

「あきらめ上手」で生きる

「だけじゃないか」
 という人生観が、私の最近のお気に入りである。

「お金がないだけじゃないか」
「病気しただけじゃないか」
「失業しただけじゃないか」

「だけじゃないか」の人生観で生きることを、私は「あきらめ上手」と名づける。

 そこで今日の昼、うなぎを食べに行った帰りのクルマで、
「おい、おまえは素晴らしい亭主を持って幸せ者だな」
 と愚妻に告げてみた。

「どこが幸せなのよ」
 愚妻がムキになるので、
「だって、わしはマガママなだけじゃないか」
 亭主はワガママとあきらめれば不満はたちどころに解消され、バラ色の人生が待っているということを言外に告げたわけだ。

 ところが、愚妻にはこの含蓄に富んだ言葉の意味が理解できない。
「ちょっと、そのマガママが大変なんじゃないの!」
 と眉をつり上げるのである。

 こんなことでは生涯、愚妻はバラ色の人生とは無縁であろう。
「あきらめ上手」になりさえすれば、その瞬間からハッピーになるというのに、何とも気の毒なものではないか。

投稿者 mukaidani : 14:34

2012年03月01日

知人の誕生日は閏日(うるうび)

 昨日、二十九日は、知人で書道家の誕生日。
 閏年(うるうどし)は四年に一回なので、誕生日の閏日も四年に一回ということになる。

 愚妻に言って、昨日、お祝いにイチゴを届けさせる。
「悪いねぇ」
 というお礼の電話に、
「歳をとらなくていいですね」
 と言うと、
「いや、誕生日は四年に一回だけど、歳だけは毎年とるんだ」

 なるほど、そうだ。
 加齢は誕生日とは関係ないということに、いまさらながら気がついた次第。


 今日は午後から保護司の研修会。
 観察所から家庭訪問の指示が四件ある。
 今朝も四時起きだが、原稿はやや遅れ気味。
 何とか挽回しなければ。

投稿者 mukaidani : 12:56