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2011年11月30日

カチンときた大学病院

 今日の午前、大学病院へ鎮痛剤アレルギーのことで診察に出かけた。

 月曜と水曜が、部長の外来診察日だと聞いていたからだ。

 雑用山積で時間がなかったが、
「行けるときに行かなきゃ、いつになるかわからないわよ!」
 愚妻にケツを叩かれて出かけたのである。

 で、皮膚科の窓口。
 診察を申し込んできた愚妻が浮かない顔で、
「部長が診るかどうか、部長に聞いてからでないとわからないんですって」

 そんなものかと、しばし待っていると、看護婦さんがやって来て、
「部長は予約しか診ないそうです」
 と言う。 

 なるほど、飛び込みじゃ無理か。
「じゃ、予約をお願いします」
 と言うと、
「部長は予約を受けていません」

 私は「?」である。

 予約しか診察せず、しかも予約を取らないとなれば、要するに初診は「診察しない」ということではないか。

 そうならそうとハッキリ言えばいいのに、フザケた部長である。

「他の医師でいいですか?」
 と看護婦さんがきくので、私は言った。

「別に部長に診てもらいたいわけではないが、以前、ここの皮膚科で診てもらったとき、若い医者が頼りないのでさっさと帰った経緯があるんです。部長なら、少しはまともだろうと思って、それでお願いしただけです」

 看護婦さんが悪いわけではないので丁重に告げて、今回もさっさと帰った次第。

 こんな部長じゃ、どうせ頼りにはなるまい。
 別の大学病院に行くことにしたのだ。

投稿者 mukaidani : 21:49

2011年11月29日

寺めぐりは楽じゃない

 京都の寺めぐりは歩く。
 だから今回は、特に歩きやすい靴を買い、ついでにジーンズも買った。ダウンジャケットも、軽さ一番ということで、わざわざユニクロのやつを夫婦して買った。

 ところが、寺をめぐるうちに、右足の親指の付け根が痛くなった。

 靴は申し分ないのだが、痛風で痛くなった部位が疼(うず)き始めたのである。

 愚妻を見やると、これも足を引きずっている。
 持病の膝痛が出たようだ。

 急遽、寺めぐりは中止。
 愚妻のステッキを購入するため、デパートへ。

「京都見物していたら、女房の膝が痛くなってねぇ」
 若い店員さんに言うと、
「それは大変ですね」
 と、気の毒そうな顔。

「実は去年も女房の靴が壊れてねぇ。やっぱりここで靴を買ったんだ」
「それはそれは」
「ちょっと、余計なこと言わないでよ」
 愚妻がステッキの具合を確かめながら、私を睨みつけた。

 午後から、愚妻はステッキをつきつつ、近間の寺をまわって、早々にホテルへ引き上げた次第。

「歳をとったらのんびり寺めぐり」
 とよく言うが、とんでもない。
 歳をとったら寺めぐりなどできないのだ。
 このことだけは、めずらしく夫婦して意見が一致したのである。

投稿者 mukaidani : 06:44

2011年11月28日

〝不覚〟のオナラ

 昨日、西本願寺に参拝してから大通りを渡ると、龍谷ミュージアムで『釈尊と親鸞』展をやっていた。

 これは釈尊と親鸞について、愚妻に教えるいい機会ではないか。

 そう思って入館し、親鸞聖人の座像の前で念仏と他力、浄土について話をしていたときである。

 プッ!

 解説に力が入りすぎたか、私は不覚にもオナラをしてしまった。

 微音で、刹那のオナラであったにもかかわらず、愚妻は鋭く聞きつけ、キッとした顔で私を睨みつけたのである。

 そして、ミュージアムを出るや、
「ちょっと、親鸞さんの前でオナラするなんて、どういう神経をしているのよ」
 眉をつり上げ、 
「エラそうなことを言っても、親鸞さんの前でオナラするようじゃ、誰も耳を貸さないわね」

 さんざん毒づいたのである。

 だが、罰当たりにして、不信心者の愚妻が、「親鸞聖人に失礼だ」と私を難詰するとは、少しは信心が芽生えてきたということか。

 そのことを知っただでけでも、私のオナラは意味があったということになる。

 オナラは私の〝はからい(意志)〟ではなく、親鸞聖人の〝はからい〟であったろうと、納得したのである。

投稿者 mukaidani : 09:55

2011年11月26日

深夜まで祝杯

 昨夜の審査会は、うちのメンバーは5人とも合格させていただき、ひと安心。
 深夜一時過ぎまで居酒屋で5人と祝杯である。

 受審者も大変だろうが、見守るほうも気が気ではない。
 ホッとしたら一気に疲れが出て、よく眠れた。

 で、5時半起床。
 昼前の飛行機だが、7時には那覇空港に着いて、いまラウンジでコーヒーを飲みながら原稿を書いている。
 ホテルで書くより、能率があがるからだ。

 と、唐突に(いつも唐突だが)、来年から、時間を見つけて沖縄に稽古に出かけたくなってきた。
 問題は愚妻である。
「自分の道場はどうするのよ!」
 怒るのは目に見えている。

 さて、どう納得させたものか。

 明日から2泊3日で、愚妻と京都へ紅葉を見に行く。
 一杯飲ませて丸め込むか。

投稿者 mukaidani : 08:51

2011年11月25日

沖縄に来たけれど

 昨夜7時に沖縄到着。
 ホテルにチェックインしてから、沖縄在住の書家であるT氏と居酒屋で旧交を温めた。
 いつもそうだが、武道、人生、宗教、さらにペット論と話題は多岐にわたり、T氏と話をすると大いに刺激を受ける。
 私にとって、いわば〝充電〟のようなものなのだ。

 で、今日は夕方まで原稿書きで、夜は文武館で審査会。
 翌朝には帰る。
 私は沖縄には100回以上来ているが、考えてみるに、うまい料理屋の一軒も知らない。
 いや、海にさえ入ったことがないのだ。

「バカみたい」
 と、愚妻は浅薄な言葉を投げつけるが、沖縄に100回以上行ってなお、海に一度も入らないというところに人生の面白さがあるのだ。

 こう言うと、愚妻は、
「どこが面白いのよ」
 と問う。

 物事に対して「理由」を求めるのだ。

 浅はかなことだ。
 そういう生き方が、自分を苦しくする。

 つまり、理屈に合えば是とし、会わなければ非とする価値観である。

「花のうつくしさに、〝なぜ〟を問う人間はいまい。物事に理屈を求める生き方を改めなければだめだ」

 愚妻にさとすと、
「ちょっと、それと沖縄の海と何の関係があるのよ。旅費は私が出してるじゃないの」

 キャンキャン吠え始めたので、携帯を切った。
 先程、私は愚かにも愚妻に電話をしたのだ。

投稿者 mukaidani : 09:27

2011年11月24日

これから沖縄

 昨日、天真寺で行われた報恩講での雅楽演奏は無事、終わった。

 メンバーの若手から、
「緊張しますね」
 と言われたが、私はまったく緊張しなかった。

 緊張するのは、ある程度の技量がある人の話で、初心者の私は緊張するまでいかないのだ。

 ということは、何事においても、緊張したり、アガったりして初めて一人前であるということに気がついたのである。
 そういう意味でも、雅楽の出演は勉強になった次第。


 今日は、夕方の飛行機で沖縄へ出かける。
 明日の夜、古武道の本部道場・文武館で昇段審査があり、昇空館から五名が受審するので、付き添いである。

 初段、二段の受審なので、五人ともしかるべき技量に達している。
 だからきっと緊張していることだろう。


投稿者 mukaidani : 08:36

2011年11月22日

「不快感」という言葉

 最近、ニュースで、やたらと「不快感」という言葉を耳にする。

「枝野経産大臣が、九電の対応に対して不快感を示した」
 とか、
「経団連の米倉弘昌会長が、孫正義社長の批判に対して、理解に苦しむと強い不快感を示した」
 とか。

 気になるので、「不快感」の意味について調べてみると、
『不愉快に思う気持ち』
 とある。

 ならばと「不愉快」について調べると、
『愉快でないこと。いやな気分になること』

 さらに「愉快」について調べると、
『楽しく気持ちのよいこと。おもしろく、心が浮きたつこと』
 とある。

 つまり「不快感を示す」とは、
『おもしろくねぇな」
 という態度や言葉のことをいうのだ。

 これならわかりやすい。

「枝野経産大臣が、九電の対応について不快感を示した」
 というニュースは、
「枝野経産大臣が、九電の対応に対して、〝おもしろくねぇな〟とイヤな顔をしました」
 アナウンサーがこう言えば、なるほど、とよく理解できるのである。

 もっとも、「おもしろくねぇな」では品位に欠けるので、わざわざ「不快感を示す」と言うのだろう。

 言葉とは何と面白いものであることか。

投稿者 mukaidani : 15:59

2011年11月21日

道場のクリスマスツリー

 12月中旬になると、道場にクリスマスツリーを飾る。
 始めて10年以上になる。
 道場の電気を消し、ツリーの小さな明かりで20分ほど基本稽古をするのだが、これを子供たちが毎年の楽しみにしている。

 まさか自分が僧籍を得ることがあろうとは夢にも思わず、子供たちを喜ばせてやりたいという一心で始めたことだ。

 子供たちは喜ぶが、私としては心中複雑で、今年はツリーはやめようと思った。

 で、一昨日のこと。

 小学校低学年の男子が数名、
「館長、ツリーはまだ飾らないの」
 と催促してきた。

「今年はなし」
 ぶっきらぼうに言うと、
「どうして?」
 と、口をとがらせる。

 仏教だキリスト教だと説明してもわかるまいと思い、
「館長はサンタが嫌いなのだ」
 と不機嫌を装って言うと、
「わかった!」
 一人が得意顔で、
「館長はクリスマプレゼントがもらえないから、サンタが嫌いなんだ!」
「そうだ、そうだ」
 子供たちが口をそろえて囃し立てたである。

 クリスマスも、ツリーも、子供たちには宗教的な意味はなく、文化になっている。

 だが、このことは宗教的な意味を持つ以上に怖いことであると思いながら、
(さて、今年はどうしたものか)
 と頭を悩ますのだ。

投稿者 mukaidani : 19:53

2011年11月20日

指導者の「告げ方」

 今日は松戸市の天真寺で、午後3時から7時まで、みっちり雅楽の稽古だった。

 今月23日、天真寺で報恩講があり、そこで雅楽を演奏するのだが、よもや初心者の私が出仕することはないと思っていたところ、
「出ていただきます」
 とH先生に告げられ、大慌てでこの一ヶ月、龍笛と格闘してきた。

 仕事も立て込んでいて、来年2月まで毎月〆切が続くのだが、原稿のことより龍笛が気になり、気もそぞろのうちに一ヶ月が過ぎた次第である。

 それにしても、一ヵ月前を振り返って感心するのは、H先生の告げ方である。
「出ますか?」
 と訊くことなく、出るのが当然というニュアンスで、
「出ていただきます」
 と、こともなげにおっしゃったのだ。

 なるほど指導者はかくあるべきか、とひとつ勉強になった。
 これまでと違う世界に首を突っ込んでみると、学ぶことは多いのだ。

投稿者 mukaidani : 23:05

2011年11月19日

ありがた迷惑

 来週、25日は古武道の昇段審査があり、沖縄文武館へ出かけるため道場を休みにする。

 そこで、子供たちに、
「代わりに、どの曜日でもいいから稽古に来ていいぞ」
 と言うと、シ~ン。

 みんな、イヤな顔をしている。

 できるだけ稽古のチャンスを与えたいと私は思っているのだが、子供たちには迷惑というわけか。

 これには、いささか考えさせられた。

 すなわちボランティアを含め、「よかれと思うこと」は、
「自分の価値観においてそうだ」
 ということなのだ。

 道場で私は「ありがた迷惑」という言葉を思い浮かべたのである。

投稿者 mukaidani : 22:46

2011年11月18日

高速道路で考えた

 昨夜は編集者と打ち合わせがあり、都内へ出かけた。

 この日、車を定期点検に出したので、もう一台で出かけたのだが、愚妻がうっかりして、ETCカードを点検の車から取り出すのを忘れてしまった。

 それで、何年かぶりに料金所で通行券を取って高速道路を走った。

 拙宅から都内まで、2カ所の料金所を通過するのだが、通行権を取るとき、料金を払うとき、戸惑ってしまった。

 そう言えば、ETCで乗るようになったときも、何かの拍子にバーが開かなかったらヤバイな、と最初は戸惑った。

 ところが馴れてしまうと一転、今度は通行権で走ることに戸惑ってしまうのである。


 近年、熟年離婚が急増しているという。
 離婚はいいとしても、再婚も急増していると聞いて、私は首を傾げていた。
 苦役とも言うべき結婚生活を、もう一度繰り返すという神経がほからないのだ。

 だが、きっと人間は、その〝苦役〟に馴れるのだろう。
(とすると、わが夫婦だって)
 高速道路を通行券で走りながら、そんなことを思ったのだった。

 

投稿者 mukaidani : 16:36

2011年11月16日

ブータン国王夫妻と民族衣装

 国賓として来日中のブータン国王夫妻は、民族衣装である。
 アラブの国王たちも、民族衣装で外国へ出かける。
 しかるに日本のトップはどうか。

 スーツという〝西洋の民族衣装〟である。

 なぜ和服ではないのか。

 ブータン国王夫妻が宮中晩餐会へ出席したテレビニュースを見ながら、そんな憤りおぼえ、
「おい、そうは思わんか!」
 愚妻に言うと、
「あなたが代表で和服を着ていればいいじゃないの」
 お茶をひと口すすって、
「柿、食べる?」

 議論はいつも噛み合わいないのだ。

投稿者 mukaidani : 22:26

2011年11月15日

プロ野球の、この凋落

 巨人の清武英利球団代表の造反劇に、世間の目は冷ややかである。
 その背景にあるのは、プロ野球の凋落だ。

 1978年、野球協約の盲点を突いた「空白の一日」で巨人に入団させた「江川事件」を思い出せば、このことはすぐわかる。江川と巨人に対して非難囂々、社会問題にまでなり、読売新聞不買運動まで起こった。

 これは、プロ野球が国民的スポーツとして社会的関心が高かったからである。
 ところが、プロ野球は凋落の一途をたどり、私など、
「あれ? 日本シリーズをやっているんだ」
 といった具合だ。

 大相撲と同様、プロ野球がかつての人気を博すことはあるまい。

 両者は、伝統的人気にあぐらをかき、傲慢過ぎたのである。

 その好例が、まさに清武代表の今度の〝告発〟だ。

「巨人の内情を世間に訴えれば社会問題になる」
 と考えたこと自体、傲慢以外の何者でもあるまい。

 巨人のことなんか、世間は知っちゃいないのである。

投稿者 mukaidani : 22:42

2011年11月14日

余計なものを削ぎ落とす

 新著の『「決断」の前に読む言葉』に書いたが、
《人の行く裏に道あり 花の山》
 という言葉が、私は好きだ。

 この相場格言は、
「人と同じ張り方をしていては儲けることはできない」
 という意味で、みんなが「買い」のときには「売り」にまわり、「売り」のときには「買い」にまわれと、相場の心構えを教える。

 これを私は、
「流行やブームに流されず、愚直に一つの分野で我慢していれば、必ず花開くときがくる」
 と読み解くわけだが、もう一つの解釈がある。

 それは、流行やブーム、話題、社会のトレンドといったものに対して、わざと背を向けるという処し方だ。

 ヒット曲を聞かず、人気テレビ番組も観ず、話題の本も読まず、悠々と生きていく人生観である。

「それって、ただのヘソ曲がりじゃないの」
 と、愚妻はバチ当たりなことを言うが、そうではない。

 AKB48も、浅田真央も、バレーボールも、サッカーも、われ関せず。
 空手を研究し、龍笛を吹き、畑を耕し、読みたい本を友とする。
 やってみればわかるが、少しでも余計なことを削ぎ落とした日々は、いいものだ。

 
  

投稿者 mukaidani : 12:41

2011年11月13日

「相性がいい」という一言

 先週、畑に植えたタマネギや豆類のことが、ずっと気になっていた。
 たまたま畑大指南役のS氏が不在で、適当に植えたからである。

 それで今朝、畑に出かけてみると、タマネギも豆類も元気であった。

 しかも、白菜、キャベツ、大根、ホウレンソウ、小松菜など、植えた量は少ないが見事に育っているではないか。

 これにはS氏が感嘆し、
「ご主人(私のこと)は、畑と相性がいいのかもしれないね」
 とおっしゃったのである。

 これに私はすっかり気をよくし、帰途の車の中で、
「どうだ、わかったか。わしは畑と相性がいいのだ」
 と愚妻に自慢すると、
「じゃ、毎日、畑へ行ったら」
 そっぽを向いたまま、可愛げのないことを言うのだ。


 愚妻はともかく、
「畑と相性がいい」
 と思うだけで、何やら野菜が愛(いと)おしくなってくる。
 もっと丹精を込めて育てようと思う。

 たとえS氏のお世辞であったとしても、たった一言で気分はガラリと変わるのだ。

 これからは何事においても、「相性がいい」と思うことにしょう。
 気分よく生きる〝魔法の言葉〟のような気がしてきたのである。

投稿者 mukaidani : 16:10

2011年11月12日

兵法書『兵法三十六計』に学ぶ

 中国の兵法書に『兵法三十六計』というのがある。
 兵法における三十六通りの戦術をまとめたものだ。

 この書の名前は知らなくても、
「三十六計、逃げるに如かず」
 という言葉なら、どなたもご存じだろう。

 これは『兵法三十六計』のなかの三十六番目の戦術で、
「窮地に陥(おちい)ったときは、まずそこから脱して身の安全を守り、後日の再起を図るべし」
 と教える。

 私が、ハタと膝を打ったのは、《第十四計/屍(かばね)を借りて魂を還(かえ)す》という戦術である。

「役に立たない者を利用しろ」
 という計略で、
「有能な者は少なく手に入りにくいもの。だから、無能な者であっても、使い方次第でいくらでも役に立つのだから、大いに使うべし。無能を無能たらしめるのは、使い方を知らないからだ」
 と教えるのだ。

 私はこれまで愚妻にあきれ、なぜ良妻にならないのかと首をひねってばかりいたが、それは間違いであった。

 すなわち、
「愚妻を愚妻たらしめるのは、使い方を知らないからだ」
 ということになるではないか。

 デキがいいとか悪いとか、人を評してはならない。
 それは結局、天にツバすることになるのだ。

投稿者 mukaidani : 16:35

2011年11月11日

私の知らない「流行語」

 今年の「流行語大賞ノミネート語」が発表された。

 流行語を見れば「時代」がわかる。
 そんな思いで、ノミネート60語を眺めて、思わず唸った。

「あげぽよ」「アフター4」「推しメン」「お嬢様の目は節穴でございますか」「君、きゃわゆいネェ」「美ジョガー」・・・等々。

 私にはチンプンカンプンなのである。

 これを「価値観の多様化」と考えるか、「自分が流行遅れの人間」と考えるか。
 複雑な心境で、〝流行語〟を眺めるのだ。

投稿者 mukaidani : 22:37

2011年11月10日

天麩羅と「声」

 雅楽(ががく)を指導してくださっているH先生から、
「午後から講演や、歌を歌う必要がある場合、昼食に天麩羅(てんぷら)を食べてはいけません」
 という話をおうかがいした。

 声の出が悪くなるのだそうだ。

 そう言われてみると、空手の試合で審判をやっていた昔、昼弁当に天麩羅が入っていると、何となく午後の試合は声の調子が悪いような気がしたことを思い出した。

 なるほど、そういうことであったか。

 しかし、愚妻は天麩羅が大好きで、昼夜お構いなしで食べているが、声の出はよく、ペラペラと舌もよくまわる。

 これはどういうことだ。

 昨夜、湯船で考えていたら、
「一般的に」
 と、確かH先生はおっしゃったような気がした。

 そうか、そういうことか。
 愚妻を「非一般的人間」と解釈すれば、何ら不思議はないということなのだ。

 どうでもいいようなことだが、ノドに刺さった小骨のようなもので、気になってしまうものである。

 それにしてもH先生は博識で、学ぶことが多いのだ。

投稿者 mukaidani : 10:36

2011年11月09日

畑というリアリティ

 ギリシャがヤバイ、イタリアがヤバイ。
 このままでは世界経済が大変なことになる。
 連日、かくのごとくメディアが報じているが、私には現実としてピンとこない。

 リアリティがないのだ。

 しかし、リアリティはないが、両国がパンクすれば、私たちの生活も影響を受ける。
 つまり、いまの世のなかは、私たち市井の人間にとって、現実生活と無縁のところで動いているということだ。

 家庭菜園が楽しいのは、耕し、収穫するというリアリティが厳然として存在するからではないのか。

 ギリシャ、イタリア危機のニュースを見ながら、そんなことを考えるのだ。
 

投稿者 mukaidani : 22:57

2011年11月07日

夫婦は不倶戴天のライバル

 今朝は、晩秋の爽やかな青空である。
 忙中閑ありで、ゆるりと雅楽の稽古をするつもりでいたら、愚妻が畑へ行こうと言い出した。
 エンドウ豆の植え方がどうの、肥料がどうのと、ムック本を広げて見せるのだ。

 収穫以外は畑に見向きもしなかった愚妻が肥料の話。
 人間は変わるのだ。

 と同時に、私はにわかに畑に対する情熱が薄れていく。
 私もまた、変わるということなのだ。

 夫婦は遊園地のシーソーに乗っているようなもので、片方のテンションが上がれば、片方が下がるのだ。

「夫婦は〝戦友〟ではなく、ひょっとして不倶戴天のライバルではないか」
 と、そんな思いにとらわれるのである。


投稿者 mukaidani : 10:58

2011年11月06日

「生涯現役」という生き方

 ノンキに生きようと思っていたが、今月に入って気が変わった。
 理由はない。
 いつものように突然である。

 ある年齢になれは、生活も、人間関係もすべて削ぎ落としていくべきだが、それは単に「量」の縮小を意味するのではなく、不要のものを削ぎ落としたぶんだけ「人生の質」は高まっていかなくてはならない。

 そんな思いがよぎったのだ。

 それで、あれこれ考えた結果、今日という日を全力で生きることこそ、「人生の質」を高めることになるという結論に達した。

「全力」とは、忙しくすることではない。
 人生というものに真摯に向かい合っていれば、それは寝転がっていても「全力」なのである。

 笑うのも全力。
 本を読むのも全力。
 湯船に浸かってボーッとするのも全力。
 不真面目なことにも全力である。

 だから、道場の子供たちに対して、本気で空手の指導も始めた。
 今朝は家を6時30分に出て、横浜支部へ古武道の指導に行った。

「生涯現役」というのは、何事に対しても全力で取り組む情熱を持ち続けることではないか。
 老後の生活設計をしつつ、チマチマ生きるような人生など、私はまっぴらである。
 そう思うと、腹の底から「全力」という思いが湧き出てくるのだ。

 そこで、
「おい、わしの人生に〝定年〟はないぞ!」
 愚妻に高らかに宣言したところが、
「あら、結構なことじゃない」
 そう言って喜色を浮かべた。

 リアリストの愚妻は、私が心を入れ換え、死ぬまで働く決心をしたものと受け取っているのだ。

投稿者 mukaidani : 21:53

2011年11月05日

孫の来訪と仕事

 階下で、にぎやかな声がする。
 近所に住む孫二人が遊びに来ているのだ。

 しかし、私の部屋には絶対に入ってこない。
 私が自室にいるときは仕事をしているときなので、絶対に邪魔してはいけないと、娘が厳しく躾(しつ)けているからである。

 だが、階下におりて顔を見せると、孫たちは〝解禁〟と受け取り、
「館長の部屋へ行こう!」
 ドドドッと二階へ上がって行って、ベッドの上で跳んだり跳ねたりで、居座ってしまう。

 ちなみに、孫たちは私のことを「館長」と呼んでいるのだが、それはともかく、仕事をしているときは、うっかり階下に降りては行けないというわけだ。

 ところが、今朝は腹が減って、どうにもならない。
 朝食といっても、蜂蜜をつけたクラッカー数枚にヨーグルトだから、そっと降りていけば、居間にいる孫たちに気づかれずにすむのではないか。

 それで足音を忍ばせ、階下に降りたところで、
「ちょっと、ヨーグルトないわよ!」
 アホな愚妻が大声で告げた。

「あッ、館長!」
 孫たちが喜色の声を上げ、
「よし、二階だ!」
 ドドドッと階段を二階へ走る。

 おかげで原稿は中断。
 孫にいい顔をしたいがために、私はニコニコ笑顔で鷹揚に構えつつ、腹のなかで愚妻に毒づくのだ。

投稿者 mukaidani : 10:31

2011年11月04日

絆(きずな)という偽善

 東日本大震災で出た岩手・宮古市の瓦礫(がれき)が東京に運ばれ、東北地方以外での広域処理がスタートした。

 東京都は、今月いっぱいで宮古市のがれき千トンを処理し、来年3月までに一万千トンを受け入れる予定だそうだ。
 この意味は大きいし、頼もしく思う。

 一方、瓦礫を拒否する自治体も多い。
 住民が反対するからだ。

 絆(きずな)だ何だと口では言っても、所詮、我が身を〝安全地帯〟に置いてのことなのか。
「偽善」は「悪意」より罪が重い。
 

投稿者 mukaidani : 09:19

2011年11月03日

愚妻の〝決めゼリフ〟

 愚妻が風邪を引いた。
 引くのは勝手だが、私はこれから暮れの追込みなので、
「一瞬たりともマスクを外してはならなん」
 と厳命しておいた。

 ところが、今朝。
 ノドが痛いのだ。
 鼻声でもある。

 うつされた。
 風邪は人にうつしたら治るというが、まさに愚妻は鼻歌まじりで元気なのだ。

「おまえ、うつしたな」
「うつしたんじゃなくて、うつったんでしょ」
「屁理屈を言うな!」
 と怒声を発したところで、私は図らずもプッ。
 オナラが出た。

 すると愚妻の怒るまいことか。

「ちょっと! あなたは風邪を引いてもオナラをするんだから!」

 風邪を引いてもオナラ!
 すごい〝決めゼリフ〟ではないか。
 この一言に私は絶句し、ただただ感心するばかりであった。

投稿者 mukaidani : 10:33

2011年11月02日

「うつ病」と「性格」

 うつ病になりやすい人の性格は「完璧主義」が多いという。
 なんとなく「そうだろうな」とこれまで思ってきたが、
「待てよ」
 と、懐疑の念が芽生えてきた。

 なぜなら、この私が完璧主義者であるからだ。

 趣味でも仕事でも、一つのことを始めたら完璧を目指す。
 寝食を忘れてトコトンである。

 だが、うつ病にはならない。

「おまえ、どう思う?」
 と愚妻に問うと、
「あなたは完璧主義者だけど、あきらめも早いからよ」
 と言った。

 深い考えがあっての一言ではあるまいが、この一言で、
「なるほど!」
 と合点した。

 うつ病になりやすいのは「完璧主義者」ではなく、「あきらめが悪い人」ではないだろうか。

 私は確かに完璧を求めるが、トコトンやってダメなら、さっと見切ってしまう。
 だから〝挫折〟が尾を引かず、したがってクヨクヨと悩むことが少ないというわけである。

 自分で言うのも何だが、私は「あきらめ上手」だと自分で思う。
 言い換えれば、あきらめ上手だからこそ「完璧」を目指すことができるのではないだろうか。

 愚妻にこの考えを伝えると、
「それって、不真面目ってことじゃない? マジメな人はクヨクヨ悩むのよ」
 わが身を棚に上げて、罰当たりなことを言うのだ。

投稿者 mukaidani : 12:55

2011年11月01日

愚妻の強靱な神経

 11月に入ったというのに、ポカポカ陽気である。
 学生時代、文化祭のときにコートを着た記憶があるので、地球はホントに暖かくなっているのだと実感する。

 だが、習慣というのは恐ろしいもので、つい暖房のスイッチを入れてしまう。
 それで今朝も、
「ちょっと、この陽気に暖房だなんて、頭がおかしいんじゃないの」
 と愚妻に叱られてしまった。

「そんな言い方はないのではないか」
 と反論を試みるが、
「じゃ、どう言えばいいの」
 キッと柳眉を逆立てられては、白旗を揚げるしかない。

 というのも二日ほど前から左の首が痛く、元気も根気もないのだ。
 神経が障っているらしく、二ヶ月に一度くらい数日にわたって痛み、原稿もままならない。

 暖房を切り、
「おまえは、いつも正しいな」
 と、気弱に皮肉を言ったが、もちろん愚妻には通じず、
「あたりまえでしょ。私はいつも正しいことしか言わないわよ」

 私は、愚妻の強靱な神経を心底、うらましく思うのだ。

投稿者 mukaidani : 10:38