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2011年08月31日

「無事に生きる」ということ

 日航パイロットが盗撮容疑で警視庁に逮捕された。
 駅ホームで、女性会社員のスカートの中を、携帯型音楽プレーヤーのカメラ機能を使って盗撮したという。
 44歳である。

「バカなやっちゃ」
 と世間は思うだろうし、私も思う。

 家族もいるだろう。
 失うものは、はかりしれない

 しかし、本人もそのことはわかっているだろう。
 わかっていて、やってしまうことに、人間の業の深さというものを考えないわけにはいかない。


『歎異抄』に、親鸞の言葉として、次の一文がある。

「一人(いちにん)にても、かなひぬべき業縁(ごうえん)なきによりて害(がい)せざるなり。わが心よくて殺さぬにはあらず。また害(がい)せじと思ふとも、百人・千人を殺すこともあるべし」

 意味は、
「原因と条件がそろっていなければ、一人といえども害せない。心が善(よ)いから殺さないのではないし、反対に、害せずにおこうと思っていても、原因と条件がそろえば百人千人を殺してしまうことのもあるのだ」

 人間の行いは「心の善悪」や「意志」によって決定されるのではなく、「縁」によると親鸞は言う。

 虫一匹殺せないようなやさしい人が、縁によって戦場に駆り出されれば敵兵に向けて銃を発射する。
 善良な市民でいられるのはたまたまそうであって、縁が整えば鬼畜にも殺人者にもなるのが人間だというわけである。

 これは仏教の根本思想である因縁生起(いんねんしようき)について説いたものだが、
「バカなやっちゃ」
 と思うことを、私たちは「因縁」によってしでかしてしまうのだ。

 怖いことだ。

 だが、この怖さを真に知れば、「無事に生きる」ということの意味も、また違った受け止め方になるのではないか。

 日航パイロットの盗撮容疑に、そんなことを考えるのである。

  

投稿者 mukaidani : 10:19

2011年08月30日

禍福は糾える縄の如し

「禍福は糾(あざな)える縄の如し」
 という諺(ことわざ)がある。

「幸せと不幸は交互にやってくる」
 という意味ではなく、
「幸せが不幸のタネになり、不幸が幸せのタネになる」
 ということだ。

「だから、災いを悲しむにはおよばず、幸せも喜ぶにはあたらない」
 と説く。

 昨日、民主党の党首選で、野田佳彦財務相が勝って新首相になり、海江田万里経済産業相は一敗地にまみれた。

 海江田氏が泣かなかったのは立派だが、果たして「禍福は糾える縄の如し」になるかどうか、私は楽しみに見ているのだ。

投稿者 mukaidani : 06:24

2011年08月29日

ボルト選手のフライング

「人類最速の怪物」と賞賛されるウサイン・ボルト(ジャマイカ)が、世界陸上の決勝でフライング。
 失格に終わった。

 勝負というのは、本当にわからないものだ。

 相手がいくら自分より格上でも、勝負は最後の最後まで捨てるものではないと、あらためて思った。

 と同時に、
(このフライングが、ボルト選手にとってトラウマにならないだろうか?)
 という思いがよぎる。

 これからボルト選手はレースに臨むとき、
(フライングしないように)
 と自分に言い聞かせることだろうが、言い聞かせれば聞かせるほど、
(フライングしたらどうしよう)
 というネガティブな思いに苦しめられるに違いない。

 このフライングがトラウマになるとしてら、彼はどうやって乗り越えていくのか。
 あるいはトラウマにならないとしたら、どやって気分転換をしたのか。

「人類最速の怪物」が、自分をどうやって飼い慣らしていくのか、とても興味があるのだ。

投稿者 mukaidani : 03:21

2011年08月28日

風呂掃除は大嫌いである

 結婚以来30余年、私は風呂の掃除をしたことがない。
 嫌いなのだ。

 そのことを知る愚妻は、今月初頭、沖縄へ出かけるとき、
「どうせ、掃除してまで入らないでしょう?」
 と言って、風呂の水を抜いて出かけた。

 スーパー銭湯の入浴券や着替え、タオル類は愚妻が一括して用意してくれていたが、1人で行くのは億劫なものだ。

 映芳爺さんも夏場はシャワーだから、愚妻が留守の1週間、私はシャワーですませた。

 だから、愚妻が旅行から帰宅したとき、
(やれやれ、これで風呂に入れる)
 と安堵したものだ。


 そんな私に対して、
「たまには風呂の掃除くらい、したらどうなの?」
 と昨夜、愚妻が言った。

「難クセをつけるでない」
 私が反論すると、
「どこが難クセなのよ」
 と、例によって譲らない。

「ならば問う。おぬしは風呂掃除が好きか?」
「好きなわけないでしょ」

 そこで、私は大きくうなずいて、論語を引いた。
「孔子も言っておる。『己の欲せざる所、人に施すこと勿かれ』。自分が風呂掃除が嫌いであるのに、なぜそれを私にやらせようとする」
「ちょっと!」
 愚妻の柳眉が逆立つのを見て、私は、そそくさと二階の自室へ引き上げたのである。

投稿者 mukaidani : 10:53

2011年08月27日

「忘却」ということ

 島田紳助の記事が、ネットのニュースで見あたらない。
『クイズ! ヘキサゴン2』が続行の可能性が出てきたという記事が、わずかにあるだけ。

『人の噂も七十五日』
 と言うけれど、〝伸助ニュース〟は3日で関心の外ということか。

 これから週刊誌は伸助の〝黒い交際〟をバンバン叩くのだろうが、たいして興味を引くまい。

 情報社会は、次から次へと「興味あるニュース」をタレ流していく。
 タレ流しに遅れないよう、次から次へと忘れていかなければ、頭がパンクするのだろう。


「忘却とは忘れ去ることなり。忘れ得ずして忘却を誓う心の悲しさよ」
 とは、一世を風靡した『君の名は』の名セリフである。

 昭和27年にラジオドラマで放送され、
「番組が始まる時間になると、銭湯の女湯から人が消える」
 と言われるほどの人気だったという。

「忘れる」が当たり前になったいま、「忘却」という言葉は、もはや死語と言っていいだろう。

 まもなく民主党代表選が行われる。
 これまで民主党が何をしてきたのか。
「忘却」であってはなるまい。

投稿者 mukaidani : 11:28

2011年08月26日

島田紳助サンの「置き土産」

 畑指南役の〝映芳爺さん〟が体調不良で畑に行けない。
 しかし、草が伸びている。
 なんとかせねば。
「おい、明朝、畑に行って草刈りをするゆえ、覚悟せよ」
 と愚妻に厳命したのが、昨日の午後のこと。

 ところが、原稿が進まず、今朝はとても草刈りの時間がない。
 で、畑行きは中止したところが、
「ちょっと、どうしてくれるのよ!」
 愚妻がクレームをつけてきた。

 珍しく早起きして、畑支度しているではないか。

 そこで私は言った。
「〆切がある。仕事が優先だ」
「だったら、昨日の夜、そう言ってくれればいいじゃないの」
「言おうかと思ったが、やめた」
「どうしてよ」
「自分のなかではセーフと思っていたからだ。しかし、アウトだと言うなら、潔く認めようではないか」
「ちょっと、怒るわよ!」


 それにしても、
「自分のなかではセーフと思っていた」
 というのは、使えますな。

「〆切は守ってください」
 編集者が言ったら、
「自分のなかではセーフと思っていた。しかし、アウトだと言うなら、潔く認めようではないか」

 いいねェ。

 島田伸助サンの「置き土産」である。

投稿者 mukaidani : 07:45

2011年08月25日

リアリストのリアクション

 夜が明けるのが遅くなった。
 5時を廻って、ようやく明るくなる。

 かつては、薄暗いうちに起きると、ストイックな意味でファイトがわいてきたが、最近はその逆で、
「ゆっくり寝てればええがな」
 という気分である。

 で、今朝。
 起きて仕事を始めたが調子が出ず、再びフトンをかぶり、いい気分で寝ていたところが、トントントと槌で叩く音がしてきた。
 屋根である。

 そういえば、屋根の修理に来ると愚妻が言っていたことを思い出した。
 3月11日の地震で、屋根の瓦の一部分がズレているのだ。
 すぐに愚妻が修理を依頼したようだが、順番待ちで5ヶ月後になったというわけである。

 この修理が地震直後であれば、
「やれやれ」
 と、ホッとするのだろうが、5ヶ月後となれば、
「なんだ、いまごろ」
 という気分である。

 何事もタイミングが大事であることを、いまさらながら思った次第。


 寝てもいられないので、もぞもぞとベッドから抜け出し、階下に降りてコーヒーを飲みながらそのことを愚妻に告げると、
「しょうがないでしょう、屋根屋さんだって忙しいんだから」

 例によって、リアリストの返事である。

「私は屋根屋が怠慢だと言っているのではない」
「じゃ、何なのよ」
「何事もタイミングが大事ということを言っておるのだ」
「しょうがないでしょう、屋根屋さんだって忙しいんだから」

 リアリストにかかれば、観念的な話など、たちまち木っ端微塵にされるのだ。

投稿者 mukaidani : 10:13

2011年08月24日

わしは何をやっとるんじゃ?

 昨夕、急用ができ、「のぞみ」に飛び乗って京都を後にした。

 行きの「のぞみ」で幕の内弁当、帰りも同じ幕の内。

 頬張りながら、
(わしは何をやっとるんじゃ?)

 マジに、トホホホなのである。

投稿者 mukaidani : 07:18

2011年08月23日

薬が見つからない

 京都1泊目。
 血圧の薬がどこにあるのかわからない。
 旅行ケースをひっくり返すが、見つからないのだ。

 すぐさま愚妻に電話。

「薬はどこへ入れた」
「ファスナーの中よ」
「ない」
「入れたわよ!」
「そもそもファスナーがないと言っておるのだ」
「ある!」

 よく見ると、ケースの内側にファスナーがあった。
 引き開けると、透明の小さなナイロン袋が3つ。
 それぞれ油性ペンで、愚妻の文字が書いてある。

《血圧のクスリ》《痛風のクスリ》《アレルギーのクスリ》

 毎日服用しているのは血圧の薬だけで、痛風とアレルギーは万一に備えてのものだ。
 何しろ私は、鎮痛剤アレルギーで、痛みが出るようなことがあれば一大事なのである。

 それにしても、万全の準備ではないか。
 愚妻がエライのではない。
 ここまで導いた私の苦労が、ようやく実りつつあるということなのだ。

投稿者 mukaidani : 06:51

2011年08月22日

井の中の蛙(かわず)でいよう

 今朝、京都へ発つ。
 荷造りは愚妻まかせだ。
 海外旅行も、日帰り温泉も、準備はすべて愚妻に一任している。

 だから旅行先から、
「おい、ハンカチはどこだ」
「ローションは入れたのか」
 と電話を掛けることになる。

 そんな私のことを、愚妻は「なまけ者」と言って非難する。

 見る目がないのだ。
 日常の些末(さまつ)なことをしないだけで、私のような勤勉な人間はいない。
 そう言うと、
「勤勉なのは、自分の好きなことをやるときだけでしょ」
 と、生意気にも反論する。

 無理もあるまい。
 所詮、30センチの物差しで、地球を測ることはできないのだ。

 そこで、私がさとす。
「お前のような人間のことを、《嚥雀(えんじゃく)天地の高さを知らず》と言うのだ」
「何よ、エンジャクって」
「燕(つばめ)と雀(すずめ)だ。ヤツらは低く飛び回るだけで、空がどれほど高いか知らんのだ」
「じゃ、あなたは何なのよ」
「そうだな。あえて言えば、鷹(たか)だな」
「鷹は空の高さを知っているの? 宇宙があることを知っているの?」
「そういう問題ではない」
「じゃ、どういう問題なのよ」

 不毛の論争をしつつ、昨夜は更けていった。

 だが、あとでふと思った。
 天地の高さなど知らなくていいのではないか。

 嚥雀は天地の高さを知らず、メダカは河の長さき知らない。そして雑魚(ざこ)は海の広きを知らない。

 還暦を過ぎたら、井の中の蛙(かわず)でいよう。
 そんな思いが、脳裏をかすめるのだ。

投稿者 mukaidani : 01:18

2011年08月21日

雨と草取り

 昨日も、今日も雨。
 畑の草取りは中止。
 私にとっては、ありがたいことだ。

 だが、草が無くなるわけではない。
 雨を得て、もっともっと元気に茂ることだろう。

「今日の一針、明日の十針」
 という言葉が脳裏をよぎる。

「木曜の朝でどうだ?」
 映芳爺さんに言う。
「わしゃ、いつでもええどォ」
 ということで、木曜日に勝負をかけることにした。

 明日から2泊3日で、京都で仏教の勉強会。

投稿者 mukaidani : 09:42

2011年08月20日

小沢元代表と「腐りかけた肉」

 民主代表選で、海江田万里経産相と小沢鋭仁元環境相 が「小沢票」を奪い合いっているとの報道である。

 二人はそれぞれ国会内の小沢一郎元代表の事務所を訪れ、小沢元代表と個別会談し、すり鉢の底が抜けるほどゴマをすったようだが、元代表はギリギリまで態度を明確にしない方針だそうな。

 元代表はズルイから、二人の〝ゴマすり合戦〟を煽り、膝下に組み敷こうという狙いであることは明々白々。

「肉は腐りかけが一番うまい」
 という言葉があるが、海江田も、元環境もあせりにあせり、腐りかけたところで、小沢元代表はペロリとたいらげてしまうのだろう。

 ただ、「腐りかけ」であることが勝負で、腐ってしまったら食中毒。
 小沢元代表が食中毒になるかどうか、注目である。

投稿者 mukaidani : 10:05

2011年08月19日

合宿が無事、終了

 先ほど、合宿から帰宅。
 たった1泊2日だが、いま風呂に入ったら、ドドっと疲れが出た。

 お盆の週とあってか、参加者は20数名と例年の半分以下だったが、それでも女子トイレのドアが開かなくなって閉じ込められたとか、夜中に喘息(ぜんそく)の発作の兆候があらわれ、親御さんに迎えに来てもらったりとか、あれやこれやと気が休まるヒマはない。

 それでも、私がバタバタするのはよくないと思い、ゴロリと横になっていると、
「合宿は、館長の休養日ですね」
 と軽口を叩く子供もいる。

 いや、ホント、私はマジに休養したいのだ。

投稿者 mukaidani : 14:33

2011年08月18日

今日から子供合宿だ

 今日から子供たちの空手合宿である。
「いい思い出にさせてやりたい」
 という思いだけで、十数年やってきた。

「オネショするので、夜中に起こしてトイレに連れて行ってくださいますか」
 と親御さんに頼まれた小1の男児は、いまは大学生である。

 夜中に「家に帰りたい」とシクシク泣いた子供は、中学生になり、
「オレはよォ」
 と、いっぱしの口をきいている。

 こうした子供たちの成長を見るのが、何よりの楽しみでもある。

 しかし、わずか1泊2日とはいえ、ケガをさせないように、仲間ハズレを出さないように、そして楽しい思い出になってくれるようにと、あれやこれやと気をつかうため、合宿が終わればドッと疲れが出る。

「来年はやめようか」
 と合宿が終わると愚妻と話をするのだが、ノド元過ぎれば何とやらで、毎年続けているというわけである。

 毎年、合宿にはノートパソコンを持ち込み、深夜、廊下のソファで黙々と原稿を書いているのだが、還暦になった今年は腰痛に膝痛で、そんな気力もなし。
 子供たちと、枕を並べて早々に寝ることにしよう。

投稿者 mukaidani : 07:20

2011年08月17日

過去は変えられる

 こんな言葉がある。

「過去は変わります。
 過去の事実は変わらないが、過去の意味は変わります。
 過去の意味が変わると、過去の景色が変わります」(浄土真宗本願寺派勧学・梯 實圓師)

 過去は「現在」が決めるということだ。

 そして「現在」とは、「自分の心の持ちよう」を言う。

 すなわち、人生はオスロゲーム。
 心の持ちようで、局面は一気に変わる。
「過去」がガラリと変わるのだ。
 

投稿者 mukaidani : 11:36

2011年08月16日

ヤバイ、時間がない

 腰が痛い。
 右膝も依然、ギシギシ。
 これから、もう一度、近くの温泉健康ランドへ行こう。
 午後3時から鍼・マッサージの予約も取っている。

 だけど、そのあと5時から9時まで3コマの稽古。
 しかも今日の1コマ目は幼児・1年生の部で、これが疲れるのだ。

 さらに、明後日は1泊で子供合宿。
 来週の月曜から京都で2泊3日の仏教の勉強会。
 保護観察対象者の家庭訪問もある。
 今朝は、ついに原稿の進捗状態を問う〝厳しいメール〟も来ている。

 ヤバイよなァ。
 ホントにヤバイ。

「どうかしたの?」
 あせってキョロキョロしている私を見て、愚妻がノンキな声で言う。

「時間がないのだ」
「だったら早く仕事をすればいいじゃないの」
「・・・・」
 いまの私には怒鳴る余裕も、諭(さと)す気力もないのだ。

投稿者 mukaidani : 09:20

2011年08月15日

お盆と地曳網

 腰痛に加え、右膝がギシギシ痛む。
 階段を降りるのも、ままならない。
 脊柱管狭窄症がぶり返したのでなければいいが、イヤな感じである。

 それで昨夜、孫(小1、男児)を連れ、愚妻の運転で九十九里の仕事部屋へ来た。
 近くの温泉健康ランドへ行って、一日浸かっていようというわけだ。
 本当は、名湯の温泉へ行きたいのだが、とても出かける時間はない。


 で、今朝のこと。
「10時から、海岸で観光地曳網をやるんだって」
 原稿を書いている私の背に、愚妻が声をかけた。

「行ってくればよい」
 私が言うと、
「あなたは?」
 孫を私一人に押しつけるのか、と非難の響きがある。

「行かん」
「どうしてよ」
「愚か者がわからんのか! いやしくも僧籍にある身が、お盆に地曳網をして喜べるか。無益な殺生じゃ」
「バカみたい」
「何が」
「昨日、トンカツを食べて、おいしいと言って喜んでたのは誰よ。昨日だって、お盆だわよ」

 ああ言えば、こう言うで、口の減らない女である。

 しかし、お盆に地曳網を引いて歓声をあげる気には、私はやはりなれないのである。

投稿者 mukaidani : 09:11

2011年08月14日

人生は、他人の力が切り開く

 名言について調べていたら、
「人生は、自分の力で切り開くもの」
 という言葉に引っかかった。

 私は、その逆だと思っているからだ。

「人生は、他人の力が切り開くもの」
 というのが正しい。

 少なくとも、私はそう思っている。

 自分の能力や努力など、たかが知れていて、周囲の人が手を差し延べてくれてこそ、物事は前に進む。
 だから、人間関係が大事なのだ。


 人間は「水」だ。
 水は、自分の力で流れることはできない。
 川が流れるのは傾斜があるからであって、水の力ではない。
 しかるに川を下る水は、自分の力で流れているように錯覚する。
 人生の不幸は、この錯覚にあるのだ。

投稿者 mukaidani : 10:01

2011年08月13日

墓参りに行ってきた

 いま墓参りから帰宅したところだ。
 クルマで20分ほどの霊園である。

 短いお経をあげたが、汗がダラダラ。

 だから私は昨日、
「よし、墓参りは朝の5時に行くぞ」
 と言ったのだが、
「ちょっと、朝5時にお参りする人なんか、いないわよ」
 愚妻が異を唱え、
「ほうじゃ、ほうじゃ、そげぇな非常識な者はおらん」
 映芳爺さんが愚妻に同調。

 私の提案は却下され、朝9時の出発となった次第。


 炎天下に清掃の人がリヤカーを引いていた。
 おかけで霊園は、こうしてきれいなのだ。

「暑いなか、お世話さまです」
 私が挨拶すると、
「どこの霊園もそうですけどねぇ」
 おじさんがリヤカーを停めて、
「少ない人数で目一杯働かされんるですよ」

 ま、確かにそうだろうけど、きわめて現実的な一言に、私の感謝の気持ちは何となく萎(な)えてしまったのである。

投稿者 mukaidani : 10:11

2011年08月12日

腰が、痛テテテ

 腰が痛い。
 10年ほど前に痛めた部位だ。
 仕事が忙しくなると、座り続けるためか、痛む。

 7月から8月にかけて何度か鍼治療に行き、やっと治ったと思ったら、
「そろそろ畑を耕さんにゃいけんのう」
 映芳爺さんが言い出したのが月曜日。

 秋野菜に備えて、畑を耕し、石灰を撒き、堆肥を入れなければならなというわけだ。

 しょうがない。

 それで火曜日、畑を耕しに行ったのはいいが、腰痛がぶり返したというわけである。


 これが痛くて、じっとしていも、ズキンと来る。

「痛テテテ」

 顔をしかめて見せるが、
「鍼に行ったら?」
 愚妻は気のない声で言い、映芳爺さんは、
「気をつけんにゃ、いけんのう」
 まるで、私が勝手に腰を痛めたようなことを言うのである。

 自分の身体は、自分で守るしかない。
 明日、鍼治療の予約をしたのだ。

投稿者 mukaidani : 08:26

2011年08月11日

愚かな人間

「出ずるときは人に任せ、退くときは自ら決せよ」
 という言葉がある。
 君子の処し方だ。

 ところが愚かな人間は、出ずるときは人を踏み台にし、退くときは人に引きずり下ろされる。

 菅総理が辞任を明言した。
 愚かな人間の極(きわ)みということか。

投稿者 mukaidani : 11:16

2011年08月10日

天に唾(つば)する

「京都五山送り火連合会」(京都市)が、岩手県陸前高田市から、新たな薪(まき)500本を取り寄せ、送り火で燃やすそうな。

 周知のように、同連合会は、陸前高田市の震災被災者がメッセージを書いた薪333本を拒否。それに対して、地元の京都市長はじめ、全国から非難囂々(ごうごう)で、
(これはヤバイ)
 ということなったのだろう。
 いやらしい話ではないか。


 だが、今回の一件は考えさせられた。

 たとえば、風評被害を食い止めるため、米の産地県で放射線量のチェックが始まった。

「放射線量の検出なし」「安全」「どうぞ食べてください」という狙いだ。

 ところが、「京都五山送り火連合会」はどうだ。

「陸前高田市の薪は放射線量の検出なし」「安全」「どうぞ燃やしてください」とはならなかった。

 検査の結果が安全でも拒否するということは、
「検査は風評被害を食い止めることにはならない」
 ということを物語っている。

 ならば、諸外国が日本の食材を拒否するのは当然だし、観光客が激減して当たり前なのである。

 何しろ、日本において観光のメッカである京都が、放射線量ゼロであっても、
「やばいっスよ」
 と言っているのだ。

 天に唾(つば)する行為とは、こういうことを言うのだろう。


投稿者 mukaidani : 05:36

2011年08月09日

「病葉(わくらば)」と「川の流れ」

 ネットで調べごとをしていて、ひょいと『あざみの歌』に出くわした。

 ご存じのように、哀愁を帯びた素敵な歌詞である。

「山には山の 憂(うれ)いあり」
 という冒頭の歌詞を眺めていて、ふと思った。

(あの、泰然自若とした山ですら憂いがあるのだから、なるほど人間は死ぬまで悩みから解放されるわけがない)

 これを浄土真宗的な言い方をすれば、
「あんた、あの立派な山かて煩悩に苦しんどるんやで。まして、あんたのような凡夫が煩悩に苛(さいな)まれるのは当たり前やがな」

 そして、
「そんなあんたが阿弥陀様によって、煩悩を断ずることのないまま救われていくんや」
 ありがたいこっちゃ、ということになる。


 そんなことを考えているうちに、この歌を作詩した「横井弘」に興味がわいてきて、調べてみると、仲宗根美樹が歌って大ヒットした『川は流れる』の作詞者でもあった。

 この歌も、一定以上の年齢の方にはよく知られ、
「病葉(わくらば)を今日も浮かべて 川は流れる」
 と、歌詞は始まる。

 病葉を「煩悩に苛まれる私たち」、川を「人生」と読み解けば、これも浄土真宗的な雰囲気を感じるのである。


 そう言えば、駆け出しの週刊誌記者当時、あるゴシップがあって仲宗根美樹の自宅マンションに張り込み、彼女に直撃取材して、けんもほろろにあしらわれたことがあった。

 三十余年がたった今も、その夜、彼女が真っ黄色のドレスを着て帰宅してきたことをよく覚えている。

 こうして振り返ると、人生という川の流れは実感しつつも、私は浄土真宗の僧籍にありながら、自分が「病葉」であるという自覚が希薄なのである。
 困ったものだ。
 

投稿者 mukaidani : 02:15

2011年08月08日

愚妻の帰宅

『男子 三日会わざれば 刮目(かつもく)して見よ』
 という言葉がある。

『刮目』は、「目を擦(こす)ってよく見ること」で、
「男は三日も会わないでいると驚くほど成長しているものだ」
 という意味になる。

 男女同権の現代では、「男子」を「人間」に置き換え、
「志をもって生きている人間は成長する」
 と読み解くのが正しかろう。


 愚妻が昨夜、一週間ぶりに沖縄から帰宅した。
 私は目を擦(こす)った。

「目が痒いの?」
「バカ者! 刮目しておるのだ」
「なによ、それ」
「わからんのか。人間、三日会わざれば刮目して見よと言う。まして、おぬしは一週間ぶりではないか。だから刮目しておるのだ』
「ちょっと、疲れてるんだから、そこどいてよ」

 私の〝刮目〟を無視して、居間にどっかりと腰をおろした。
 どうやら愚妻は、10年会わずとも、刮目の必要はなさそうである。

投稿者 mukaidani : 08:55

2011年08月07日

震災と「夫婦の絆」

 東日本大震災を機に、既婚男女の8割以上が結婚相手を前向きに見直したそうだ。
 アクサ生命の調査である。
「震災が夫婦の絆(きずな)強める」
 と記事にある。

 てっきり震災に関わる地方の夫婦のことだろうと思ったら、違った。

 東京都、神奈川、千葉、埼玉が調査対象だというではないか。
 私の住む千葉県も入っている。
 しかし、私たち夫婦は、
「夫婦の絆が強まった」
 という思いなど、微塵もない。

 とすると、「夫婦の絆が強まらなかった2割弱」に私たち夫婦は入ることになる。
 希少価値だ。

「おい、聞け!」
 と、愚妻に言って聞かせるところだが、愚妻は沖縄。
 台風で2泊延泊して、今夜帰ってくるとか言っていた。

 絆よりも何よりも、愚妻とはいえ、不在がこれほど不便なことであることを身をもって知らされた一週間である。


 今朝は9時から横浜支部の指導。
 早めに近所まで来て、いまファミレスで仕事をしている。
 

投稿者 mukaidani : 07:38

2011年08月06日

「平和利用」の本質

 終戦直後の混乱期、弱体化した警察はヤクザの力を借りて、不法ヤミ市の撤去に乗り出した。

「目的は手段を正当化する」
 というやつである。

 いまふうのフレーズに置き換えれば、
「ヤクザの〝平和利用〟」
 となる。

 原子力も、爆弾でなく、発電に用いれば「平和利用」となる。
「電力を豊富にして産業を興し、国民を豊かにする」
 という「目的」のために「手段」が正当化されてきたわけである。

 だが、東日本大震災によって、
「何をもって豊とするか」
 という懐疑が広がり、これまで「目的」としてたものが曖昧になってきた。
「目的」が曖昧になれば、「手段」は正当化されなくなり、脱原発は当然の流れということになる。

 戦後の混乱から立ち直るにつれて、警察力は強化され、「平和利用」してきたはずのヤクザを一転、「社会の敵」として追放を始めた。
 原子力発電をめぐる論議を聞いていると、そんなことを連想する。

 今日、8月6日は、広島に原爆が落とされた日である。

投稿者 mukaidani : 10:15

2011年08月05日

朝食バイキングのゆで卵

 昨朝、早々に近所のファミレスへ行った。
 愚妻が不在で、昨日は夕食を食べなかったからだ。
 朝食バイキングというやつを注文し、トレイを手に食べ物を取りに行った。

 と、ひょいと、ゆで卵が目に入った。
 私は、ゆで卵が大好きなのだ。
 欲張って3つ取り、他の食べ物やパンと一緒にトレイに載せて席に着いた。

 まず、ゆで卵から。
 塩を忘れたことに気づいたが、
(まっ、いいか)
 と思いながら、ゆで卵を握って、テーブルにゴツンとぶつけたところが、
(あッ!)

 生卵だったのである。

 べちゃべちゃになったテーブルを拭き取りながら、
(これは愚妻のせいだ、あいつが沖縄へなど行かなければよかったのだ)
 とブツクサ言いながら、人間というやつは、失敗すると必ず人のせいにするものであることを、わが身をもって確認したのである。

 2泊延泊して日曜の夜に帰ってくると、そのあと愚妻はノンキな声で電話を寄こした。

投稿者 mukaidani : 09:47

2011年08月04日

愚妻が沖縄から電話

 愚妻が、娘夫婦一家と、沖縄へ旅行中である。
 5日に帰ってくる予定だが、沖縄は台風だ。
 で、昨夕、愚妻から電話。

「飛行機が飛ばないかもしれないから、帰るのは無理かも」
 明るい声で言う。
「喜んでおるのか」
「そんなことないわよ」
「声が弾んでおる」
「弾んでなんかいないわよ」
「バカ者。声が弾んでいるかどうかは、おぬしが決めるのではなく、聞き手である、このわしが決めることだ」
「ごちゃごちゃ言ってないで、そういうことですからね」
 プチッ、と携帯電話が切れた。

 原稿の〆切に追われ、道場の稽古、ヨロヨロしている駄犬〝マック爺さん〟の世話、果てまた〝映芳爺さん〟が、
「そろそろ畑を耕さんにゃ、いけんのう」
 と言い出した。

 明日の午前中は、埼玉の坂戸支部からスリランカ人の青年が道場に稽古にやってくるし、日曜日は横浜支部へ指導に行く。

 私がこんなに忙しくしているのに、愚妻はノンキなものではないか。
 本日は一冊脱稿するので、終わったらスーパー銭湯に行こう。
 南国リゾートというわけにはいかないが、それでも、いまの私とってスーパー銭湯の湯船は、まさに極楽なのである。

投稿者 mukaidani : 07:04

2011年08月03日

「早い者勝ち」の時代風潮

 和牛オーナー制度の「 安愚楽 ( あぐら ) 牧場」(栃木県)が資金繰りの悪化で、取引先への代金支払いを停止。
 オーナー約3万人に動揺が広がっているという。

 経営悪化の理由は、福島第一原発事故による牛の放牧制限、放射性セシウムによる牛肉汚染問題などがあげられている。

「汚染問題で、牛肉がこれだけ騒がれていれば、安愚楽牧場がおかしくなるのは当たり前。さっさと解約すべきだった」
 というのは後知恵にしても、どうも世のなか、「早い者勝ち」の価値観になってきたような気がする。

 東日本大震災の津波の教訓「地震がきたら、すぐ逃げろ」ということが、社会観・人生観に微妙な影響を与えているのではないか。

 かつて交通標語に、
『狭い日本、そんなに急いでどこへ行く』
 というのがあった。

 国難に直面して「ゆとり」もないだろうが、そういう時代だからこそ、「早い者勝ち」に走る自分を律したいと思うのである。

投稿者 mukaidani : 08:49

2011年08月02日

人生に是非はなし

 大正期の名横綱に栃木山がいる。
 歴代の横綱で最も軽量だったが、怪力を生かし、腰を割って摺り足で押す理詰めの堅実な相撲を取った。
 相撲界初の叙勲者で、勲四等瑞宝章が贈られている。

 この栃木山が説いた〝強くなる秘訣〟を、関西大学名誉教授の矢沢永一氏が、著書『宮本武蔵 五輪書の読み方』のなかで紹介している。

 技術論を中心に二十六箇条から成り、兵法や剣術指南書のような哲学的な表現こそないが、日々の処し方を人生の指南書として読めば、人それぞれの境遇において感じるところがあるだろう。

 なかでも興味を引かれるのは、次の言葉だ。

「いつも〝相撲〟の二字を胸にしまっておけ。そうすれば、酒一升飲むところが八合になる。十一時過ぎに帰るつもりが十時になる。それが明日の相撲につながる」

「相撲」を「仕事」や「夢」など、自分がなすべきことに置き換えて読み解けば、自戒すべきは日々の心構えと生活態度ということになる。

 だが、
「なるほど」
 と唸る一方で、怠惰な生活もまた、捨てがたい。

「いつも〝人生享楽〟の四字を胸にしまっておけ。そうすれば、酒一升飲むところが一升五合になり、十一時過ぎに帰るつもりが深夜になる。それが明日の二日酔いつながる」

 どっちを生きるかを「人生観」と言うのだろう。
 人生に是非はない。

投稿者 mukaidani : 07:17

2011年08月01日

蝉(セミ)も蚊(カ)もいない

 今日から8月だというのに、蝉(セミ)の鳴き声がしない。
 夏といえば「蝉しぐれ」。
 頭上から降りそそぐような蝉の鳴き声に、
「暑いなァ」
 と、暑さが倍加されて感じたものだ。

 その蝉の鳴き声が、とんと聞こえないではないか。

「地球がおかしくなっているんだよ」
 とは、馴染みの鰻屋の老オヤジさん。
「もう地球も終わりだな」
 と、したり顔で言うと、
「あなたが終わりじゃないの」
 奥さんが憎まれ口を叩く。


 この鰻屋は、前にも紹介したが、骨董が趣味のオヤジが始めたもの。
 四人がけのテーブルが3つだが、そのうち1つにオヤジさんがどっかりと座っているので、客用は2つしかない。
 しかも、営業は昼間の2時間だけ。
「客なんか、来なくていい」
 と、老オヤジは言っている。

『余白亭』という店名からして、老オヤジさんの〝人生観〟がうかがえるだろう。

 そういう店だから、他の客と顔を合わせることはめったになく、我が夫婦と鰻屋夫婦の四人で、なんだかんだと話をするというわけである。


 で、昨日は、蝉の話になったのだが、
「そう言えば、蝉だけじゃなく、今年は蚊(カ)がいないな」
 と、老オヤジさん。

「ホントですね」
 と私が相づちを打つと、愚妻が、
「いるわよ。私なんか庭掃除していて、たくさん食われてるんだから」
 と異論を口にした。

「いや、おらん」
 私が再反論し、老オヤジさんも、
「そうだ」
 と加勢する。

 すると、奥さんが、
「います!」
 ピシャリと言って、
「あなた方は、家の中でゴロゴロしているだけだから蚊に食われないんです」

 どこの家庭も、女房は強いのだ。
 

投稿者 mukaidani : 09:37