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2011年07月31日

地震とトラウマ

 明け方、グラリときた。
 震度4ということだったが、それ以上に強く、そして長く感じ、
(ヤバイことになるか!)
 と身構えた。

 たぶん、3月11日の体験が、無意識に蘇(よみがえ)ったからだろう。
 トラウマ(精神的外傷)という言葉があるが、なるほどこんなことを言うのかと納得した。

 そんなことを愚妻に話して聞かせながら、ふと、
(トラウマがあるなら、その逆もあるのではないか?)
 と思った。

 何かの拍子に、
「あっ、またいいコトがある!」
 という歓喜の蘇りだ。

「おい、どう思う」
 愚妻に問うと、
「それって、いいことがあった人の話じゃないの」

 グサリと胸に突き刺さる一言であった。

投稿者 mukaidani : 08:42

2011年07月30日

古代人のDNA

 記録的な豪雨で、新潟県では37万人に避難勧告が出された。
 東日本大震災、そして豪雨。
 自然災害がつづくと、人間の気持ちは不安定になる。
 科学がどれだけ進歩しようと、古代人が天変地異を畏れたDNAは、私たちに引き継がれているのだろう。

 仏教の衰退が叫ばれて久しい。
 だが、天変地異を畏れるDNAを受け継いでいる限り、宗教は盛んになることはあっても、なくなることはない。
 仏教の衰退とは、すなわち既存教団の衰退であるに過ぎないのだ。

投稿者 mukaidani : 08:55

2011年07月29日

一将巧成りて万骨枯る

『一将巧成りて万骨枯る』
 という、よく知られたこの言葉は、
「将軍たちよ、手柄を立てた陰に、無数の無名兵士の死があることを忘れるな」
 と戒めたもので、人民を犠牲にして将軍たちが功名を争う唐末の世相を見た曹松(そうしよう)が詠んだ詩の一節だ。

 世界史を紐解くまでもなく、「将」は常に「万骨」に支えられて事をなす。
 天下平定も、他国の侵略もすべて、民衆や無名兵隊たちの犠牲があって初めてなしえるものだ。

 ならば、
「一将の功のために、万骨を枯らしてはいけない」
 と人道主義を説くべきものと思うが、曹松はそうはいわないで、
「万骨を忘れるな」
 とする。

 それは曹松が、
「人間社会において一将功なるためには、万骨は枯れるもの」
 という前提に立つから、
「万骨を忘れるな」
 と説いたのではないか、というのが、わたし流の解釈である。


 中国で、高速鉄道が起き、多くの死傷者を出した。
 共産党は国威高揚のため、高速鉄道の建設を急ぎ、その結果、運行システムの欠陥を招いとの報道もある。

 共産党の一党支配は、犠牲者2000万人以上という文化大革命によって確立された。

『共産党巧成りて人民枯る』

 いま曹松が生きていれば、そんな言葉をつぶやくことだろう。

投稿者 mukaidani : 08:58

2011年07月28日

明日から弁当にしよう

「弁当」が欲しくなった。
 会社員や学生が持参する、あの弁当である。
 なぜ、そんな気分になったのか、自分でもよくわからないが、とにかく「弁当」が欲しくなったのだ。

「おい、明日から、夕食は弁当にするゆえ、弁当箱を用意いたせ」
 愚妻に命じると、
「あるわよ」
「保温式の、二段になったやつだぞ」
「あるって」
「なぜ、そんなものが我が家にあるのだ」
「去年、弁当にするからって、あなたが買ってこさせたじゃないの」
 うんざりした顔で言う。

 すっかり忘れていたが、そんなこもあったような気がしないでもない。

 ともあれ、そんなわけで、外出しない日は、道場の仕事場に弁当を届けさせることにした。
 節電に続いて〝手作り生活〟だ。
 なにやらワクワクしてくるのではないか。

投稿者 mukaidani : 07:52

2011年07月27日

真夏の夜の「夫婦の会話」

 最新刊の『会話は「最初のひと言」が9割』(光文社新書)が重版した。
 発売されて、まだ10日なので、出足は好調のようである。
 ともあれ、読者諸兄に感謝。

 著述業という仕事は、プロ野球の選手のようなもので、打率が悪ければスタメンはおろか二軍に落とされ、そこでも見込みがなければ〝解雇〟となる。

 楽な世界じゃないが、好きで始めた仕事だから、文句を言っていくところはどこにもない。
 そういう意味において、ある種の達観はある。


 この達観は私だけでなく、愚妻も同じのようで、
「ちょっと、米国債がデフォルト(債務不履行)とか何とかニュースで言っているけど、デフォルトしたらどうなるの?」
 と訊いてきたので、
「世界経済は大変なことになる」
 と答えると、
「あっ、そ」
 ケロリと言う。

「大恐慌になれば不景気の嵐が吹き荒れ、食べるものもなくなるぞ」
「畑のものを食べてればいいじゃない」
「バカ者。〝畑ドロボー〟にやられる」
「じゃ、畑へ行って番をしてればいいじゃないの」
「誰が」
「あなたに決まってるじゃないの」

 夫婦でこんな会話をしつつ、真夏の夜は更けていったのである。

投稿者 mukaidani : 08:53

2011年07月26日

孫を連れて九十九里へ

 昨日の朝、孫(小学1年、男児)を連れて、九十九里の仕事場へ出かけ、1泊で先ほど帰ってきた。

 温泉健康ランドの屋上にあるプールで泳がせたのだが、愚妻は日陰に座ったきりで、
「あなた、泳がせなさいよ」

 テコでも動かない。
 いまさら日焼けしたって大勢に影響はあるまいに、女といのは何歳になってみミエを張るものである。

 私は例によってパソコン持参。
 愚妻に孫の相手をさせ、私は仕事をするつもりでいたが、愚妻のワガママで目算が狂った。

 しかも、最近になって空手を始めた孫が、プールの中でバトルをやろうという。
 空手を教える立場上、相手をしないわけにはいかない。
 かくして、体力を消耗。
 食事して仕事部屋へ帰るや、ここ数日の睡眠不足もあって、夕方から睡ってしまい、目が覚めたら夜中の2時で、あわてて原稿を書き始めた次第。

 それにしても、仕事の追込みのさなか、どういう事情で孫がついて来ることになったのか私は知らない。
 連れて行くことにした張本人の愚妻は、昨夜は一杯飲んで高イビキ。
 隣室で、私はせっせと原稿書き。
 人生の不条理である。

投稿者 mukaidani : 15:17

2011年07月25日

龍笛(りゅうてき)の本格稽古

 昨日、ご縁をいただいて、千葉県松戸市の浄土真宗本願寺派「天真寺」の雅楽教室に入れていただき、龍笛(りゅうてき)を本格的に習い始めた。

 60の手習いだが、『自今生涯(じこんしょうがい)』というのがモットーで、私の空手道場に入会してくださる年配の方に、私はこの言葉を必ず伝えることにしている。

『自今生涯』とは、
「人生はいつでも〝たった今〟から始まる」
 という意味で、
「人生に〝遅い〟はない」
 ということ。
 その実践を、自ら始めたというわけだ。

「指導する立場」が、「指導される立場」になって、いろんなことが見えてきそうで、それもまた楽しみでもある。

 ただ、問題は愚妻だ。
 私が自宅で龍笛に手を伸ばしかけると、
「ここで吹かないでよ」
 と、可愛げのないことを言う。

 だが、空手もそうだが、芸事は1日24時間365日、「いつでもどこでも稽古」の心構えでなければ上達は望めない。

 それを封じられては、上達はなかなか難しいではないか。
 もし龍笛が上達しなければ、それは私の努力が足りないのではなく、ひとえに愚妻のせいなのである。

投稿者 mukaidani : 06:41

2011年07月24日

いよいよ地デジである

 愚妻の寝室を見て驚いた。
 でっかいテレビが置いてある。
「何だ、これは?」
「買い換えたって言ったでしょう」
「いつ?」
「ずいぶん前よ」
「知らん」
「いつもこうなんだから。しっかりしてよ」

 テレビを買おうと何を買おうと、私のあずかり知らぬことだが、新しいものが我が家に入るたびに、
「あら、言ったでしょう。いつもこうなんだから、しっかりしてよ」
 と愚妻は言う。

 ホントに私に言ったのだろうか。
 言う必要はないのだが、「言った」と告げられると、私の頭は混乱するばかりなのである。

 今夜0時をもって、いよいよ地デジに移行する。
 私の寝室にテレビはない。
 愚妻の寝室にはでっかいテレビがある。
 地デジもアナログも、私には関係ないのだ。
 

投稿者 mukaidani : 09:26

2011年07月23日

「娑婆(しゃば)」について考える

 刑務所に入るときは、
「しばらく娑婆(しゃば)ともお別れだ」
 と暗い顔で言うし、出所したときは、
「やっと娑婆にもどってきた」
 と、晴れ晴れとした言う。

「娑婆」は、私たちが暮らす社会のことを言い、何やら楽しい世界のようなイメージがあるが、たまたま調べ事をしていて、これが大違いであることを知った。

「娑婆」は、サンスクリット語「SAHA」の音訳で、「大地」の意味があるそうで、我々が住む仏国土(三千大千世界)の名前。
 これを漢訳で「堪忍」という。

 つまり、この世は、煩悩や人間関係など様々な苦難に耐え忍んでいく世界という意味になる。

「しばらく娑婆(しゃば)ともお別れだ」
 と受刑者が言えば、
「それはようござんしたね」
 と喜んであげるのが正しい応対ではないかと考えるのである。

投稿者 mukaidani : 08:29

2011年07月22日

海江田経産相の「忍耐」

 参院予算委員会で、挙手する海江田経産相の手のひらに、手書きで「忍」の文字が書いてあったとして、話題になっている。

 菅首相が、原発再稼働についてコロコロと考えを変え、そのたびにハシゴを外されるのが海江田経産相。
 ハラワタは煮えくり返っているだろうが、
「ここは忍の一字」
 というわけか。

 そう言えば、拙著『忍耐学』の前書きに、以下のような一節ことを書いた。


 忍耐に二つある。
「勝者の忍耐」と「敗者の忍耐」だ。
 劣勢において、頭を抱えて這い蹲(つくば)り、保身のため、ひたすら耐えつづけるのが「敗者の忍耐」だ。
「勝者の忍耐」は違う。
 膝を曲げ、身を屈(かが)ませ、しかし敢然と頭を起こして来るべき反撃に備えて力を溜める。高く跳び上がるために身を屈ませ、矢を遠く飛ばすために弦(つる)につがえた矢を力一杯うしろに引く。この状態を「勝者の忍耐」と呼ぶのである。


 菅首相は一見、保身のため、ひたすら耐えつづける「敗者の忍耐」に見えて、実は「勝者の忍耐」ではないのか。
 あれほど吹き荒れた〝辞めろコール〟も膠着状態なり、総理大臣の椅子に座り続けている。

 さて、海江田経産相はどっちなのだろうか。

投稿者 mukaidani : 08:54

2011年07月21日

たまには良寛など

『焚(た)くほどは 風が持てくる落葉かな』

 よく知られた良寛の言葉だ。

「なんとかなる」
 という楽観と同時に、
「結果に身をまかせる」
 という達観を、私はこの句に読み取る。

 落葉を求めて、
「風よ、吹け」
 と期待する人生は、風に恵まれなければ焦燥となる。
 焦燥に心をこがせば、嫉妬となり、不平不満が口をついて出る。

 期待するのではなく、
「風が勝手に吹き、その結果として落葉が溜まったならば、そのぶんだけをありがたく焚けばいい」
 と言い聞かせ、突き放して考える。

 欲を断とうとするのではなく、「言い聞かせる」というところがポイントで、世俗に生きる私たちにとって「無欲」とは、欲そのものは消滅できずとも、無欲でありたいと真摯に願う、まさにその人生観を言うのではないだろうか。

 ふとしたときに良寛を読みたくなる。

投稿者 mukaidani : 08:08

2011年07月20日

「視野が狭い」というまやかし

「言葉の達人」というのは、どこにでもいるものだ。
 九州電力玄海原子力発電所(佐賀県玄海町)の再稼働を巡る「やらせメール」問題で、当時の九電佐賀支店長が、こう釈明した。

「運転再開をしたいという焦りで視野が狭くなっていた」

 うまい。
「視野が狭くなっていた」
 というは、「現象」を述べたもので、
「私が悪かった」
 と謝っているわけではないのだが、何となく否を認めたニュアンスがある。

 この言葉は使えるではないか。

「ちょっと、この涼しいのに、どうしてエアコンつけてるのよ」
 先ほど、愚妻が文句を言うので、さっそく切り返した。

「スマン、スマン。大型台風が来る焦りで、視野が狭くなっていた」

 愚妻はキョトンとしていた。
 なるほど、この言葉は使える。
 原発関係の方々は、さすがに詭弁がうまいのである。

投稿者 mukaidani : 08:04

2011年07月19日

礼服を新調する

 昨日は、佐倉市空手道連盟主催の夏季大会があった。
 私の道場から40数名の子供たちが出場し、いい成績を残してくれたが、マジメに稽古しながらこれまで入賞できなかった子がメダルをもらって満面の笑み。これには私も嬉しくなる。

 大会のあと、審判団の反省会(飲み会)はパス。
 愚妻を同道して九十九里の白子へと急ぎ、スマートフォンのエリアチェック。幸い電波の状態がよく、ひと安心したら、唐突に礼服が欲しくなった。

 夏の礼服がきつくなり、前々から気になっていたのだ。
「買いに行くぞ」
「何よ、急に。明日でもいいじゃないの」
 私が何か提案すると、愚妻は必ず反対するのだ。

「バカ者。訃報は突然くるものだ。ひょっとして、いまこの瞬間にも、わしの携帯がなるもしれぬ。だから礼服は急ぐのだ」
「バカみたい」


 それでも、強引に礼服を買いに行った。
 試着しながら、店のニイちゃんに、
「新調すると、早く着てみたくなるもんだな」
 と言うと、
「そうですね」
 とニッコリ笑顔。
「早く訃報がこないかな」
「そうですね」
 と言いかけて、今度は曖昧な笑顔を見せた。

投稿者 mukaidani : 07:47

2011年07月18日

スマートフォンを買い換える

 スマートフォンを買い換えることにした。
 WiMAX搭載のやつだ。
 画面も従来のものより大きくなっている。

 で、ショップへ行ったら、
「製品を貸し出すますので、エリアチェックをしてください」
 浴衣を着た娘さんが、思いもかけぬことをニッコリ笑顔で言う。

「エリアってどこよ?」
「いつもご使用になる場所です」
「いつも使用する場所なんて、ないんだけど」
「ないんですか?」
「ない」
「ホントに?」
「日本中、移動するから」
「困りましたね」
「まったくだ」

 気のいい娘さんで、本当に困っている。
「ちょっと」
 脇から愚妻がヒジで突っつくので、マジな話にもどす。

「九十九里の白子に仕事部屋があるので、そこで使えないと困るんだ」
「あら、白子は私の姉が嫁いだ先です」
「あっ、そう。いいところだよね」
「はい」
「魚はうまいし」
「そうなんです」
「海だって」
「ちょっと」
 再び愚妻がヒジで突っつくので、話をもどす。

「白子へ行かなきゃだめかい?」
「はい」
「ネットでわかるんじゃない?」
「それが、同じエリアでも場所によって微妙に違いますので」
「わかった。行ってみるよ」
「使えるといいですね」
 彼女が心配そうな顔をしたので、私は言った。

「それって、違わない?」
「はっ?」
「使えなくて困るのは、私に製品を売ることができなくなるキミなんだよ」
「そうですね」
「うん。だからキミの言い方は間違って・・・」
「ちょっと」
 またまた愚妻にヒジで突っつかれ、ショップをあとにしたのだった。

投稿者 mukaidani : 06:21

2011年07月17日

逆らわない生き方

 大飯原発1号機(福井県)が、緊急炉心冷却装置系統のトラブルで停止。
 関西圏は、さらなる節電が必要になりそうだという。

 この事故で、関電は原発の再稼働が難しくなった。

「何でこの時期に」
 と、各電力会社も経産省も歯がみする思いだろう。

 これを「悪いときには悪いことが重なる」と受け取るか、「脱原発の暗示」と受け取るか。

 時代には流れというものがある。
 自然に抗し、時代の流れに逆らうことを、人間は「英知」という言葉で肯定してきた。
 その結果、人間は何を手に入れ、何を失っていったか。

 天下国家はともかく、私個人としては「逆らわない生き方」ということを考えるである。

投稿者 mukaidani : 11:08

2011年07月16日

私の部屋に簾(すだれ)

 畑の〝水やり〟は中止となった。
 昨日、映芳爺さんが、長い長いホースを買ってくることを思いついたのだ。
 畑から降りていった道路に、畑に使う水道があり、そこからホースで水を取って、畑に置いた容器に貯めておけばいいというわけだ。

「ほいじゃけん、明日の畑は来んでもええど」
 それで即刻、中止。
 実に単純な理由であった
 

 そんなわけで、今朝は寝坊した。
 開け放った窓から、そよそよと涼しい風が吹き込んでいる。

「今日は涼しいな」
 と階下におりて愚妻に言うと、ジロリとにらんで、
「あなたの部屋にも簾(すだれ)を吊したからよ。気がつかないの?」
 まったく気がつかなかった。
「それはスマンことをした」
 と、礼を言おうかと思ったが、つけあがると本人のためにならないので、私はこう言った。
「ならば、なぜもっと早く簾を吊さんのだ」

 愚妻の柳眉が逆立ったのを見て、私はそそくさと風呂場へ向かった。

投稿者 mukaidani : 09:58

2011年07月15日

畑に水をやらねばなるまい

「畑がカラカラに乾いとる」
 今朝、畑から帰ってきた映芳爺さんが、愚妻に告げている。
「水をやろう思うても、わしは息が切れるけんのう」

 私に言って聞かせているのだ。

「おい、水をやってくれ」
 と私に言えば、これは「依頼」になる。
 そこを巧みに避けて、
「わしは息が切れるけんのう」
 と、何度も繰り返すのだ。

 魂胆はわかっているが、そこまで言われたらしょうがない。
「そいじゃ、明日、わしが水をやりに行くけん」
 と言うと、
「忙しいんなら、無理せんでもええど」
 すっと引いてみせ、
「大丈夫じゃ」
「ほうか、それならええんじゃが」

 何だか、私のほうから頼んで水をやりにいくハメになったという次第。


 今日は、これから埼玉支部のティロン君が稽古にくる。
 コックさんだ。
 2、3年のうちにスリランカに帰り、向こうでコックの仕事をするつもりだが、空手道場もやりたいと言う。
 それで、特訓のため、仕事休みの日に私のところへ稽古に来るというわけだ。

 彼の熱心さには応えなければならない。
「いつもヒマそうねぇ」
 と愚妻は揶揄(やゆ)するが、畑の水もやらねばならず、私もこれで結構、忙しいのである。

投稿者 mukaidani : 09:26

2011年07月14日

「多くを蔵すれば、必ず厚く亡う」

「金に目がくらむ」
 という言葉がある。

 目がくらめばどうなるのか。
 見えなくなる。
 何が見えなくなるか。

「自分」である。
 金に目がくらむと、自分が見えなくなってしまう。
 いま何をしようとしているのか、その行為は人として正しいのか間違っているのか。
 そんなことが見えなくなってしまい、結果、道を誤り、身を滅ぼす。

 このことを、老子は、
『多くを蔵すれば、必ず厚く亡う』
 と教えた。

「ゆえに」
 と、私は愚妻に告げる。
「わしは幸いにも、自分がよく見えておる」

 愚妻は一瞬、キョトンとしたが、
「ちょっと、ハッキリ言ったらどうなのよ」

投稿者 mukaidani : 07:56

2011年07月13日

菅総理の人相が悪くなった

 テレビニュースを見ていて、愚妻が言った。
「菅総理の人相、だんだん悪くなるわね」

 なるほど、菅総理の顔は表情が虚(うつ)ろに、そして乏しくなっている。

「これだけ叩かれれば、表情もおかしくなるさ」
 そう言うと、
「じゃ、辞めればいいのに」
 愚妻が短絡的な結論を口にして、
「奥さんが、〝辞めるな〟って言ってるんじゃない?」
 鋭い指摘をする。

「バカな」
 と言おうとして、
(ひょっとして)
 という思いがよぎる。

 公邸に帰れば夫婦で話もするだろう。
「あなた、負けちゃだめよ」
 と、伸子夫人がケツでも叩いているのではないか。

 そう思って菅総理の虚ろな表情を見ていると、リストラを宣告された夫が、
(家に帰って女房に何と言おうか)
 と、逡巡している顔に見えてくるのだ。

投稿者 mukaidani : 07:48

2011年07月12日

時間の「補正予算」

 時間割をつくって生活している。
 自由業ゆえ、年、月、日の計画を細かく立てておかなければ、しっちゃかめっちゃかになってしまうのだ。

 ところが、いろんな用事が飛び入りで入ってくる。
 当然ながら執筆予定も狂い、いまの政府がやっているのと同じで、私の場合は「時間の補正予算」を組むことになる。

 税収と同じで、時間は余っていないから、予定を削って「補正予算」に回すのだが、削った時間は、別の「予算」で補わなければならない。
 かくして慢性的な時間の赤字になるというわけである。

 歴代政府は、財政再建を掲げながら、いまだ遅々として進まない。
 同様に、私の「時間再建計画」も掛け声ばかりで、なかなか進まない。
 これではマズイ。
「還暦の大改革」を断行すべきときではないかと、ひそかに考えているところである。

投稿者 mukaidani : 06:28

2011年07月11日

警察感の実務本

 『BAN』という月刊誌がある。
 といっても、原稿依頼があるまで、この雑誌の存在を知らなかった。
 それも当然で、同誌は全国の警察官を読者とする直販雑誌。
 一般書店で目にすることはないのだ。

 見本に送っていただいた7月を見ると、
『悪に踏み込む少年たち/少年犯罪を考える』
 といった特集など、なかなか読みごたえがある。

 そんな〝お堅い雑誌〟から、職務質問における「会話の心理術」について原稿依頼とは、何かの間違いではないか。
「あのう、私でいいんですか?」
 思わず聞き返した次第。


 いい機会なので、警察官の職務に関する実務本を拾い読みしてみると、これがなかなか面白いのだ。

 たとえば、中に特殊染料が入った防犯用のカラーボールは、液体が満杯状態ではないので、重心が一定せず、通常のボールのようには投げられないそうだ。
 だから、平素から水道水を入れたボールで投擲(とうてき)訓練が必要だと解説してある。

 ただ投げつければいいと思っていたが、なるほど読んでみなければわからないものである。

 感心しつつ読み進めているうちに、ひと晩が明けてしまって、大あわてしている。

 6月〆切は何とか乗り切ったが、7月、8月と連続の〆切があり、カラーボールに感心している場合ではないのだ。

投稿者 mukaidani : 10:27

2011年07月10日

入道雲で梅雨明けを知る

 昨日午後、都心から千葉の自宅への帰途。
 高速道路を走っていて、前方上空に大きな入道雲があった。

「見ろ、入道雲だ。梅雨が明けたかもしれん」
 運転しながら助手席の愚妻に言うと、
「色が悪いわね」

 入道雲を「色」で評価する人間がいることを、このとき初めて知った。

「どう悪いのだ」
「白色がちょっと弱いんじゃない」
「わしは色の話をしているのではない。梅雨が明けたのではないか、と言っておるのだ」
「だけど、色がちょっとねェ」
 いつまでも色にこだわっている。

 主婦というやつは、雲をさえ、サンマの目の色を確認するように見るものなのか。
 新鮮な発見と驚きであった。

 帰宅すると、関東地方の梅雨明けをテレビが報じていた。
 節電の、夏本番の始まりである。

投稿者 mukaidani : 09:24

2011年07月09日

民主党で考える「初志貫徹」

 民主党の代表経験者らが、菅首相に退陣を迫る構想があるのだそうだ。
 前原誠司、鳩山由起夫、小沢一郎、岡田克也の4人だ。
 こいつらは、「本物のバカ」じゃないか。
 そう思う。

 ことにハトヤマがそうだ。
 内閣不信任案の採決で、コロリと態度をひるがえして否決にまわり、菅首相を続投させた張本人ではないか。

 菅首相を辞めさせる好機を自分たちが潰しておいて、「菅首相に退陣を迫る構想」もクソもあるまい。

 こうしてみると、何事も、直前になって考えを変えるのは、いい結果を生まないということがよくわかる。

 競馬の馬券だって、自宅で予想しながら、いざ馬券を買う段階になって迷いが生じて予想と違う馬券を買い、結果は予想どおり、ということが少なくないではないか。


『初志貫徹』
 という言葉がある。

 周知のとおり、
「初めに心に決めた志を最後まで貫き通すこと」
 という意味だが、この言葉の真意は、
「コトが大きければ大きいほど、土壇場になって迷いが生じ、初志がグラつくものだから心せよ」
 ということだろうと、民主党のドタバタを見ながら、私は解釈するのである。

投稿者 mukaidani : 08:22

2011年07月08日

被災地の石巻へ

 昨日、深夜1時に、クルマで自宅を出発。
 友人2人と私の3人で、宮城県の石巻に出かけた。
 とてもボランティアに参加する余裕はないが、同じ日本人として、物書きとして、震災をこの目に刻んでおくべきだと思ったからである。

 石巻に行き、そこからを海沿いを松島、塩釜、多賀城と南下。
 1000キロほどを3人が運転を交代しながら走った。


 惨状は、いまさら言うまでもない。
 被災地に立ち、
「もし私がここに住んでいたら、この被災に対して何を思い、将来をどう考えるだろうか」
 と自問し続けた。

 仏教的視点から見れば、「現状を甘受する」ということになる。
 だが、「生きていく」ということから考えれば、「甘受」なんてことは言ってられない。歯を食いしばり、自分を励まし、逆流を渾身の力で遡上していこうとするだろう。

 だが、そのいずれも「傍観者」の視点でしかない。
 悲しいことだが、それが私であることに、改めて気づかされた。

投稿者 mukaidani : 09:23

2011年07月07日

今日は七夕

今日は七夕である。
 1年に1度だけ「織女(おりひめ)」と「牽牛(ひこぼし)」が天の川の上でデートをする日だが、この「七夕伝説」は以下のようになっている。

 天帝の娘である織女は、機(はた)を織るのが仕事。
 とても熱心で、仕事ばかりする織女を心配した天帝は、娘を天の川の向かい岸にいる牽牛と引き合わせた。

 すると、どうだ。
 二人は恋に夢中になって仕事をまったくしなくなってしまったのである。
 これに、天帝が激怒。
 二人を天の川の両岸に引き離してしまうのだが、二人の様子を哀れに思った天帝は、一年に一度、7月7日の夜だけ会うことを許すのである。

 中国の伝説なので、きわめて儒教的。
「遊ぶな、働け」
 という教えだが、それはそれとして、年に一度の逢瀬とはロマンチックではないか。


 短冊に書く願い事は本来、機織りが上手な「おりひめ」に技芸の上達を願うものだが、それがいつのにか「願い事」のすべてになっている。
 天上の「おりひめ」は7月7日になると、日本のあちこちでヒラヒラする笹の葉の短冊を天上から見下ろしながら、人間の欲というものに苦笑しているのではないかと、想像を働かせるのである。

投稿者 mukaidani : 00:47

2011年07月06日

「広島の人間じゃけん、言葉が荒いかもしれん」

 愚妻が、道場の窓に下げる簾(すだれ)を何枚か買ってきた。
「ちょっと、取り付けてよ」
 と言うので、私は速射砲のごとく、こう言い返した。

「おう、甘えるところは甘えて、こっちも突き放すところは突き放すけんのう。そのぐらいの覚悟でやれえよ」
「・・・」
「ええか、コンセンサスを得んにゃいけんど。そうせんと、わしら何もせんけんのう。ほいじゃけん、ちゃんとやれ」
「・・・」
「知恵出したところは助けるが、知恵出さんヤツは助けん。そのくらいの気持ちを持ってやれぇや」
「・・・」
「それから、もうアレが欲しいコレが欲しいはダメじゃけんのう、知恵出せや、知恵を」
「・・・」
「それから、お客さんが入ってくる時にゃ、自分が入ってから・・・」
「ちょっと、怒るわよ!」

 愚妻が柳眉を逆立てたので、私はさらにこう言った。
「すまん、すまん。わしは広島の人間じゃけん、言葉づかいが荒ろうなったかもしれんが、ま、それはそれとして、自己都合で、辞任させてもらうにするけん」

「ホントに役に立たないんだから」
 と悪態をつきながらも、愚妻が自分で簾(すだれ)を取り付け始めたのである。


投稿者 mukaidani : 09:27

2011年07月05日

風呂でスイカを食べる

 私は、風呂で果物を食べるのが大好きである。
 酒を飲んでいたころは、風呂でビールをグビグビやっていたが、いまは果物である。

 ことにスイカが大好きで、愚妻に風呂に持ってこさせるのだが、ドーンと大スイカの、四分の一の大きさを大皿の載せてくるのだ。

 理由はわかっている。
 自分がスイカを好きでないため、小さく、食べやすく切るのが面倒なのだ。
 それでも、私が文句ひとつ言わないのは、ひとえにスイカ好きであるからで、スプーンで〝鉱山〟を掘るようにして黙々と食べている。

 問題は、食べた後始末をどうするかだ。

 私は風呂に置いたまま、出で行く。
「スイカの皿は?」
「風呂に置いてある」
「持ってきなさいよ」
「バカ者。〝出したら、さげるは世の習い〟というのだ」

 すると、愚妻は、
「フン」
 と冷笑して、
「あなたと、おんなじようなこと言って威張っていた人がいたわね」
「誰だ」
「松本ナントカという復興大臣よ。〝お客さんが来るときは、自分が入ってから呼べ〟とかなんとかエラそうなこと言って、バカみたい」

 まさか、あの傲慢なアホ大臣と一緒にされるとは。
 最近は、愚妻も胸に突き刺さるようなキツイことを言うのだ。

 さて、今夜のスイカはどうしたものだろうか。
 松本復興大臣と同じにされてはかなわない。
 自分で皿をさげるか。

投稿者 mukaidani : 07:13

2011年07月04日

観葉植物が枯れて、愚才が怒る

「何度、言ったらわかるのよ!」
 愚妻が怒った。

 道場の一隅にある仕事部屋には、鉢に入れた観葉植物がたくさん置いてあるのだが、そのうち2鉢ほどが、またまた枯れたのである。

「水をやりすぎちゃダメって、あれほど言っているじゃないの」
 と、枯れるたびに愚妻が怒るのだ。

 愚妻は植物が大好きで、わが家のささやかな庭は、植木に花に足の踏み場がないほどである。

 だから、仕事部屋の植物を枯らすと怒るのだ。

 で、先程のこと。
 忘れ物をして家を出たので、愚妻に仕事部屋へ届けさせたところが、
「何度、言ったらわかるのよ!」
 ということになった次第。


 だが、私はかねて、水をやりすぎて枯れるというのがよく理解できないでいる。
 だから愚妻に問うた。

「なぜ、水をやりすぎてはいかんだ」
「いけないに決まってるの」
「だから、なぜいかんのだ」
「そういうことになっているのよ」
「ならば、長雨に濡れる山野の植物はどうするのだ。水のやり過ぎなんてものではない。みな枯れてしまうのか?」
「屁理屈を言ってないで、とにかく水のやり過ぎはダメ」
「しかし、渇水で餓死するより、飽水で死んだほうが植物だって嬉しいのではないか」
「怒るわよ!」

 植物に対するこのやさしさで、なぜ亭主に接しないのか。
 私はただ、首をひねるばかりである。

投稿者 mukaidani : 09:11

2011年07月03日

「宮本武蔵」と「菅総理」

 人気ナンバー1の剣豪と言えば、宮本武蔵である。

 すでに江戸時代、英雄として演劇化されているが、武蔵を国民的ヒーローにしたのは、吉川英治の『宮本武蔵』である。

 ひたすら剣の道を追い求める孤高の生きざまが日本人のメンタリティーに合って、武蔵ブームを巻き起こした。以来、小説、映画、演劇、テレビドラマの定番となっているのは周知のとおりだ。

 私も武蔵は嫌いではない。

 だが、
「それにしても」
 と首をかしげるのは、巌流島の決闘である。

 佐々木小次郎を倒し、これによって宮本武蔵の名は天下に轟くのだが、約束の時間にわざと一刻(二時間)も遅れて小次郎を焦(じ)らす戦法は、およそ正々堂々とは言い難いにもかかわらず、ヒーローになっている。

 本来なら、姑息な手段として日本人がもっとも嫌うタイプだろうに、武蔵は英雄として絶大なる人気を博しているのである。

 なぜか。
 勝ったからだ。

 この世は、常に「勝者が正義」なのである。
 逆を考えてみればわかる。
 もし武蔵が、小次郎に〝燕返し〟で斬り捨てられたとしたらどうだったろう。

「正々堂々と戦えばいいものを、姑息なことをして」
 と、武蔵を嘲笑したことだろう。
 
「勝てば英雄、負ければ卑怯者」
 というのが「人間評価の基本」なのである。


 武蔵は剣の求道者というイメージが強いが、実は徹底したリアリストで、かの『五輪書』に、
《物毎(ものごと)の損得をわきまゆること》
《役に立たぬ事をせざる事》
 と、記(しる)している。

 損得を考えて行動せよ、とは、求道者らしからぬ言葉であるが、ここまで徹底しなければ勝負には勝てないということでもある。


 菅首相が10月訪中で調整に入ったとメディアが報じている。
 8月退陣どころか、続投意欲満々である。
 野垂れ死にすれば嘲笑だが、この先政権を維持するようでは「勝者が正義」ということもあり得るのだ。
 

投稿者 mukaidani : 07:32

2011年07月02日

節電ということ

 大阪府の橋下知事が、海江田経済産業相に噛みついている。

 海江田経産省が、九州電力玄海原発の運転再開を地元自治体に要請したことについて、
「電力が足りないと脅し、原発を推進させようとする経産省は、サインしなければ命はどうなるかわからないと迫る霊感商法と同じだ」
 というわけだ。

 私は電力関係について知識を持ち合わせていないが、
「本当に電力は足りないのか」
 という懐疑はある。

 政府、東電が信用できないからである。

 電力が足りなければ、何とかするのが政府と電力会社の責任であって、国民の節電に頼るのは本末転倒ではないか。
「国民が力を合わせて国難を乗り切る」
 ということに異論はもちろんないが、菅総理が無用に居座り、東電の対応に「誠意」が感じられない現状を見るにつけ、腹立たしくなってくる。

 そこで、
「おい、そうだろう!」
 愚妻に当たり、
「よし、この夏はエアコンをガンガンつけてやろうじゃないか」
 と息巻くと、
「あんた、電気代はダダじゃないのよ」
 愚妻にたしなめられた。

「電気の節約」ではなく、「電気代の節約」という視点から節電をとらえていることを知って、なんとなく複雑な心境になったのである。

投稿者 mukaidani : 06:58

2011年07月01日

人間社会は『金色夜叉』

 民主党に一本釣りされた浜田和幸議員が、
「一本釣りではない、一本勝負だ」
 と、ことあるごとに触れ回っている。

 自分では、
「こりゃ、いいフレーズだ」
 と得意になっているのだろうが、アホなダジャレではないか。

『金色夜叉』のお宮さんは、ダイヤモンドに目がくらみ、将来を誓った恋人の貫一クンを捨てて高利貸しのもとに走るのだが、浜田議員は「総務政務官」に目がくらんで自民党を捨てたのだろう。

「宮さん、来年の今月今夜になったならば、僕の涙で必ず月は曇らして見せるから、月が・・・月が・・・月が・・・曇ったらば、宮さん、貫一はどこかでお前を恨んで、今夜のように泣いていると思ってくれ」

 熱海の海岸で、お宮さんに向かって別れ話をするこのセリフは、あまりに有名だが、さて自民党は、裏切った浜田議員に何というのだろうか。

 お金に目がくらみ、ポストに目がくらむ。
 人間社会は、いつの時代も『金色夜叉』なのである。

投稿者 mukaidani : 02:49