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2010年11月30日

「人生の有事」に備える

 黄海で、米韓合同の軍事演習が続いている。

「有事に備えて」
 という言葉に、私はハタと膝を打った。
 そうだ。
 人生においても、有事に備えた演習が必要ではないか。

「よし、今日から〝寝たきり〟になったときの介護演習をするぞ」
 テレビに興じる愚妻に告げると、私はゴロリと横になり、
「おい、ノドが渇いた」

 これに愚妻がどう反応したか、あえて書くまい。
 罵詈雑言の嵐で、北朝鮮のごとく大砲をぶっ放してきたのである。

 介護演習は悪い冗談としても、「人生の有事」に備えた演習は必要だろう。
 いたずらに将来を憂(うれ)うことはないが、根拠のない楽観もまた戒(いまし)めるべきだ。

 そのことを愚妻に発信したつもりだが、
「これ以上、あなたの世話はできません」
 と言われてみれば、私としては、ただただ沈黙するばかりである。

  

投稿者 mukaidani : 01:24

2010年11月27日

大腸ガンの検査で考えた

 昨日は、大腸ガンの検査を受けた。
 健康診断で引っかかったのだ。
 結果は「異常なし」だったが、検査の前日は食事制限があり、これが難物だった。

 朝は食パン二枚。ただし、バターやジャムなどをつけてはならない。
 昼はウドン。ただし、具はいっさい不可。
 夜はお粥(かゆ)。ただし、梅干しなど副食物はいっさい不可。

 小食を旨とする私にとって、これだけ食べられればじゅうぶんだとタカをくくっていたところが、無性に腹が減ってくるのだ。

 で、水をガブガブ飲む。

 そんな私を見て、愚妻がしみじみと言う。
「食べるな、と言われれば食べたくなるものなのね」

 これに私はハッとさせられた。

 なるほど、そうなのだ。
 人間は、強制に対して、それと等量だけ無意識に反発するのだ。

「稽古しろ」
 と強制すると、子供たちはイヤイヤながらする。

「原稿を書かねば」
 と、自分で自分に強制すると、気分がイマイチ乗ってこない。

 つまり、「強制」してはダメなのだ。

 で、昨夜の稽古。
 強制を排除して、
「稽古したい人だけしなさい」
 と言ってみたところが、大半が稽古をしないで、ペチャクチャおしゃべりに興じていた。

 結局、人間は、強制すれば反発し、強制しなければ易(やす)きに流れるということか。

 つまり、どっちに転んでも結果は同じであるということを、私は大腸ガンの検査をとおして学んだのである。

投稿者 mukaidani : 11:18

2010年11月25日

京都駅のエスカレーターで

 ものぐさな私は、振り返るのが面倒で、大嫌いである。
 だから愚妻に話しかけるときは、前を向いたままで言葉を発する。
 愚妻は私の左側、三十センチほど後ろをついてくることになっているから、それでじゅうぶん会話が成り立つのだ。

 で、京都駅のエスカレーターでのこと。

 日本酒の宣伝ディスプレーが目にとまったので、
「おい」
 と愚妻に話しかけた。
「そもそも日本酒はだな、銘柄に迷ったら剣菱にしておけと言われておるのを知っているか。なぜかと言うとだな」

 返事がないので、
「おい、聞いておるのか」
 語気荒く首をひねると、五十がらみの和服を着たご婦人が、顔をひきつらせ、前方を凝視したたま固まっていた。

 人違い。
 混雑のなか、愚妻は遅れをとって数メートルあとにいたのである。

 愚妻が笑いを噛み殺している。
 なんと、ひねくれた性格であることか。

「バカ者。私は人生を振り返るのが大嫌いなのだ。だから歩いていても、振り返るということをしない。それを笑うとは何事だ」
 私は叱責したが、愚妻はなおも嬉しそうな顔をして、
「でも、人違いはいつものことじゃないの」

 何を言っても動じない愚妻なのである。
 

投稿者 mukaidani : 12:04

2010年11月23日

京都から帰宅

 先ほど京都から帰宅。
 歩き疲れたが、紅葉を堪能した。

 ただ、京都はクルマのクラクションが多い街であることに改めて気がついた。
 観光シーズンで道路が混雑しているということもあるのだろうが、古都にクラクショクンは興ざめである。

 京都は歴史を楽しむ街だ。
 名刹を訪ね、歴史に心を遊ばせて楽しむのだ。
 言い換えれば、京都の「現代」は凡庸な街ということになるだろうか。
 歴史とは何ともありがたいものだ。

 

投稿者 mukaidani : 22:10

2010年11月21日

紅葉に惹かれる

 春の桜より、晩秋の紅葉に惹(ひ)かれるようになったのは、ここ2、3年のことだろうか。

 それまでは、いさぎよく散っていく桜の儚(はかな)さが好きだったが、その儚さが、何となく華やいで見えるようになった。

 それに引き替え、紅葉というやつは、臨終を前にした静かな微笑みのようなものを感じる。

 それがいいのだ。

 今日から愚妻を連れ、二泊三日で京都へ行く。
 所用もあるのだが、紅葉を楽しみにしている。

投稿者 mukaidani : 00:52

2010年11月19日

「愛情」とは「あきらめ」のこと

 午前中は、佐倉地区保護司会・広報紙の打合せがあり、それが終わってから愚妻と昼メシを食べに出かけた。

 で、メシを食べつつ、この話題を出すのはどうしようか迷ったが、愚妻が何と答えるか、試しに口にしてみた。

「今朝のWebニュースで、妻の8割が夫に不満を持っているというアンケート調査の結果が掲載されていた。どう思うか?」
「10割の間違いじゃないの」

 ニコリともしないで言ったが、私はメゲず、
「しかし8割の夫婦は、愛情を感じていると答えておる」
「それ、〝あきらめ〟の間違いじゃないの」
 つまらなさそうに言って、鉄火巻きを口に放り込んだ。

「あきらめ」とは、何と素晴らしい言葉であることか。
 人生の苦悩が「あきらめきれない」ことから生じるとすれば、「あきらめ」は「さとり」ということになるではないか。

 夫婦円満の秘訣は「愛情」ではなく「あきらめ」にあると、わが愚妻は喝破するのである。

投稿者 mukaidani : 16:39

2010年11月17日

焼酎購入で再認識した「夫婦円満」

 愚妻を伴って量販店に出かけ、来年のカレンンダーやインク、お香などを買い、ついでに焼酎を買おうと酒の売り場に行った。
 我が家で飲むのではなく、人に会う用事があり、お土産にしようと思ったのである。

 ところが、何を買っていいのかわからない。
 ここ数年、酒を飲まないので焼酎の銘柄がわからないのである。
 で、邪道ながら値段で決めることにした。

 いろいろ探していると、小ぶりで四千円のやつがあった。
 量販店で四千円なら、一般小売りはもっと高いはずで、いくらの焼酎なのだろうかと係員を呼んだ。

「これ、フツーの店だと値段はいくらくらいかな?」
「エー、そうですねぇ、二千円くらいでしょうか」
「ナヌ?」

 私は愚妻と顔を見合わして、
「おう、ここはフツーの小売店の2倍の値段で売るのか?」
「ハッ?」

 今度は店員がキョトンとして、
「あのう、これはプレミアムがついた焼酎なんです。ほら、このコーナーはプレミアムと書いてあるじゃないですか」

 なるほど、プレミアムコーナーと書いてある。
 フツーは二千円で売っている焼酎にプレミアムがついて四千円になっているのだということを、このとき理解した。
「あっ、そうか」
 私は笑顔をつくり、
(ケツをまくらなくてよかった)
 と安堵しつつ購入した。

 こうなると不思議なもので、愚妻とのあいだに連帯感が生まれる。
 
 私も勘違い、愚妻も勘違い。
 勘違い同士が、
「プレミアムとは知らなかったなァ」
「ホントよね」
 仲のよい夫婦になるのだ。

『敵国外患(がいかん)無き者は国恒に亡ぶ》
 とは孟子の言葉で、
「競争する国や敵国がなくて外国に攻められる心配もない国は、国全体に緊張を欠き油断を生じてついには国が滅亡する」
 という意味だが、どうやらこれは夫婦にも言えそうだ。

 夫婦にとって「敵」がいれば団結し、「敵」がいなければ緊張感を欠いて倦怠となり、やがてはいがみあうことになる。

 夫婦円満の秘訣は「敵国外患」にあるということを、私はプレミアム焼酎で再認識したのである。

投稿者 mukaidani : 20:21

2010年11月16日

打合せのたびに意気軒昂

 昨夜、新宿で旧知の編集者と打合せ。
 編集者は女性だが、女傑というのか姐御肌というのか、日本酒を冷やでグイグイやりながら、単行本の企画について大いに盛り上がった。

 盛り上がりすぎて、あやうく終電に乗り遅れるところであった。
 いつもはクルマで出かけるので、何となくそのつもりでいたため、大あわてしたというわけである。

 毎度のことだが、編集者と企画を練るときがいちばん楽しく、話しが盛り上がるにつれ、
(よし、これでベストセラー間違いなし)
 という気分になってくる。

 来年に向け何冊か企画が進行しているが、それぞれ打合せをするたびに、
(よし、ベストセーラー)
 と、意気だけは軒昂なのである。
 
 

投稿者 mukaidani : 16:37

2010年11月14日

同窓会で考えた

 昨日は、高校の同窓会があった。
 私が卒業した高校は広島県呉市なので、その東京地区の同窓会である。

 同窓会やクラス会は中学、高校を含め、これまで一度も出席したことがないのだが、高校の東京地区の事務局長さんから、ぜひにとお誘いを受け、出席させていただいた次第。

 出席者は150名ほどと盛況で、〝呉弁〟が会場のあちこちで飛び交っていた。

 記念講演として、東邦大学医療センター大橋病院・心臓血管外科教授の尾崎重之氏が「弁膜症治療の最前線」と題し、心臓病の話をわかりやすく解説してくれた。

 世界で初めて自分の心臓膜を用いて弁をつくり、「世界のスーパードクター」の一人だそうだ。

 私より10期下の卒業生だから、今年50歳。
 たいしたものではないか。

 それに引き替え私はどうだ。

 懇親会になって私も紹介されたが、その紹介の言葉が、
「作家で、空手家で、坊さんで、とても変わった経歴の同窓生」
 ということだった。

 要するに〝キワモノ〟ですな。

 で、壇上で簡単なスピーチをさせていただいたが、
(自分はいったい何者なんだろう)
 という思いがよぎった。

 変わった経歴とは、60年を生きてきて「自分」を一言で表現する言葉がないということなのだ。

 10期下のスーパードクターを「この道一筋」とするなら、私は「あっちの道、こっちの道」ということになろうか。

 これでは、人生という道に迷うのも当然だろうと、ひとり合点した次第である。

投稿者 mukaidani : 12:35

2010年11月11日

愚妻と築地本願寺へ

 今日は稽古がないので、愚妻を連れて築地本願寺にお参りした。
 親鸞聖人に感謝させていただく報恩講が、今日から始まるからだ。

 私としては、朝6時30分から始まる晨朝法要にお参りしたかったのだが、愚妻が渋い顔をするだろうと思い、午後2時からの法要にした。

 で、午後2時。
 読経が始まると同時に、愚妻が居眠りを始めた。

 結構なことだ。

「仏法は居眠りをして聞け」
 と昔から言われるように、
「居眠りをしながら聞いていても、身体の毛穴から入ってくださるのが仏法」というわけで、お経も同じことだろう。

 だが、あまりのスヤスヤに心配になってきた。
 というのも、私の祖父は、近所のお寺さんでご法話を聞いている最中、眠るように亡くなったからで、たまたま昨日、畑指南役の親父と、そんな話をしたばかりである。

(まさか愚妻までも、お経を聞きながら築地本願寺でポックリ、なんてことはないだろうな)

 気になって、膝でちょこんと突っつくと、ハッと目覚めた。
 やれやれ。
 安堵しながら、
「どうだ、お経が毛穴から入ったろ?」

 耳元でささやくと、愚妻はキョトンとしていた。
 どうやら、毛穴からお経が入るには、居眠りが少しばかり足りなかったようである。

投稿者 mukaidani : 23:03

2010年11月10日

人生、短いものですな

今日は、アックスコンサルティング発行の『月刊パワーボイス』のインタビューを受けた。

 同誌は、会計事務所の所長さんを読者とするCD・カセットマガジンで、私とは本来、あまり縁のない媒体だが、堅い雑誌にも〝毛色〟が変わった記事が必要ということなのだろう。「交渉術」「会話術」について話をした。

 そういえば一昨日も、「会話術」をテーマに日刊ゲンダイの記者氏が取材に見えた。「会話術」というのは時代を問わず、人間の永遠のテーマということか。

 来年の出版予定で、「会話」をテーマに2社とそれぞれ企画を詰めている。
 書きたいテーマはたくさんあるのだが、これからは人生の残りの時間との競争ということになる。
 そう考えると、人生は意外に短いものであることをつくづく実感するのだ。
 

投稿者 mukaidani : 23:48

2010年11月09日

鎮痛薬のアレルギー

 今日、大学病院へ行った。
 鎮痛薬を服用すると、顔と頭に凸凹とアレルギー(薬疹)が出て、これが痒(かゆ)いのである。

 最初は、尿管結石のときの鎮痛座薬。
 次いで、首に痛みが出たとき、整形外科で処方された鎮痛剤。
 そして先週は痛風の鎮痛剤。

 こうして並べてみると、いろんな痛みが出ているものだと我ながら感心するが、しかし鎮痛薬が服用できないとなると、これはヤバイ。
 で、今朝、大学病院へ診察に行ったというわけである。

 とりあえず5種類の鎮痛薬について、アレルギーのテストをすることになったが、この検査は処置当日、2日後、3日後、一週間後と都合4日かかるので、 日程調整がうまくいかない。
 結局、12月の保護司研修会をキャンセルすることで、検査日を確保した。

 問題は、それまで一ヶ月以上あることだ。

「痛風が出たら大変ね」
 愚妻がうれしそうな顔で言う。
「結石になったらどうするのかしら」
 笑みを噛み殺すようにして言う。

 イヤミな女ではないか。
 私はアレルギーの出ない鎮痛薬が見つかるまで、意地でも元気でいてやるのだ。
 
 

投稿者 mukaidani : 16:04

2010年11月06日

今朝、畑で一輪車を使う

 今朝、畑に行った。
 例によって、畑指南役である87歳の親父、収穫担当の愚妻、草取りを担当する私の3人である。

 草取りといっても、これまでの100坪から一気に20坪とスケールダウンしたので、私の役目はたいしてないのだが、
「畑に行くと息が切れていけん」
 と指南役が毎日うるさいので、何とか週に1回はいっしょに行くようにしているのだ。

 20坪ではたいした収穫もないし、夏の猛暑で野菜のできも悪いので行ってもしょうがないのだが、
「今週は天気が続くのう」
 と、指南役が聞こえよがしにつぶやくので、
「じゃ、明日、畑へ行くか?」
 私もついサービスしてしまうのである。

 畑には、Sさんという70歳になる畑のエキスパートが小屋を建て、日中は〝常駐〟していて、何くれと世話を焼いてくれる。
 これが大助かりで、ウチの親父が畑の指南役なら、Sさんは「大指南役」といったところか。

 で、今朝。
 S大指南役から、畑に堆肥を入れるよう私に指示が下った。
 堆肥も、畑まで運ぶ一輪車も、S大指南役が用意してくれ、
「さっ、運んで下さい」

 ところが、一輪車など使ったことがない私にとって、これを畑まで運び上げるのが難儀なのである。

 ハァハァ言いながら頑張って2度、畑に運んだところで、
「もう1、2杯ですかねぇ」
 と、S大指南役が一輪車の続行を命じたが、
「いや、Sさん」
 と私は言った。

「及ばざるは過ぎたるより勝れりのたとえもあります。堆肥も少し足りないくらいでちょうどいいと思います」

 S大指南役はキョトンとしていたが、
「そんなもんかねぇ」
 と、首をフリフリつぶやいていた。

 作業が一段落したところで、ありがたいことに、S大指南役が冷たいお茶を持ってきてくださって、
「じゃ、このあとネギを植えるんですね」
 とおっしゃったので、私はお茶を吹き出しそうになった。

「いえ、今日は帰ります。ネギはまた来週。楽しみは少しずつ、というやつです。楽しみも貪(むさぼ)ると苦痛になりますから」
 私はあわてて言った。

 どうやら、これからはS大指南役との戦いになりそうである。
 ウチの指南役はたわいもないが、S大指南役はマジメで、熱心なだけに手強い。
(いかに楽をすべきか)
 そばの一輪車を見やりながら、私は自問した。
 まさか還暦を迎えて一輪車で堆肥を運ぼうとは、畑に来るまで夢想だにしなかった。

投稿者 mukaidani : 13:43

2010年11月04日

風呂とトンカツ

 肉を食べないと血管が脆(もろ)くなると、愚妻がうるさく言う。
 私が肉を断っているからだ。
 肉を断ったことに意味はなく、いつもの気まぐれだが、すでに1年が経つ。

「勝手にすれば」
 と当初は言っていたが、愚妻が最近、肉と健康のテレビ番組を観たらしく、
「肉も食べなければダメ」
 と、うるさいのである。

 で、今夜。
 あまりにうるさく言うので、
「わかった。ブタを食うぞ」
 風呂へ出かける途中、トンカツ屋へ寄った。
 柔軟性が私の持ち味なのだ。

 特にうまいとも思わないが、満腹になった。
 おかげで風呂に入っていることができず、30分であがって、いま休憩コーナーでこのブログを書いている。

 しかるに愚妻は、長湯をしている。
 同じようにトンカツを食べただけでなく、ジョッキで酎ハイも飲んでいるのだ。

 タフだ。
 本当にタフだ。

 どうやら私のこれからの人生は、愚妻が頼りということになろうか。
 トンカツを食って風呂に入ったことで、私は男の脆(もろ)さというものを、いましみじみ感じているところなのである。

投稿者 mukaidani : 20:25

2010年11月03日

下水管が詰まる

 道場前の歩道の下に下水の本管が走っているのだが、これが詰まって、マンホールから下水があふれ出した。
 市役所に通報すると、市職員が駆けつけ、すぐに業者を手配。消防車のような専用車3台がやってきて処置した。

 レンガのような脂の固まりが何個も詰まっていて、それが原因とのことだったが、マンホールの中に入ったり、キビキビ動く作業員の方々を見ていて、
(楽な仕事じゃないな)
 と思った。

 こういう方々のおかげでインフラが保守されていることに、改めて気がついた。

 人間疎外だの、生き甲斐の喪失だの、自分探しだのと難しい顔をしている人が少なからずいるが、何ともノンキなことではないか。

 自己主張ばかりするのではなく、
「社会の一員として自分にできることは何か」
 ということを、いま一度考えてみることの大切さを、あふれ出た下水に教えられた次第である。

投稿者 mukaidani : 05:48

2010年11月01日

昨日は空手の市民大会

 昨日は、空手の佐倉市民大会があった。
 出場選手500名と県下有数の大会で、スタッフはてんてこ舞いだが、私が手伝うと邪魔になると思い、本部席に座って来賓の方と雑談。

 それでも、やはりくたびれるもので、
「いやあ、今日は疲れた」
 と言うと、愚妻が、
「座っていただけじゃないの」
 と毒づく。

 私の道場からも、保護者にお願いして補助役員を出しており、愚妻も手伝っていたからである。
 愚かな批判をたしなめようかと思ったが、ま、火に油をそそぐこともあるまい。
「賢夫は愚妻と争わず」である。

 それはそれとして、試合の結果を見ていて唸(うな)ったのは、道場で私の言うことを聞かないイタズラ小僧2人が好成績をあげていたことだ。

「こらッ、稽古しないと、試合ですってんころりと負けるゾ」
 私が声を張り上げても、
「負けるわけないじゃん」
 と、根拠のない自信を口にして、マジメに稽古しない子供たちである。

(試合でコロリと負ければ、いいクスリになるだろう)
 そう思っていたら、金メダルに銀メダル。

 これは困った。
「根拠のない自信」が、「根拠のある自信」になってしまうではないか。
 当分、マジメに稽古はしてくれまい。

 そんな一方で、なかなか結果が出せない子供たちや大人がいる。
 いま結果が出なくても、頑張って稽古を継続していれば、必ず結果はついてくる。
 私は、そのことを彼らにどう伝えていけばいいか。
 いろいろ考えさせられるのである。

 試合には当道場の支部の選手諸君も参加していたのだが、ふだん私と顔を合わすことがないということで、有志の方々から還暦のお祝いを頂戴した。

 古武道の棒を入れる特注の袋で、表の刺繍のほか、袋の裏地が赤。
 還暦の「赤」というか。
 立派すぎて、もったいなくて、普段は使えない。

「そうね、大事にしまっておけば」
 と愚妻は言いながら、
「還暦なんだから、調子に乗って稽古しないでよ」
 クギを刺すのを忘れないのである。

 そんなこんこんなの、楽しくもあわただしい一日であった。


投稿者 mukaidani : 11:28