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2010年09月30日

うっかり死ねない時代

 今年の葬儀費用の平均が200万円だそうだ。
 高いねぇ。
 この金額でも、調査を始めた20年間で、もっとも低いという。
 僧籍にある立場で言うのも何だが、これじゃ、うっかり死ねないではないか。

 一方、子供が欲しくても、経済的な事情や、保育所の不足などから産めない若夫婦が多い。

 子供も産むのも、死ぬのも大変な時代になったものだ。
 地球にやさしいのも結構だが、心置きなく子供を産め、心置きなく死んでいける社会でなくてはなるまい。

「そうは思わんか?」
 愚妻に問いかけると、
「何が言いたいのよ」
 顔に警戒の色を浮かべながら、
「まさか私が先に死んだら、経費節減で、あなたがお経をあげるつもりじゃないでしょうね」

 バチ当たりが、今日も憎まれ口を叩くのである。

投稿者 mukaidani : 19:42

2010年09月27日

昼間のスーパー銭湯

 私がよく行くスーパー銭湯は、自宅からクルマで20分ほとで、いつも夜に行く。

 これに今朝、ふと疑問を抱いた。
(用事がない日は、日中に行ったっていいではないか)

 なぜこのことに、いままで気づかなかったのか。
 日々、新たな発見があるものだ。

「行くぞ」
 すぐさま愚妻に命じて、風呂の用意をさせた。
 私ひとりで行けばいいのだが、風呂の回数券は愚妻が保管しているし、着替えがタンスのどこに入っているか、私にはわからない。
 したがって、やむなく愚妻を帯同することになるのだ。

 風呂へ行って驚いた。
 ガラ空きだろうと思っていたら、混んでいるではないか。
「ヒマ人ばっかりではないか」
 私が口をとがらせると、
「あなたもその一人じゃないの」
 愚妻がバチ当たりなことを言う。

「私はヒマ人ではない。たまたまヒマができたのだ」
「同じでしょ」
「違う、断じて違う」
 風呂で、夫婦の論戦になった次第。

 本願寺中興の祖である蓮如上人の言葉に、
《われは悪(わる)しと思う人なし》
 というのがある。

「人間は、自分というものにとらわれいるために、自分が悪いと考える人はいない」という意味で、自己中心の生き方や価値判断を戒める。

 盗人にさえ〝三分の理〟があるとするなら、私たちには百パーセントの理があると考えるだろう。
 だから「百パーセントVS百パーセント」となり、自説に固執するのである。

 そのことに湯船で思い至った私は、帰途に立ち寄ったトンカツ屋で、愚妻に話して聞かせた。

「いいか、本願寺中興の祖である蓮如上人の言葉に《われは悪しと思う人なし》というのがある」
「ソース取って」
「だから人間は、自分というものにとらわれているために……」
「ドレッシング取って」
「だから人間は……」
「このトンカツ、よく揚っているわね」
「ホントだな」

 風呂は、やはり夜に限るようだ。
 

投稿者 mukaidani : 17:54

2010年09月25日

「ちかごろの若い者は」という批判

「叱られる」ということに対する子供たちの反応が、いまと昔とではまるっきり違っていることに驚かされる。

「稽古しなくていいから座っていろ!」
 こう言って叱ると、ひと昔前までは、
「ちゃんと稽古しますから許してください」
 と謝ったものだ。

 ところが、いまはどうだ。
(ラッキー!)
 と喜色を浮かべるのだ。

 喜色どころか、ワルガキともなれば、
「外へ出てなくていいですか?」
 と催促する始末て、これにはさすがの私も当惑させられるのである。

 ところが、そんな彼らに、自分より年下の子供たちを教えさせてみると、
「ちっとも言うことをきかない」
「稽古しない」
「やる気がない」
 と、口々に嘆くではないか。

 嘆く言葉こそ稚拙だが、言わんとしていることは、
「ちかごろの若い者は」
 という熟年の常套句と同じなのである。

 これには私も考えさせられた。
 すなわち人間は世代に関係なく、誰もが自分のことを棚に上げて若年を批判するのである。
 要注意、要注意。

投稿者 mukaidani : 00:00

2010年09月22日

愚妻は世界一の幸せ者

 明日の夕方、愚妻は娘と歌手のコンサートに行く。

「明日の晩ご飯、どうするの?」
「食べるに決まっている」
「だから一人で食べに行くのか、何か買ってくるかを訊(き)いているんじゃないの」
「わからん」

 私は正直に答えた。
 かの良寛は、明日の約束について念を押されとき、ポツリとこう答えている。
「死んだら来られん」

 明日のことなどわからないという無常を衝(つ)いた素晴らしい言葉ではないか。
「だからだな、明日のご飯のことなど、いま答えることはできんのだ」
「あっ、そ。じゃ、良寛やってれば」
 バチ当たりなことを言って、駄犬を抱えて階下へ降りていった。

 明日は、当道場の秋期審査会。
 愚妻は、それが終わってから出かけるという。
 ま、たまには娘とコンサートもいいだろう。
 
「で、何という歌手だ?」
「誰だっけ?」
「わしが知るか」
 愚妻は、世界一の幸せ者に違いない。
 

投稿者 mukaidani : 09:27

2010年09月19日

もの言えば唇寒し

 よく寝た。
 九十九里の仕事部屋である。

 昨日は午前中、杉並支部へ出かけて稽古、夕方から自分の道場で稽古。
 6時間も身体を動かしたのだから、ぐっすり眠るのは当然である。

 ところが愚妻は、私のイビキを指摘して、こう言うのだ。
「起きててもうるさいけど、寝ててもうるさいのね」

 こういう愚かな女と、36年も連れ添っているのだ。
 私は黙して語らず。

「風呂のあとは、どっちの店に行こうかしら」
 愚妻が、しきりに悩んでいる。
 魚料理屋とソバ屋に、愚妻専用のボトルがキープしてあるのだ。
 私は黙して語らず、隣室に行って、こうしてブログを書いている。

「ちょっと、コーヒーが入ったわよ」
 愚妻が告げる。
「パンにする? 梨(なし)にする?」

 なぜ、パンと梨が並列になるのか。
「バカ者!」
 と言おうとして、やめた。
「うるさいわね」
 という怒濤の猛反攻がわかっているからだ。

 残暑は厳しいが、かくごとく、ものを言う唇は寒いのだ。

投稿者 mukaidani : 09:43

2010年09月17日

コスモスの鉢植えを愚妻が購入

 私はコスモスが大好きである。
 だから愚妻にコスモス買ってくるよう命じておいたのだが、そのことをすっかり忘れていた。

「ちょっと、玄関のコスモス見た?」
「何の話だ」

 愚妻の怒るまいことか。

 だが、私が悪いわけではない。
 まさか一度の命令で、愚妻が素直に買ってくるとは夢にも思わなかったからである。

 そのことを指摘し、
「おまえが悪い」
 と正論を述べたのだが、愚妻は頑として耳を貸さず、私が身勝手だと非難するのである。

「わかった」
 私は戈(ほこ)を納め、
「で、庭のどこに植えるつもりだ?」
 話題を転じると、
「それそれ、それなんだけど」
 愚妻の機嫌はコロリと直った次第。

 かくのこどし、人間関係術は夫婦において磨かれるのだ。

投稿者 mukaidani : 10:03

2010年09月14日

死ぬのが難しい時代

 昨夜は編集者3人と一杯やった。
 宗教の話からヤクザ、夫婦論まで話題は尽きず、楽しい一夜であった。

「生きにくい時代」ということで3人の意見は一致したが、ではこれに対処する企画となると意見は分かれる。

 すなわち、
「励ますのか」
「なくざめるのか」
 ということである。

 実生活においては「励まし」と「なぐさめ」はセットで考えるべきだが、一冊の本となると、両者の混合は難しいだろう。

 だが、「生きにくい時代」と言うけれど、これまで「生き易(やす)い時代」があったのだろうか。
 人間は太古の時代から、人生に抗(あらが)うようにして生きてきたのである。

 すなわち「生きにくい時代」が常態であるなら、「生きにくい時代」は存在しないということになる。

 だから現代は、決して「生きにくい時代」ではない。
 むしろ「死ぬのが難しい時代」と言うべきではないか。
 これから「長寿の悲劇」は加速することだろう。
 医学の進歩とは何か、考えさせられるのである。
 

投稿者 mukaidani : 10:13

2010年09月13日

秩父で空手合宿

 土曜、日曜は、わが昇空館の大人合宿であった。

 場所は昨年に続き、秩父である。

 これまで河口湖、九十九里、軽井沢、沖縄など、いろんな場所で合宿してきたが、ここ秩父の旅館は別館を借り切りとあって、他の客に迷惑(?)をかけなくてすむ。
 しかも、温泉となれば、私としてはお気に入りである。

 宴会は9時の中ジメで、私は自室に帰って本を読み、早々に寝たが、会員の多くは深夜まで酒を酌み交わし、空手や古武道について論断風発であったとか。
 これも合宿の楽しみの一つである。

 二日目の早朝六時、私は露天風呂に入る。
 気分は上々である。
 何しろ、稽古するのも、指導するのも道場生諸君だから、私はヒマなのだ。
 だから合宿地は温泉を選ぶのである。

 鼻歌まじりで部屋にもどり、窓外の緑を堪能しようとカーテンを開けると、稽古衣を着た巨漢が、芝生の上で棒を振りまわしている。

 ブラジル人の青年で、体重百キロを超える。
 緑深い山あいの風情には不似合いな光景であったが、稽古熱心さに感心。

(温泉につかって鼻歌を歌っている場合ではない)
 と、私は彼の真摯な姿に猛省した次第。

 師は弟子に教え、弟子にまた教えられるということか。
 いろんな意味で、楽しい合宿であった。

 一夜明けて、今夜は編集者と打ち合わせ。
 現実の生活が始まる。

投稿者 mukaidani : 14:04

2010年09月10日

首痛と介護用ベッド

 首が痛い。
 枕のせいだ。
 いや、ベッドのせいかもしれない。

 愚妻は、老犬の駄犬と八畳間のセミダブルベッドに寝ているが、私は六畳間のシングルベッドなのだ。

 先月、私は寝返りを打とうとして、ベッドから落ちそうになり、以後、寝返りには慎重になった。
 たぶん、そのせいで安眠できず、それが首痛になっているのではないか、というのが私の見立てである。

 むろん、愚妻は言下に否定する。
 否定するだけでなく、
「じゃ、シングルベッドに寝ている人は、みんな首が痛くなるわけね」
 と、挑戦的な言葉を投げかけてくるのだ。

 だが、私は自説を譲らず、ベッドのせいだと主張し続けたところ、昨夕、帰宅すると、
「ベッド、変えましたからね」
 眉をつり上げて言う。

「買ったのか?」
「家にあるやつ」
「ン?」
「以前、お爺ちゃんに買ったやつよ」
「介護ベッド!」

 そうなのだ。
 爺さんがテレビを見るときに楽だろうど、電動でベッドの上体が持ち上がるやつを買ってプレゼントしたのだ。

 ところが、二、三日使用しただけで、
「いらん」
 と拒否。
 年寄りもプライドがあるようで、介護用ベッドは気が進まなかったのである。

 で、どこぞにしまっていたのだが、そのベッドと取り替えたと愚妻は言うのだ。

 寝てみる。
 手元スイッチを入れると、電動音と共に上体が起き上がる。
 なるほど、楽ちんである。
 だが。

「おい、介護用ベッドと、私の首痛とどう関係するのだ」
 愚妻に問いただすと、
「ちょっと、文句が多いんじゃないの!」

 問いには答えず、逆ギレしてしまった。

 かくして昨夜から、私は介護用ベッドで、電動音を響かせつつ、上体を起こしたり下げたり。
 いずれ、このベッドに厄介になるのかと思うと、いとおしくなってくるのである。

 

投稿者 mukaidani : 07:01

2010年09月08日

人生を「趣味」にすべし

 台風の余波で、朝から雨。

 私はうんざりだが、87歳の爺さんは鼻歌まじりで、
「こりゃ、ええのう」
 とニコニコ笑顔。
 頭のなかは、畑のことしかないのだ。

 畑も趣味だから楽しいのであって、これが仕事となると、
「今日も畑か」
 と、うんざりするのだろう。
 釣りだってゴルフだって、仕事となれば楽じゃあるまい。

 となれば、仕事を「趣味」と考えれば、楽しくなるということになる。
 いや、仕事に限るまい。
 人生も「趣味」となれば、毎日がニコニコ笑顔ということになるではないか。

「よし、今日から人生を趣味にするぞ」
 爺さんと愚妻に宣言する。

「また、わけがわからんことを言い始めた」
 爺さんは呆(あき)れ、愚妻はニコリともしないで、
「あら、趣味で生きているとばっかり思っていたけど、違ったの?」

 駄犬の老犬はソファに仰向けになって、われ関せず。
 我が家でマジメに人生を見つめているのは、ただ私一人なのである。
  

投稿者 mukaidani : 20:51

2010年09月06日

日刊ゲンダイの取材

 今日は、日刊ゲンダイの取材を受けた。

 拙著『成功する人だけが知っている「一万円」の使い方』をテーマに、あれこれ取材されたが、記者の質問の仕方が実に巧みで、まるで友人と雑談でもするかのような、楽しい時間だった。

 優秀なインタビュアーに会うと、私も触発され、
(いい本を書かなくては)
 と、ファイトがわいてくる。

「人間は、人間でしか磨かれない」
 ということを実感した素晴らしいインタビューであった。

 いま食事から帰り、居間に置いてあったノートパソコンで、このブログを書いている。

 駄犬がソファーに寝そべり、愚妻はソファーの下で手枕をして、気持ちよさそうにイビキを書いている。
「今夜はワインという気分じゃないわ」
 とかなんと言いながら、レストランでカンパリオレンジを3杯引っかけたからだろう。

「人間は、人間でしか磨かれない」とするなら、愚妻は、いまだ磨かれざる原石ということか。

 いや、私が磨かれ過ぎて、すり減っているのかもしれない。

 原石と、すり減ったピカピカと、果たしてどっちがハッピーだろうか。

 本日のインタビューが尾を引いて、いろいろ考えさせられるのである。
 

投稿者 mukaidani : 21:12

2010年09月04日

還暦のプレゼント

 昨夜の稽古時、中学生以上の有志諸君から、還暦のお祝いを頂戴した。
 和服に履く草履で、とても素敵なやつである。
 履くのがもったいないが、好意は活かすべきと思い直し、大いに履いて歩こう。

 そういえば先日、愚妻が還暦祝いをどうするか訊くので、
「バカ者!」
 と一喝したばかりだ。

「曲がりなりにも僧籍にある身が、還暦など〝長寿〟を祝ってどうする」
 厳しく叱責したところが、
「あっ、そう」 
 あっさり撤回されて、調子が狂ったものだ。

 還暦祝いなど、やる気はさらさらないが、道場生諸君にこうして祝ってもらうのは、また格別の嬉しさがある。

 道場生は可愛いものだ。

投稿者 mukaidani : 09:42

2010年09月03日

軽井沢で考えた

 昨日は所用があって軽井沢へ日帰り。

 千葉は猛暑だというのに、軽井沢の日陰は涼しく、とても気持ちがよい。

 かつて、交通標語のヒット作に、
『狭い日本、そんなに急いでどこへ行く』
 というのがあったが、日本は決して狭くはないのだと、実感した次第。

 同様に「短い人生」と言うけれど、これも決して短くはないのかもしれない。

 そんなことを考えながら、クルマで往復9時間、滞在3時間の軽井沢行きであった。

 いま朝の8時。
 庭でセミが鳴いている。
 まだまだ暑そうだ。

 うんざりしつも、真冬になると、この暑さが恋しくなるのだろう。
 身勝手なものだ。
 さて、これから新宿で打ち合わせである。

投稿者 mukaidani : 08:01

2010年09月01日

早起きの生活

 今日から9月。
 早朝5時起きの生活にもどす。

 意味はない。
 気まぐれである。

 ひと風呂浴びて、仕事部屋に出かける。
 電線にハトやらスズメやらがとまって朝日を浴びる姿は、見ていて実に清々しい。

《早起きは三文の徳》
 ということが、身にしみて実感できる。

 愚妻も、駄犬も夢の中。
 彼らに「徳」が少ないのは、ここに原因があるのではないか。

 朝からそんなことを考えつつ、今日が始まる。

投稿者 mukaidani : 06:26