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2010年04月29日

「なんだかなァ」と思う日々

 普天間基地移転問題より、沢尻エリカの離婚ニュースが話題の上位に来ている。

(なんだかなァ)
 と、私など思ってしまうが、進歩的文化人にこれを論評させれば、
「普天間とエリカ様が同時に話題になってこそ、健全な民主主義社会」
 なんてことを言うのだろう。

 でもなァ。

 普天間をはじめ老々介護、リストラ、新卒の就職難、国家財政の危機、保育所の待機児童などなど、日本は問題山積。
 その一方で、エリカ様の離婚フィーバー、韓流ドラマに熱気する中年女性、ゴールデンウィークの出国ラッシュ。

 各人が好き勝手にすることこそ健全な民主主義社会なのかもしれないが、それでも私は、
(なんだかなァ)
 という思いがするのである。

 そういえば前夜の居酒屋で、
「民主党の政治は何だ!」
 と、臨席のお父さんが福祉行政の貧困さについて怒っていたと思ったら、
「それがさ、ゴールデンウィークは家族でグァム島に旅行。カネがかかって、まいっちゃうよ」
 と嬉しそうに同僚に話していた。

 このときも私は、
(なんだかなァ)
 という思いを抱いたものだった。

 結局、人生、強く生き抜くには、他人をして「なんだかなァ」と思わせるような、節操のなさが必要なのだろうと、逆説的に思う今日このごろなのである。

投稿者 mukaidani : 21:58

2010年04月28日

オーデコロンを買った

 オーデコロンをつけてみようと思った。
 理由はない。
 ふと思い立ったのである。
 私は何事も思いつきで事を運ぶ傾向がある。

 で、愚妻に命じてデパートへ買いに走らせた。

 愚妻が素直に従ったのはもちろん理由があり、洋服を買うお金を私が提供したからである。
 だから、嬉々として出かけていった。

「安い香水はダメだからな」
 と念を押していたので、ナントカというフランスのオーディコロンを買ってきて、
「手首にシュッと少量を吹きかけてから、それを両手首をすり合わせ、耳の後ろにつけるのよ」

 愚妻の説明を聞いて、手首にシュッと吹きかけたつもりが、つい力を入れすぎてしまい、シュッシュッシュッと三連発。
「多い!」
 愚妻に怒鳴られた。

 なるほど、匂いがプンプンで気持ち悪くなってきた。
 こんなもの、つけるわけにはいかぬ。
 それに、考えてみれば、仏道を志す者がオーディコロンとはバチ当たりも甚(はなは)だしいではないか。

「やめた」
「エッ?」
「オーデコロンはやめたのだ」
「何よ、買いに行かせておいて」
「バカ者、知らんのか。『朝令暮改』『改むるに憚(はばか)ることなかれ』。そして『君子は豹変す』。わかったか」

 私は愚妻の反撃を覚悟した。
 だが、その気配もなく、ボソリとつぶやいた。
「これって、男女兼用なのよね」

 さすがに私の性格をよく知っていると、これには感心した次第である。

投稿者 mukaidani : 21:58

2010年04月27日

歌舞伎町を歩く

 今夜(といっても、午前0時を回ったので昨夜になるが)、編集者と打ち合わせがあって、新宿歌舞伎町に出かけた。

 夜の歌舞伎町は久しぶりなので、少し早めに着いてブラブラと歩いてみた。

 盛り場の賑(にぎ)わいは、私が夜ごと飲み歩いた週刊誌記者時代と少しも変わらないが、今夜は歩いていて妙に居心地が悪かった。

 歳を拾って情熱と好奇心が衰(おとろ)えたせいだろうか。

 飲んで騒いで、この街を闊歩した若いころの人生は楽しかった。
 ブラブラ歩きながら、あそこにあったはずの店、ここにあったはずの店と、当時を懐かしく振り返りつつ、ふと、
(でも、いったい何が楽しかったのだろうか?)
 自問して、答えに窮した。

 どうやら人間は、情熱と好奇心が衰えたぶんだけ、「人生」というものについて考えるようになるのかもしれない。

 

投稿者 mukaidani : 00:52

2010年04月25日

民主主義の陥穽(かんせい)

 JR福知山線脱線事故で、JR西日本の歴代3社長が強制起訴され、経営トップの刑事責任が法廷で裁かれる。

 このニュースを聞いて、
(総理はなぜ、〝失政〟において、罪を問われないのか?)
 という疑問を抱いた。

 もちろん政治は、刑事事件のように単純に〝白黒〟がつけられないが、政権維持のためにデタラメ政治をやろうとも、政界を引退したら誰もその罪を問わない。
 まして、JR西日本のように、さかのぼって歴代首相の罪が裁かれることはない。

 これって、何だかヘンじゃないか?
 
 たとえば自民党が、いまの国民生活を憂(うれ)うなら、
「これまで、だれが政治を行ってきたのか」
 という責任の所在をあきらかにするべきだろう。

 民主党も、幸せな国をつくるというなら、それが実現できないときは誰がどう責任を取るのか、ハッキリ言わなければなるまい。
「辞任」だ「総辞職」だというのは、トンズラと同義語なのである。

 もちろん政治の評価は、歴史においてなされなけばならない。
 だから、たとえば10年なり20年なり一定期間をおいて、かの〝仕分け〟のごとく政治評価をしたらどうか。

 そして「有罪」となれば、相応の罰を与えるのだ。
 そうとなれば、政権維持のための悪政は少しは減ることだろう。

 だが、そんな意見を口にすると、政治家はきっとこう言うに違いない。
「悪徳といえども、そういう政治家を投票で選んだのは国民ですからな。罰を与えられるべきは国民ではござらんか?」

 民主主義を逆手にとれば、いかようにも言い抜けできるのだ。
 
 

投稿者 mukaidani : 00:24

2010年04月24日

頑張って、朝、起きてみると

 今日も風邪が抜けず、何とか頑張って8時に起きた。

(畑、行きたくないなァ)
 と思いながら、約束は約束。

 意を決して階下へ降りていくと、
「おじいちゃん、畑へ行ったわよ」
 と愚妻。
 畑の作業はいいからクルマで資材を持ってきてくれればいい、という伝言だった。

(やれやれ)
 と、ひと安心。

 ひと安心したら腹立たしくなってきた。
(資材を運ぶだけなら、何も8時に起きることはないじゃないか。具合が悪いのに、もうちょっと寝ていればよかった)

 自分で約束しておきながら、人間、勝手なものである。

 私が担当する保護観察対象者のうち、少年3人がそれぞれ来訪の約束を守らないでいる。

「信用とは、約束を守ることだ」
 と説教する私だが、
(あまり偉そうなことは言えないな)
 と反省する今日の朝であった。

投稿者 mukaidani : 13:46

2010年04月23日

そして、今日も雨だ

 いやはや、今日も雨。

 風邪が抜けず、朝起きられなかったが、今日は午前中、保護司会の佐倉市分会総会がある。
 欠席するわけには行かない。

 熱い風呂にザブンとつかって気合いを入れたところへ、87歳の〝畑指南役〟が自室からノコノコ出てきたので、私は〝渡りに船〟とばかり、
「この天気じゃ、明日の畑は無理だな」

 なにせ体調不良で仕事が進まず、ヤバイのである。

 ところが。

「いや、明日は天気じゃ」
 と言うではないか。

「晴れても、今日の雨で畑はぬかるんでいるぞ」
「いや、大丈夫じゃ」
「靴がドロドロになるぞ」
「長靴で行く」
「しかしなァ」
「行く」

 頑固に自己主張するのである。

「わかった。明日の天気ということにしよう」
 私が折れた。

「まったく年寄りはガンコと言うが、そのとおりだな」
 愚妻にこぼして、
「わしもまもなく還暦じゃ。みていろ、ガンコになってやるから」
「いまでもじゅうぶんガンコじゃないの」

 減らず口に見送られ、私は小雨の中を総会に出かけたのである。

投稿者 mukaidani : 16:38

2010年04月22日

雨降りで、畑がままならず

 畑がシーズン・インしたが、晴れたり降ったりで天候が定まらない。

 仕事の予定と天候が合わず、なかなか畑に行けないでいる。

 一方、87歳の〝畑指南役〟である爺さんは、ヒマを持てあましているから、晴れたとみるや電動自転車に飛び乗り、颯爽と畑へ出かけていく。

 そこまでいいのだが、問題はそのあと。

 畑から帰ってくると、
「耕すのがきついのう」
 と愚妻にこぼすのである。

 で、こぼされた愚妻は、
「ちょっと、おじいちゃんが畑を耕すのがきついて言ってるわよ」
 と、帰宅した私にプレッシャーをかけてくる。

 おそらく〝指南役〟の計略(けいりゃく)だろうと察するが、私はそれを承知で、
「じゃ、週末に畑に行くか」

 ところが、週末になると雨がザーザー。

「ちょっと、雨の日を選んで畑の予定を立てているんじゃないの」
 愚妻が毒づく。
「イヤ味を言うものではない。古今東西、イヤ味を言って幸福になった人間など、ただの一人としていないのだ」
「それって、私に対するイヤ味?」
「そういう言い方を、世間ではイヤ味と言うのだ」
「そういう言い方をするあなたがイヤ味じゃないの?」

 すると〝指南役〟が自室から、もぞもぞと出できて、
「土曜日は晴れるようじゃのう」
 絶妙のタイミングは、さすがである。

「じゃ、土曜に行くか」
 私は思わず、そう返事をしていた。
 
 

投稿者 mukaidani : 14:03

2010年04月21日

孫たちの朝風呂

 風邪気味なので、大事をとって今朝は早起きはせず、8時まで寝ていた。

 階下が賑(にぎ)やかなので降りてみると、近所の孫二人が遊びに来ていた。

 孫は5歳の男児と3歳の女児だが、二人とも素っ裸。
 愚妻がバスタオルで全身を拭いてやっている。

「どうした?」
 愚妻に訊くと、
「風呂」
 ぶっきらぼうに答える。

「いかんな、子供のうちから朝風呂とは」
「あなたが教えたんでしょ。ウチへ来ると、朝風呂に入るもんだと思っているのよ」

 そういえばいつだったか、孫が遊びに来たとき、朝風呂に浸かっている私を見て、
「あっ、朝からお風呂入って、おかしいな」
 と笑ったことがある。

 このとき私は、
「バカもの。この家は、朝も夜も風呂に入ることになっておる」
 とかなんとか言って正当化したことがあるのだ。

 私は朝早く道場内の仕事部屋に行くから知らなかったが、それ以来、孫たちは我が家に来ると、朝風呂に入ることにしているのだそうである。

「悪いことを教えるのは全部、あなたなんですからね」
 ブツブツ言いながら、愚妻はせっせとバスタオルで孫たちを拭いていた。

 朝風呂という〝人生の至福〟を教えることが悪いことなのだろうか。
 お金をつかうわけでもない。
 人に迷惑をかけるわけでもないではない。
 安価な至福ではないか。

 愚妻にそう抗議しようとして、やめた。

「至福なのは、あなただけでしょ。みんな忙しくしているのよ」
 そう言って噛みつくに違いないからである。

投稿者 mukaidani : 14:23

2010年04月20日

イタメシを箸で食べる

 1カ月ぶりに九十九里の仕事部屋にやってきた。

 バタバタと忙しく、なかなか時間が取れなかったからだ。

 いつものように温泉健康ランドへ出かけ、帰途、いつものようにイタメシ屋へ寄った。
 野菜がおいしい店で、私のお気に入りの一店である。

 肉を食べないので、メインデッィシュは魚のグリルにしたが、注文してふと思った。
(フォークにナイフじゃなく、箸がいいんじゃないか?)

 魚を注文したことからの連想だったのだろう。

 で、野菜サラダ、スープ、パスタと順次出てくるのだが、これがちっともおいしくないのである。

 うまい店なのに、これはどうしたことかと考え、原因が「箸(はし)で食べる」にあることに気がついたのである。

 うどんとソバは箸でツルツル、パスタはフォークとスプーンを使ってクルクルク。
 日本料理の煮魚、焼き魚は箸で小骨を選り分けながら食べるのがうまく、切り身のグリルにソースがかかったイタメシは、ナイフとフォークで食べてこそうまい。

 サラダを食べている途中で、箸を放棄してナイフとフォークをもらおうかと思ったが、意地っぱりの私は箸で通した。

 食後のデザートも箸だ。

 食事はまずく感じたが、それ以上の収穫があった。

 文化を「理屈」でとらえるのは間違いで、たとえ不合理であっても、そうあらねばならないという「理由と意味」があるということなのである。

投稿者 mukaidani : 10:14

2010年04月19日

オナラと「人生の真理」

 愚妻のそばを通りかかったとき、プッとオナラが出た。

「ちょっと、どうして私のそばを通るときにオナラをするのよ」
 コタツに当たってテレビを見ていた愚妻が、猛然と抗議する。

「そうではない」
 私は、救いがたい凡夫のために慈悲の心で諭(さと)す。
「わしがオナラをするとき、おまえがそばにいたのだ」

 このあと、どういう展開になったかはご想像におまかせするとして、ものごとは視点によって180度変わってくるということなのである。

 対人関係や交渉事に限らず、人生だってそうだ。

 たとえば、転んでケガをする。
「やれやれ、この程度のけがですんで、なんと運がいいのだろう」
 と喜ぶか、
「こんなケガしちゃって、なんと運が悪いのだろう」
 と嘆くか。

 ハーピーな人生は、もちろ前者である。
 なぜなら、どんな〝不運〟に遭遇しても、
「なんと運がいいのだろう」
 と喜ぶのだから、〝不運〟は存在しないことになる。
 ゆえに人生はハッピーというわけである。

 私はオナラを通して、愚妻に人生のこの真理を教えようとしたが、徒労に終わったようだ。

 クサイだ何だと腹を立てているようでは、人生の真理に気づくことは永遠にあるまい。
 私は、だから愚妻には苦労をし続けるのである。
 

投稿者 mukaidani : 07:32

2010年04月18日

「鳩」と「豆鉄砲」

 いまブログを書いている途中で、何がどうしたのか、パソコンがシャットダウンしてしまった。

 鳩山首相の悪口を書いていたので、ハトの祟(たた)りかもしれない。

 豆鉄砲をくらうのはハトのはずだが、私のパソコンが豆鉄砲をくらってしまったのである。

 鳩山首相は、5月末までに普天間基地移設問題の解決をはかると再三、明言している。
 メディアは「自分の首を絞める行為」と批判するし、私もそう思う。

 だが、鳩山首相だってそのことはわかっているはずだ。

 となれば、なにゆえ5月末の決着を再三口にするだろうか。

 そこが、私にはわからない。

 5月末になって責任を取り、内閣総辞職。そして民主党の〝新しい顔〟を押し立てて新内閣を発足させ、夏の参院選に臨む、ということなのだろうか。

 あるいは、ただノー天気に5月末を口にしているだけなのか。

 いずれにせよ、タイミングを見て意図的に消費税アップの問題を持ち出せば、メディアも国民の関心も一斉にそちらに向いてしまう。
 かくして普天間基地移設問題は風化し、民主党はこれ幸いと頬っかむりというというわけである。

 成田空港は多くの犠牲を払って建設された。
 それが今は、「都心から遠すぎる」という理由で、羽田空港拡張につながっている。
「時間」がたてば、黒も白になり、白も黒になってしまうということなのだ。

 政治に限らず、これはすべてのことについて言えることではないか。

「普天間5月末」という鳩山首相言葉を聞くたびに、私はそう思うのである。

投稿者 mukaidani : 10:47

2010年04月16日

「ミラーイメージの法則」と「忍耐」

 忍耐の日々である。

 愚妻に対してはもちろんだが、空手の指導、保護観察対象者への指導・助言など、どれ一つ取っても思うように言うことを聞かず、思わずカッとなるが、ここはググググッと我慢して、
(怒るな、短気を起こすな)
 と、ひたすら忍耐の日々というわけである。

 なぜなら、スポーツ心理学に『ミラーイメージの法則』というのがあり、ネガティブな「思い」はマイナス効果にしか働かないからだ。

 たとえば、「対戦相手の失敗を願う」というネガティブな感情を持つと、自分の精神状態もネガティブになり、筋肉が緊張したり、肩に力が入ったりして、判断力が鈍ったりするのだという。

 スポーツに限らず、
(あいつ、イヤだな)
 とネガティブな気持ちを抱くと、そのネガティブな「気」が相手に伝わって、相手も同じように、
(あいつ、イヤだな)
 と思い、その「気」が卓球のピンポン玉のように行ったり来たりして、双方の気持ちがますますネガティブに落ち込んでいくことになる。

 反対に笑顔で接すれば、双方、ポジティブな「気」になっていくわけだ。

 つまり、自分の感情がミラー(鏡)に写り、ハネ返ってくるというわけで、だから私は怒らず、ほとけ様のような、温和な顔でいるというわけである。

 だが、心理学的にはそうかもしれないが、〝ほとけ様〟になっても、そう簡単にはうまくいかない。

(そういえば3年前に『忍耐学』なんて本を書いたな)
 と、そんなことを思いながら、温和な表情の下で、ひたすら忍耐している今日このごろなのである。

投稿者 mukaidani : 22:29

2010年04月15日

タイミングを逸するなかれ

 何事もタイミングを逸(いっ)すれば、うまくいかない。

 早くても、遅くてもだめだ。

 お茶にたとえると、わかりやすい。

 熱いときは飲めない。
 だから冷めるのを待つ。
 ところが待ちすぎると、冷めすぎて、ぬるくなる。

 ひとたびぬるくなると、あとは冷めていくばかりで、熱くなること絶対にないのである。

 だから、
「飲みごろ」
 というタイミングが何より大事というわけである。


 首相にしたいナンバー1と言われた自民党の舛添サンに、逆風が吹き始めた。

 与謝野さんたちが離党し、行動を起こしているのに、ナントカの一つ覚えのように「執行部刷新」を繰り返している。

「せやから、アンタ、何をどうしたいネン」
 という声が起こってくるのは当然だろう。

 お茶はそろそろ、ぬるくなってきたようである。
 

投稿者 mukaidani : 22:36

2010年04月14日

カーナビは信用してはならない

 昨日の昼間、麻布で人と会う約束があり、カーナビをセットして首都高速に乗った。

 芝公園出口で降りると、カーナビが、
「右折です」
 と告げる。

 これまで、芝公園ICはよく利用しているが、いつも左折である。
(へぇ、右折できるんだ。知らなかったな)
 とノンキに右折したら、いきなり背後からパトカーのサイレンと赤色灯が点滅。
 私の後ろを走ってきた。

(おッ、緊急車両だ。左に寄ってやらねば)
 と思いつつ停車したところが、パトカーもすぐに止まり、バックミラー腰越しにお巡りさんが飛び降りてくるのが見えた。

(何だ、何だ)
 私はキョロキョロ。
 このすぐ近くで事件でもあったのかと思ったのである。

 ところが、私のクルマまでやってきて、運転席の窓をコンコンとノック。

 窓をおろすと、
「そこ、右折禁止です」
「えッ」
「違反です」
「そんな、カーナビが曲がれと言ったんですよ」
「カーナビはあくまで補助ですから」
「カーナビの言うことは信じるなということですか?」
「さあ、私に言われましても」

 そんなこんなのやりとりがあって、7000円の罰金となった次第。

 せっかくゴールドガードになっているのにガッカリ。
 おバカなカーナビを信じた私が悪いのである。

 それにしても、気が重いのは、罰金のフリコミである。
 愚妻に頼まなければならないからだ。
 お金はもちろん私が出すのだが、恥ずかしながら私は、これまでフリコミということをやたことがないのである。

 だから拙宅では、フリコミはすべ愚妻の担当というわけだ。

 これまでも、お金を添えてフリコミを依頼するたびに、
「なによ、こんなくだらないもの買って」
「バカみたい。どうしてこんな寄付をするのよ」

 なんだかんだイヤ味を言われてきているのだ。

 ならば、自分で振り込めばいいようなものだが、カッコつけの私は、銀行の窓口へ行って、
「どうやればいいんですか」
 と訊くのがイヤなのである。

 だから、いまもってフリコミ作業は愚妻の専権事項というわけである。

 罰金のことを何と切り出したものか。

「カーナビの言うとおり右折したら、右折禁止。バカなカーナビだ」
「バカなのはあなたでしょ」
 そう毒づくに決まっている。

 諸氏、カーナビは信用してはならないのだ。
 

投稿者 mukaidani : 08:05

2010年04月13日

モチベーションの喚起

 5時起きに慣れてはきたが、それでもやはり眠い。

 眠い理由は「早起き」にあると最初は思った。

 だが考えてみると、それは理屈にあわない。

 たとえば、これまでのように夜中の3時に寝て5時に起きるというなら、眠くて当然だ。

 しかし、私は11時前にはベッドに入っているのだ。
 睡眠時間は6時間。
 これまで3時前に寝て10時に起きていたから睡眠時間は同じで、このときは眠いとは感じない。

 では、なぜ同じ睡眠時間でありながら5時起きは眠いのか。

 いろんな〝早起き本〟を読んでみたが、回答はない。
 しょうがないから、私なりに考えみた。

 眠い理由は2つある。

 1つは、起床時間が、かつて熟睡していた時間であること。
 だから、
「まだ起きる時間じゃない」
 と、身体が生理的に抵抗しているのである。

 2つ目は、「起きる理由がない」ということ。
 ゴルフや釣りなど、遊びに出かけるときは、眠いとは感じない。
「眠い」と「楽しい」を天秤(てんびん)にかけて、「楽しい」がまさるからである。

 ところが「眠い」にまさる「楽しい」がなく、しかも早起きの必然性がなければ、眠いのは当然だろ。
 寝ていようと思えば寝ていられるとなれば、誰だって起きたくはない。

 以上、「眠い」の正体がわかったので、次はそれにどう対処するか。

 1つ目の理由については慣れるしかない。
「かつて熟睡していた時間」が「起きる時間」になるには、実践するしかないのだ。

 となれば、ポイントは、「眠い」にまさる「楽しい」をどう見つけるかということになる。

 私は毎朝7時から、インターネットでライブ中継をやっている晨朝(じんちょう)勤行を活用することにした。

 5時に起き、風呂に入り、道場の仕事部屋に歩いていき、今日の予定など段取りしているうちに晨朝勤行のライブが始まるというわけである。

 この生活パターンを続けているが、それでもやはり5時起きは眠い。

 考えてみたら、寺持ちの坊さんでもなく、何が何でも7時から勤行をしなければならない「理由」がないのだ。

 そして、さらに考えた。

 結論は「考えないこと」。

 理由があるとかないとか、「眠い」にまさる「楽しみ」が何であるとか、そんなことはいっさい考えない。

 5時に起きると決めたら、ただ起きればいいのだ。

 モチベーションの喚起は、他人に対してするものであって、自分に対してするものではない。

 早起きの「眠い」は、私にそのことを教えてくれるのである。

投稿者 mukaidani : 08:49

2010年04月12日

石原知事の〝天にツバする〟檄

 新党「たちあがれ日本」の応援団を自認する石原慎太郎東京都知事が、パーティーの挨拶で、吼(ほえ)たのだそうだ。

 曰(いわ)く、
「私の弟分の平沼なんて脳梗塞で倒れ、与謝野君だって咽頭ガンですよ。それが死を覚悟でやってるんだ。本当に死んでも死にきれないんだ」

 さすが〝憂国の志士〟である。

 さらに、その3時間前に都庁で行われた定例会見では、
「国を憂うのは誰だって憂うものですから。今度の(新党結成のメンバーも)みんな老人。じゃ、若いやつは何してんだ? みんな腰抜けじゃないか。僕なんか戦争の経験、体験あるけど、その人間たちは本当にこのまま死ねないよ」

 メディアの中には、久しぶりの“石原節”だとヨイショしているが、私は、
(なんだかなァ)
 の思いである。

 だって、
「若いやつは何してんだ? みんな腰抜けじゃないか」
 という前に、
(お宅のご子息たちはどうなんだ?)
 と思ってしまうからである。

 元国交相の石原伸晃、さらに落選中とはいえ次期選挙を虎視眈々とうかがう自民党・石原宏高なんて「若いやつ」がいるじゃないですか。
 論理的には、彼ら二人は「腰抜け」ということになってしまうんだな。

「いや、息子といえども個人の人格は違う」
 という理屈は通らない。

 だって彼らは「石原ファミリー」として売ってきたからである。

 選挙のときだけ「石原ファミリー」で、リスキーなことは「個人の人格」というのは詭弁というものだ。

 わかりやすく言えば、芸能人が、結婚するときはメディアをさんざん利用しておいて、離婚したときは、
「プライバシーですから」
 と言って逃げるのと同じなのである。

〝憂国の志士〟も結構だが、「若いやつは何してんだ?」と吼えるのは、〝天にツバする檄(げき)〟のように、私には思えるのである。

投稿者 mukaidani : 06:48

2010年04月11日

「花祭り」を断念

 朝になって、爺さんが「頭が痛い」と言い出した。

 いつものことと言っては申しわけないが、少し血圧が上がると、頭が痛くなる。87歳という年齢を考えればやむを得ないところか。

 さて、問題は「花祭り」である。

 爺さんを巻き込むことで、早朝のお参り(晨朝勤行)に行こうと思っていたのに、ヤバイことになった。

 しばし黙考の末、「花祭り」は断念した。

 楽しみにしてた本人が行けないのでは、行ってもつまらないだろう。
 お釈迦さんには申しわけないが、先日、お参りしているのだから勘弁してもらうことにした。

 愚妻の寝室に行き、中止にする旨伝えると、イビキとイビキの間で「わかった」といったような妙な声を発した。
 器用なものではないか。
 さすが、自慢の愚妻である。

投稿者 mukaidani : 13:48

2010年04月09日

さて、今度の日曜も「花祭り」

 4月11日の日曜日、築地本願寺で「花祭り」のイベントがあるそうだ。

 毎日曜日、お参りに出かけると決めた以上、行かねばなるまい。

 だが、私は怠惰だ。
 ひょっとすると、サボるかもしれぬ。
 愚妻にはついてくるよう厳命してあるが、バチ当たりゆえ、当日、わざと起きてこないということも考えられる。

 そこで、87歳になる親父に声をかけた。
「日曜日、築地本願寺で花祭りじゃ。行くか?」
「ほうじゃのう。行ってみようか」

 口調こそ気が乗らないように聞こえるが、鼻歌まじりで畑に出かけて行った。

 楽しみになったのだ。

 よし。これで私としては、何がなんでも築地へ行かねばならなくなったというわけである。
 ついでに愚妻にもクギを刺す。

「爺さん、楽しみにしておる。我々は築地に行かねばならぬ。わかったか」
「わかったかどうかは、あなたの問題でしょ」

 確かに、それも一理あることはある。

投稿者 mukaidani : 21:41

2010年04月08日

今日は「花祭り」

 今日、4月8日は「花祭り」。
 お釈迦様の誕生日である。
 仏教徒が、これをお祝いせずして何とする。

 というわけで、今朝5時過ぎ、愚妻の寝室に行き、高いびきで熟睡している愚妻を叩き起こした。

「行くぞ」
「どこへ?」
「築地本願寺だ」
「はっ?」

 叩き起こされ、本来なら烈火のごとく怒るところだろうが、不意をつかれて頭が混乱しているのであろう。
 わけがわからぬまま、愚妻はノロノロと起き上がり、身支度を始めたのであった。

 クルマをすっ飛ばして築地本願寺にお参りすると、通信教育の仲間たちが参拝していた。
 そのひとり、S君が愚妻を見て、
「あの方が、例の奥さんですか」
 と言った。

 このブログを読んでくれているのだそうだ。

 私は嬉しくなってS君に愚妻を紹介したあとで、ブログを読んでくれていることを愚妻に告げると、
「ちょっと、悪口ばかり書いて、恥ずかしいのは私じゃないの」
 たちまち不機嫌になったのである。

 だが、いざ読経が始まると、さすがに愚妻も神妙な面持ちになっている。
 これで愚妻の心が洗われ、慈悲深い女になったならば、私はどれほど救われることだろう。

「よし、毎日曜日の早朝、お参りに来ようではないか」
 私がつとめて明るく提案すると、愚妻は返事をしなかった。

 私は安堵した。
 ノーであるなら、愚妻が黙っているはずがないからである。

 さてさて、毎週日曜日、これが継続できるかどうか。
 新たな楽しみが増えたのである。
 

投稿者 mukaidani : 23:06

2010年04月07日

〝政治ごっこ〟の幕開け

 平沼赳夫氏らによる新党の名前が発表された。

《たちあがれ日本》
 という名称だそうだ。

 そこで、改めて新党の面々の年齢をチェックすると、
(頑張るんだなァ)
 という気持ちになってくる。

平沼赳夫氏  69歳
与謝野 馨死 72歳
園田 博之氏 68歳
中川 義雄氏 68歳
藤井 孝男氏 67歳

 私など、そろそろ社会からリタイアしようかと考えているのに、最年少の藤井氏でさえ、私より7歳年上。
 それでいて新党を旗揚げし、政界で勝負していこうというのだから、これはもう感心するしかないのである。

 ただ、失礼ながら、この年齢構成では「横になろう日本」ではあっても、「たちあがれ日本」とはならないかもしれませんな。
 亀井大臣は、新党について〝永田町ごっこ〟と揶揄(やゆ)しましたが、なるほど言い得て妙といったところでしょう。

 ところで、自民党は、タレントの三原じゅん子さんを 参院比例で擁立するというニュースが報じられた。

 誰をかついでもかまわないが、しかし「小沢ガールズ」に対抗する「自民女子作戦」の目玉候補と聞いては、
(なんだかなァ)
 という気持ちになってくる。

 参院選に向け、まさに〝政治ごっこ〟の幕開けである。

 日本はいったいどこへ向いていくのだろうか。
 楽天家の私ですら、そろそろ本気で心配になってきたのである。
 

投稿者 mukaidani : 20:54

2010年04月06日

タイガー・ウッズの復帰

 タイガー・ウッズ選手が5カ月ぶりにゴルフ界に復帰である。

 ウッズ選手が公式練習に姿を見せ、練習ラウンドを開始すると、大勢のギャラリーから大拍手。

「ウエルカムバック(お帰りなさい)、タイガー」
「ゴー、タイガー」
 といった声援が飛び、ウッズ選手も笑顔を浮かべながら手を上げて歓声に応じたと、ニュースが報じている。

 ここですね。

 これが世間というものです。

 不倫スキャンダルで、あれだけブツ叩いた世間が今度は一転、
「ウエルカムバック!」

 このことは、どんなに人生に躓(つまず)こうと、いくらでもリセットできるということ。
 ヤバイ状態になったら、ほとぼりが冷めるまで、家で鼻歌でも歌っていればいいということなのである。

 人生は天気と同じで、晴天ばかりというわけにはいかない。
 晴れたり、曇ったり、雨が降ったり、ときに台風に見舞われたり。

 しかしながら、台風が過ぎたあとの空は抜けるような青空になる。

 案ずることなかれ、ということをタイガー・ウッズ選手のカムバックは私たちに教えるのである。

投稿者 mukaidani : 22:05

2010年04月05日

痛風、おさまらず

 足が痛い。

 右足の親指の付け根が、痛風で腫れあがっている。

 今日は都内で編集者と打ち合わせがあり、クルマを運転して出かけたので歩かないですんだのだが、それでもズキズキ痛んで難儀した。

 これはきっと〝伊達ステッキ〟をついて歩いた祟(たた)りかもしれない。

 4月2日のこのブログに書いたが、痛風の発作は〝伊達ステッキ〟をついてから始まったのである。

 が、しかし、である。

 私は肉も食べなければ、酒も飲まない。
 それなのに、なぜ痛風になってしまうのだろうか。

 痛風は食生活に原因がある。
 となれば、必然的に愚妻に問題があるということになるではないか。

「おい、おまえのおかげで、わしは痛風になったではないか」
 食生活について厳しく責任を追及すると、愚妻は平然と言い放った。

「私と同じものを食べていて、あなただけが痛風になったということは、あなた自身に原因があるということになるんじゃないの」

 まったく、ああいえばこういうで、屁理屈ばかりこねる。
 が、確かにそういう論理も成り立たなくはない。
 ならば、私はどうすればいいのだ。

 愚妻に問うと、
「さあね。自分で考えてちょうだいな」
 例によって〝時代劇チャンネル〟を見ながら、気のない声で言う。

 36年連れ添って、この捨てゼリフ。

 何はなくとも健康でいなければ、この先、私の人生はたいへん厳しいものになるだろうと、痛む足をなでながら、ひそかに決意したのだった。

投稿者 mukaidani : 23:18

2010年04月04日

「離党」を考える

 鳩山邦夫に続き、与謝野馨が離党届を提出した。

 なんだかんだと理由をつけ、「執行部批判」を〝錦の御旗〟にして、座礁した自民党丸から逃げ出すのである。

 執行部批判をする前に、自分もまた、そんな自民党にした一員であるという責任的自覚は皆無だ。

 自民党という御輿(みこし)を担(かつ)ぎ、それにブラ下がって当選してきたにもかかわらず、御輿が傾くや、一転して御輿を批判してみせる。

 御輿が傾いたのは、担いだ者たちの責任であって、御輿の責任ではない。
 その責任を頬っかむりして、
「執行部はおかしい」
 と批判し、
「私は正しいのだ」
 と言外にアピールするのである。

 これは組織を飛び出すときの定石である。

 組織は内部から崩壊していくというが、それは「責任的自覚の欠如と、個人のエゴによって崩壊する」という意味なのである。

 家庭に置き換えて考えれば、すぐにわかる。
 子供が非行に走るときは、自分のことは棚にあげて、まず親の悪口を言うのだ。

 非行に走る子供の言動が無自覚であるとするなら、離党する自民党議員の無責任さもまた、〝子供なみ〟ということになるだろう。

 ワルはまず、「批判すること」によって「われは正義なり」を演出するのである。

投稿者 mukaidani : 10:16

2010年04月03日

5時起きと「さとり」

 毎朝5時に起きている。

 楽ではない。

 ことに私の場合、〝起きる必然性〟がないから、なおさらのことだ。

 早起きの本を読んでみると、共通するのが、
「目ざめると同時に、パッと布団から跳ね起きろ」
 というものだ。

(そうだろうな)
 と思いつつも、最初はその意味がよくわからなかった。

 しかし、よくよく考えてみると、「布団から跳ね起きろ」には、深遠な意味がふくまれているだ。

 それは、こういうことだ。

 ぐずぐずして寝床を起き上がれないのは、物理的に「眠い」こともさることながら、
(こんなに眠くちゃ、一日がもたないじゃないか)
 という思いがあるからだ。

 ところが、パッと起きてみると、当初は頭がボーッとしているが、やがて霧が晴れるように目ざめてくる。

 ここなのだ。
「パッと起きろ」の真意は、
「パッと跳ね起きてみなさい。〝こんなに眠くちゃ、一日がもたないじゃないか〟という懸念は錯覚であることがわかりますよ」
 ということなのだ。
 本にはそんなことは書いていないが、私はそう思うのである。

 あるいは、サウナの水風呂が同じだ。
 手を漬けてみて、
(こんな冷たい水に入るのは大変だ)
 と思う。

 水風呂の冷たさが、ずっと続くものと思うからだ。

 ところが、いざ身体を沈めてみると、冷たくはあるが、思ったほどのものでないばかりか、気分は爽快になるのである。

「今」が眠い、冷たい、苦しい、つらいからといって、その延長がそうであるとは限らない。

 逃避せず、現実を甘受することで、そこから脱却できる。
 このことを知るのが「目ざめ」であり、「さとり」というのではないだろうか。

 朝5時起き、そしてサウナの水風呂は、そのことを私に教えてくれるのである。

投稿者 mukaidani : 08:46

2010年04月02日

ステッキをついて歩く

 昨日、ブラジルの邦字紙であるサンパウロ新聞の東京支局へ出かけた。

 同紙に「新人生訓」というエッセイを週一で連載しているので、その打ち合わせである。

 作務衣にステッキをついて行くと、
「ヒザでも痛めたんですか?」
 と、同紙の編集者が気づかってくれる。

「いや、違いますよ。伊達(ダテ)メガネというのがありますが、それと同じで、これは〝伊達ステッキ〟です」
「そうですか、アッハッハ」
 編集者は大口をあけて笑ったが、
(アホなやっちゃ)
 と、あきれていた。
 目は口ほどにものを言うのだ。

 で、いま。
 朝風呂に入ったら、右足の親指の付け根がズキズキ痛み始めた。
 痛風の発作が起こる前触れだ

 今日は午後1時から、九段のホテルで編集者と打ち合わせがある。
(ヤバイなァ)
 と思いつつ、昨日のステッキが脳裏をかすめる。

(なるほど、これが「転ばぬ先の杖」というやつか)

 感心しながらも、アホなシャレを言っている場合ではない。

 そそくさと風呂から上がると、痛風の薬を飲んだのである。
 

投稿者 mukaidani : 06:13

2010年04月01日

スキンヘッドと汗のニオイ

 頭が汗臭いと、愚妻が顔をしかめた。

 昨日、菜の花を見に川村記念美術館に行き、庭園内のレストランで昼食をとっていたときのことだ。

 頭髪がないので、食事をしたときなど、ちょっとしたことで頭に汗をかき、それがストレートに流れ落ちてくるのだ。

 愚妻は、私を攻撃するときはオーバーな表現をするので、汗のニオイもたいしたことはないと思うが、一応、対処すべきだろう。

 で、帰宅するや、さっそく香りのついたウェットティッシュと脂取り紙を買ってこさせ、バックに入れて持ち歩けるようにしたのである。

 しかし、私の心中は複雑である。

 頭を剃ることによって、整髪という煩(わずら)わしさから解放されたはずなのに、剃ったゆえに新たな手間が生じたのである。

 このブログを書きながら、いま唐突に『あざみの歌』の歌詞が脳裏をよぎった。
 
「山には山の 愁(うれ)いあり」

 そうだ。
 愚直に突っ立っている山でさえ、心痛があるのだ。
 いわんや人間においておや。

 頭髪があればあったで〝愁い〟があり、薄くなればもっと愁い、剃れば剃ったで愁いがある。

 人生、なかなか都合よくいかないものだと、ひとり納得しているところなのである。

投稿者 mukaidani : 06:35