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2010年02月27日

真央の銀メダル

 浅田真央が銀メダル。

 金であれ、銀であれ、何位であれ、国民の期待という大プレッシャーを背負うアスリートはたいしたもんだと思う。

 しかも、浅田真央もキム・ヨナも19歳。

 それにくらべて、私たち大人たちはどうだ。

 ウツだ、人間疎外だ、癒しだとノンキなことを言っている。

 生真面目はよくない、完璧主義はよくないと、ウツなど精神疾患の原因とされるが、本当にそうだろうか。

 真央やヨナを見ていると、〝中途半端な完全主義〟がいけないのであって、全人生を懸けて臨めば、ウツになるヒマなどないのではないかと思えてくる。

 むろん、物事はそう単純ではないと承知しながらも、そんな思いを抱く。

 私が浅田真央へ拍手するのは、そのことを教えてくれことへの感謝の拍手なのである。

投稿者 mukaidani : 14:58

2010年02月24日

上達の秘訣と「志」

 少しヤル気が出てきた子供から、
「どうすれば空手が上達するか」
 といった質問を受けることがある。

 相手が小学校低学年であれば、
「稽古を休まないこと」
 と告げる。

「一所懸命に稽古すること」
 と言ったのでは、抽象的で、具体的なアドバイスにならないからである。

 これが高学年、さらに中学生になると、
「上手になりたいと本気で思うこと」
 とアドバイスする。

 本気で上達したいと思えば、放っておいても熱心に稽古するからだ。
 稽古に身が入らないのは、
(うまくなりたい)
 という思いが希薄なのだ。

 だから「上達したい」と、どこまで本気で思えるかどうかが、上達のカギを握るというわけである。

 何ごとも、それが成就するかどうかは「志(こころざし)」による。
 そしてさらに、その「志」をどこまで持続できるかどうかによる。

 要は「自分の思い」をどこまで本気で抱き続けられるかどうか。
 人生をも含め、すべての成否は、ここで決まるように思うのである。  

投稿者 mukaidani : 15:36

2010年02月21日

五輪のスキー大回転を見て考える

今日は九十九里の仕事部屋にこもり、夜明けから日没まで原稿を書き、そのあと温泉健康ランドに出かけた。

 サウナ室のテレビでバンクーバー五輪のスキー大回転を見た。
 颯爽とカッコよく滑走するのを見ているうちに、
(わしでも、あのくらいは滑れるのではないか?)
 そんな思いがもたげてきた。

 スキーの経験がないから、簡単そうに見えるのである。

 いや、スキーは30年ほど前に1度だけやったことがある。

 新潟の苗場スキー場に、週刊誌の記者仲間たちと出かけたのだが、リフトで上がって滑り降り、再びリフトで上がって滑り降りる。
 同じことの繰り返しが興醒めで、早々にホテルへ引き上げ、2泊3日を飲み明かしたのである。

 ま、それはさておき、スキーのジャンプはテレビで見ていても、
(わしもできるのではないか?)
 とは思わない。

 経験はなくても、高いところからジャンプするということがどれほど恐怖するかを知っているからである。

 これを人生におきかえれば、「知る」ということは、人間を臆病にするということだ。

 たが、知らなければ、私かスキーの大回転に挑むようなもので、全身骨折である。

 知れば萎縮し、知らなければ大けがをする。

 人生とはなんと難しいものであるか。

 サウナで腕を組み、テレビをニラ見つけながら、私は唸るばかりであった。
  

投稿者 mukaidani : 21:57

2010年02月20日

精神的タフさとは何か

「民主党も、なんだかなァ」
 これが、民主党に対する私の〝気分〟である。

 私だけではない。

 民主党の支持率が下がっているのは、そういう〝気分〟が広く国民のあいだに充満しつつあるということなのだろう。

「なんだかなァ」
 は〝気分〟なのだから、具体的には説明できない。

 いや、具体的に説明できるようなら、民主党は安泰なのだ。
 なぜなら、「具体的な問題」が存在するなら、それを修正すれば支持率は回復するからである。

 やっかいなのは〝気分〟である。
 民主党に限らず、これは私たちについても言えることで、
「なんとなく」
「虫が好かない」
 といった〝気分〟で評価されると、絶望的。
 これを解決する手立ては、ないに等しい。

 だが、言い換えれば、〝気分〟で好評価を得れば、「具体的な何か」をしなくてもいいということになる。

「じゃ、楽じゃん」
 と考えるのは早計で、「気分」とは「感情」であり、それはイメージによって大きく左右される。

 だからイメージを演出しようとする。
 そこに「本当の自分」とのギャップが生じる。
 やがて、このギャップに苦しむようになり、ウツ病など精神を病むことになるというわけである。

 私たちは政党ではないのだから、〝支持率〟など気にすることはない。
 好かれるにこしたことはないが、嫌われたからといって人生にさしたる影響はないのだ。

 精神的タフさとは、嫌われたときに居直れるかどうかを言うのではないか。
 民主党の支持率を見ていて、そんなことを考えるのである。

投稿者 mukaidani : 13:56

2010年02月18日

豊田社長は〝お坊ちゃん〟

 トヨタ自動車・豊田章男社長の記者会見をテレビで見ていて、
(ン?)
 と、首をひねった。

 米議会公聴会への出席を見合わせるというニュアンスの発言をしたからである。

「私は北米の経営陣に多大な信頼を置いており、グローバルな品質、安全のために本社サイドでバックアップしていく」

 言っちゃ悪いけど、何を考えているのやら。

 トヨタのこの非常時を考えれば、公聴会に呼ばれていなくても、
「出席させてださい!」
 と、自分から進んで出るべきものだろう。

 それを、ゴチャゴチャ理由をつけて〝言い逃れ〟するなど、不信の上塗り以外の何者でもない。

 案の定、米メディアは批判の大合唱で、ABCテレビは、
「トップは逃げたのだろうか?」
 と報じたという。

 まっ、それはさておき、豊田社長の顔が、私は気になる。

 社長に就任し、経営戦略を語ったときの豊田社長は颯爽として、顔つきも頼もしかった。

 F1撤退を果敢に決断したときも、いい顔をしていた。

 新型プリウスをプライスダウンして、ホンダのインサイトに牙を剥いたときも、いい顔だった。

 ところが、今回のリコール問題での彼の顔はどうだ。

 こわばった表情、ペーパーを棒読みするような話し方。

(おいおい、大丈夫か)
 と声をかけたくなるような、自信のなさである。

 攻めるときは強く、守るときに弱いのだ。

 言い換えれば、
「弱い者に強く、強い者に弱い」
 ということでもある。

 やっぱり〝お坊ちゃん〟なんだな、と思った次第。

 度胸があるなら、アメリカへ乗り込んだらどうか。
 トップの力量は、逆風に見舞われたときに露呈するのだ。

投稿者 mukaidani : 15:54

2010年02月15日

国母千種と〝服装の乱れ〟

「制服は人間をつくる」
 と喝破したのは、フランスの英雄ナポレオンである。

 ナポレオンが試しに二等兵に将軍の軍服を着させてみたところ、次第に将軍のように振る舞い始めたという。

 これが制服の持つ魔力であり、それを見抜いたナポレオンはさすがというべきか。
 当時、フランス軍の制服がカッコいいのは、そういう理由による。
 だから軍服は、いもってカッコよくできているのだ。

 すなわち制服は、軍団の「士気」に直接的に関わるというわけである。

 これは制服でも私服でも同じこと。
 服装は、精神面に大きく作用するのだ。
 だから学校においても、服装についてうるさく言うのである。

 バンクーバー冬季五輪で、スノーボード・ハーフパイプの国母和宏選手の〝服装の乱れ〟が問題になっている。

「服装ぐらいで、目くじら立てるな」
 という擁護の意見もあるようだが、服装の乱れは日本選手団の士気に影響する。
 物見遊山であればかまわないが、彼らは日の丸を背負って戦いに行ったのだ。
 国母選手の服装は、とがめられて当然だろう。

投稿者 mukaidani : 17:43

2010年02月13日

攻めは〝くだらないこと〟に妙味あり

 鳩山首相が母親にカネの無心をしたとか、しないとか。

「そんなこと、どうだっていいじゃないの」
 と、愚妻の怒るまいことか。

「いま日本は、それどころじゃないでしょ」
 というわけで、愚妻の怒りの矛先が民主党に向いているのだ。

(なるほど)
 と私は納得した。
〝くだらないこと〟だからこそ、民主党にマイナスに作用しているのだ。

 これまで自民党が〝くだらないこと〟で民主党を攻撃しているのを見て、
(自民党もダメだな)
 と思っていたが、そうではない。

〝くだらないこと〟というのは、当初は攻める側が非難されるが、それが長引くにつれて一転、
(いつまでグスグスやっているんだ)
 と、今度は〝攻められる側〟が非難されるようになっていくのである。

 たとえば悪ガキがいるとする。
 当初は悪ガキが非難され、
「親御さんもお気の毒」
 と世間は同情する。

 ところが、悪ガキの素行がいっこうにおさまらなければ一転、
「親は何やってるんだ。あんな悪ガキ、ガツンとやれないのか」
 親が非難されるようになっていくのである。

 それがくだらないことであればあるほど、攻め続けていれば、
「そんなくだらないことを、いつまでグズグズ言わせているんだ!」
 と、立場は逆転していく。

 世のなかは、そうしたものなのである。
 

投稿者 mukaidani : 22:07

2010年02月11日

恐るべし、幼児の観察眼

「背筋を伸ばせ! ほら、こういうふうにやるんだ!」
 道場でのこと。
 幼児たちを前に、直立不動になって私が見本を示しつつ、
「そして、アゴを引く!」

 すると、幼稚園の年長である女の子が、私の顔をまじまじと見ながら、
「館長」
「なんだ」
「館長のアゴ、二重アゴになっているよ」

 不意をつかれて、私は返す言葉を失った。
 会話術や交渉術の著書がある私が、返事に窮したのである。

 それにしても、二重アゴだなんて、よく見ているものではないか。
 恐るべし、幼児の観察眼。

(ならば)
 と、私は帰宅して愚妻に告げた。
「おい、今度、道場で幼稚園の子たちに〝きおつけ〟を教えてやってくれないか」

 すると愚妻はジロリと私をニラんで、
「何の魂胆?」

 恐るべし、愚妻の直感。

投稿者 mukaidani : 21:43

2010年02月10日

トヨタ問題の本質

 トヨタ自動車のプリウスは、ホンダのインサイト人気に対抗すべく、価格を大幅ダウンして発売した。

「世界ナンバー1のトヨタが、そこまでえげつなくやるのか」
 という批判の声もあったし、私もこのブログでそう書いた。

「売る」
 ということはビジネスの基本だが、そのことだけにとらわれていると、大きく躓(つまず)く危険があるのは言うまでもないことだろう。

 とはいえ、それは個々の企業姿勢の問題だから、私がとやかく言う筋合いではないが、トヨタの一連の報道を見ていて違和感を覚えたのは「トヨタ擁護」の論調である。

「たいした問題じゃないじゃないか」
「アメ車はもっとひどい」
「問題の本質はジャバン・バッシングだ」

 こうした論調は、朝青龍に対するモンゴルの国民感情と同質ではないのか?

 あるいは中国のギョーザ事件のとき、中国国民もそんな感情を抱いたのではなかったか?

 だが、日本人の私たちにしてみれば、朝青龍の引退は当然であるし、中国ギョーザは当然非難されてしかるべきだった。

 このギャップがナショナリズムに根ざしているとすれば、世界の経済も政治も所詮、サッカーのワールドカップを観戦するのと同じレベルで私たちは見ていることになる。

 トヨタ問題に学ぶとしたらは、実はそのことではないかと私は思うのである。

投稿者 mukaidani : 09:26

2010年02月08日

ストレッチ体操を見てア然

 道場で、稽古前の準備体操を何気なく見ていて、
「ン?」
 と思った。

 小学校高学年から中学生まで、女の子たちが頭を床につけないようにしてストレッチ運動をしているのだ。

「おい、どうかしたか?」
 何事かと心配して問うと、
「髪の毛が汚れるの、イヤなんだもん」
 女の子のひとりがアッケラカンと言った。

 想定外の返事に、私はア然として、
「みんな、そうなのか?」
「ウン」

 私は唸(うな)った。

 唸りつつ、何に対して唸っているのか、自分でもわからなかった。

 3月の昇段審査に向けて、それぞれ支部から受審する大人たちが出稽古に来ている。
 実年女性たちも何人かいるが、彼女たちは汗びっしょりになって稽古している。

 間違っても、
「髪の毛が汚れるの、イヤなんだもん」
 などと言うことはあり得ない。

 しかるに、ウチの女の子たちはどうだ。

「手を濡らさずして、水槽の金魚を手でつかむことはできないんだゾ」
 と、そんな言葉がノドから出かかったが、それを言えば、
「網ですくえばいいじゃん」
 そんな答えが返ってくるに決まっている。

 私は唸りつつ、
(さて、どうしたものか)
 今後の指導方法について、頭を悩ますのである。

投稿者 mukaidani : 19:43

2010年02月05日

朝青龍と「横綱の品位」

 朝青龍が引退した。

 解雇されることがハッキリしたので、やむなくの引退だとメディアは報じている。

 それも当然だろうというのが世間の反応のようだが、これまで朝青龍をめぐる一連の報道で、私が違和感をおぼえたのは、
「横綱の品位」
 というやつである。

 相撲協会がマジで横綱に「品位」を求めているとすれば、悪い冗談である。

 だって、考えてみればわかるではないか。

 相撲取りは〝男芸者〟と揶揄(やゆ)される。
 タニマチに〝ごっちゃん〟になるからである。
 そんな男芸者のどこを探せば「品位」が出てくるというのだろうか。

 男芸者に求められるとすれば、「品位」ではなく「意地」と「矜持(きょうじ)」である。

 ひらたく言えば、プライドである。

 男芸者ナンバー1としてのプライドがあれば、泥酔して一般人を殴ることなど、あるわけがない。

 ウソをついて巡業を休み、モンゴルでノーテンキにサッカーに興じるわけがない。

 繰り返すが、これは品位(人格)ではなく、横綱としてのプライドの欠如である。

 それを、あえて「品位」という言葉を使うのは、
「横綱は人格者である」
 というイメージのすり替えである。

 先の相撲協会理事選で一門という利害対立を見ていて、私が親方なら、恥ずかしくて「品位」などという言葉は、口が裂けても言えないと思うのである。

投稿者 mukaidani : 09:41

2010年02月03日

トヨタと信用

 トヨタの信用が揺らいでいる。

 しかし、それでもトヨタの品質管理は世界のトップクラスだと思う。

 では、どこに齟齬(そご)があったか。

 信用を、あまりに積み重ね過ぎたのだ。

 どんどんと信用を高く積み上げ、その信用で世界トップになり、そして、その重みで自(みずか)らが揺らいだのである。

 信用を高く積み上げればあげるほど、どんな些細なミスも許されなくなる。
 だが企業も人間は必ずミスをおかし、ミスをおかしたときの反動は信用の高さに比例する。
 トヨタが揺らぐのは当然なのである。

 私たちも同じだ。
 信用は大事だが、それにこだわり過ぎるとコケてしまう。

 信用七分(ななぶ)に、ヨタ三分(さんぶ)。
 これくらいの割合がちようどよいのである。

投稿者 mukaidani : 20:08

2010年02月01日

生きている証

 こうしてブログを書いていると、月日のたつのが早く感じられる。

 忙しくて更新を忘れると、
(ありゃ、もう三日もたっているのか)
 日にちのたつのが何と早いものであるか、唖然とする思いである。

 週刊誌など定期刊行物に連載を持っているときもそうで、
(ありゃ、もう締め切りか)
 と、日にちのたつのが何と早いものであるか、唖然とする思いがするものである。

 だから、暮れや正月を迎えて、
(ありゃ、もう一年がたつのか)
 と唖然とするのは、毎年、定期的にそれを迎えるからである。

 もっとも、
(ありゃ、もう一年がたつのか)
 と言っているうちが華で、ポックリ逝ってしまえば「ありゃ」はなくなってしまう。

 だから、時間に追われるのが「生きている証(あかし)」ということになろうか。

 出版企画など、あれやこれやの仕事で忙しく、ここしばらく執筆から遠ざかっていたが、3月下旬から4月初旬にかけて私の新刊が2冊予定されている。

 今日から2月1日。

 時間の早さに唖然としつつ、
(生きている証だ)
 と自分に言い聞かせるのである。

投稿者 mukaidani : 06:29