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2009年07月31日

ああ、日本語の何と難しいことよ

 モデルはなぜ、一直線上を歩くように腰を振りながらステージに出てくるのか。

 カッコいいから?

 じゃ、モデルのマネして街を歩けばいい。
「アホか」
 と笑われるだろう。

 エビちゃんのどこが素敵なのか。
 ただの〝微笑みマネキン〟じゃないか。

 報道ステーションの古舘伊知郎はしゃべりすぎだ。
 私はニュースを観たいのであって、古舘の能書きを聞きたいわけじゃない。

 とまァ、このところテレビを観ながら、私は悪態ばかりついている。

 よくない兆候だ。

 人間は、自分の将来に期待が持てなくなると、周囲や世間の悪口を言う。
 つまり無意識ではあるが、周囲や世間を貶(おとし)めれば、自分の評価が相対的に上がるような錯覚を起こすのである。

 歳を取るとガンコになり、ブツクサと周囲の悪口を言うようになるのは、そういう理由によると、私は考えている。

 だから、テレビに悪態をつく私はヤバイというわけである。

 以上の反省に立って、悪口も、悪態も、嫌味も封印。
 逆にホメることにした。

 モデル、歩き方がカッコいいねぇ。
 エビちゃん、素敵だよ。
 古舘伊知郎の解説を聞いていると、目からウロコだ。

 ついでに愚妻にも、
「キミは素敵だねェ」
 と言ったら、不機嫌になった。

 ホメ言葉も、受け取る相手によっては嫌味になるということを、私はこのとき再認識したのだった。

 悪口を言えば怒り、ホメれば不機嫌になる。
 日本語とは、かくも難しいものなのである。

投稿者 mukaidani : 10:27

2009年07月30日

「らしく」という生き方

 鹿児島県の山奥で、ヤクザたちが大麻を栽培していたというニュースが、何となく引っかかっていた。

 3棟のビニールハウスに大麻430本を植え、彼らは作業服に長靴姿でせっせと水をやり、育てていたという。末端価格1億4000万円である。

 私は、ヤクザが「額に汗して働く」ということが、どうにも気に入らないのである。

 ヤクザは、額に汗などして働いてはいけないのだ。

「おい、こらッ!」
 と、人さまの稼ぎをカスり、いい服を着て、いいクルマに乗って、いい女を連れて歩くからヤクザなのだ。

 それを、こともあろうに、額に汗して農作業をやるなど、トンデモナイことではないか。

 と、ここまで考えて、私の心に引っかかっていた正体がわかった。

 坊さんである。

 坊さんは本来、生産に従事してはいけないのだ。
 生産に従事せず、仏法を説くのが役目で、そのかわり布施によって生きている。

 乱暴に言ってしまえば、生産性のある仕事をしてはいけないということにおいて、ヤクザと共通項がある。

 ところが、お寺さんが駐車場や幼稚園を経営している。
 働いているのである。
 となれば、ヤクザが農作業をするのと同質ではないのか。
 そんな思いが心に引っかかっていたというわけである。

 最近、「らしく」という言葉が死語になってきたようだ。

 教師は教師らしく、警官は警官らしく、父親は父親らしく、母親は母親らしく、高校生は高校生らしく。男は男らしく、女は女らしく。

「らしく」とは、鋳型にはまることではない。
 矜恃だと私は思うのだ。

 ヤクザが農作業をするのは「らしく」なく、したがって矜恃を捨てたことになる。

 坊さんも同様である。

 いや、「らしく」を失った私たちのすべてが、そうなのかもしれない。

「らしく」生きたいと私は願う。 

投稿者 mukaidani : 09:43

2009年07月29日

自民VS民主の「本質」

 民主党のマニフェストに対して、自民党が過剰反応である。

 バラまき政策だの、財源の確保が不透明だの、ヒステリックに叫びまくっている。

 そのうえで、
「日本の『力』が発揮され、すべての人に魅力ある国へ。それを実現する『責任』があります」
 と、麻生首相は政権公約案に寄せたあいさつで強調した。

 よく言うよなァ。

 たとえて言えば、成績の悪い子供が試験のたびに、
「ね、ね、今度はいい点を取るからさ」
 と親に媚び、ごまかしているようなものではないか。

 親(国民)にしても、これまで〝一人っ子〟の長男だったもので、
「そうかい。じゃ、今度はいい点取っておくれ」
 と寛容な態度をとってきた。

 ところが、次男が生まれ、これがどうやら利発そうときた。
 親(国民)は、
(こりゃ、長男より期待できそうだな)
 と気持ちが傾く。

 これに長男があせりまくって、
「パパ、ママ、次男のやつ、口先ばっかりで、絶対に勉強なんかできないよ」
 と訴えているのが、いまの政治状況ではないだろうか。

 生活給付金とやらの二兆円をバラまいて、その結果はどうであったのか。
 構造改革とやらで、私たちの生活はどれだけ豊かになったのか。

「過去」をほっかむりして「未来」を語ってみせるのは、詐欺師の常套手段なのである。

投稿者 mukaidani : 09:31

2009年07月28日

「叱る」「ホメる」の要諦

「正座ひとつ、きちんとできないような者が強くなれるか!」
 道場で子供たちを叱責する。

 状況に応じて、「正座」が「掃除」や「挨拶」に変わるが、
「そんなことで強くなれるか!」
 という結論は同じ。

 子供たちはそれで納得しているが、でも、何だかヘンですな。

 つまり、これは〝すり替えのレトリック〟で、大人社会でも日常的に用いられている。

「コピー用紙1枚のムダを追放せずして、会社の発展があるか!」
「服装ひとつ無頓着な人間に、いい仕事ができるか!」

 さらに、こんなアレンジもある。
「社員の方々の表情が生き生きしてますね。そのことひとつとっても、御社の素晴らしさがわかります」
「お酌の仕方を見るだけで、あなたという人がわかります」

「小」を踏み台にして「大」へジャンプさせ、叱責したりホメたりするというわけである。

 私が週刊誌記者として駆け出しのころは、原稿は手書きだった。
 字が下手なのはしょうがないとしても、私は誤字脱字が多く、デスクによく怒られた。

 そんなとき、デスクはいつもこんな言い方をした。
「誤字脱字があるような奴に、いい原稿が書けるか!」

 これには私も神妙にうなずくばかりである。

「いい原稿が書けるか!」というセリフがポイントで、このセリフなしで、単に「誤字脱字が多いぞ!」と叱責されたのでは、
(ウロセーな。小学生のときから漢字は苦手なんだ)
 腹のなかで悪態をついたことだろう。

 叱るとき、ホメるときは、「小」を踏み台にして「大」へジャンプさせること。
 これが要諦なのである。

投稿者 mukaidani : 15:45

2009年07月27日

白子海岸に仕事部屋を借りた

 鴨川に借りていた仕事部屋を引っ越すことにして、約1カ月。

 このHPにも書いたが、ろくでもない不動産がいたりして、気に入った部屋がなかなか見つからなかったが、やっとこさ見つかった。

 白子海岸のリゾートマンションで、鴨川同様、景色はいいのだが、空いていた部屋は3F。しかも、海が見えない。

 海が見えないのでは、海辺のリゾートマンションは意味がなかろう。気乗りしなかったが、とりあえず物件を見るだけ見に行った。

 なるほど部屋は狭く、海は見えないが、ベランダ越しに雑木林が広がっている。そして、ベランダの鼻先の木立を蝶々がヒラヒラと飛び交っているではないか。

「よし、ここだ」
 私は即決した。

 不動産屋の若い営業マンが当惑しつつ、
「もっと上階であれば海が見えるんですがねぇ」
 本当にこの部屋でいいんですか、と言外に念押しのニュアンスで言うので、
「いや、この階でなければだめなんだ」
 私は断固として告げた。

「いいかね、これより上階だと、雑木林を見下ろすようになる。そうなれば余計なものも目に入るだろう。この階より下だと、下過ぎて鬱陶しくなる。だから3階でなければだめなのだ」
「そういうもんですか」
 と、これは小さな声でつぶやき、愚妻を見やったが、愚妻は肩をすくめていた。

 まっ、正直なところ、海が見えずして海辺のマンションを借りるのは、何だか釈然としないでもないが、これが人生同様、成り行きというやつである。
 成り行きには逆らわないのが、私の生き方なのである。

 かくして、引っ越し準備のため、昨日から鴨川の仕事部屋にいる。
 これまで何度か引っ越しを経験しているが、我が家の場合、引っ越しに関する一切は愚妻の「専権事項」である。

 ゆえに私は一切の手出しをせず、
「早く終わったら風呂に入り行こう。そのあとでキュッとうまい酒を飲んだどうだい。さあ、頑張って」
 応援団に徹しているのである。

投稿者 mukaidani : 10:13

2009年07月26日

こんな世の中だからこそ、極楽トンボ

 苦労が表に出るタイプと、そうでないタイプがいる。

 私は後者だと思う。

 先夜も馴染みの寿司屋で、
「どうやれば運がつくんでしょうねぇ」
 と、板サンが私に問いかけた。
 私が、運気に乗ってスイスイと生きているように見えるらしい。

 ひどい誤解で、私の人生は〝アヒルの水かき〟なのだが、それが外見に現れないということのようだ。

 長年連れ添う愚妻ですら、私のことを「極楽トンボ」と揶揄(やゆ)するくらいだから、
(私は誤解されて生きている)
 と心底、思うのである。

 何を誤解されているかというと、私は「運がいい」のではなく、
「運があるかのように生きている」
 というのが正しいのだ。

 どういうことかと言えば、
(自分はツイている)
 と勝手に思い込むことだ。

 なぜなら、
『禍福は糾(あざな)える縄の如し』
 と諺(ことわざ)にあるように、人生というやつは「運」と「不運」とが交互にやってくる。
 つまり、運と不運は50対50なのだ。

 ということは、この50対50をどう見るかによって、運と不運は決まると、私は考える。

 50対50を客観的に見る人は、
「人生、いいときもありゃ、悪いときもあるさ」
 と、期待半分、あきらめ半分の境地。

 不運の50パーセントばかりを見る人は、
「わしの人生、暗いのう」
 と、グチの日々になるだろう。

 私は、「ラッキー!」の50パーセントしか見ない。
 だから私は、「運に恵まれて生きている」ということになるわけである。

 そんな私に対して、愚妻は、
「あなたは何でも自分の都合のいいように考える」
 と非難するが、カミさんは愚かにも、「自分の都合のいいように考えること」こそ、幸せに生きる要諦(ようてい)であることに気がつかないのである。

 せち辛い世のなかだからこそ、極楽トンボのマネをして、ノンキに、気ままに、スイスイと飛ぼうではないか。

投稿者 mukaidani : 00:07

2009年07月25日

「時間が足りない」は本当か

「空手をやってみたいんだけど、時間がなくてねぇ」
 そんなことを言う知人がいる。

 なるほど、IT関連で働く彼は超多忙である。

 彼に限らず、
「趣味を持ちたいけど、忙しくて」
 という人は少なくない。

 だけど、それは間違いだろうと私は思う。

 趣味とは、それに直接関わる物理的な意味での時間は少なくてかまわない。
 たとえ月に一度しか参加できなくても、ちょっと空いた時間に、趣味についての工夫をあれこれ考えるところに、趣味の面白さがある。
 頭の片隅に趣味が生きてさえいれば、それでじゅうぶん楽しいのだということに気づくべきだろう。

 だから、
「時間がない」
 というのは間違いであり、自己への言い訳なのである。

 趣味に限らず、人生も同じだと思う。
 時間は、有り余るほどあるのだ。
 足りないのは「工夫」なのある。

投稿者 mukaidani : 09:59

2009年07月24日

時間の「多重債務者」

 最近、「時間の借金」ということを考える。

 たとえば、執筆時間が足りなくなるとする。
 この日、別の打ち合わせの予定が入っている。
 やむなく予定をキャンセルして、執筆する。

(やれやれ、よかった)
 と安堵するが、これは「時間の借金」で、キャンセルした予定はどこかで〝返済〟しなければならない。

 つまり、時間はお金と一緒で、〝借時〟(借金)すれば急場はしのげるが、そのツケはきっちり払わされるということなのである。

 だから、時間はお金同様、ムダづかいは厳にいましめなければならない。
 飲みに行っても、一軒で切り上げるのだ。
 二軒、三軒とまわるのは、時間のムダづかいで、いずれそれは、きっちり利息をつけて〝返済〟させられることに気づくべぎろう。

 仕事も同様、人生も同様。

 時間も、やりくりがつくうちはいいが、〝借時〟ばかりしていると、そのうち首がまわらなくなってくる。

 これを「時間の多重債務者」というのだ。

投稿者 mukaidani : 12:21

2009年07月23日

切り株でウサギを待つ「農夫」

『韓非子』に、
《守株待兎(しゅしゅたいと)》の故事がある。

「株(くいぜ)を守りて兎(うさぎ)を待つ」
 とも読む。

 ある日のこと。
 農夫が野良仕事をしていたら、ウサギが駆けてきて切り株に足をとられて、すってんころりん。
(おっ、ラッキー!)
 と、捕獲した農夫は大喜びし、
(畑仕事で汗水流すのはアホのやること)
 というわけで、畑仕事はやめて毎日、切り株のそばでウサギを待った。

 で、どうなったか。

 切り株につまずくウサギなど、そうそういるわけがなく、畑は荒れ放題になったというお話。

 この寓話は、北原白秋の童謡で、よく知られている。

「待ちぼうけ まちぼうけ
 ある日せっせと野良稼ぎ 
 そこへうさぎが飛んで出て
 コロリ転げた木の根っこ」

 この寓話が意味するところは、
「先王ノ政(まつりごと)ヲモッテ当今ノ世ヲ治メントスルハ、ミナ守株ノ類ナリ」
 と、儒教を批判したものだが、現在では「濡れ手に粟」を戒めるものとしてつかわれている。

 誰もが農夫を笑うだろ。
 私も大笑いした。

「待ちぼうけ 待ちぼうけ
 今日は今日はで 待ちぼうけ
 明日は明日はで 森の外
 うさぎ待ち待ち 木の根っこ」

 待ちくたびれた農夫のマヌケ顔を想像して笑いながら、ドキリ、とする。
 私は自分でそうと気がつかないだけで、木の根っこにじっと座って、ウサギを待っているのではないか。
 そう思うと、笑いも引きつってくるのだ。

 

投稿者 mukaidani : 09:28

2009年07月22日

衆院選と皆既日食

 衆議院が、やっと解散。

 やっとだから、解散劇がいまひとつ盛り上がらない。

 私など、「あっ、そう」である。

 これから選挙戦になれば違ってくるのだろうが、
「麻生、早く解散しろ!」
 とサディスティックに批判していた私は、いざ解散すると気が抜けたということか。

『歓楽極まって、哀情多し』
 とは、漢の武帝の言葉で、
「欲するものが叶えられたあとには、虚しく悲しい気持ちしか残らない」
 という意味だが、何事も意気込むと、それが実現したり叶えられたとは、
(なんだ、こんなものか)
 と気が抜けるということだ。

 衆院選の解散で、ふと武帝の言葉が脳裏をよぎった次第。

 いよいよ皆既日食。
 自民党という太陽が隠れるか否か。
 偶然の一致とはいえ、この期に皆既日食とは、何とも皮肉なものではないか。
 

投稿者 mukaidani : 09:43

2009年07月21日

試合のあとで、私はいつも頭を悩ます

 昨日、佐倉市空手道夏季大会は無事終わった。
 みんなに勝たせてやりたいが、そうもいかない。
 勝った子、負けた子と悲喜こもごもだった。

 今日も稽古がある。
 勝った子は喜びをを弾みに、負けた子は悔しさをバネにさせたいと思うが、子供も十人十色。さて、何と言ってアドバイスすべきか。

 昨日の大会は、私の道場から60余名が出場しているのだが、その1人ひとりの顔を思い浮かべながら、あれこれアドバイスを考えている。

 誉めるか、慰めるか、励ますか、叱責するか。
 これが、なかなか難しく、試合のあとでいつも頭を悩ます。
 試合に出場する子供たちも大変だろうが、指導者もまた大変なのである。

 角界の名言に、
「負けて覚える相撲かな」
 というのがある。

 味のある言葉だが、この意味を理解し、バネにできるのは、一定以上の技術をもった選手だろう。
 子供たちは、「勝って覚える空手かな」だろうと思う。

 勝ち負けにはこだわらない指導を心がけているのだが、勝つことによって精神的な部分が成長することも確かだ。

 これは競技に限らず、人生も同じだろう。

 勝敗にこだわらずして、いかに勝つか。
 いかに勝たせるか。

 大変だが、指導者の醍醐味でもある。

投稿者 mukaidani : 01:28

2009年07月20日

昨日は畑で、今日は空手の大会

 眠い。
 仕事が遅れているので、半徹夜になったからだ。

 というのも、昨朝、近所に住む孫がふたり遊びに来て、
「畑、行こう」
 と言うのだ。

 5歳の男児と3歳の女児。
 ご丁寧に長靴を履き、リュックをしょっている。

 私はといえば、道場の仕事部屋へ行こうと準備をしていた。

「あら、畑につれて行かないつもりなの?」
 二階の私の部屋に入ってくるなり、愚妻が険しい顔で詰問する。

「それが、原稿が……」
「楽しみにして来ているのよ」
「それはそうだが……」

 すると階段の下から、86歳の親父が、
「おーい、畑は行かないのか?」

 かくして、私と愚妻と親父と孫ふたりが畑へ出かけたという次第。

 畑で遊ばせ、家に帰って私が孫たちを風呂に入れたので、くたくたになって、いつのまにか高いびき。
 仕事の予定は大幅に遅れ、半徹夜になったというわけである。

「お仕事、お忙しいですか?」
 久しぶりに会った人は、こんな挨拶をしてくれるが、私はこう返事するのだ。
「それが、忙しすぎて、仕事をするヒマがないんですよ」
 たいていの人は、怪訝そうな顔をする。

 今日は、これから空手の佐倉市夏季大会へ出かける。
 暑い一日になりそうだ。

投稿者 mukaidani : 06:42

2009年07月19日

子供たちを手玉に取る

 道場で小学生の低学年たちから、よく年齢を聞かれる。
「58歳だよ」
「エッ?」
 一様に驚く。

 自分たちの両親よりはるかに年上であり、「50以上」という年齢が実感として理解できないのである。

 当然、私はおもしろくない。
「館長だって、昔はキミらと同じ小学生だったんだ」
「ウソだーい」
「ホントだって」
 ムキになりつつ、ふと考えを変え、「58歳」と答えるのをやめてみた。

「館長、何歳?」
「100歳」
「ウソだーい」
「ホントだって。館長の頭、ツルッ禿だろ?」
「そうだけど」
 困惑している。

 そこで言うのだ。
「本当は58歳」
「なんだ、そうなんだ」
 ニッコリと安堵の笑顔を子供たちが見せたところで、
「館長、若いだろう?」
「うん」
 子供たちを手玉に取るのも楽じゃないのである。

投稿者 mukaidani : 09:17

2009年07月18日

何だか政治ネタばっかりだな

 明け方3時に目がさめた。

 12時に寝たから、睡眠時間は3時間だが、頭はすっきりしている。

(私もついにナポレオンのようになったか)
 と得意になって仕事を始めたが、
(昼に眠くなるかもしれない)
 と、5時を過ぎて怠け心がもたげてきて、ベッドにもぐりこむことにした。

 で、寝る前にざっとニュースをチェック。

 相変わらず選挙のニュースだが、橋下・東国原知事が〝錦の御旗〟に掲げる「地方分権」の意味が私にはよくわからない。

 中央政府から地方へ、税収と権限を委譲するということはわかるのだが、そうなれば、私たちにとって、何がどれだけプラスになるのだろうか。
 そこが、具体的にわからないのである。

 かつて小泉改革のときに「聖域なき構造改革」が大フィーバーしたが、それによって私たちの生活が、どれだけ豊かになったのだろう。
 そのことを思うとき、「地方分権」の主張も、本質は橋下・東国原両知事のパフォーマンスに過ぎないと、私は思うのである。

 地方分権が進めば進んだで、新たな弊害が起こる。
 それが世のなかだ。
 そして、地方分権が行き詰まれば、
「この国難を乗り切るには、中央政府に権限を集中しなければだめだ」
 と一転、、中央集権の主張が起こるだろう。

 右に左にフリコのように振れるのが世のなかであり、その時々において〝錦の御旗〟を振るエセ政治家が常に登場するのである。

 腹を立てると眠りの邪魔になるので、ここいらでやめよう。

 今日は午後1時からマッサージ、3時に保護観察対象者の来訪があって、夕方5時から9時まで稽古。何だかバタバタと一日が終わりそうである。

投稿者 mukaidani : 06:08

2009年07月17日

「前祝い」は敗北の始まり

 自民党の両院議員総会開催要求の署名が、一夜にして切り崩された。

「名前を使われただけ」
 とか、
「首相と対話したいだけで、退陣を求めたわけではない」
 とか、苦しい言い訳で署名を撤回した。

 自民党の〝内紛〟のことなどブログに書くつもりはなかったが、興味を引いたのは、署名が集まった深夜、反麻生の親分である中川元幹事長が祝杯をあげたというニュースである。

 甘いね。
 まさか、政治家がここまで甘いとは思いもしなかった。

 勝負は「両院議員総会が開かれるかどうか」であって、「署名が集まるかどうか」ではないのだ。

 すなわち「勝ったも同然」と「勝った」は、天地ほどの違いがあることに、中川秀直が気がつかないとしたら、やはり天下を取る器ではないということになるだろう。

 これがもし小沢一郎であったなら、前祝いなど絶対にしなかったはずだ。
 前祝いどころか、浮かれムードを一喝し、気を引き締めたに違いない。
 中川秀直の〝甘さ〟と、小沢一郎の〝豪腕〟の差は、ここにあるのだ。

 私のささやかな経験からしても、「前祝い」をやると、たいてい失敗する。

「このテーマ、絶対売れますよ」
「よし、前祝いだ」
「乾杯!」

「乾杯」は「完敗」につながるのである。

投稿者 mukaidani : 14:29

2009年07月16日

草も非行も、伸びてからでは遅いのだ

 暑い。
 梅雨明けと同時に、昨日も今日も酷暑である。

 あれは高校1年のときだったか。
 選択教科であった柔道の時間に、
「暑いなァ」
 と、こぼしたら、
「夏は暑いことに決まっておる!」
 おっかない柔道教師に、えらく叱られたことがある。

 もっともなことで、私は反論できなかったが、いまならきっとこう言うだろう。
「暑いとわかっていながらも、暑いとこぼす気持ちをわかってくださいな」

 減らず口とはうまいことを言ったもので、加齢と共に身体も心もすり減っていくが、口だけはますます達者になるようである。

 その猛暑のなか、昨日は畑の草刈りに行った。
 100坪の一面、草ぼうぼう。

 86歳の親父がボーゼンとしながらも、
「じゃがいもを植えた場所、わかるか?」
 なかなかどうして、しっかりしているのである。

 草刈り機を使って草を刈り始めたが、これが機械の刃にからまって大変なのである。
 2時間以上、ぶっ続けでやって、残りは来週とした。
 
 非行の芽は早期に摘み取れと言うが、草刈りをしてみて、そのことが身にしみてわかった。
 草も非行も、伸びてからでは遅いのだ。

投稿者 mukaidani : 17:20

2009年07月15日

古賀選対委員長の〝ドロン劇〟

 助言されるたびに、
「あっ、そう」
 と、ころころ考えがブレる人を「麻生」と言う。

 県知事を踏み台に国政に転身をはかり、劣勢の自民党につけこむように総裁候補にしろと「欲張る人」を、「東〝欲張る〟」と呼ぶ。

「あっ、そう」の自民党が、「欲張る」のマイナスイメージで都議選に惨敗。
(こりゃ、ヤバイ)
 と、甲賀忍者のごとく執行部からドロンしたのが、「こうが」じゃくなくて古賀選対委員長。

 そもそも議員というのは、死んでもポストにかじりつくはずなのに、
「責任を取って辞任する」
 とカッコつけるものだから、
「ウソつけ」
 と誰しも思うところだろう。

 ブレブレの「あっ、そう」に、「欲張る」の傲慢さ、そして「甲賀忍者」のドロンの3点セットで、自民党は空中分解したようなものである。

 ただし、自民党の内紛劇は面白く、このまま激化すれば、民主党の影は薄くなるだろう。
 そして、新総裁が劇的な登場となれば、有権者の心も動く。
「まっ、いろいろあったけど、自民党も頑張るって言ってるんだから、これまでのことは水に流して……」
 日本人は、そういうメンタリティーなのだ。

 だから、もし自民党に挽回のチャンスがあるとしたら、ここ数日のうちに内紛劇をもっともっと面白くし、国民の興味をクギづけにすることなのだ。

 だけどなァ。

 もし私がこのことを麻生首相に提言したとしても、
「あっ、そう」
 いとも軽々しく返事をすることだろう。

 悪い人ではないのだろうが、「あっ、そう」のブレブレでは、やっぱり頼りないのである。

投稿者 mukaidani : 00:31

2009年07月14日

刑務所に向かうタクシーの中で

 昨日は、日帰りで受刑者の面接に出かけた。
 新幹線で西に下り、在来線を二つ乗り換え、最寄りの駅からタクシーに乗る。

 刑務所を訪れるときはいつもそうだが、運転手さんに刑務所名を告げると、返事をしたきり、黙りこくってしまう。

 そりゃ、そうだろうな。

 まさか、
「お客さん、ご家族が入ってるんですか?」
 なんて、気軽にきけるわけがあるまい。

 何となく奥歯にモノがはさまった緊張感とでもいうのか、この沈黙は気まずいもので、
「このあたりは緑が多いね」
 と私が話しかけるが、
「ええ」
 と言ったきり、会話が続かない。

 刑務所に向かう車中で、ノンキに風景の話をするほうがどうかしているだろう。
 かくして、私も黙りこくるのである。

 受刑者と、仮釈放がもらえたときを想定し、どう身を処していくか話し合い、施設をあとにした。

 駅の待合室で、麻生総理が来週にも解散するというニュースをやっていた。
 総選挙は自民党の大敗だろう。
 自民党がいいか、民主党がいいかの選択ではない。
 日本のこの閉塞状況を変えたいと、私たちは願っているのだ。

「この不景気だからね。そう簡単には仕事は見つからないかもしれないよ」
 受刑者の楽観を戒めた言葉を反芻しつつ、私は新幹線を待った。

投稿者 mukaidani : 09:45

2009年07月13日

都議選の開票速報に思う

 自民党が都議会選挙で惨敗した。

 昨夜はテレビの開票速報をずっと見ていたが、民主党の票が伸びるたびに、
「よし、いいぞ!」

 反対に、自民党の当選数がカウントされると、
「チェッ」
 という気分になる。

 私は民主党支持者というわけではないのに、これはどういうことだろうと、そっちのほうが気になった。

 たぶん、それは、ある種のサディスティックな気持ちのようである。

 自民党の危機が叫ばれ、東国原知事にナメられ、右往左往する姿を見ていて、
「ザマミロ。だから言わんこっちゃないだろ」
 という気持ちになっているのである。

 メディアは政策論争ということを言うが、政策で投票する人は少ないと思う。
 なぜなら、これまで政策で一票を投じていたなら、現在の政治状況にはなっていないからである。

 私たちは、「気分」で一票を投じる。
 選挙に限らず、私たちの価値判断の根底は「感情」である。
「気分」である。
 是非を超えて、私はつくづくそう思うのである。 

 これから、保護司の仕事で、受刑者の面接に刑務所へ出かける。
 9時過ぎの新幹線だ。
 選挙のたびに、 受刑者に会うたびに、人生というものを考えさせられる。

 

投稿者 mukaidani : 05:56

2009年07月12日

私のスキンヘッド

 今朝、まもなく3歳になる孫(女児)が遊びに来て、
「髪、ない」
 と、私の頭を指さす。
 いつものことで、子供心にスキンヘッドが珍しいのだろう。

 だから道場で、小さい子供たちが私の頭に興味を持つのは当然である。

「館長、シャンプーは?」
 昨日の稽古でも、女児が私にきいた。
「しないよ。石けんで顔と一緒に洗うし、顔と一緒に化粧水をつけるんだ」
「化粧水? だから光ってるんだ」

 この程度の興味ならいいが、イタズラ小僧となると、どうしても触りたいらしい。

 背後にそっと忍び寄って、ジャンプ。
 私の頭に触るや、脱兎のごとく逃げ、仲間たちに、
「ちょっとヌルヌルしてたぞ」
 と、自慢げに報告したりしている。

 私はニコニコして怒らない。

 その様子を愚妻が見ていて、私の娘に話すと、娘は真顔で、
「信じられない」
 と、つぶやく。
 短気で、口より手が先に出る父親であったからだ。

 娘は「信じられない」を連発するが、我がことながら、信じられないのは私自身である。

 歳月は、良くも悪くも人間を変えるのだ。   

投稿者 mukaidani : 10:00

2009年07月11日

私は方向音痴である

 私は方向音痴だ。
 というか、道順や場所を覚えることに、まったく関心がないのである。

 一昨日、今日と、保護司の仕事で二軒の家庭訪問をしたが、両方とも一年前に往訪した家なので、
(行きゃ、わかる)
 と気軽に出かけたが、これがさっぱりわからず、迷いに迷って、やっとこさたどりついた。

 で、午後。
 愚妻と東京駅で所用をすませ、メシでも食べようということになった。
「うまい中華屋があるから、そこへ行こう」
 と、丸ビルに連れて行ったが、目当ての店が見つからないのである。

 愚妻の非難を恐れた私は、
「しばらく来ないうちに、様変わりしたようだ」
 とか何とか言ってごまかし、トンカツ屋に入った。

 店を出て、
「でっかい本屋があったのに、どうしたのかな」
 私がつぶやくと、
「それって、たしかオアゾって言わなかった?」
 愚妻が足を止めて言った。

 私は丸ビルと、丸の内オアゾとごっちゃにしていたのである。

「いつもこうなんだから」
 と非難する愚妻に私は言った。
「バカ者。人生の道を間違えさえしなければ、あとの道はいくら間違ってもいいのだ」
「なに言ってるの。あなたは人生の道を間違えてばっかりじゃないの」
 胸にグサリのひと言であった。

投稿者 mukaidani : 16:36

2009年07月10日

畑で「理屈」と「現実」について考えた

 昨朝、雨で畑に行けないと書いた午後になって、いきなり雨があがった。

 86歳の親父が、
「行こう!」
 と、目を輝かせている。

「よし、行こう!」
 家庭訪問も終えたし、私も懸案を早く片づけたくて、物置と畑道具を大急ぎで車に積み込み、畑へ走と飛ばした。

 と、イヤな予感。
 空がいきなり暗くなったのである。
「こりゃ、また雨が降るかもしれんのう」
 親父がつぶやいたとき、私は雨を確信した。

 うまくいかないのが人生で、特に意気込んだときほど裏目に出るものなのである。

 ポツリ、とフロントガラスに雨粒。

 畑まで10分足らずだというのに、着くと同時に雨が降り出した。
 が、それでも親父は、果敢にクルマから飛び出していく。
 私もあとに続き、雨の中、ふたりして物置を設置。さらに、ネギと水菜を植えたのである。

 そして、私の予感どおり、作業が終わったところで雨が上がって晴天が広がった。

(もう少し時間をずらして来ればよかった)
 と、私はもちん思ったし、親父もそう思っていることが顔に書いてあるが、お互い、それは触れないようにしながら、
「これでひと安心だ」
 と、笑顔と笑顔。

 ところが、愚妻がもう一台を運転してやってくるなりノーテンキに言った。
「あわてて行かなくても、もうちょっと待てば濡れずにすんだのに」
 イヤな女である。

「ものごとを結果論で評価してはいかん。そういうのを〝後知恵〟と言うのだ」
 私はたしなめたが、
「でも、ちょっと待てば濡れなかったじゃないの」
 愚妻は譲らない。

 理屈において私が正しく、現実において愚妻が正しいということか。

 ならば、真に正しいのはどっちなのだろうか、と、この忙しいときに、くだらぬ疑念が脳裏をよぎったのである。
 

投稿者 mukaidani : 03:37

2009年07月09日

連日の雨には困ったもの

 今朝も雨。
 新しく借りた畑に、物置を設置できないでいる。

 86歳の親父は、畑の図面を描き、物置の設置場所、どこに何を植えるかを書き込んでいる。

 ところが連日の雨で、畑に行くことができない。
 これが困るのだ。
「明日はどうか?」
 と、親父も私も愚妻も気をもんで、落ち着かないのである。

 物置を設置し、畑道具を用意しておけば、親父が朝に夕に自転車で見廻りに行くことになっており、それを親父は心待ちにしているだけに、私としても早く晴れて欲しいのだが、こればっかりはどうにもならず、イライラの数日である。

 今日は、保護司の仕事で家庭訪問だ。
 対象者は長期刑で服役しており、仮釈放が取れた場合、身元引受人になるかどうかの面談である。

 月曜日は別件で、地方の刑務所に、受刑者の面接に出かける。
 8月も別件で、地方の刑務所に出かけなければならない。

 執筆も、次の作品が8月20日の原稿渡し。そろそろ着手しなければならない。

 8月は道場の子供たちの合宿がある。
 京都で3日間の仏教セミナーもある。

 物置の件だけでも早いとこ片付けておきたいのだが、連日の雨にイライラはつのるばかりである。
 

投稿者 mukaidani : 07:49

2009年07月08日

東国場》知事は、糸の切れた凧(タコ)

 連日、東国原知事関係のニュースである。
 おかげで、麻生総理がサミットへ行っていることを、私はコロリと忘れていた。
 人間、落ち目になると、ホント、影が薄くなるもんですな。

 それはともかく、なぜ自民党の衆院候補に「東国原」なのかといえば、言うまでもなく、彼に人気があるからである。

 本人もそれを承知しているから、「総裁候補にしろ」と自民党の足もとを見て要求をつきつける。「地方分権」は錦の御旗で、東国原知事は、ここがチャンスと踏んでいるのだろう。

 ところが、東国原知事の国政転身に対して、宮崎県庁に寄せられた声の8割が反対意見だそうだ。

 これをどう見るか。

 まず、東国原人気は、それがパフォーマンス人気であるとしても、原点は宮崎県民の圧倒的支持にある。

 ところが県民が国政転身に反対しているということは、人気の支持基盤には立てないということなのだ。

 つまり、糸の切れた凧。
 糸があってこそ、大空高く舞うことができるわけだが、そこに当の凧は気がつかないのである。

 凧に対して自民党内に異論が続出するのは当然で、糸の切れた凧を擁立するようでは、自民党は国民の信を失ってしまうだろう。

 それにしても、東国原人気とはいったい何なのか。彼が政治家として何をしたのか。いま一度、冷静に考えてみる必要があるだろう。

「宮崎県のセールスマン」は、ただ単に宮崎県を踏み台にしているだけのように私には思えるのだ。

 まさに、風を利用した凧なのである。
 

投稿者 mukaidani : 11:27

2009年07月07日

七夕伝説って、残酷な話じゃないか

 今日は七夕である。

 今朝、愚妻が、
「笹の葉サラサラ」
 と口ずさんでいるので、そうと気がついた。

 娘から電話があり、孫たちが笹の葉に短冊をつけていると聞いたので、思わず「笹の葉サラサラ」が口をついて出たらしい。
 気がふれたのかと思ったが、そうではなく、ひと安心であった。

 周知のように、七夕は、おり姫星(織女星)と、ひこ星(牽牛星)が天の川をわたって会うことを許された年に1度の特別な日である。

 ロマンチックな気分になりそうだが、よくよく考えてみると、「七夕伝説」は本当は怖い話ではないか、と思うのである

 伝説のおこりは中国で、こんな話になっている。

 おり姫の父親で、星空を支配する天帝が、働き者のひこ星を見込んで、娘を嫁がせる。

 ところが、ふたりは朝から晩まで、ぺちゃくくちゃと天の川のほとりでおしゃべりばかり。ちっとも仕事をしない。

「こら、おまえたち。そろそろ仕事を始めたらどうだ」
 と、天帝が注意するが、
「はい、明日からやります」
 と口先ばかり。

 天帝はとうとう頭にきて、ふたりを引き離し、1年に1度、7月7日の夜だけ、天の川を渡って会うことを許したというわけである。

 これって、ロマンチックな話だろうか。

 この伝説が、「働かないことは悪である」とする儒教の影響を受けているにしろ、
「年に1度、会わせてやるからしっかり働け」
 というのはどうだろう。

 私たち夫婦の歳になれば、
「1年に1度といわないで、3年に1度でじゅうぶんです」
 ということになろうが、若い両星となれば残酷な話だろう。

 そこで、七夕伝説をどう受けとめるか。
「1年に1度をエサとして尻を叩く」
 と受けとめるか、
「仕事をおろそかにしてはならない」
 という〝箴言〟として読み解くか。
 あるいは、
「遊んでばかりいた報(むく)い」
 とするか。

 いずれにせよ、物語としては残酷な気がしないでもない。

 ノンキに、
「笹の葉サラサラ」
 と歌ってる場合ではないのだ。
 

投稿者 mukaidani : 15:42

2009年07月06日

新たに畑を借りたところが……

 新しく畑を借りた。
 家から自転車で行ける距離だ。

「いまの畑は遠すぎる」
 と、86歳の親父がボヤくからである。

 これまで借りている畑はクルマで30分。
 自転車ではもちろん無理で、私の時間があるときにしか行けない。
 行けば半日仕事になるので、私もなかなか時間がとれないでいると、
「近けりゃのう。朝晩、畑の様子を見に行けるんじゃが」
 ボソリと言って、私にプレッシャーをかけてくるのである。

 これが何とも負担で、
「おい! どこか近いところの畑を借りてこい!」
 愚妻に命じ、知人の紹介で、新しい畑を借りたというわけである。

 ただし、新しい畑は、いまのところ20坪しか空きがない。
 趣味の菜園だから、20坪あればじゅうぶんなのだが、
「ウーン、ちょっと狭いのう」
 86歳が渋い返事。

 無理を言って借りたというのに、バチ当たりな親父である。

 で、今朝。
 散歩がてらに、私と愚妻とで、86歳のバチ当たりをつれて新しい畑を見にいった。

 と、どうだ。
「おっ、ええじゃないか!」
 バチ当たりは喜色を浮かべて、
「ここに大根を植えて、あそこにネギを植えて」
 ひとりで大ハシャギ。

 その姿を見ていると、
「狭いから、借りるのをやめるかな」
 と、イヤ味のひとつも言いたくなったが、ま、いいか。

 ただ、それはよしとしても、いま借りている100坪の畑をどうしたものか。
「畑をやりなよ」
 と好意で貸してくださっているのだ。
 何と言って撤収したものか、私はいまも頭を悩ましているのである。


投稿者 mukaidani : 19:35

2009年07月05日

女房族は「シロアリ」である

「離活」に取り組む女性が急増しているのだそうだ。

 それも熟年世代だけでなく、若い奥さんもそうなのだという。

 私は唸った。
 離婚はともかく、「離活」に取り組むのが女性であるということに、唸ったのである。

 かつて、女性を蔑視した時代、
「女房とタタミは新しいほうがいい」
 と、世の亭主族は嘯(うそぶ)いた。

「離活」は亭主がするものだったのである。

 ところが、気がついたら大逆転。私など、シロアリに不意をつかれ、倒壊される家屋のような気分になった。

 家は倒れたら家でなくなるが、家を倒したシロアリは腹を満たして元気に生きている。
 それを思えば、シロアリが「離活」を目論むのは当然かもしれない。 

 で、今夜。
 愚妻と晩メシを食べに出て、それとなくカマをかけてみた。

「長い人生、いろいろあったな」
「そうね。私ばっかり苦労させられたけど」
「おいおい、そう言うなよ。わしも心から感謝しているんだから」
「感謝? 魂胆は何よ」
 ワイングラスを手にした愚妻の目がギラリと光ったのである。

 どうやら我が夫婦も、力関係は逆転してきたようだ。
 女房というシロアリをあなどってはいけない。
 気がついたときは時すでに遅く、家はすでに倒壊しているのである。

 

投稿者 mukaidani : 21:57

2009年07月04日

「案件」でなく「人間」で判断すべし

 麻生内閣の支持率がまた下がり、20パーセントを割り込んだと、読売新聞が報じている。

 自民党役員人事の混迷を原因としているように、例によって麻生首相がブレブレになったことに国民が愛想をつかしたということである。

 それはともかく、
(麻生首相はアホだな)
 と思ったのは、自民党役員人事の刷新は、安部元首相の進言であるということだ。

 報道によると、安倍元首相はひそかに首相公邸を訪れ、人事刷新と早期解散で「麻生降ろし」を封じるよう、熱心に説き、麻生首相は「うんうん」とうなずきながら耳を傾けたという。

 私が麻生首相なら、安部氏の〝口説き〟には乗らない。
 進言の内容が悪いからではない。
 政権を途中で放り投げた男の進言であるからだ。

 安部元首相は健康上の理由を口にしているが、一国の首相たる者、国政に命を懸けるのが当たり前だろう。「死んで本望」と言うならわかるが、そうではないのだ。

 いわば、敵前逃亡。
 そんな男の進言に耳を傾けることが、そもそも間違っていると、私は思うのである。


 私は仕事にしろ、プライベートのことにしろ、「案件」ではなく「人間」で判断する。
 どんなにリスキーな話でも、それを持ってきた人間が信頼に足りる人物だと思えば引き受ける。
 反対に、どんなに素晴らしい話であっても、それをもってきた人間が信頼に欠ける人物なら、断る。

 ところが人間は、往々にして「案件」で応諾を判断する。
(この人間は信頼面でちょっと欠けるけど、でも、この話は堅そうだ)
 となる。

 欲である。
 だから失敗するのだ。

 安部元首相の人柄については、私は好感を持っているが、それは政治家の手腕とは別次元のことなのだ。
「政権を途中で放り投げた」という一点において、彼は政治家として信頼できない人間なのだ。
 だから、どんな秘策を献じようとも、麻生首相は聞き流すべきだったろうと私は思う。

 ところが麻生首相は、
(そりゃ、いい考えだ)
 と飛びついた。

「人間」でなく「案件」で判断すれば、失敗するのは当然なのである。

投稿者 mukaidani : 09:14

2009年07月03日

東国原知事と「人生のリセット」

 東国原知事に入閣要請がなかった。

 知事として一期を務めずして国政に転身を図ろうなど、私としては釈然としないものを感じる。

 宮崎をダシにして、結局、自分を売り出していただけではないのか、と思ってしまうのだ。

 地方分権だ何だと〝錦の御旗〟を振りかざしても、それは方便にしか見えないのである。

 だが、それはひとまず措(お)くとして、東国原知事を見ていると、私は「人生はリセットできる」ということを考えないわけにはいかない。

 周知のように、「そのまんま東」と名乗っていた1998年10月、彼は16歳だった少女に対する「淫行事件」を起こしている。法的に罪を免れたものの、社会の激しい批判を浴びた。

 人生の大きな躓(つまず)きであるにもかかわらず、その後、彼は宮崎県知事となり、自民党の出馬要請に「総裁候補でなければイヤだ」と公言するまでになったのだ。

「人生はリセットできる」
 という、まさに見本なのである。

 だから私は保護司として、観察対象の青少年に言うのだ。
「東国原知事を見よ。かつて淫行事件を起こしながら……」「キミたちも、人生をリセットできるのだ」

 皮肉やイヤミでなく、一度や二度のつまづきで人生を悲観することはないのだ。

 人生で大事なことは、「つまずかないこと」ではなく、
「つまずいたあと、どう立ち上がるか」
 ということなのである。

 ただし、リセットできるからといって、「ノド元すぎれば熱さを忘れる」で、欲のかき過ぎは禁物。
 県知事になれたのは、「できすぎのリセット」だと私は思うのだが、そのことに満足も感謝もせず、ステップにして大臣だ総裁だと公言かるのは、ちと欲張りが過ぎてはいないだろうか。

 そのせいか、「東国原離れ」がジワリと起こりつつあるように思う。
 今週の週刊文春が「東国原知事の邪悪な野望」という特集記事を組んでいる。
「人生のリセット」は、プラス方向とは限らず、〝元の木阿弥〟もまたリセットなのだ。

 東国原知事は、果たしてそのことに思い至っているのだろうか。

投稿者 mukaidani : 06:59

2009年07月02日

駅前でウチワを配る

 昨日は午後6時から駅前に立った。

 毎年7月は、法務省主唱の「社会を明るくする運動」が行われ、保護司である私はタスキを掛けて駅前に立ち、ウチワなどを配るわけだ。

 気持ちよく受け取っていただけると、私もうれしくなってニッコリ笑顔になるが、仏頂面でシカトされると、あまり気分のいいものではない。

 勝手に配っておいて、気分がいいも悪いもないものだが、我がことながら、
(人間ハ身勝手ナモノデアル)
 と、つくづく感じるである。

 それにしても、ブスッとしてシカトする若者に対しては、
(人生で損をするだろうな)
 と、つい思ってしまう。

 反対に、
「ありがとうございます」
 会釈し、ニコッとして受け取ってくれる若者に対しては、
(人生で得をするだろうな)
 と思う。

 自分の尺度から見た身勝手な評価であると承知しながらも、笑顔で他人に接することのできる人は、それだけで得をするということがよくわかる。

「笑顔」が得をするのではない。
 相手の気持ちを考えれば、おもわず笑顔で接するようになる。その気づかいが、相手の好感を得るということなのである。

投稿者 mukaidani : 07:31

2009年07月01日

妙な不動産屋があったものだ

 鴨川に借りた仕事部屋まで自宅から遠く、月に1回しか行けない。

 これでは仕事部屋の意味がないので、もっと近いところにしようと思い立ち、ネットで探すと、 某不動産会社のHPに手頃な賃貸マンションがあった。

 手狭だが、景観もよく、仕事部屋にはちょうどよい。
 しかも自宅から1時間15分。

 ただ、襖(ふすま)の焼けがひどく、畳も痛んでいたので、これは手を入れてくれるよう不動産会社の案内人に告げたところ、
「オーナー様に訊いてみます」
 とのことだった。

 鴨川のいまの仕事部屋を借りるときは、大家のほうでちゃんと手を入れて貸してくれていたので、
「貸し手に訊く」
 ということが私には釈然としなかったが、まっ、そんなものかと思って引き上げた。

 で、その夜。
 不動産会社の担当者から電話がかかってきた。
「オーナー様にお願いして直してもらう場合、退去するときは、同様に直していただくことになりますが」
 と言うではないか。

 じゃ、何のために敷金(2カ月分)を取るのだろうか?

 敷金とは退室する際に、入居中に破損させてしまった部屋の設備を修理するための料金で、それを入居前に先払いするものだ。

「となると、敷金2カ月というのは何ですか?」
 私は訊いたが、担当者はそれには答えず、
「当社は、そういうことになっております」
 の一点張り。

 賃貸のことはよく知らないが、敷金を取られた上に、さらに私が直すとなれば、ボッタクリもいいところではないのか?

 カチンときたので、白黒つけようかと思った。
 だが、よしんば相手に謝らせることができても、溜飲を下げる以外、私の得るものは何もないことに気がついた。

 かつてホリプロの堀威夫会長にインタビューしたとき、堀会長はこんなことをおっしゃった。
「ケンカは負けて元々、勝って得をするものしかやっちゃいけない」

 その言葉を思い出し、頭にはきたが、何とか自制したという次第。

 それにしても、不動産会社は玉石混淆。
 ネットでハデに宣伝しているからといって、信用するのは考えものだと、当たり前のことを再認識して、
(それはそれで得るところがあった)
 と、自分をなだめたのである。
 

投稿者 mukaidani : 10:24