« 2008年06月 | メイン | 2008年08月 »

2008年07月31日

人生は「時間」との格闘である

 昨夜、友人を病院に見舞った。
 危篤状態が続いている。
 私より4つ若い。
 もの言わぬ友人の顔を見ながら、いろんな思いが交錯する。

 今日、保護司として刑務所に面接に行った。
 まだ先のことだが、仮出所になれば私の担当になる受刑者だ。
 面接は今回で2度目になる。手紙のやりとりもあり、出所後の人生設計など、あれこれ話し合う。
 そういえば彼は、危篤状態の友人と同い年であることに気がついた。

 刑務所から帰って、すぐに執筆に取りかかる。
 ハウツーものと時代小説と同時進行で書いている。

「しつけ本」の執筆を楽しみにしていたのだが、担当していた編集長が会社を去ったため、書きかけのまま中止する。出版社から継続を依頼されたが、丁重にお断りし、義理を立てた。

 5月末に渡す原稿が延び延びになっていて、8月末に編集者と打ち合わせし、仕切り直しをすることになった。

 某社から脱稿時期について電話がくる。
「11月末でしょうかね」
 と答えるが、取りかかれるのはいつになるか。

 歴史小説を引き受けて、そろそろ1年になる。
 構想は固まっていて、早く取りかかりたいのだが、時間のやりくりが厳しく困っている。

 8月は空手の合宿のほか、仏教の勉強会が京都で2泊3日。

 私は、執筆の時間が足りない。
 危篤の友人は、生きる時間が足りない。
 受刑者は、刑期という有り余る時間に苦しんでいる。

 時間との格闘――これが人生ということか。

投稿者 mukaidani : 23:52

2008年07月28日

子を見れば親がわかる

「子」を見れば「親」がわかる。

 これは実感である。

 私の空手道場に多くの子供たちが通っているが、親御さんと顔を合わせてみて、良くも悪くも、
(やっぱりなァ)
 と感じることが多い。

 親が躾(しつけ)をきちんとしている子供は、どんなに幼くても挨拶ができる。舌足らずであっても、挨拶をしようとする意志が見て取れる。

 伸び伸び育てている子は、屈託がない。

 合宿したときなど、私にお菓子を分けてくれる子が何人かいるが、こういう子の親は思いやりに富んでいるものだ。

 反対に、元気はよくても、大人の顔色をうかがう子もいる。
 こういう子は、すぐに言い訳をする。
 自己の正当性を主張する。
 親に会ってみると、口うるさいタイプが多い。

 私は保護司をしているが、非行少年にもこのことは言える。
 子に会えば、親がわかるのだ。

 むろん人それぞれに生き方があり、我が子をどう躾ようと、それは個々の家庭の問題で、私がとやかく筋合いではない。

 ただ、良くも悪くも、子供は親の写し鏡であり、そのことに気づかない親が多いということを、言っておきたい。

 と、エラそうに書いてきたところで、ふと我が子供たちの顔が浮かんできた。
 娘に息子で、どちらも家庭を持っている。

 そういう意味では一人前のはずだが、二人ともデキが悪くて、私は嘆息ばかりしている。

 だが、「子を見れば親がわかる」となれば、私の子供たちを見た他人は、どんな親を想像するだろう。

 我が子のデキの悪さを嘆くのは、とりもなおさず、親たる私のデキが悪いということになるではないか。

 なるほど、天にツバするとはこういうことを言うのか、と妙な納得をしつつ、それでも、
「子を見れば親がわかる」
 と、私はつぶやくのである。

投稿者 mukaidani : 18:56

2008年07月26日

ホリエモンに〝敗者復活〟はあるか

 元ライブドア社長の堀江貴文被告が、控訴審で1審同様、2年6月の実刑判決を受けた。

 ライブドア粉飾決算事件とは、要するに〝詐欺罪〟なのだ。
「ウチはこんなに儲かってまっせ」
 と投資家をあおり、騙し、株価をつり上げて自分は大儲けをした、という容疑である。

 ライブドアの個人株主約3300人が、堀江貴文被告らに計200億円の損害賠償を求めた民事訴訟が続いているのは、そういう理由による。

 門外漢の私に判決内容を語る資格はないが、無罪を主張する堀江被告に対して、裁判長が、

「あんた、何ゆうてんねん。潔さに欠けるやないか」

 と一刀両断したとことからみて、
(やっぱりワルなんやねェ)
 と思うのである。

 この判決を受けて、メディアは、
《時代の寵児は、もはや過去の人になった》
 と報じ、世間はザマミロと嘲笑した。

 だけど、ホントに〝過去の人〟になるのだろうか?

 ならないだろう。

 ホリエモンが〝禊(みそ)ぎ〟をすませ、行動を起こせば必ず報じる。
 これがメディアなのだ。
 そして、叩くメディアがあれば、ヨイショするメディアもある。

 ホリエモンがここをうまく立ちまわり、
「あの事件のお陰で、ボクは目が覚めました」
 と殊勝なことでも言っておけば、再び〝時代の寵児〟になれるかもしれない。

 この節操のなさが、メディアであり、私たち世間の実相なのである。

 言い方を代えれば、
「人生の〝敗者復活戦〟は、この節操のなさゆえに可能である」
 と私は思うのである。

 ホリエモンの〝犯罪〟と〝人間性〟の是非はおき、彼の〝復活〟はじゅうぶん可能だろう。

 すなわち私たちも、人生に躓(つまづ)いたからいって、落ち込んだり絶望したりすることはない。
「人のウワサも75日」
 辛抱していれば、何度でも〝敗者復活〟はできるのである。

投稿者 mukaidani : 12:38

2008年07月23日

バイキング料理で「熟年」を考えた

 一昨日――21日の祭日は佐倉市夏期空手大会があった。

 体育館は有料で冷房を効かせていたので、じっと本部席に座っていると涼しく、
「けっこう冷えるもんだねぇ」
 と役員に言うと、
「ええ、まあ……」
 曖昧な笑顔が返ってきた。
 彼は審判で、汗びっしょり。
 自分の尺度で勝手なことを言ってはいけないと、反省しきり。

 かねて予約していた都内のホテルへ、女房と昼食バイキングを食べに行った。
 私は生存競争では遅れをとるタイプで、バイキングが苦手だが、女房は軽やかな足取りで、料理をテーブルに〝ピストン輸送〟している。

 しばらくして、近くのテーブルに爺さんがステッキをついてやってきた。
 八十歳前後だろうか。
 ダブルのスーツに金縁メガネ、白髪はオールバック。会社のエライさんというより、グレーゾーンに棲息しているような雰囲気の御仁だった。

 その爺さんが、まあ食べること、食べること。
 我が女房も顔負けの〝ピストン輸送〟でテーブルに料理を並べ、片っ端からたいらげていくのだ。

 元気老人の健啖ぶりに心で拍手していたのだが、そのうち、
(しかしなァ)
 という思いがしてきた。

 健啖ぶりはいいのだが、次から次へと口に放り込み、頬をふくらませたままガツガツ、ムシャムシャ……。

 食べ終わると、でっかい声でボーイを呼びつけ、
「おい、楊枝!」
 歯をシーシーやってから、再びステッキをついて出て行った。

〝健啖爺さん〟が座ったテーブルの下は、こぼした料理が散乱していて、ボーイが腰をかがめて拾い集めていた。

 老いてなお人生の現役でありたいと私は思ってきたが、この〝健啖爺さん〟を見ていて、「年相応」という言葉が浮かんできた。

 若者と同様に元気であることが美徳なのだろうか。
 健啖であることが賞賛に値するのだろうか。
 六十歳が五十歳に見られたからといって、何を喜ぶのというのだろうか。

 若者には若者の特権と美徳があり、実年には実年の、熟年には熟年の特権と美徳がある。

 ひと言でいえば、
「若者に覇気、熟年に品格」
 ということになろうか。

 アンチエイジングがブームのようだが、私はむしろ、いかに年をとっていくかを考えたいと思った。
 
 

投稿者 mukaidani : 03:09

2008年07月18日

湯船でコロンボ空港を思い出す

 昨夜、稽古が終わってからスーパー銭湯へ出かけた。

 露天風呂につかって頭上を仰ぎ、雲一つない夜空に散らばる星を眺めるのは、私にとって至福のひと時である。

 飛行機が、数分間隔で頭上を行き交っている。
 千葉県には成田空港があり、また羽田空港に降りる飛行機は木更津沖から侵入してくるため、空は実に賑やかなのである。

 両翼で点滅する灯を見ていると、
(どこか行きたいなァ)
 という思いにかられる。

 それも心浮き立つものではなく、人間が潜在的に有している現実逃避の願望というのか、何となくもの悲しいような思いである。

 飛行機の赤い灯を見ていて、唐突にスリランカの光景が浮かんできた。

 あれはいまから十数年前、政府関係機関の招待でスリランカへ行ったときのことだった。
 帰途、深夜便に乗るためコロンボ空港に行って驚いた。多くの人たちが、滑走路の周辺にじっと座っていたのである。最初、何をしているのかわからなかったが、やがて飛行機の発着を見物しているのだということがわかってきた。

 談笑するわけでもなく、多くの目が、ただじっと駐機している飛行機に注がれているのだ。

(ヒマだな)
 と私は苦笑した。

 その苦笑は、まだ若かった私の、発展途上にある国の人々を見下すような思いであったろう。

 そのときの光景をスーパー銭湯の湯船で思い浮かべながら、夜空を飛び去っていく飛行機の赤い点滅を目で追っていると、ふと、
(あのときのスリランカの人たちは、海外に向けて飛び立っていく飛行機にいったい何を見ていたのだろうか?)
 そんな思いがよぎったのである。

 陸を越え、海を越え、異国へ飛び去る飛行機……。
 そこにオーバーラップする心情は、異国へ行ってみたいというポジティブな願望か、あるいは現実逃避という潜在的に有するネガティブな願望か。

 あの夜、コロンボ空港で見た光景が、十数年を経て、私の心のなかで別の意味を持ち始めたのである。

(ウーム)
 腕組みして唸れば、至福のひと時はどこへやら。
 せっかくの露天風呂なのに、「現実逃避とは何か」をテーマに、ああでもない、こうでもないと頭を悩ますのである。


投稿者 mukaidani : 14:35

2008年07月14日

「資格更新」と「諸行無常」

 昨日は早朝5時に家を出て、甲府市へ行ってきた。

 日本体育協会公認スポーツ指導者の更新義務講習というやつだ。
 3年ごとの更新で、前回は神奈川県(横浜市)、そして今回は山梨県と、関東1都7県が持ち回りで実施している。

 行きはいいとしても、日曜日の中央自動車道は、たいてい大渋滞である。
 それを思うと億劫だし、義務講習は午前中は講義、午後から実技と丸一日の予定である。

 面倒だし、原稿も溜まっているので、
(やめちゃおうか)
 と思ったが、すでに費用は払い込んである。

 行かなければ、女房がまた文句を言うだろう。

 それで仕方なく出かけたというわけである。

 一日の義務講習が終わり、帰途は思った通りの大渋滞。
(冗談じゃねぇ、更新は今回限りじゃ)
 毒づきつつ、ノロノロの中央高速を帰っていったのである。

 資格といえば、小型船舶操縦免許も17年前に取得して5年ごとの更新を続けている。

 福島県のいわき市で釣り宿をやろうと知人に誘われたのが、免許取得のキッカケだった。
 釣り宿といっても、趣味を兼ねたもので、仲間数人が出資して中古の漁船を購入した。
 地元の漁業組合にも入れてもらった。
 宿に使用する家を借り、〝リース落ち〟のベッド7つを運び込み、居間には豪華なカラオケセットを設置した。
 私も頑張って教習所へ通い、免許を取得した。

(さあ、これからだ!)
 と張り切ったところで、仲間の一人が事業不振でパンク。
 連鎖で、もう一人がパンク。
 いま思えば、バブルが弾けたころである。

 かくて釣り宿もパンク。
 私は免許は取得したものの、購入した中古漁船は、ついぞ1度も操船することなく終わったのである。

 それが17年前。
 教習所で操船したきりで、実際の海で操船したことは1度もない。

 それでも、
(いつかレジャーボートを買うときのために)
 と、5年ごとの講習を受け、更新を続けている。

 いつか、いつか……で、17年がたった。
 いまでは、釣りも、ボートにもすっかり興味を失って、畑で鍬を振るっている。

 まさに、諸行無常。

 自分の思いも、価値観も、人生観も、いつのまにか歳月の流れのなかで変化していることを、「資格の更新」は教えてくれるのである。
  

投稿者 mukaidani : 17:52

2008年07月10日

貧乏時代の到来とスローライフ

 ガソリンが180円を突破するなど、いよいよ「貧乏時代」の到来である。
 実際、値上げラッシュなのだから、いまのままでは生活は苦しくなる。
 倒産件数も急増で、今年後半はヤバイことになる、とメディアは報じている。

 だが、「貧乏時代」の到来はネガティブなことだろうか?

 とんでもない。

 これこそ、みんなが待ち望んだ〝スローライフ〟ではないのか?

 いまブームの「夢の田舎暮らし」というやつが、労せずして可能になるのだ。「貧乏時代」が到来するおかげで、クルマに乗らず、電気もつけず、一汁一菜の食事を楽しみ、晴耕雨読の日々を送る、という〝スローライフ〟が実現するのである。

 しかるに、「夢の田舎暮らし」を特集してきた雑誌が、
「生活破壊の時代がやってきた!」
 とネガティブに危機感を煽(あお)るのはどういうことだろう。
 ここは、
「朗報! ついにガソリン180円を突破! ついにやってきた〝夢の田舎暮らし〟」
 嬉々として特集を組んでこそ、整合性が保たれるのである。

 と、まあ皮肉のひとつも言いたい気分なのである。

 こんなことを言うと、元週刊誌記者の私としては〝天にツバする行為〟だが、雑誌というのは〝煽り〟で売るのが商売だから、そもそも定見などあるわけがないのである。

 さて、かくいう私も田舎暮らしにあこがれた時期がある。
 引っ越そうかと真剣に考えた。
 取りやめたのは、吉幾三氏の〝田舎のプレスリー〟という歌を久しぶりに耳にしたからである。

 歌のごとく、かつて若者は、
「オラいやだ」
 と言って、田舎を捨てて都会へ飛び出したのだ。

(そんな田舎に理想の生活があるわけがない。田舎暮らしの欲求は、現実逃避に過ぎない)
 と思ったからである。

 それからというもの、「夢の田舎暮らし」といった類(たぐい)の雑誌企画やテレビ番組を目にすると、
(焚きつけるのもエエ加減にせぇよ)
 と、何ともイヤな気分になるのだが、そこへ貧乏時代の到来である。

 生活破壊が現実味を帯びてなお、「夢の田舎暮らしブーム」は続くだろうか。
 メディアはそれを煽るだろうか。

 たぶん、これまでの「夢の田舎暮らし」という煽りはシカトして、「田舎暮らしに学ぶ節約術」といったハウツーを特集してくるだろう。

 私はメディアの〝変節〟をひそかに注目しているのである。 
  

投稿者 mukaidani : 02:31

2008年07月07日

「サミット」と「出会い系サイト」

 今朝5時。
 徹夜である。
 畑に行くべく身支度を終えてから、隣室の女房を叩き起こし、階下の親父の部屋を開けて、
「行くぞ!」
 と言ったら、
「雨じゃ」
 ノンキな声で言った。
「何ィーッ! さっき窓から見たが、降っとらんかったぞ」
「いま降り始めたんじゃ」
「そんな……」
「ちょっと、ちゃんと確かめてから起こしてよね」
 女房が険しい顔で言うと、寝室へと階段を上がっていった。

 で、朝風呂に入り、いまブログを書き始めて、今日が七夕であり、サミット初日であることに気がついた。

 サミットが世界平和にとって、どれほどの意味を持つのか知らないが、先進国首脳が集まって「顔を合わせる」という行為は考えさせられるものがある。

 つまりインターネットの時代に、なぜ厳戒態勢を敷いてまで顔を合わせて話をしなくてはならないのか、ということである。

 当初はたぶん、先進国グループによるデモンストレーション的な要素が強かったのだろう。
 ところが、南北問題や北朝鮮の核問題、食料危機、地球温暖化など、マジに話し合わなければならないテーマが山積するようになり、サミットは重要なトップ会議になった。

 で、なぜ実際に顔を合わせて話し合わなければならないのか。

 たかだか8カ国。主張と意見の交換であれば、インターネットで事足りるはずだが、そうしないのは、顔を合わせることによって、表情や仕草から、お互いの〝ホンネ〟がわかりあえるからではないか。あるいは「真意を探る」と言ってもいい。

 要するに「阿吽(あうん)の呼吸」というやつで、こいつばかりはテレビ電話やメールでは不可能なのだ。

 言い換えれば、サミットはそれだけテーマが複雑で、難易度が高いということでもある。

 で、唐突に、徹夜明けの頭に出会い系サイトのことが思い浮かんでくる。

 メールのやりとりだけで、いとも簡単にデートに至るということは、男女の機微に複雑な駆け引きは不要ということなのだろう。だからナニに至る難易度は〝チョー低い〟ということになる。

 となれば、仕事もしかり。
 顔を合わすことなくメールですませられるというのは、バリバリ仕事をこなしているように見えて、その実、中身は〝お易(やす)い仕事〟ということになる。

 かく言う私も、原稿のやりとりはメールである。
(だから〝お易い〟のかもしれないな)
 サミットから発した思いは、妙なところに着地して、複雑な気分になったという次第。

投稿者 mukaidani : 07:59

2008年07月04日

「一病息災」という人生観

《一病息災》という諺がある。

 持病を持った人を元気づけたりするとき、この言葉を口にする。
「大変だろうけど、まっ、一病息災ってこともあるからさ」
 ガハハハと笑って励ましたつもりでいる。

 実を言うと、意味はよく知らない。
 感覚的にはわかるが、説明しろと言われると、ちょっと困る。
 
 で、昨夜のこと。
 編集諸氏と酒場で打ち合わせをしていて、いつものように話題は脈絡なくアッチコッチへ飛びまくり、やがて健康のことになった。

「私は腰痛があるんですが、一病息災だと自分をなぐさめてるんですよ」
 と、編集者の一人が《一病息災》を口にして、
「たしかに持病が一つくらいあるほうが、健康に注意しますよね」
 と、我が身に言い聞かせるように頷いていた。

(なるほど、《一病息災》とはそういう意味だったのか)
 私は合点しつつ、
(いや、本当にそうか?)
 という疑問がもたげてきたのである。

 そして、《一病息災》という意味についてマジに考えてみた。
 結論は、以下のとおり。

「病(やまい)とは、苦しみや不幸を象徴的にあらわしたもので、一つの〝病〟に苦しみ、それがやっと過ぎ去ったと思えば、すぐにまた次の〝病〟が襲いかかってくる。

 仏教では、この世は《一切皆苦》――すべてのものは苦しみであるとするように、〝病〟からは逃れられない。

 となれば、いま我が身と共にある〝病〟から徒(いたずら)に逃れようともがくのは、逆説的に言えば、新たな〝病〟を求めることにほかならない。

 以上のことから、新たな〝病〟に戸惑い苦しむよりは、慣れ親しんだ〝病〟と共にあるほうが楽ではないか。

《一病息災》とは、いまある〝病〟から逃れようとするのではなく、とことん共生するのだという前向きな覚悟を説いたものである」

 これが、私の結論である。

 亭主に対する不満、女房に対する不満、職場、上司、部下、境遇……等々に対する不満。

 だが、不満は《一病》なのだ。
 この《一病》のおかげで《息災》であるにもかかわらず、《一病》から逃れようとする。

「こんな会社、辞めてやる!」
 飛び出して、より幸せな人生が送らるなら結構なこと。
 多くは、
(こんなはずじゃなかった)
 と、かつての《一病》を懐かしむのである。

投稿者 mukaidani : 12:50

2008年07月01日

「備えあれば憂いなしヶという怖さ

 夜、素っ裸で寝ていた次期がある。

 パジャマのゴムなど身体を締め付けるものはストレスになる、と友人に聞いたからである。
 友人は「素っ裸で寝る習慣にしてから腰痛が治った」と体験談を語った。

(フーム、素っ裸ねぇ)
 何事もすぐ飛びつく性分ゆえ、すぐに《フリチン健康法》を始めたというわけである。

 気持ちがよかった。
 自分の肌と肌が触れ合う感触が、これほど気持ちのいいものとは思わなかった。

 それから毎晩、フリチンで寝た。

 寝ながら考えた。

(地震がきたらどうする?)

 いまもそうだが、当時も世をあげて〝防災の時代〟だった。
 
 洋服を身につける時間がないとなれば、フリチンで家を飛び出すことになる。
(やっぱ、ヤバイよなァ)
 そんなこんなで、結局、《フリチン健康法》は断念したのである。

 そして最近は、パジャマを着るだけでなく、ジーパンやシャツなど、地震に備えて部屋の隅に用意して寝るようになった。
 これなら安心である。

 女房とは寝室が別なので、私は女房に厳命した。
「いいか、備えあれば憂いなし。いつ外へ飛び出してもいいように、洋服を用意して寝ること」
「なに言ってるのよ」
 女房がムッとした顔で、
「練馬に住んでいるときに、着替えと洋服を枕元に用意していたのは誰なのよ」
 アタシが風呂敷に包んで置いていたんじゃないの――そう言って怒ったのである。

 忘れるのが得意な私には記憶はないのだが、言われてみれば、練馬区のマンションに暮らしていた当時、そんなこともあったような気がしないでもない。
 娘がまだ小学校低学年のころのことで、たしか地震に備えた〝防災グッズ〟が売れに売れたような記憶がある。

(そうだ、そうだった!)
 思い出した。
 我が子を守るため、私はそこまでして地震に備えていたのである。

 で、つい先日のこと。
 娘夫婦が孫を連れて遊びに来たので、私は娘に厳命した。
「いいか、備えあれば憂いなし。いつ外へ飛び出してもいいように、洋服を用意して寝ること。私たち一家が練馬に住んでいるころは、着替えを風呂敷に包んで枕元に……」
「なに言ってるのよ」
 娘がムッとした顔で、
「あんなものを枕元に置いて寝るから、いつ地震がくるか、私は怖くて毎晩寝られなかったんじゃないの」
 いや、怒るまいことか。

「備えあれば憂いなし」
 とは言うけれど、
「今日来るか、明日来るか」
 という〝備えの日々〟もまた、考えてみれば怖いことであると、このとき思ったのである。

投稿者 mukaidani : 14:19