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2007年07月30日

自民党大敗の真因を考える

 自民党が大敗した。

 原因の本質は、年金問題でも、閣僚の相次ぐ失言でもない。

 安倍総理に対する失望感――すなわち、リーダーシップの欠如に対して、有権者は嫌気がさしたものと、私は思っている。

 松岡、柳沢、久間、赤城――と相次ぐ失言問題に対し、安部総理はなぜ断固とした態度を取れなかったか。これが、小泉前首相とくらべ、優柔不断で、気弱で、お坊ちゃんという「頼りなさ」につながり、
「この男じゃ、しょうがねぇよ」
 となったものと私は見ている。

 しかも、そこを自民党は理解できず、
「安倍を取るか、小沢を取るか」
 というキャッチコピーを掲げた。
《剛腕・小沢》に《軟弱・安倍》を対比させるなど、愚かの極みであろう。

《泣いて馬謖(ばしょく)を斬る》
 という諺がある。
 周知のように、三国時代の武将である馬謖が、諸葛亮の指示に背いた作戦で大敗したときのこと。諸葛亮は、愛弟子であったにもかかわらず、「軍律の遵守が最優先」として馬謖を処刑した。

 この故事から、《泣いて馬謖を斬る》とは、
「どんなに優秀な者であっても、私情で規律を曲げて責任を不問にすることがあってはいけない」
 という意味で使われる。

 諸葛亮は、愛弟子でさえ、涙を呑んで処刑したのだ。
 
 いわんや、間抜けな失言をして内閣を揺るがせた閣僚など、安倍総理はなにゆえ庇ったのか。
 松岡問題のとき、あるいは久間元防相がイラク戦争をノーテンキに批判したとき、瞬時に罷免すべきだった。
 視点を変えれば、閣僚の失言は、お坊ちゃんと見られた安倍首相がイメージを払拭する千載一遇のチャンスでもあった。
 リーダーは、愛される以上に恐れられなければならない――これが組織の鉄則なのである。

 ただ、安倍総理にチャンスはまだ残っている。
 それは、選挙大敗の原因が、総理の失政によるものでなく、また安倍総理の人間性が嫌われたわけではないことだ。
 大敗の真因は、
「人柄は悪くないんだけど、ちょっと頼りないな」
 という、失望感にある。

 もっと言えば、
「おいおい、期待しているんだから、もっとしっかりしろよ」
 という腹立たしさの結果と言ってもいいだろう。

 ヨイショするわけではないが、そう思わせるところに安倍総理の、お坊ちゃんゆえの〝人徳〟があると私は思うのである。

 参院戦の大敗を教訓として、彼は「強い男」になれるか。

 国政とは別の視点で、私は安部総理がどう変わっていくか、興味をもって見ているのだ。

投稿者 mukaidani : 10:25

2007年07月22日

明日は明日の風が吹く

 予防医学が注目されている。

 病気は、「治すこと」より「罹(かか)らないこと」が最上というわけだ。

 医療予算の圧縮という行政の思惑は別として、
(なるほど)
 と私も思う。
「転ばぬ先の杖」というやつで、友人の整体師から、脳卒中にならないツボを教えてもらうと、熱心にツボを刺激している。検診も大事、運動も大事、健康サプリメントも大事、というわけである。

 だが最近、
(ちょっとまてよ)
 という思いが頭をもたげてきた。

 予防医学とは、
「病気になったら困る」
 という〝不安〟を前提にしたものだ。
 乱暴に言ってしまえば、
「病気になるかどうかわからないのに、病気になったら困るという理由で、普段から予防に気をつける」
 ということになる。

 この考え方が、私は釈然としなくなってきた。
「病気は、病気になってから対処すればいい」――そう思うようになってきたのだ。

 つまり、予防とは、「明日」という不確かなことに思い煩(わずら)うことであり、それは愚かな生き方ではないかと、考えるようになったのである。

 室町時代に、夢窓疎石(むそう・そせき)という禅僧がいる。
 彼の言葉に、
《極楽に行かんと思う心こそ、地獄に落つる初めなりけり》
 という一句がある。

「極楽に行きたいと、来世のことまでも願う心が、現世の苦しみになる」
 という意味で、人間の欲には際限がなく、来世のことにまで欲をかいているとして、「欲心こそが苦しみの根源である」と諭したものだ。

 これを私は、
「明日のことを思い悩むな」
 と解釈する。

 死後――すなわち「明日」という不確かなものに心を煩(わずら)わせる
根源こそ、「欲」にほかならないと考えるからである。

 以上のことから、予防医学の実相は、「明日のことを思い悩む」という延長線上にあると、私は考える次第である。

 ただし、だからといって不摂生をしていいと言っているのではない。

 節度ある生活をしていれば、「予防医学」などということを考える必要がなく、精神的にはむしろマイナスに作用していると言っているのである。

 予防医学にかかわらず、私たちは、「明日」という不確かなことに心を砕き過ぎるのではないか。

「明日は明日の風が吹く」

 かつて流行した言葉である。

 私は、この言葉が好きだ。

投稿者 mukaidani : 22:41

2007年07月17日

「言い訳」は「挫折」と同義語なのだ

■悲しいときに笑えるから人間
 嬉しいときは笑い、悲しいときは泣く。
 感情を素直に現すことが「人間らしい」と言われる。

 そうだろうか。

 腹が減れば鼻を鳴らし、痛いときに泣くのは、犬や猫だ。
 人間は犬や猫ではない。

「人間らしい」とは、喜怒哀楽の感情をコントロールすることだと私は思う。「悲しいとき」に「笑える」から人間なのだ。

 感情を素直に現す人は、「人間らしい」のではなく、「動物らしい」と言うべきなのである。

■「あんな人生」から「あれも人生」
 夕方早い時間、居酒屋から音程ハズレのカラオケが聞こえてくる。
「あんな人生はイヤだ」
 と思って、ふと考えた。

 そうじゃない。

「あんな人生」ではなく、「あれも人生」なのだ。

 賛同せずとも、人の生き方と価値観を認めること。
 これが大事だと思った。

■挫折には理屈がつく
 趣味は、いったん始めたら、あるレベルまでやりとげること。
 みずから望んで始めることだからだ。
 
 そして趣味は、目標を掲げ、達成することで満足を得る。この満足感を得ることこそ、趣味の素晴らしさであり、人間だけに与えられた特権でもある。

 ところが、志に反して挫折することも少なくない。

「仕事が忙しいから」
「家庭の事情で」
「体調が悪くて」

 挫折には、必ず理由がつく。
「言い訳」する。

「言い訳」するのは、挫折に対してうしろめたい気持ちがあるからではないか。

 逆説的に言えば、「言い訳」は「挫折」なのだ。
 すなわち「言い訳」のない人生をもって、幸福とする。

    **************

 思うところあって、手話サークルに入って、手話の勉強を始めた。
 挫折せず、あるレベルまでやりきれるかどうか。
 身が引き締まる思いでいる。


投稿者 mukaidani : 14:05

2007年07月06日

久間元防相の一件で「失言の本質」を考える

 周知のように、久間元防衛相は「しょうがない発言」で辞任に追い込まれた。

 マヌケな失言もさることながら、辞任に臨んで見せたヘラヘラ笑顔はもっとマヌケだ。
 自民逆風のなかで、この発言と態度は、
(アホじゃないか)
 と、多くの国民があきれたことだろう。

 そこで、『失言』とは何かについて考えみた。

 意味を手許の辞書で調べると、
《言ってはいけない事を、うっかり言ってしまうこと》
 とある。

 とすると、久間元防衛相の「しょうがない」発言も、柳沢功労相の「女性は子供を産む機械」発言も、
《言ってはいけない事を、うっかり言ってしまった》
 ということになる。

 すなわち、論理的には、彼らの発言は《言ってはいけない事》であって、《間違い》であるとは限らないということになる。

 では、《言ってはいけない事》の定義は何か。
 
 それは「立場」である。
 正しいか、間違っているかに関わらず、「その立場において言ってはいけない事」――これが『失言』ということになる。

 久間元防衛相も、柳沢功労相も、「(政治家として)言ってはいけない事を、うっかり言ってしまった」ということなのである。
 だから非難されたのだ。

「そんなの当たり前じゃん」
 と言ってはいけない。

「立場」を忘れた『失言』は、政治家に限らず、我々も同じなのである。

 たとえばヤンキー嬢が、
「オヤジ、うざったいんだよ!」
 と罵声を浴びせても、世間は眉をひそめはしても、非難はすまい。
 ところが同じセリフを、深窓のご令嬢が発すると、
「まァ、なんてことを!」
 非難される。
 すなわち『失言』になる。

 女子高をつかまえて、酔っぱらいが、
「おッ、でっけぇオッパイだな」
 と言っても、たわごとですまされるが、教師が言えば大問題になる。

 上司が部下の女子社員に、
「キミ! 男と夜遊びが過ぎるんじゃないのか!」
 と叱責すればセクハラだ。

 チンピラが、
「人生、恐喝だ!」
 と言っても世間は納得だが、サラリーマンが言えば、即刻クビになるだろう。

 坊主が、
「世のなか、やっぱお金です」
 と冗談にも言えば、大ヒンシュクである。

 これが世間であり、『失言』になるかどうかは、「立場」が大きく影響するということなのである。

 ならば、冗談ひとつにしても、自分がどういう「立場」にあるかを考えて言う必要がある。
 久間失言を「アホなやっちゃ」と笑う前に、「自分の失言」について考えてみるのも大事なのではあるまいか。
 自戒しつつ、久間失言のニュースを見ていた次第。
 
 

投稿者 mukaidani : 14:42

2007年07月02日

「ウソをつくな」と子供を叱れるのか?

 ウソに2通りある。
 自己を正当化するときにつく《消極的なウソ》と、人を騙そうとしてつく《積極的なウソ》である。

「ファミコンばかりして、宿題、ちゃんとやってんのか!」
「やってるよ」

 親に叱られ、口をとがらせて反論するのが《消極的なウソ》で、これは大目に見ていいだろう。自己正当化は、私たち大人がそうであるように、世渡り術の一つであるからだ。

 これに対してオオカミ少年は、《積極的なウソ》で、これは許されない。
 人に害をおよぼすからだ。
 こんな人間は、犯罪者と同じである。
 だから、
「ウソを言うな」
 と子供を叱るのだ。

 元公安調査庁長官の緒方重威、そしてタレントの羽賀研二が相次いで逮捕された。両事件については周知の通りだが、共通する「詐欺」とは、《積極的なウソ》のことだ。

 だから犯罪なのである。

 本日、午後6時より襷(たすき)をかけ、「社会を明るくする運動」の一環でウチワを配った。
 社会保険庁の年金問題からミートホープ事件、緒方事件、羽賀事件……。 
 私たち大人は、どのツラさげて、
「ウソを言うな」
 と子供を叱れるのだろうか。

「明るい社会」を訴えつつ、後を絶たない《積極的なウソ》に、腹立たしさを越えて暗澹たる気持ちになった次第。


 

投稿者 mukaidani : 18:58