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2007年02月27日

叱責は〝晴天の霹靂〟をもって極意とする

 私は説教をするのが好きではない。
 保護司をやり、空手道場をやっているので、説教する機会は毎日のようにあるのだが、私は、よほどのことがなければ説教はしない。

 理由は簡単だ。
 神妙に聞いてはいるが、それはポーズ。
「わかったか!」
「オッス!」
「何がわかったんだ」
「……?」
 まっ、こんな調子である。

 だから説教は、する側の自己満足に過ぎず、ことに多人数にする説教は、さして意味がないのである。

 お釈迦様の教えに「聖不煩文(しょうふはんもん)」というのがある。
《聖(しょう)は文(もん)を煩(わずら)わしくせず》
 と読む。
 説教は簡潔明瞭で、くどくど言うな――というのが、この教えの意味だ。

 くどくど説教したのでは、そのうち、
(ウルセーな、だから何なんだよ)
 と、聞くほうに反発心が生まれる。それでは説教の意味はなくなってしまう――と、お釈迦様は諭しているのである。

 私の知人で、某食品会社の営業部長氏は、説教魔で有名だ。
 部下でもない私に、
「キミね、やっぱり、そういう態度はよくないと思うんだよね」
 酒席でも説教をし始める。
「説教なら会社でやってよ。オレ、部下じゃないんだから」
 茶々を入れると、
「それそれ、それがいかんのだ」
 と、火に油。説教の口実を与えることになる。

 そうかといって、神妙に聞いていると、調子づいて、
「しかるに、古今東西の歴史を見れば……」
 説教も次第にグローバルになっていく。

 部下たちは、うんざりしながらも馴れたもので、誰も話など聞いちゃいない。口を挟むと〝火に油〟だから、ひたすら頭を垂れつつ、心の中では、
(このあと、どこへ飲みに行こうかな)
 と、次の予定を立てながら、嵐が通り過ぎるのを待つ。

 説教の途中、節目節目で、
「わかったのか!」
 と怒鳴るのが部長氏の定番だから、そのときだけ、
「はい」
 と、神妙に頷いてみせればいいのである。

 これでは、説教の意味はない。
 いや、意味がないどころか、部下たちは、部長の口マネを酒の肴にして楽しんでいるらしく、これでは上司の権威は失墜である。
 それで、見かねた私が、
《聖不煩文(しょうふはんもん)》
 という、この一節を部長氏に紹介した次第。

「あれも言いたい、これも言いたい」
 という気持ちはわかるが、説教の要諦は、「何を言わないか」――すなわち、
「あれも言わない、これも言わない。一つだけ言う」
 という心構えでなければ効果はないのである。

 カミナリも同様だ。
「バカ者!」
「やり直せ!」
「何を考えているんだ!」
 しょっちゅう怒鳴ってばかりいれば、
(ああ、またか)
 である。

 環境適応能力――すなわち「馴れ」は、人間の持つ素晴らしい能力の一つであり、これは説教や叱責に対しても言えることなのだ。
 カミナリは、不意をついていきなり落ちるほうが怖い。
「晴天の霹靂(へきれき)」
 は、だから人を驚かせるのである。

 附記しておけば、上司たる者、ときには「青天の霹靂」を演出して、部下の気持ちを引き締めるのも一法である。カミナリも、回数が過ぎれば馴れるのと同様、上司のあまい顔も、それが毎日であれば、やはり馴れて、部下の気持ちもゆるむものなのである。

 上司と部下の関係だけではない。
 人間関係すべてについて、このことは言えるのだ。

投稿者 mukaidani : 18:17

2007年02月19日

1日の時間割をつくってみた

 1月に上梓した時代小説『江戸の闇鴉』の続編をこれから書く。4月末に原稿を渡す約束をしたが、4月末脱稿はこの他に2冊。さらにもう1冊、これも4月脱稿で企画が進行しており、決まれば3冊+時代小説が同時進行となる。

 4冊ともテーマが違う上、これに劇画原作の打診もあって、頭の中は〝打ち上げ花火〟のような状態になっている。

 さらに空手の指導が火曜、水曜、金曜、土曜、これに金曜は古武道の指導が加わる。道場が狭いため、午後5時から9時まで、クラス別に3コマの指導である。保護司の活動に、お経の練習に、仏教の勉強、畑……。今週末は金、土、日と三つも会合がある。

 こんな状態ではとても時間が足りないので、先月、1日の時間割をつくってみた。朝5時の起床から11時就寝まで、きっちり作成。小学生のころの夏休み気分で、なかなか楽しいものだった。
(これでよーし)
 と、すっかり安堵したのだが、まさに〝机上の計画〟。「計算合ってゼニ足らず」というやつである。

 夜9時に稽古が終わって健康ランドで行けば、帰宅は深夜12時。それからお茶など飲んでひと息入れ、ベッドに横になってパラパラと本などめくると、就寝は2時をまわる。

 それでも、起床は意地になって3時間後の朝5時。またぞろ朝風呂に入って、道場内にある仕事部屋へ出かけるが、頭は睡眠不足でボーッとして仕事にならず……。

 これではマズイと、稽古後に仮眠を取って徹夜すれば、時間割など何の意味もなくなってしまうのである。
(我が〝人生の時間割〟も、これと同じだな)
 と、何となく妙な納得気分を味わっている次第。

 ちなみにいま午前3時過ぎ。原稿が一段落したところ。時間割どおり5時に起きるべきかどうか、ちょっと悩んでいるのだ。

投稿者 mukaidani : 03:20

2007年02月12日

〝面白がれる人〟が、幸せな人である

 学生時代、金はないが、時間はあった。

 要するにヒマなのだ。

「なんか面白いこと、ないスかね」
 酒をご馳走になりながら、OBにボヤいたら、
「バカヤロー。人生、そうそう面白いことがあってたまるか」
 怒鳴られ、翌日から、OBが勤めている運送会社で、荷物の積み卸しのバイトをやらされるはめになった。

 以後、人生に退屈すると、このときのOBの説教を思い出しながら、
(そうだよな。人生、そう面白いことがあるわけねえよな)
 と、自分に言い聞かせるようになったのである。

 そんな私が、数え四十二歳、厄年の夏にこんなことがあった。
 知人に、美容外科も手がける耳鼻医がいて、この先生が、私の小鼻に小さなホクロがあるのを見つけ、
「それ、人相学的によくないね。取ってあげようか」
 と言ってくれたのだ。

 人相学的によくないんじゃ、うまくない。
「痛くないスか?」
「なあに、麻酔を射つときにチクってするだけだよ」
 カラカラと笑うから、安心して耳鼻科の椅子に座ったのはいいが、麻酔注射の痛いこと。
 鼻のてっぺんに刺すのだ。
 それも数ヶ所。
「痛タタタ……、先生、痛いよ」
 涙をポロポロ流しながら抗議すると、
「うん、鼻のてっぺんて、痛いんだよね」
 このときである。
 欲得から、
「人相学的によくない」
 という言葉に乗って、鼻のてっぺんに注射されている愚かな自分が可笑しく、涙を流しながら笑いがこみ上げてきたのだった。

 それ以来、
「人生、そう面白いことがあってたまるか」
 と言ったOBの言葉に、
「だから人生は、面白がるんだ」
 という言葉をつけ加えることにした次第である。

 年輩者の酒におつき合いしていると、酔うにつれ、以前聞いた話を何度も繰り返すことがある。
(またか)
 と、うんざりする人もいるだろう。
 話を打ち切ろうとして、
「だから、そのとき辞表を叩きつけたんですよね」
 と、一番オイシイ結論を先回りして口にする人もいるだろう。

 だが、〝一つ話〟も、初めて聞く話だと思えば、新鮮で、楽しいものだ。実際、初めて聞いたときは、面白かったはずだ。
 これが、
《一つことを聞いていつも珍しく初めたるように信の上はあるべきなり》
 という蓮如上人の教えであり、〝面白がる〟コツなのである。

 人生に面白いことがそうあるわけではない。

 だが〝面白がること〟なら、いくらでもできる。

 面白がれる人が、すなわちハッピーなのである。

投稿者 mukaidani : 14:01

2007年02月06日

秋に果実を穫りたければ、春に種を蒔け

「蒔(ま)かぬ種は生えぬ」
 これは高校時代に、私が担任から言われた言葉である。
「もっと勉強しろ」
 と諭してくれたわけだ。

 だが、私は、
「先生、タンポポを見てよ。種なんか蒔かなくても、ちゃんと咲いてるじゃないの。種は風で飛んでくることもあるんだから」
 減らず口を叩きながら、空手をやったりエレキバンドを組んだり。遊びながら種が飛んでくるのを心待ちにしたが、結局、この年の大学受験は全部落っちてしまった。
(やっぱり、種は蒔かなきゃ、花は咲かないんだな)
 と反省したものだが、ズボラな性分は死ぬまで直らないようで、いまもって「風で飛んでくる種」を待っている次第である。

 空海の教えに、こんな言葉がある。

《春の種を下さずんば、秋の実いかに獲ん》

 春に種を蒔かなければ、秋に実を穫ることはできない――という意味で、まさに「蒔かぬ種は生えぬ」ということを説いているわけだが、この教えを私流に言い換えるなら、
「秋に果実を穫りたければ、春に種を蒔け」
 ということになる。

 すなわち――私のような怠惰な人間が言うのもヘンな話だが――志を抱き、それを成就させたいのなら、早い時期から種を蒔く努力が必要だ、ということである。

 人生は気まぐれだから、タンポポのように種が勝手に飛んできて、気がついたら花が咲いていた、ということもあるだろう。
 だが、それは、宝くじを買うのと同じで、
「誰かが当たるが、それは決して自分ではない」
 ということなのだ。

 それを悟ってなお、私はタンポポの生き方を変えられないでいる。
花が咲かないはずである。 
 

投稿者 mukaidani : 02:20