« 2006年10月 | メイン | 2006年12月 »

2006年11月22日

難題を押しつける「ものは言いよう」

 師走を控え、忘年会など、あれやこれや行事のお誘いがある。

 声をかけていただくのはありがたいことではあるが、気乗りしない飲み会もある。私より年長者が多かったり、気をつかわなければならない相手であったり、「知人の知人」という親しくもない人の集まりは、正直言って気が重く、なるべく断るようにしている。

 そんな飲み会の一つから、お呼びがかかった。
「来ねぇか」
 と言って来たのは、私より年長の知人A氏で、飲み会というのは、A氏の「知人」が主催する忘年会である。

 できれば断りたい。
 だが、A氏の顔をツブすのは失礼だ。
 
 で、私はA氏に電話した。
「行きたくないんですが」
「予定が入ってるの?」
「いえ、空いてはいるんですが」
「だったら30分でも顔を出したら。人が喜ぶことは、してあげたほうがいいと思うよ」
「わかりました」
 人が喜ぶことはしてやれ――A氏のこのひと言で私は決心し、出席の返事をした次第。

 だが、あとで考えると、A氏のこのひと言は、すごい説得術になっていることに気がついた。

 たとえば、A氏がこう言ったらどうか。
「気が乗らないだろうが、一つ頼むよ」
「わかりました」
 と答えるが、私は嫌々ながら行くことになる。
 しょうがないから出席する――という、受動的な気分になるからだ。

 ところが、「人が喜ぶこと」と言われればどうか。
「自分が喜ばすのだ」
 という能動的な気分になってくる。
 自分の出席が、「知人の知人」を喜ばせるのだという積極的な気持ちが出て来る。いいことをするのだ――という気分になるというわけである。

 やっかいな用事や難題を押しつけるなら、
「大変だろうが、ひとつ頼むよ」
 と言うのではなく、
「キミの努力にみんなが感謝だね」
 と言えば、嫌々ではなく、進んで引き受けてくれるだろう。
 言葉とは、ことほど左様に怖いものなのである。

投稿者 mukaidani : 02:21

2006年11月14日

日本の〝何か〟が壊れていく

 いじめによる児童の自殺、校長の自殺、我が子を殺す母親、虐待、そして日本核武装の論議――。さらに言えば、警察官の犯罪、教職員の飲酒運転、汚職、談合、女子中・高生の罪悪感なき売春。

 日本の〝何か〟が壊れていくような危機感を抱くのは、私だけだろうか。

 元凶は、戦後教育にある。
 戦後文化にある。
 欧米――とりわけアメリカのすべてを善として受け入れ、模倣し、日本の文化や価値観、微風を捨てた我々に責任がある。

 英語もしゃべれない人間が、得意になってロックに興じた。
 ウーマンリブなる運動も起こった。
 フリーセックスが先進国の証しとされた。
 ニューファミリーという言葉を冠して、「友達家族」を目指した。
 教師も一介の労働者に過ぎないとした。
 「黙っていてはだめだ、主張せよ」と教えた。
 権利のみが叫ばれ、義務は忘れ去られた。
 マネー・イズ・ベスト――。

 欧米文化受け入れのすべてが悪いと言っているのではない。文明は先進国から後進国へと流れ、模倣していくものである以上、欧米になびくのは当然だ。

 だから、それはいい。
 問題は、欧米になびいたことではなく、先人が営々と築き、子々孫々に渡って受け継いできた日本文化を捨て去ってきたことではあるまいか。
 こうした社会風潮が「現代の荒廃」に行き着くのは、必然と言っていいだろう。

 いじめ問題で学校を糾弾し、教育委員会を非難する。
 児童虐待や我が子殺しの親を、鬼畜と呼ぶ。
 荒廃した社会を嘆く。

 私たちに責任はないのだろうか。

 私たちは傍観者になっていまいか。

 私たちは傍観者ではないのだ。

 他人まかせ、国まかせにしていてはいけない。

 私たちに何ができるか。
 自戒を込め、次世代に対する私たち大人の責務が、いま問われていると考える次第である。

投稿者 mukaidani : 13:13

2006年11月08日

自殺予告に思う

「自殺予告」の手紙が、伊吹文科相に送られて以後、国を挙げて自殺を思いとどまるよう「差出人」に呼びかけている。東京都教育委員会は、同様の趣旨で、緊急アピールを出した。

 未来ある子供が、いじめで自らの命を絶つなど、絶対にあってはならない。何とか思いとどまって欲しいと、切に願う。

 その一方で、今日のニュースは、五人家族が河口湖畔の林道で、車内に練炭を持ち込み、心中したと報じている。子供三人は女児で10歳未満だという。

 心中や虐待など、悲惨な事件があとを絶たない。

 命とは何なのか。

 私たちが、他人を思いやる心とは、いったい何なのか。

 自殺予告した生徒に対して、必死で無事を祈る私たちは、一方で、核兵器の開発や、世界各地の紛争には無関心でいる。紛争で、何千人、何万人という人が死んでいるというのに、なぜそれに憤(いきどお)らないのだろうか。

 この落差は、いったい何なのだろうか。

 自殺予告の生徒の無事を祈りつつ、私はそのことを考えないわけにはいかない。

 

投稿者 mukaidani : 13:58