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2018年02月20日

無事の一年

 人生を長く生きていると、「流れ」というものが感覚でわかってくる。

 経験則というやつだ。

 たとえば仕事が忙しいとき。
 予定表とニラめっこしてスケジュールを細かく決め、
「これでよし」
 となるが、こういうときに限って突発的な用事が入ることを、経験則でわかっている。

 だから、綱渡りのスケジュールを組みつつ、
「何か飛び込んでくるぞ」
 と警戒し、心の準備をするのだ。

 昨日も友人から電話で、
「木曜日に葬場勤行の練習があるんだけど、案内がいってる?」

 突発事態である。

 木曜日は稽古がないため、自由に使える一日。
 仕事の積み残しや、調べごとなどに時間を充てる予定にしていたが、
「何かある」
 と警戒していたので、平静に受け止めることができた。

 流れがわかるので、忙しいときほど私は頻繁に予定をチェックし、「飛び込み案件」に備える。

 そんなこともあって、私は随時、愚妻に予定を口頭で告げておくのだが、外出の予定を伝えると、
「じゃ、食事はいらないのよね」
 愚妻の声が明るくなる。

 ところが、
「いや、夕方には帰ってくる」
 と言おうものなら、
「出歩いていないで、仕事したらどうなの」
 とたんに機嫌が悪くなる。
 予定を入れるのも楽ではないのだ。

 昨夜は近所のイタメシ屋へ出かけ、愚妻と年間予定の打ち合わせ。
 12月まで手帳をめくったので、何やら今年が終わった気分になった。
 明日の命はわからないが、とりあえず手帳の上では、この一年を無事に生きたことになるのだ。
 

投稿者 mukaidani : 15:41

2018年02月18日

会話の主導権

 お経を称えていたら、急に饅頭が食べたくなった。
 仏壇に供えてあったからだ。
 左右に2個ずつ計4個。
 手を合わせてから1個食べた。

 しばらくして、仏間から、
「ちょっと、饅頭を食べたでしょ!」
 愚妻の怒声。

「油断も隙もないんだから」
 ブツクサ言うので、
「よくぞ気がついた。お前は、まだまだ若い」
 ホメてやったのだが、
「左右ふぞろいになっていれば、誰だってわかるわよ!」

 私としたことが、うっかりしていた。
 左右1個ずつ食べればよかったのが、お供え物とあって、無意識に遠慮したのだろう。

「饅頭を1個しか食べなかったということは、わしも立派な僧侶になったということになるな」
 話題をちょこっと転じる。
「どこが立派なのよ」
「見てからんのか?」
「わからないわよ」

 愚妻が食いついてきたところで、
「ところで、日帰り温泉はどうした?」
 ガラリとテーマを変え、愚妻自身のことを問いかける。

「今日は日曜だから満員よ」
「明日か?」
「そう」
「何時だ?」
「7時」

 かくして「饅頭を食べた」という批難は消し飛んでしまったという次第。
 夫婦の会話で主導権を保つ一例である。
  

投稿者 mukaidani : 23:56

2018年02月16日

平昌オリンピック

 連日、平昌オリンピックの放送。
 金だ、銀だ、銅だと、番組のMCがあおる。
 選手のプレッシャーは大変なものだろう。

 どの競技もそうだが、最初は市町村大会で勝つことを目指し、勝てば満面の笑顔。

 ところが、次ぎは県大会で勝ちたくなる。
 さらにブロック大会、全国大会、そして世界大会にオリンピック。

 オリンピックに出場すること自体、最高の栄誉であるにもかかわらず、メダルが獲れなければ肩身が狭くなる。

 だからプレッシャーに苦しむ。

 まるで「イカロスの翼」である。

 高みを目指すことは素晴らしいことだ疑いなく思っているが、本当にそうなのだろうか。

 一流選手には「燃え尽き症候群」という言葉がある。
 一流校、一流会社に就職した若者には「五月病」というのがある。
 
 何に向かって全力疾走するのか。
 この視点を見失ってはなるまいと、平昌オリンピックを観ながら思うのである。

投稿者 mukaidani : 09:51