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2017年07月21日

朝のひとコマ

 早朝ウォーキングは6時スタート。
 すでに太陽は昇っていて暑い。
 だが、季節によって出発時間を変えると、季節の移ろいを感じることができない。
 で、真冬に焦点を合わせ、夏といえども朝6時に出発するというわけだ。

 愚妻が浸かりに行く近所の温泉は、7時オープン。
 露天風呂で日焼けするのがイヤだということで、愚妻は7時に出かける。

 だから、私がウォーキングから帰宅すると、玄関で鉢合わせする。
 私は自宅の風呂で汗を流すと、そそくさと仕事に取りかかり、愚妻は温泉に浸かってのんびり。
 きっと鼻歌でも歌っているのだろう。

「幸せとは何か」
 ということを、考えさせられる朝のひとコマである。

投稿者 mukaidani : 08:33

2017年07月18日

「千里の道」ということ

 早朝ウォーキングしながら、
「千里の道も一歩から」
 という言葉が唐突に脳裏をよぎる。

「千里もある遠い道のりであっても、まず踏み出した第一歩から始まる」
 という意味から転じて、
「どんなに大きな事業でも、まず手近なところから着実に努力を重ねていけば成功するという教え」
 ということになる。

「大きな事業」を「夢」や「志」に置き換えてもよい。

 なるほど、これは理屈である。

 だが、一歩を積み重ねたからといって千里に到達するかどうかはわからない。
 頑張って歩き続け、結果はせいぜい十里ということだってある。

 すなわち、「千里」という結果から、「目前の一歩」という努力を発想するところにまやかしがある。

 正しくは「一歩の先に千里はある」ではないか。
「目前の一歩」という努力が、結果として「千里」になるかもしれないというわけだ。

 経典『華厳経』に、
「初めて発心(ほっしん)する時、便(すなわ)ち正覚(しょうがく)を成(じょう)ず」
 と説く。

「真剣に悟りを得たいと発心したときには、すでに悟りの本質をつかんでいる」
 という意味だ。

 これも「悟り」という結果から「発心」を考えているのではないか。

 すなわち「千里」も「悟り」も終着点であり、終着点から「今」を見ているということになる。

 では、今生において命の終着点である「死」から「今」を見るとどうなるか。

「門松(かどまつ)は冥土(めいど)の旅の一里塚、めでたくもあり、めでたくもなし」
 と、正月を詠んだ一休禅師の狂歌が脳裡をよぎる。

「めでたくもあり、めでたくもなし」
 とするところが、さすが一休である。

「割り切れないものは割り切ろうせず、そのまま受け取る」
 と私は解釈する。

 千里に到達しようがしまいが、一歩を踏み出そうがしまいが、そんなことはどうだっていいことではないのか。
 悟りも同様。
 悟ろうと、煩悩に苦しもうと、どっちだっていいのではないか。

 オギャと生まれ、やがて命を終えていく。
 東から太陽が昇り、西に沈んでいくのと同じで、ただそれだけのこと。

 ならば、
「あれもよし、これもよし」
 と、自分の人生を肯定し、呵々大笑すればよい。

 家を出てちょうど1時間。
 早朝ウォーキングで、そんなことも考えるのだ。

投稿者 mukaidani : 10:54

2017年07月15日

カエルとヒアリ

 今朝もウォーキングをしていると、小さなカエルが道端をピョコピョコと跳ねていた。
 田圃(たんぼ)があるからだろう。
 1センチ程度の大きさなので、足元を見ながら歩かないと踏みつぶしそうになる。

 唐突に、「安居(あんご)」という言葉が脳裡をよぎる、

 安居とは、個々に活動していた僧侶たちが一定期間、一カ所に集まって集団で修行すること。およびその期間のことを指すが、本来の目的は、雨期は数多くの小動物が活動するため、遊行(外での修行)をやめて一カ所に定住することにより、小動物に対する無用な殺生を防ぐことである。

 お釈迦さんの時代からそうだという。
 今朝、カエルを踏みつぶさないように気をつけて歩いていて、お釈迦さんに思いを馳せていると、これまた唐突に、いま問題になっているヒアリのことが脳裡をよぎる。

 ヒアリは殺していいのだ。

 人間に害を及ぼすからだ。

 それは当然だと思いつつも、「危険だから殺す」という発想は、人間の都合ではないのか。

「ISは危険だから抹殺してしまえ」
 という発想と、論理的にどこがどう違うのだろう。

 だが、ISもヒアリも放置しておくわけにはいかない。

「すべての命は平等に尊い」としながらも、これを抹殺することを「正義」とする。

「害を及ぼす」という理由が、殺傷という行為を正当化するのであれば、戦争は永遠になくなりはしない。

 平和を求めるがゆえに、人間は戦争をする。
 矛盾である。
 私たちは、こうして矛盾を生きてる。
 テロと戦い、ヒアリの駆逐を通して、このことを忘れてはなるまいと自分に言い聞かせるのだ。

投稿者 mukaidani : 08:28